【161不思議】丸毛の㊙
今日も本日の授業課程は全て終了した。
夕方のSHRを済ませると、生徒達は部室や帰路へと向かう為、廊下へと足を伸ばしていく。
廊下を歩いているのは、生徒だけでは無かった。
一際目立つ、純白のシルエット。
丸まった背中に羽織った白衣に薄い白髪は、周囲を歩く十代とは年季が違っていた。
「もけじぃー!」
背後からの声に、白い影は振り向く。
その表情には、柔和な皺が幾つも刻み込まれていた。
「おぉ、石神君。花子君。お疲れ様」
「お疲れ様です!」
駆け寄ってきた千尋と花子に、丸毛はそう労った。
花子は相変わらずの無表情だったが、千尋は丸毛を、まるでボールを投げて遊んで欲しい飼い犬の様な瞳で見つめている。
「元気にやっているかい?」
「はい! 元気です! もけじーも元気ですか!?」
「あぁ、ちょっと腰が外れそうなぐらいじゃ」
「大丈夫ですか!?」
千尋が本気で心配するも、所詮はパーツの問題なので、その心配は無用だろう。
「ねぇもけじー! 今度部室に遊びに来てくださいよ!」
「むぅ、それはちょっと難しいのぉ……」
「いいじゃないですかー! 今度皆で、もけじーの内臓使って福笑いしようって言ってるんですよ!」
「なんだいその物騒な遊びは!」
「もけじぃー!」
千尋はそう懇願しながら、体を丸毛の腕へと巻きつけた。
他意のない行動ではあったが、丸毛は作り物の内臓を萎めると周囲に注意を向ける。
廊下を通り過ぎていく生徒達の視線は、どれも必要以上に密着する生徒と教師に訝しげだった。
脳裏に浮かんだ未来予知が、丸毛を窮地に追い詰める。
「いやっ、あのぉ……石神君?」
「はい!」
顔を上げた千尋の目は、穢れを知らないように澄んでいた。
「そのぉ……、その呼び方は控えてくれないかい?」
「えっ」
体を剥がしながら口にした丸毛に、千尋はこの世の終わりに似た表情をした。
「……やっぱり私がもけじー呼びするのはダメですか?」
「いやダメとは言ってないよ!? しかしここは学校で、私は先生だ! 先生をあだ名で呼ぶなんて事は、良くないだろ!?」
女子高生を泣かせはしまいと、丸毛は必死だ。
丸毛の説得が届いたのか、千尋は薄ら滲んだ目で丸毛を見上げる。
「じゃあ……もけじー先生なら良いですか?」
「えっ? あっ、まぁ……良いだろう」
折衷案として、丸毛は泣く泣く了承する事にした。
「やったー! じゃあもけじー先生で!」
「あっ、あぁ……」
「もけじー先生」
隣にいた花子も、インコの様に繰り返した。
話に折り合いがついたところで、千尋は議題をふりだしに戻す。
「ねぇもけじー先生! 部室に来てくださいよ! 新しく入った子達にも、もけじー先生の事紹介したいし!」
その時、丸毛は硬直した。
「……その事なんだがね」
改めて口髭を揺らした丸毛に、千尋と花子は不思議そうに首を傾げる。
「新しく入った子達には、私の事を内緒にして欲しいんだ」
「えぇ!?」
あまりの衝撃に、千尋は顎が外れる程口を開いた。
「どうしてですか!?」
理由を聞かずにはいられず、千尋は前のめりに尋ねる。
対する丸毛は、何十年と積み重ねた落ち着きで、ゆっくりと理由を語っていった。
「元々私は、オカ研の子達にも正体は明かしてこなかったんだ。私は七不思議であって、先生だからね。私が七不思議だとバレると、色々問題があると思ったんだよ」
今の社会、教職の責任は人間でさえ重くなっている。
「だから、私の正体を明かすのは君達の代で最後にしたくてね。勿論君達の事は信頼してるし、君達の後輩もきっと良い子なんだろうけど、こればかりは私の我が儘だ。許しておくれ」
痛むという腰を曲げて頭を下げる丸毛。
そんな丸毛を見て、こちらの我が儘を突き通す訳にもいかなかった。
「……分かりました。もけじー先生の事は、小春ちゃんや賢治君には内緒にします!」
「へぇ、そう言うのかい」
「はい! 二人共すっごく良い子なんですよ! ちょっと変わってるところはあるけど」
「あれ?」
千尋が後輩達の話をしようとした、その時だった。
「ねぇ春ちゃん、あれって」
「あら」
聞き覚えのある声が、耳に入ってくる。
目を向けてみれば、噂をすれば影状態の賢治と小春がこちらに歩いてきていた。
「石神先輩! 零野先輩!」
「こんなところで何していますの?」
「賢治君! 小春ちゃん!」
「!?」
秘密にすると言った矢先、秘密にすべき相手が揃ってしまった。
約束を誓ってくれた千尋も、数分前の記憶を欠落したかの様に二人と会話している。
「二人共これから部室?」
「えぇ、そうですが」
「あの、石神先輩。この人は……?」
賢治は視線で動転している丸毛を差す。
「そうだ! 紹介するね! この人は七不思……」
そこで千尋は、大事な事を思い出したように表情を急転させた。
「……先生です」
――本当に忘れてたのかい!?
どうやら数分前の記憶を、本当に綺麗サッパリ忘れてしまっていたらしい。
「先生?」
「そう! 先生! ですよね先生!」
「あっ、あぁ!」
明らかに不審な様子の千尋に、丸毛も頷くしか出来なかった。
奇妙な千尋に、賢治はそっと首を傾げる。
「なんの教科のですか?」
「えっ?」
「専門教科は?」
賢治からの質問に、千尋は一度丸毛とアイコンタクトを交わして答えた。
「……古典?」
「白衣なのに?」
賢治の一言が、千尋に雷を落とした。
「生物! 生物じゃよ! 普段は生物準備室で一人余生を過ごしているよ。ワハハハハッ!」
「あー生物ですか」
千尋のミスを紛らわせようと高く笑う丸毛の思惑通り、賢治は丸毛に目を奪われていた。
しかしもう一人の相手は見逃してくれなかった。
「……どうして担当教科も知らない先生と仲が良ろしいんですか?」
「「!」」
猜疑心丸出しで見つめてくる小春に、千尋と丸毛の心臓は飛び跳ねた。
丸毛の心臓は偽物だがという冗談も、今の丸毛には笑えない。
小春はそのまま二人を問答無用で問い詰めていく。
「授業を受け持っているなら、担当教科は解りますよね? かといって担任でもなければ、部活の顧問でもない。なら……」
このままでは小春の推理は、当たらずも近いところまで来るかもしれない。
丸毛は牽制として、小春に罠を仕掛ける。
「いやまぁ、実はそこまで仲が良いという訳でも」
「えっ!? 仲良くないんですかもけじー!」
――石神君!?
しかし罠に嵌ったのは、仲間である筈の千尋だった。
「ねぇ! 私達仲良くないんですか!?」
「いやそうじゃないけども!」
「廊下で話をするぐらいですし、何かあだ名で呼んでるようなので、もうそれは仲が良いという事でよろしいのではないですか? というか、なんですかそのあだ名」
「!」
小春の言葉に、千尋の口にした自分の名称に気付く。
「あぁ、このあだ名は人体模型のもけじ」
「石神君!」
またもや全てを吐き出しそうになった千尋を、丸毛が慌てて遮った。
千尋に自覚は無かったようで、一人で両手で口を覆っている。
丸毛の制止もあと一歩のところで届かず、肝心な部分は小春の耳に届いていた。
「人体模型?」
「そう! 私実は人体模型に止まらず模型をこよなく愛しておってのぉ! それが高じて、模型好きのじーさんでもけじーと、一部の生徒に呼ばれておるんじゃ!」
「へー」
「石神君とは去年卒業していったオカ研の先輩達と少し縁が合ってのぉ! 巡り巡って石神君ともすれ違い様に少し話す仲になったのじゃ!」
千尋が口走る前にと、丸毛は全てを自分の口で片付けた。
勢い任せで口から出まかせをしたせいか、丸毛の息は肩を使う程荒れている。
「そうだったんですねぇ!」
賢治は納得したのか、そう笑顔を見せていた。
「………」
対する小春は、まだどこか疑うように丸毛を見つめている。
「そう! だからもけじー先生は怪しい先生じゃないの! どっちかというと妖しいというか」
「石神君はもう黙っていなさい!」
これ以上話を拗らせない為、丸毛は千尋に箝口令を敷いた。
これで事態は万事解決だ。
丸毛はなんとか一難を乗り越えたと、安堵が溢れて大きな溜息を零す。
しかし丸毛は忘れていた。
この場には、千尋よりももっと大きくて破壊力のある爆弾が潜んでいたという事を。
「……もけじーは」
そう声を出した爆弾こと花子は、一斉に一同からの視線を浴びる。
「私と一緒だよ」
「「「「!?」」」」
天変地異でも起こす様な花子の一言に、小春や賢治は勿論、丸毛と千尋も一緒になって転がった。
「はっ、花子君!? 急に何を言い出すんだい!?」
「この悪霊と一緒って事は……まさか!?」
「先生も……?」
「いやっ、違う! 違うんだ!」
丸毛が取り繕おうとするも、流石にここからの弁明の言葉は見当たらない。
千尋はそっと花子に近寄って耳打ちをする。
「花子ちゃん! もけじー先生は自分が七不思議だって事隠してるの! だから言っちゃいけないんだよ!」
全てを耳から受け取った後も、花子は無表情だった。
無表情のまま、花子は小春と賢治に目を向ける。
次に花子が口にする言葉を誰よりも心待ちにしているのは、他でもない丸毛だった。
「……もけじーは、私と身も心も、色んな意味で一緒だよ」
「「「「!?」」」」
それは先程までとは全く違う意味の衝撃を、一同に与えた。
「えっ、色んな意味って……まさか!?」
「誤解! 誤解だよ! 花子君! 一体何を考えてるんだい!?」
「でも、零野先輩にだけ名前呼び……」
「あっ、いやっ、これは!」
「いくら悪霊だからって、教師としてやっていい事といけない事があるわ!」
「誤解だって! 石神君! 君も何か言ってくれ!」
「えっ、でも黙ってろって」
「もういい! 変態教師の汚名がつくくらいなら、正体明かした方が幾らかマシじゃ!」
こうして丸毛は、自分の正体を隠す事を諦めた。
千尋の解説によって丸毛の正体は明かされ、二人は衝撃を受ける。
それと同時に、丸毛の名誉に関わる誤解も事なきを得た。
花子が一体何を思ってそう言ったのかは未だ不明なままだったが、来年の新一年生にも隠し通せるか不安になる丸毛だった。
もけじー、マル秘がバラされる。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は随分ともけじーの話を書いてこなかったので、もけじーにスポットライトを当てようと物語が始まりました。
すぐに決まったのが、もけじーの秘密を一年達に隠そうという話。
そこからは千尋が勝手に下手な嘘で暴れてくれたので、比較的に楽に話は出来ていきました。
少し変わった事としましては、実はこの話、当初の予定では隠し通せて終わる筈でした。
元々もけじーは作中でも言ってるように自分が七不思議である事は隠していて、一年達にまた正体を明かしてたらのちのちキリがないなと。
なので小春と賢治には、もけじーの正体を明かすつもりはありませんでした。
しかし千尋や花子を書いているうちに、「あれ、これバレた方が面白いな」と。
そもそもこれ隠し通すのに無理があるなと思い、結果もけじーの方から正体を明かすというオチになりましたww
これからの一年達ともけじーの絡みをどうしようか、今から考えておく事にします。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!