【160不思議】第三次購買大戦
日が顔を覗く、昼下がりの中庭。
太陽が心地よく日差しを運び、日光浴しながら昼食を取るには絶好の日和だった。
昨年と同じ場所を占拠した花子は、美しい薄桃色をした鮭の塩焼きを美味しそうに頬張った。
「……美味しい?」
咀嚼する花子を、千尋は鼻先が触れる程に注目する。
「……うん」
「やったー!」
花子の感想は味気ないものだったが、千尋は舞い上がったように喜んだ。
「この鮭ね! 昨日の余り物なんだけど、弁当用に冷めても美味しく食べれるように工夫したんだ! 知ってる? 焼いてる途中に霧吹きでお酒をかけると、鮭の身が柔らかくなるの! 鮭には酒ってね!」
千尋が鮭料理のワンポイントアドバイスをするも、花子は味に夢中なようだ。
代わりに聞いていた博士も、白米を箸で口に運ぶだけ。
「……昼飯は前の奴らと一緒に食うんじゃなかったのか?」
博士の指した相手は、すぐに分かった。
「うん、沙樹達とはクラスバラバラになっちゃったからね」
沙樹とは千尋が一年の頃同じクラスだった仲の良い友達。
昨年は昼食も沙樹と他の女子四人で輪になり、オカ研部員達と合流するのは週に一度だけだった。
「お昼ご飯は一緒に食べよ、って話になって、去年と同じで一緒に食べる事にしたんだ。だから、今年もこっちで食べるのは水曜日だけになったの」
自分で訊いておきながら、博士の興味は弁当に移っていた。
「花子ちゃんとはずーっと一緒にいたいんだけどね!」
言葉だけでは足らなかったのか、千尋は花子をギュッと抱き締める。
花子は千尋から貰った弁当を、食べ難そうに味わっていた。
「そうだ! 花子ちゃんも沙樹達と一緒に食べる!? 沙樹達も喜ぶだろうし、そしたら万事解決だよ!」
「ハカセが行くなら行く」
「なんで俺が行かなきゃいけねぇんだよ」
名案だと目を輝かせた千尋だったが、結果的に却下されてしまった。
項垂れる千尋は、ふと人数が足りない事に気付く。
「あれ? そういえばあいつまだいないの?」
「あ? ……そういやそうだな」
千尋につられて博士も首を回すも、その影はどこにもいない。
「真っ先に購買に走ってった筈なのに……」
「お待たせ!」
噂をすれば影で、そんな声が飛んできた。
探してはいたが、いざ声を耳にすると気は削がれ、博士は溜息を吐いて顔を上げた。
「全く、何してたんだよ。購買行っただけでこんな時間かか」
そこには金髪の七三、全身真っ白の上に無数の足形の付いた乃良がビニール袋を提げて立っていた。
「いや本当に何があったんだよ!」
その変わり様は、『ちょっと購買行ってくる』の前後で起こるようなものでは無かった。
「いやー、まぁちょっと色々あってさー」
「色々でそうなるもんかよ……」
悲惨な姿にも関わらず気楽な乃良に、博士は若干引いていた。
乃良がグッと顔を寄せると、仄かに甘い香りがする。
「どうなったか気になるか? 実はな……」
ただの一人として一言も言ってなかったが、乃良はそのまま内緒話でもするように数分前の記憶を辿った。
●○●○●○●
それは昼休みのチャイムが鳴る直前。
現代文の授業中である二年A組にて、黒板をチョークでなぞっていた馬場の手が止まる。
馬場の目は、ドアの前で構える金髪の彼に奪われていた。
「あのぉ……、何してるんですか?」
「見て分かんないっすか? クラウチングスタートですよ」
「いやまだ授業中なんですけど」
「先生、こいつ放っといていいんで授業続けてください」
一般常識だと答える乃良に、馬場は博士の言う通りに授業を再開させる。
しかし、その瞬間にチャイムは鳴った。
その『k』の音が耳に入ったと同時に、乃良のクラウチングスタートは満を持して解き放たれる。
テレポートしたかの様に消えた乃良に、教室中がただただ開いたドアを見つめていた。
そんな教室の虚無感など、風と化した乃良は知る由もない。
乃良の目的地は購買店だ。
校舎棟を真っ直ぐ行き、突き当たりを職員棟へ右にカーブ、更に先の階段で一つ下に下れば、皆大好きな購買の山田屋のパン達が待っている。
――今日こそ食べるんだ! 山田屋、幻のパン……カツサンドを!
それが乃良を走らせている理由だった。
カツサンド。
サクサクの衣を羽織った豚肉を、純白のパンが優しく包んだ贅沢な一品。
山田屋のカツサンドは更に特別で、一度食べたら忘れられないと学校中で噂されている。
昨年は多々羅という生徒が『カツサンドの独裁者』の二つ名を授かる程に独占しており、簡単に頂ける品物ではなかった。
多々羅が卒業した今でも、カツサンドを巡った競争が起こるのは必然だ。
ただ今誰よりもカツサンドに近いのは、乃良の他にいないだろう。
――よし! あの角を右に曲がって!
突き当たりの見えてきた乃良は、ウィンカーの準備をする。
しかしその時、上りの階段からこちらに下りてくる人影が目に映った。
――!
しかもその人影は、見覚えのある顔だった。
「あれ、偶然ですね。加藤先輩」
「けんけん!?」
オカルト研究部直属の後輩、賢治だ。
賢治は階段を一気に駆け下りると、乃良のもとへと歩いてくる。
「随分早いですね。もしかして先輩も、カツサンド目当てですか?」
どうやら賢治も、目的は同じようだ。
「早いのはお前もだろ」
乃良はどうも面白くなってきた展開に、口角を吊り上げる。
二人の眼は、遥か遠く職員棟の先を見据えていた。
「後輩だろうが容赦はしねぇぞ!」
「望むところです!」
そう宣戦布告をすると、二人は全速力で職員棟へと駆け出した。
まるで獲物を奪い合う様な二匹の獣のデッドヒート。
しかし賢治が先に視界の奥に気付く。
「! 先輩待って!」
「待てと言われて待つ奴がいるか!」
瞬間、乃良の踏み込んだ右足はスリップする。
「なっ!?」
乃良は空中を華麗に一回転し、後頭部を床へ勢いよく打ち付けた。
「がっ!」
聞いたこちらが痛む様な鈍い音がする。
後頭部の腫れを気にして擦っていると、ふと尻をついた床が妙に粘着質な事に気付いた。
おまけに自分の体も白に塗れている。
「うわっ! なんだこれ!」
混乱した頭で乃良が叫ぶと、追いついた賢治が冷静に奥の看板を指差した。
「いや、なんか『この先床の塗装の為立入禁止』らしいですよ」
「はぁ!?」
目を凝らすと、確かに言った通りの文字が確認できた。
「なんで床の塗装なんてしてんだ!?」
「確かにここの床ってペンキ剥がれてきてましたもんね」
「にしても今すんなよ! 放課後やれ!」
これでは先にある職員棟の階段まで辿り着けない。
「くそっ! こうなったら一回戻って校舎棟の階段で一階まで行くしかねぇか!」
「それしか無さそうですね」
「大幅なタイムロスじゃねぇか!」
愚痴を吐いても仕方ないと、乃良と賢治は再度足を動かす。
賢治の下りてきた校舎棟の階段でそのまま下りられるので、まだ可能性はある筈だ。
しかし前方に不吉な影が現れる。
「なっ! あれは!」
目を見開く乃良に対し、賢治はその正体を知らなかった。
「誰ですか?」
「生徒指導だ!」
乃良の声が聞こえたのか、生徒指導の教師はこちらを見つけると大きな歩幅で寄ってきた。
「加藤ぉ!」
その形相は因縁の相手を恨むような顔である。
同じく引きつっている乃良の顔に、賢治は二人の間の確執を悟った。
「こんな時に!」
「何かあったんですか?」
「あぁ、毎回頭髪検査の時にな」
「あっ! もしかしてその金髪……」
高校生、しかも進学校で金髪とは確かに攻めた髪色だ。
元々金色の毛の生えた猫の乃良はこれがありのままの姿なのだが、その言い訳は生活指導には通用しないだろう。
「いや……」
しかし先生が飛ばしてきた怒号は、予想を外した。
「その癖毛は直せと言っているだろ!」
「そっち!?」
予想外の標準に、賢治は黙っていられなかった。
「だから! 地毛なんだから仕方ねぇだろ!」
「地毛だって直せるだろ! ワックスでもパーマでもいいから、その癖毛を直してこい!」
「断る!」
生徒と先生間の激しい攻防戦に、賢治は蚊帳の外だ。
「ほら! 俺が直してやるから!」
「なんでワックス持ち歩いてんだよ!」
「お前みたいなのを正す為だよ!」
「こっちは急いでんだよ!」
どうにかして先生を躱す策を模索するも、なかなか階段へ向かう手立ては見当たらない。
片や賢治は、何事もなく先生の隣を通り過ぎる。
「それでは先輩、先に行ってますね」
「おいけんけん! 待てよ!」
「待てって言われて待つ人はいませんよ」
どこかで聞いたような台詞を置いて、賢治は校舎棟の階段に消えてしまった。
乃良も続きたいが、先生に頭を捕えられる。
「お前はこうだ!」
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
生徒指導による乃良の拘束は、それからしばらく続いた。
数分後。
「よし、これで完璧だ」
先生が満足気に頷いた先には、綺麗に七三で整えられた乃良が立ち尽くしていた。
体全体の震えが喜びによるものではない事は、言うまでもない。
「これからは自分でやってくるんだぞ」
先生はそう捨て台詞を吐くと、校舎棟へと姿を晦ます。
「くそっ!」
怨念が乃良の体に取り憑こうとするも、それを振り払うように駆け出した。
目的地は校舎棟の階段、そしてその先の購買店だ。
しかし階段に辿り着く直前、乃良の左足はスリップする。
「わっ!」
乃良は空中で華麗に一回転し、後頭部を床へ勢いよく打ち付けた。
「またかよ!」
既視感のある衝撃に、乃良は悶絶する。
頭の上には何か柔らかいものが飛来しており、乃良は痛みを堪えながらそれを手にした。
それは草臥れたバナナの皮だった。
「なんでバナナの皮が落ちてんだよ! マリオカートか!」
乃良は怒りに任せて、バナナの皮を投げ捨てる。
「畜生! もうどれだけ走ったって間に合わねぇよ! どれだけ走ったってカツサンドは……、畜生!」
まるで高校球児が甲子園直前で敗退した様な様相。
廊下の真ん中で、乃良は一人嘆きを露わにした。
ふと顔を上げると、文字通り自分を振り回したバナナの皮が寝転がっている。
それがなんだか乃良の頭を冷静に働かせた。
――……いや。
乃良はバナナの皮を手にして立ち上がる。
――まだ可能性は残ってる!
そして走り出した。
足の向かう先は校舎棟の階段、とは正反対の、先程引き返してきた職員棟。
『この先床の塗装の為立入禁止』の看板を無視し、乃良は手にしていたバナナの皮を放り投げた。
「諦めて堪るぁ!」
瞬間、乃良の体は四足歩行の猫に変わる。
乃良は走った勢いのまま跳び上がると、先に投げたバナナの皮の上に着地した。
するとどうだ。
ペンキの塗り立てな床を、乃良を乗せたバナナの皮が、スルスルと職員棟の階段まで運んでいくではないか。
文字通り、人間離れの神業。
乃良はそのまま見事なバランス感覚でバナナの皮を操縦し、階段の傍まで辿り着く。
人型に戻って下を覗くと、やはり購買店の前は生徒で大賑わいになっていた。
しかし目標のカツサンドは、まだ数個確認出来る。
「よしっ!」
乃良は目標を捕えると、なんの躊躇いもなく手すりに手ではなく足をかける。
そしてそのまま、乃良はその足を蹴った。
体は宙に放たれ、購買店へ自由落下を始める。
「どけぇぇぇぇぇぇぇ!」
「えっ?」
「どうした?」
「いやっ、何か聞こえたような……」
「おい! 上から誰か落ちてくるぞ!」
こちらに向かって飛んでくる謎の飛翔体に、一階は騒然としていた。
身の危険を察してその場から離れようと、購買店の前は混雑から一転、もぬけの殻となる。
その空いた着地点に、乃良は降り立った。
無事着地した乃良に、購買店の恰幅の良い女性は瞬きも忘れて目から鱗を落とした。
「おばちゃん!」
呼びかけられた声に、女性の心臓は飛び跳ねる。
しかし乃良は先程落ちてきたとは思えないような無邪気な笑顔で、待ちに待ったその商品を口にした。
「カツサンド一つ頂戴!」
こうして、カツサンドは乃良の手元にやってきた。
その後、乃良は戻ってきた購買利用者の下敷きとなったが、踏みつけられた尊厳などどうでも良かった。
●○●○●○●
「いやーほんと災難だったよ! でもまぁ、こうしてカツサンドが手に入ったんだから万事オッケー! ほんと良かったー!」
中庭で一際目立つ凄惨な容姿の乃良は、その姿の経緯を語り尽くした。
聞き手の博士達の興味は皆無だったが、今の乃良は腹の虫が五月蠅くてそれどころではない。
乃良はビニール袋から待望のカツサンドを覗かせる。
「へへへっ、それじゃあ早速、いっただっきまー」
瞬間、学校中に昼休み終了を報せるチャイムが鳴った。
顎が外れる程大きく口を開けた乃良は、そのまま体内時計を停止する。
「あっ、予鈴だ」
「早く授業の準備しないと。花子ちゃん行くよ」
「うん」
博士達はそそくさと弁当箱を片付け、教室へと戻っていく。
他の生徒達の影も無くなり、中庭には乃良一人残された。
「………」
薄ら涙がカツサンドに落ちて紛れ込んだが、乃良はそれでも一口カツサンドを口にする。
「……美味っ」
カツサンドは涙の塩味に負けないくらい美味しかった。
まさに大惨事。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
学年が上がってからまだ昼休みの話を書いていなかったので、昼休みの話を書こうと思ったのが今回のスタート地点でした。
そこまでは決まったものの、そこからが思い付きません。
あれこれ考えた結果、気付けば乃良の購買競争を書く事になっていました。
なんか思ってたのと違うww
まぁ最近乃良を主軸に書く事もなかったし、賢治も登場できて良かったかなと思います。
購買をテーマにいつか書きたいとも思っていましたし。
ただ今回で一番書きたかったのが何かといえば、千尋の昼休み事情だったりします。
僕自身も書き始めるまで、ずっと悩んでいたので。
そんなついでで悲惨な目に合う乃良の事情が、一番災難な気がしますが……ごめん乃良ww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!