表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
156/243

【156不思議】壁にはドンと、男はドンと

 早朝、まだ朝を報せるチャイムが鳴る前の事。

「返してください!」

 朝一番から校舎で嘶く千尋の鳴き声に、登校直後の生徒達は物珍しい目で通りすがりに眺めていた。

 千尋が縋っているのは、体育教師を務める鬼の鬼塚だ。

「ダメだ! こんなの没収に決まってるだろ!」

「何でですか! 別に良いじゃないですか!」

「良い訳あるか!」

 鬼塚の手には、千尋から没収した物品。

「鳩時計なんて学校に持ってきて良い訳ないだろ!」

 それは小窓で鳩がスタンバイしている、壁掛け型の鳩時計だった。

「鳩時計持ってきちゃダメなんて校則ないでしょ!?」

「今まで持ってきた奴がいないだけだ! 大体鳩時計なんて持ってきて何するつもりだったんだよ!」

「先生に関係無いでしょ!?」

「関係無いけど気になるだろ!」

 鬼塚の率直な疑問も、今の千尋には届かない。

 鳩時計を取り返そうとするも、女子の千尋では屈強な鬼塚の腕力に敵う筈もなく、鳩時計は未だ鬼塚の手の元。

 それでも千尋は諦めなかった。

「返してください!」

「しつこいな! いいから手を放せ!」

 千尋の手を無理に振り払おうとしたその時、鬼塚のバランスが崩れる。

「って」

「え?」

 想像以上の重さのある鳩時計の上に、獣の様に執着心の強い千尋によって、大分重心が揺らされてしまった。

 倒れそうな鬼塚の体が、千尋へと襲う。

 鬼塚はなんとか力を振り絞り、壁に片腕で体重を支え、廊下に突っ伏すのだけは免れた。


 その結果、鬼塚の右腕が千尋の脇元に塞がり、二人の距離はグッと縮まった。


「「!」」

 刹那、二人の時間は止まる。

 世間一般的に、これは千尋含めた女子高生の大好物である『壁ドン』と呼称されるものだった。

 すぐに触れてしまえるその距離に、千尋の鼓動は高鳴る。

 先に正気に戻ったのは鬼塚で、すぐに腕を引っ込めると下手に咳払いをした。

「とっ、とにかく! これは没収だ! 返して欲しければ、放課後反省文を書いて体育教官室に来るように!」

 鬼塚はそう言いつけると、逃げるように校舎を後にする。

 鳩時計は鬼塚の腕に収まったままだったが、千尋は追いかけられなかった。

 ただ小さくなっていく鬼塚と鳩時計の背中を、見えなくなるまでじっと見つめる事しか出来なかった。


●○●○●○●


「鬼塚に壁ドンされた!」

 突然、千尋は叫んだ。

 場所はオカルト研究部部室、時間は既に放課後となっている。

「何!? 壁ドンされたから一瞬キュンとしちゃったけど何だったのあれ!? なんでゴリゴリゴリマッチョな鬼の鬼塚と胸キュンシチュエーション体感しなきゃいけないの!?」

「それで鳩時計は返してもらえたの?」

「まだ反省文書けてないよ畜生!」

 正気に戻った千尋は、抑えられない心の不満を曝け出していく。

 それを聞かされる部員達の目は冷ややかだった。

 ちなみに一年生達は未だ林間学校の最中で、部室に小春と賢治の姿は見当たらない。

「私の壁ドンバージンとピー助返して!」

「鳩時計にピー助って名付けるな」

 部員達の視線には気付かず、千尋は顔面を両の手で覆う。

 そんな千尋に博士や乃良は溜息を吐いていた。

「……壁ドン?」

 ふと花子が呟く。

「うん。……あれ、もしかして花子ちゃん、壁ドンって知らない?」

 千尋の質問に花子は頷いた。

 すると千尋は、先程までの嘆きモードをリセットして、花子に壁ドンの全てを謳い上げる。

「壁ドンっていうのはね! 男の人が女の人を壁際まで追い詰めて、ドンッて女の子の行き場を手で塞ぐ、少女漫画で使われる恋愛描写の事だよ! もうそのシーンは本当にキュンキュンするんだから!」

 千尋の熱い説明に、花子は無表情で聞く。

 ただもう一年の付き合いになる千尋には、その無表情からも何かが伝わってくるような気がした。

「……もしかして、花子ちゃんも壁ドンされたいの?」

 千尋は他人事にも関わらず、妙に胸を高鳴らせながら花子の回答を待つ。

「……ううん」

 しかし、花子の答えはNOだった。

「したい」

「えっ、そっち?」

 どうやら花子は、壁ドンする(・・)側に回りたかったらしい。

 少し千尋が思い描いていたビジョンとは違うが、それが花子の御所望であるなら希望に添わない訳にはいかない。

「よし! 分かった!」

 千尋はドンッと自分の大きな胸に手を当てた。

「じゃあハカセ! 花子ちゃんに壁ドンされて!」

「はぁ? なんで俺が」

「アンタしかいないでしょ! ほら早く!」

 当然の様に名前の上がった博士は、こちらも当然の様に顔を歪ませた。

 もうしばらく反抗したかった博士だったが、こちらをじっと見つめてくる花子の視線にそんな気も失せる。

「……分かったよ」

 そう言って、博士は椅子から腰を上げた。


●○●○●○●


 一同は花子の理想を叶える為、壁際へと移動した。

 博士は壁に背中を預け、手を伸ばせば届く距離に立ち尽くす花子と対峙する。

「よし花子ちゃん! ハカセに目がけてドンッと壁ドンしちゃって!」

「俺に目がけちゃダメだろ」

 千尋の指導に一言入れて、博士は花子と目を合わせる。

 花子は相変わらずの無表情だ。

 ただ気持ちの整理がついたのか、花子は右腕を動かすと、ゆっくりと博士の脇まで伸ばしていく。

 勢いこそなかったが、花子の手は博士の脇に止まり、壁ドンは成功した。

「「………」」

 壁ドンしたとは思えない、二人の表情。

 ただ花子の手は壁についた後も止まる事も知らず、そのまま壁を貫通していった。

「「「!?」」」

 止まらない花子の壁ドンに、一同は驚愕する。

「ちょっ、ちょっと花子ちゃん! ダメ! 止まって! 壁すり抜けちゃダメ! ドンッて止まらなきゃ! それじゃあ壁スルになっちゃうよ!」

「おい花子! 止まれって! おい! 近付いてくんな! 止まっぎゃああああ!」

 幽体化を思う存分発揮する花子の進撃を食い止めるのに、数分もかかった。


「やっぱり壁ドンは男がしないとね!」

 花子の進撃を止めた千尋は、気を取り直して指揮を執る。

「ほらハカセ! 花子ちゃんに壁ドンして!」

「なんでだよ」

「良いじゃんか! ほらもうやっちゃって!」

 強引に指示を下す千尋に、博士は早く終わらせた方が手っ取り早いと諦める。

 壁際に佇む花子に、ピタッと手を置いた。

「おら、これでいいだろ?」

「ダメ!」

「あぁ?」

 言われた通りにした筈だが、千尋の顔は険しかった。

「そんなんじゃ壁ドンじゃないでしょ!? 壁ドンってのは勢いが大事なの! もっとドンッて! もうこんなの壁ドンじゃなくて壁ピタだよ!」

「細けぇな」

 細部にまでこだわりを見せる千尋に、博士は溜息を吐いた。

 仕方なく博士は自身の持つ最大限の力を利用して、花子の脇の壁に掌底を撃った。

 瞬間、博士の手首がグキッとあらぬ方向に曲がる。

「うっ!」

「なにしてんの!」

 右手首を痙攣させる博士に、千尋が声を荒げた。

「誰がそんな勢いでやれって言ったの! ドンッぐらいでいいの! そんな力強くして手首痛めて世話無いわ! こんなんじゃ壁ドンじゃなくて壁グキだよ!」

「五月蠅ぇな! さっきから壁○○って気に入ってんのかそれ! お前は早く反省文書けよ!」

 未だ痛みの走る右手首を抑えながら、博士は必死に反論する。

 自分の足元で蹲る博士の姿に、花子は無表情のまま目を奪われていた。


「じゃあ次は肘ドンね!」

「あ?」

 なんとか右手首の痛みから復活した博士は、千尋の発した聞き慣れない言葉に首を傾げた。

「なんだそれ」

「知らない? 掌だけじゃなくて、肘まで壁につける壁ドンの応用編。壁ドンより距離がグッと縮まるからトキメキもアップするんだよ!」

「で、なんで俺がそれやんなきゃいけね」

「いいから早く! 今回はそんなに勢いつけなくていいからさ!」

 博士に拒否権は無いようで、言い分を聞く事もなく千尋は遮った。

 言い争いにも飽きた博士は、疲弊の滲んだ顔で千尋に服従する。

 壁際から微動だにしない花子。

 博士はそっと近付いて、言われた通り花子の脇の壁に手から肘までを寄せた。

「「………」」

 鼻でも触れてしまいそうな距離。

 視界いっぱいに映る博士の顔に、花子は瞬きする事無く見つめていた。

「……花子」

 ふと博士が自分の名前を呼ぶ。

 博士もまた、いつもよりもよく見える花子の顔を観察していた。

「お前眉毛にほくろあるんだな」

「てりゃあ!」

「ごふぁっ!」

 漂っていた少女漫画の雰囲気は、千尋のドロップキックによって音を立てて崩壊した。

「テメェ何すんだよ!」

「アンタこそ何言ってんの! 変な事気付かなくていいの! 折角良い雰囲気だったのに!」

「何がだよ! 顔近付けて暇なだけじゃねぇか!」

「ちょっとはトキメキ感じなさいよ!」

 こうして、博士と千尋の論争第二ラウンドのゴングが今鳴った。


「なぁ」

 お互いに罵詈雑言をぶつけていた二人の間に、今まで静観していた乃良が声を上げる。

「今色々調べてたらさ、こんなの出てきたんだけど」

 と、乃良は手にしたスマートフォンを一同に見せた。

 博士達が覗き込むと、画面には『指トン』と書かれている。

「指トン?」

「なんか、指で女子の額とかにトンッてするんだって」

「あっ! それすごくいいかも!」

「そうか?」

 妄想して夢を膨らます千尋に対して、博士は顔を顰める。

「ほら! ハカセやってみて!」

 最早実験体の様な扱いになっている気もしたが、博士は従僕に体を花子に向けた。

 花子はいつ見ても壁際から離れていやしない。

 博士はそっと花子に近付くと、花子の顔まで右手を持ってくる。

 すると花子の額に、トンッと右の親指を置いた。

「なんで親指」

 まさかの選択に、思わず千尋が声を漏らす。

「あ?」

「こういうのって大体人差し指でしょ!? なんで親指にしたの!?」

「別にどの指だって変わんねぇだろ」

「いや大分見栄えが変わってくるでしょ!」

 確かに花子の額に親指を押しつけるその姿は、どこをどう切り取っても胸キュンのシチュエーションには見えなかった。

 しかしそれ以前に、博士には疑問があった。

「……というか、例えこれ人差し指でやったところでときめくものなのか?」

「じゃあ次、腕ゴールテープな!」

「腕ゴールテープ!?」

 先程までとは全く毛色の違う言葉に、博士は耳を疑った。

「えっ!? それって本当に胸キュンのヤツなのか!?」

「いいから! 取り敢えずやってみよう!」

 ただ単純に面白がっているだけのように見える乃良に振るわれ、博士達は腕ゴールテープの再現に取り掛かった。


 右腕を広げる博士。

 前方には花子。

 花子は右足を後ろに下げると、その足から一歩を踏み込んで走り出した。

 博士との距離が縮まっていく。

 その距離が0になると、博士の右腕のゴールテープが花子の胴をしっかりと捕えた。

「これのどこが胸キュンなんだ!」

 ゴールを報せる博士のツッコミと共に。

 ※本当に調べたら出てきました。


●○●○●○●


 それからも様々な胸キュンシチュエーションに挑戦した博士と花子は、随分と体力を消耗していた。

 博士に至っては、軽く息が切れてしまっている。

「んー、やっぱり胸キュンって難しいね」

「そうだな。やっぱり胸キュンには、それなりの技術と経験が必要なんだな」

「あと顔だね」

「うん、顔だな」

「お前ら……」

 散々振り回してくれた千尋と乃良に、博士は怒りを通り越した場所にまで到達していた。

 今は何より体力の回復が優先である。

 一先ず水分を補給しようと、博士は床についてしまった腰を持ち上げた。

 すぐ傍にいた花子は、彼女なりの心配気な視線を送る。

「ハカセ、大丈夫?」

「あぁ、大丈夫だ……っと!?」

 途端、博士の体勢はぐらりと歪んだ。

 疲れのあまり体の軸がブレてしまったのか、花子まで巻き込んで二人は壁際まで崩れていく。


 気付けば博士の片腕は、花子を壁に追い詰めていた。


「「!?」」

 目を離した隙に急転した二人に、思わず千尋と乃良は慌てて目を向かわせる。

「悪ぃ、大丈夫か?」

 なんでもないような博士の声。

 博士の影に隠れた花子も無表情ではあったが、言葉は素直に出なかった。

「……うん」

「そうか」

 花子の無事を確認すると、博士は壁から離れて給水所を目指す。

 それでも花子は、まだあの距離の博士を忘れられなかった。

 随分昔に止まった筈の心臓が、五月蠅いぐらいに鼓動を鳴らしているのが分かる。

 博士に釘付けになった花子に、事の顛末を眺めていた千尋と乃良はとある結論を導いた。

「……胸キュンに一番必要なのは、自然さかもね」

「……だな」

 それは、今までの博士の苦労を全て無駄にするような結論だった。

壁ドンの可能性は無限大。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


新学期入った事だし、今までご無沙汰だったメインカップル回を書こうと思ったのが今回のきっかけです。

基本メインカップルにはラブコメあるあるを体現してもらっているのですが、今回は壁ドン。

そして、壁ドン系列の胸キュンシチュエーションをやってもらいました!


今回を書く上で、壁ドン系列を色々調べていたのですが、その種類が予想以上に多い!

そして面白い!

腕ゴールテープを見つけた時は、流石に声が出そうになりましたww

一応語感と認知度、面白くなりそうなものをリストアップして書いたのですが、それでもちょっとボリューミーになりましたね。

ただ書いている時も、読んでいる時も、調べている時も面白い回になったかなと思います。


ちなみに僕は壁ドンでキュンとはこないと思うんですけど……。

まぁ僕個人の結論としましては、結局顔だと思います。


……と、気付けば今回で今年の投稿分は最後となりました。

来年もどうぞご贔屓に! よいお年を!


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ