【153不思議】マヱ・ガミスキリス
部室には異様な空気が漂っていた。
毎日のオカルト研究部なら男子の怒鳴り声やら女子の笑い声が響いてくるのに、今日は一切聞こえない。
それどころか、普段聞こえない部室の外の音まで聞こえてきた。
只事でない目付きで視線を送る部員達。
視線を浴びる当事者は、気付いていないとでもいうようにページを捲った。
「……あのー」
静寂の中、千尋が慎重に声を出す。
「……何?」
数秒考えた間があったが、彼は無視という選択を切り捨てた。
返ってきた相槌に、千尋は恐る恐ると質問する。
「百舌先輩……でいいんですよね?」
その質問に、彼は確かに目を細めた。
「……その質問何回目?」
「十回目です」
「十五回目だよ」
適当に答えた千尋だったが、彼は正確に数えていたようだ。
そう、間違いなく彼は百舌だった。
しかしどれだけ同じ質問を繰り返したところで、簡単に呑み込められはしなかった。
「あれー、そうでしたっけー?」と下手に取り繕う千尋に、百舌は溜息を吐いて本に目を戻す。
「いやーちひろんの気持ちも分かるよ」
千尋の尻を拭う様に、乃良が口を開いた。
「まさかもずっち先輩が、髪を切ってくるなんて」
乃良はその姿を確認するように、百舌を視界に入れる。
確かに、百舌の姿は見違えていた。
昨日まで顔の半分を覆い隠していた鬱陶しい前髪は、今では影も形も有りはしない。
今まで隠れていた顔の半分からは、なんとも美しい輪郭が正体を現したのだ。
千尋は度が過ぎているにしても、百舌の明らかなイメージチェンジについていけないのは、部員全員同じ事だった。
「もずっち先輩ってイケメンだったんですねー!」
「ねっ! イケメン! ビックリした! モデルみたいだもん!」
「おい、イケメンだからモデルってのは安直じゃねぇか?」
「じゃあ何?」
「俳優」
「そんな変わんないわ!」
当の本人を置いて、乃良と千尋を勝手に漫才をする。
「でも、なんかどっかで見た事あるような気がするんだよなー」
「あれじゃない? もずっち先輩のお兄さん」
「そうだ! 百舌先輩の家に行った時に会ったお兄さんだ! だから見た事ある気がしたんだ!」
「お兄さんもイケメンだったもんなー!」
自分の話題で話の弾む後輩達に、百舌は目も向けようとしない。
ただ本に書かれた活字を目で追っていくだけ。
姿は変わろうと、その中身は間違いなく百舌だった。
乃良と千尋の話し声を聞き流しながら、同じく博士は百舌に目を向ける。
「……なんで切ったんですか?」
零れるように出た声に、一同が振り向く。
「別にあいつの言った事なんて、気にしなくて良かったのに」
博士はそう言って、百舌に向けていた目を「あいつ」に逸らす。
揶揄された「あいつ」は、どこか心ここに有らずといった顔をしていた。
「春ちゃん」
隣に座る賢治が、声で起こそうとする。
しかし小春の目は、百舌の瞳を見つめたままずっと蕩けていた。
このままではいけないと、賢治は語調を強める。
「春ちゃん!」
「!」
流石に気付いたようで、小春の自我が体に戻ってきた。
自我は自分のすべき事を覚えていたようで、すぐに行動に移ろうとする。
「あっ、あのっ……」
「謝んなくいいよ」
「!」
ただそれは、百舌によって寸で打ち止められた。
「君が謝る必要はない。寧ろ俺は、君に感謝してるくらいだ」
自我を取り戻した今でも、百舌の言っている意味が分からなかった。
それは他の部員達も同じで、全員百舌の言葉に耳を傾ける。
「君の言った通りなんだ。俺は人と一緒にいるのが苦手で、誰かと遊ぶより、一人で本を読んでる方が好きだった。だから、いつも一人だった。それを苦しいと思った事はないし、寧ろ楽だった。そのせいで『根暗』だとか『陰キャ』だとか言われたりもしたけど、そんなの気にしない事にした。それで、皆の顔が見えないように髪を伸ばしたんだ。口で平気だって言っても、やっぱり目にすると苦しいから」
初めて見た気がした。
百舌の外側だけでは分からない、内側の部分。
「でも、この部活に入って変わった」
百舌の声色が、気持ち明るくなる。
「この部活に入って、嫌でも一人でいられなくなった。先輩は無理矢理本取り上げてくるし、後輩は本に集中したいのに話しかけてくる。正直本気で鬱陶しいって思う時もあるけど、でも、楽しかった。初めて、誰かといて楽しいと思えたんだ」
聞き入っていた後輩達の心に、何かが吹いた。
何かは分からないが、どこか温かいもの。
心の内側から伝わってくるその温度に、博士達は空でも飛べる様な気がした。
「だから、君にとってもこの場所が、そんな場所になって欲しかったんだ。一緒にいて、楽しいと思える場所に。俺の髪型が目障りでここを忌み嫌うって言うなら、こんな髪いくらでも切ってやる。いや、いつか切りたいと思ってたんだ。あの日の俺とは変わったから。そのきっかけを、君がくれただけだ」
百舌は正面に座る小春に目を向ける。
確かにこちらをじっと見つめる百舌の瞳に、小春の心は揺らいだ。
「ありがと、俺を変えてくれて」
「これからよろしくな」
優しく伝えられた、百舌の想い。
その想いは小春の胸にしかと届き、全身の体温を急上昇させ暴れ回った。
「あっ、いっ、いえっ! こっ、こちらこそっ!」
顔は真っ赤で、声もろくに出ない。
そんな小春を、百舌は気にも留めていないようだが、千尋が見逃す筈が無かった。
「もずっちせんぱーい!」
「うっ!」
飛んできた乃良の熱い抱擁に、百舌は苦しそうに喉を詰まらせる。
「なんですか先輩ー! そんな事思ってたんですかー!? ちょっと嬉しすぎますよー!」
「ちょっ、加藤、邪魔」
「どんだけ無口なんですかー! ちゃんと常日頃から言ってくださいよー!」
「ちょっ、加藤マジでどけって」
「またまたー! それも照れ隠しでしょー!?」
「本が皺になるんだよ。早くどけ」
百舌の声色は確かに本気だったが、乃良が離れる素振りはない。
やっと離れたと思ったら、その顔は無邪気に明るかった。
「そうだもずっち先輩! タタラんとこ行きましょ!」
「なんで」
「タタラにもこの姿見せてやりましょ! んで今のもう一回言ってください!」
「嫌だ」
「なんで!?」
「だってあの人絶対調子乗るもん」
「まぁそう言わずに! ほら!」
「あっ、おい!」
百舌の賛同も得ずに、乃良は百舌の腕を力任せに引っ張る。
強制的に立たされた百舌は、そのまま乃良に連行される形で体育館倉庫へ向かう羽目となった。
二人いなくなった部室は妙に静かで、博士の呆れた笑いだけが残る。
ふと千尋は視線を移す。
そこにいたのは、必死で胸の大音量を抑えようとする小春。
「……小春ちゃん」
名前を呼ばれて、小春は自然に振り向く。
目に映った千尋は、小春の心を見透かしているように微笑んだ。
「百舌先輩の事、好きになっちゃったんでしょ?」
「!?」
小春の動揺は体にも表れ、大音量の制止は失敗に終わる。
「あ? なんで?」
「アンタはほんといつまで鈍感なの」
恥ずかしげもなく頭に疑問符を踊らせる博士に、千尋は体中の空気を抜く程の溜息を吐いた。
隣で花子も首を傾げていたが、それには目を瞑る事にした。
「なっ、ななっ、なんで私が!?」
慌てて取り繕おうとする小春だったが、それがなんとも可愛くて、千尋の悪戯心をくすぐる。
「まぁ気持ちは分かるけどね? 私も百舌先輩があんなにイケメンなんて、ちょっとドキッとしちゃったし」
「私は別になんとも!」
これぐらいの弁明では、火の付いた千尋は止まらない。
「春ちゃん、意外とメンクイだもんね」
「はい!?」
「中学校の時も学校一のイケメン先輩に恋してたし、小学校の時も美男子クラスメイトの事好きって言ってたし、幼稚園の時だって」
「アンタ黙りなさいよ!」
「いやお前惚れっぽすぎだろ」
案外小春は恋多き乙女らしい。
千尋に続いて賢治まで乗りかかってきて、最早小春一人で対処できる状態ではなかった。
随分愉しんだ千尋は、一頻り笑うと小春の赤らんだ顔をじっと見つめる。
「良いんじゃない? 惚れっぽくたって。好きな気持ちに嘘はないんだし」
千尋の真っ直ぐな目に、小春は少し逸らした。
心の中の複雑な感情がぐちゃぐちゃになって、真面に頭が機能しない。
「……別に、本当にそんなんじゃないです」
辛うじて出たのが、そんな言葉だった。
「私は……あの人にたくさん酷い事を言って、でもそれは、間違った事を言ったつもりはありません。確かに言い過ぎたと思いますけど、私があの人を嫌う理由は正当です。それは、髪を切って変わった今でも。ただあれは、あの人の素顔があんなだったなんて思いもしなくて、だから、ちょっとビックリしただけで、別に好きとかどうとかじゃないです」
自分の脳内を整理する様に、小春は心中を明かしていった。
そして、
「どうとかじゃないって……信じたいです」
それが小春の結論だった。
耳の穴から水蒸気が噴き出す様な真っ赤な顔をした小春に、これ以上何かを言うのは酷だと千尋は口を噤んだ。
「……そっか」
そう、相槌を打つだけにした。
随分と静かになった部室だったが、それをぶち壊すようにしてドアが勢いよく開かれる。
「おい! 皆も一緒に行こうぜ!」
「放せよ。俺は本読みたいんだよ」
「さっき考えたんだけどさ! ここの長髪のカツラ使ってもずっち先輩の髪型を前みたいに戻して、タタラの前で髪が一斉に抜け落ちるっていうドッキリしねぇか!?」
「それ軽くホラーじゃないか?」
体育館倉庫への道から引き返してきた乃良が、こちらを手招いていた。
依然囚われの身の百舌の姿も見える。
前髪を切ったおかげで、その鬱陶しそうな表情も瞭然だった。
そんな百舌にまた小春の心はざわつくが、他の部員達は徐に席を立ち始める。
「しょうがないなー。まぁ、私もどんなリアクションするのか見たいしね!」
「初対面の時のお返しをするとしましょうか」
「あっ、そうだね! いっつも多々羅先輩ばっか脅す側でズルいもん!」
「俺ここで勉強してるから」
「ハカセも行くの!」
「ほら、こはるんも!」
「こはるん!?」
ただ一人椅子から離れられなかった小春に乃良がそう声をかけ、思わず小春の顔が上がる。
「なんですかその呼び方!」
「相手が誰か分かれば、呼び方なんてなんでもいいんだろ?」
「そう言いましたけども!」
「あーもういいから早く行くぞ!」
最後まで抵抗していた小春だったが、結局賢治に腕を引かれて、一同のもとへ連行されてしまった。
ふと百舌との距離が近くなる。
咄嗟に顔を隠した小春に、百舌は不思議そうに首を傾げた。
まだ百舌は、小春の隠した顔の色を知らない。
小春も自分の気持ちの正体を知らないまま、オカ研部員達は部室を後に、体育館倉庫へと向かった。
ちなみにドッキリは大成功。
多々羅は千尋より倍多い、三十回百舌にその正体を確認したという。
百舌編蛇足回。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
今回は前回予告していた百舌編の蛇足回。
前髪を切ってきた百舌に対する部員達のリアクションをメインに書きました!
この回も大きく括って百舌編で良い気もしますが、作者の意地でここは蛇足回とさせてくださいww
今回、百舌が初めて心の内側を口にしてくれました。
前回も似たような事を地の文で書きましたが、本人からの言葉は特別ですし、オカ研に対する想いも言ってくれて僕は少し感動しました。
そして特筆すべきは小春です。
この小春から百舌への矢印、実はこれも百舌のイメチェン同様後付け設定なのです。
当初の予定では、幼馴染設定大好きな僕による小春と賢治のラブコメを書こうかと思っていたのですが、百舌のイメチェンが決定しまして。
そしたら「あれ、これ小春が百舌好きになったら面白くね?」と思いつき、
もうこうなったら止まりません。
同学年による恋模様も以前書きましたし、こうして小春と百舌の関係性が決定したのです。
そんなこんなで変わった百舌ですが、本質は何も変わりません!
小春との恋路も含めて、これからも変わらない百舌をどうぞよろしくお願いします!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!