表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/243

【144不思議】この感情に名前はまだない

 カランコロンと店の中に入った。

 シックな雰囲気の花屋には、赤、青、黄色と豊かな色の花々がこちらに顔を揃えていた。

 しかし来店者は、花に目もくれない。

 ただ店員である恋鳥の瞳を、じっと見つめるだけ。

 それだけで、時間は過ぎていった。

「……えーっと」

「!」

 居心地の悪そうに呟いた恋鳥の声で、ようやく乃良は我に返る。

「あっ、いえっ! すみません!」

 なんて雑に取り繕って、乃良は遅れながら花に目を向ける。

 勿論恋鳥の疑問が晴れる筈もなく、乃良に怪訝な視線を送っていた。

 ――何やってんだよ俺は!

 乃良の胸中で、絶賛一人ツッコミが幕を開ける。

 ――何しに来たんだよ! 何がしたいんだよ! 恋鳥に会いに来たのか!? 会ってどうするんだよ! 向こうこっちの事分かんねぇんだぞ! 変に思われるだけだろ! こんなの別れたのにまだ引きずってる痛い彼氏みてぇじゃねぇか!

 脳内は後悔でいっぱいで、花に興味を持つ余裕もない。

 乃良が頭を両手で掻き毟ると、背後からそっと近づく影があった。

「あのぉ……」

「うわぁ!」

 耳元で聞こえた声に、乃良の体が弾む。

「あっ、すみません」

 声をかけたのは他でもない恋鳥だった。

 すぐ傍で見る恋鳥の顔は、さっきまで見ていた恋鳥とはまた違って見えて、どこか大人っぽい。

「何かお探しですか?」

「えっ? えーっと……はい! お探しです!」

 他に思いつく誤魔化しもないので、乃良は便乗する事にした。

 ぎこちない笑顔の乃良を、恋鳥がじっと見つめる。

「……あの、昨日もいらっしゃいましたよね?」

「えっ?」

 その言葉に、一瞬ドキッとする。

 しかしすぐハッとなった。

 これだけ見事な金髪高校生なんて、一度目にしたら一日どころか一週間は忘れられないだろう。

「……はい」

 無理に嘘を吐く必要もないので、正直に白状する。

「……もしかして、彼女さんにプレゼントですか?」

「はぁ!?」

 恋鳥の口から聞こえた質問に、思わず乃良は顔を歪ませる。

 これは予想外だ。

 しかし単純に考えれば、そういう結論に至るのが一番自然なのかもしれない。

「違いましたか?」

「あっ、いやっ、そのっ、えっとぉ……」

 なんとか誤解を解く術を探すも、そう簡単に浮かばなかった。

「……はい、そうです」

 心の中で「ちひろん、ごめん……」と頭を下げながら、乃良はそう口にする。

「ふふっ、やっぱり」

 恋鳥には高校生のシャイな照れ隠しに見えたのか、どこか可愛いものを眺める目で微笑んでいた。

「それでしたら……」

 そう言って、恋鳥は手近にあった花を選ぶ。

 その姿は、完全に仕事モードに入った時のものだ。

「この花はイングリッシュローズって言って、薔薇の一種なんですけど」

 一本の花を手に取って、それについて花言葉だったり、出身国だったりを解説している。

 ただ乃良の耳には入ってこなかった。

 花について語る恋鳥に、目を奪われていた。

「………」

 ふと、花屋のエプロンに目を向ける。

 そこにつけられていたのは、従業員用のネームタグ。

 書かれていた名字は、見覚えのない名字だった。

 次に左手。

 花を手にした左手の薬指には、銀色の指輪がついていた。

 特に凝った装飾のない、シンプルな指輪。

 しかしその指輪一つで、恋鳥の魅力が明らかにランクアップされているような気がした。

「どうですか?」

「えっ?」

 不意に訊かれて、乃良は反応に困る。

 流石に「見惚れて聞いてませんでした」と言う訳にはいかない。

「……じゃあ、それで」

 乃良がその場合わせで言うと、恋鳥は「はい」と頷いてレジに運んだ。


「はい」

 会計を済ませて、恋鳥がそう乃良に花を差し出してくれた。

 可愛らしくラッピングされた、一輪のピンクの花。

 確かに女の子が貰ったら大層喜びそうな代物だったが、生憎今の乃良に花を愛でる気力はなかった。

「……どうも」

 乃良は力失く声を漏らして、花を受け取る。

 結局自分は何をしたかったのだろう。

 花を買う予定など無かったのに、気付けばそんな流れになってしまった。

 これも仕方ないと思いながら、乃良はドアに向かっていた体を返して恋鳥に愛想笑いを向ける。

「ありがとうございました」

 その笑顔が、恋鳥の心を騒がせる。

 何か、深くに埋まっていた記憶を掘り起こす様な。


「……鈴?」


 反射的に乃良は振り向いた。

 今彼女はなんと言っただろうか。

 自分を呼んだ気がしたのは、ただの思い過ごしだろうか。

「あっ、ごめんなさい!」

 乃良の驚愕の表情に、すぐに恋鳥は頭を下げる。

 ただ今の乃良は、恋鳥の謝罪がすんなり頭に入ってくる状況ではなかった。

「そのぅ……、なんだかお客様見てたら、昔飼ってた猫を思い出して……」

「………」

 どうやら思い過ごしではなかったようだ。

「子供の頃からね、ずっと一緒にいたんです。遊ぶ時も、ご飯食べてる時も、ずっと。家族みたいなものだったんです。……ううん、違うな。家族だったんです」

 思い出した記憶を口にしていく恋鳥に、乃良は目を凝らす。

 たった一言でも、聞き逃したくなかった。

「でも……、ちょっとした事で、もう家じゃ飼えないって事になっちゃって。……逃がしたんです。家族なのに」

 恋鳥の顔が、きゅっと歪む。

「私、嫌だって、逃がしたくないって最後まで言ってたんですけど……、結局逃がしちゃって。最低ですよね。きっと鈴だって、私の事恨んでる。……ずっと、後悔してるんです」

 乃良の目が、夜でもないのに開かれる。

「ちゃんとご飯は食べてるかなって。外で寒くないかなって。もしかしたらもうって考えた時には、怖くて夜も眠れなかった。ずっと心配で、申し訳なくって、心にぽっかりと穴が空いてしまった感じ」

 初めて知った恋鳥の気持ち。

 ずっと知りたかった恋鳥の気持ち。

 それが今本人から口に出され、乃良の心は静かにざわめいていた。

「お客様、なんかどことなくその猫に似てるんですよね」

 恋鳥はそう言って、鈴に笑顔を向けた。

 今までの営業スマイルとは違った、あの頃と変わらない恋鳥の笑顔。

「……って失礼ですよね! ごめんな」

「きっと」

 頭を下げた恋鳥に被せて、乃良がそう口にする。

「きっとその猫は、店員さんの事恨んでないですよ」

 乃良の言葉に、恋鳥の心は揺れた。

「その猫は捨てられるまで、ずっと店員さんといて、一緒に遊んだり、寝たり、ご飯食べたり、かけがえのない時間を過ごしてきたんです。そんな店員さんの事、嫌いになる訳ないじゃないですか」

 恋鳥の零れそうな瞳を見つめる。

 乃良は妙に高鳴る鼓動を抑えて、優しく呟いた。


「その猫は、店員さんの事大好きなんですから」


 途端に、恋鳥の瞳から涙が落ちた。

「だから、大丈夫です。その猫は店員さんを恨んでなんかいません。きっと今も、どっかでのんびり生きてますよ」

 涙が零れた事に気付いて、恋鳥は裾で涙を拭う。

 しかし、すぐに反対の目から涙が落ちた。

「……一つ質問、いいですか?」

「?」

 突然口にされた言葉に、恋鳥が首を傾げる。

「店員さんは今、幸せですか?」

 乃良は静かに恋鳥の答えを待つ。

 その表情はいつものふざけたものなんかじゃなく、真剣に質問と向き合っている表情だった。

 恋鳥に質問の意図など分からなかったが、素直に笑って答える。

「はい、幸せです」

 答えは乃良の心の奥に入っていく。

 雫が水面に波紋を映す様にそれは溶け込んでいき、乃良は答えを噛み締めると朗らかに笑った。


「なら、良かった」


「きっとその猫も、どこかで喜んでいると思いますよ」

 乃良の言葉に、また涙が落ちる。

 いくら拭っても涙は止まらなくて、遂には嗚咽まで出てきてしまった。

「うっ、うぁっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ!」

 その涙はとても美しかった。

 きっと記憶は奥底にあっても、後悔とか、罪悪感とかはずっと心に残っていたのだろう。

 それが一気に洗い流されていく様だ。

 乃良もじっとそれを見守る。

 流石に自分も泣く訳にはいかなかったので、それは死ぬ気で我慢した。

「……ありがと」

 不意に声が聞こえ、乃良は反応する。

「貴方にそう言われると、本当にそんな気がする」

 乃良は答える代わりに無邪気に笑った。

 『気がする』じゃない、『ここで喜んでますよ』なんて口にするのは、流石に野暮だと思ったから。


●○●○●○●


 一輪花を手にして花屋を出たところ。

「よっ」

 ドアのすぐ傍で、千尋が声をかけてきた。

 まるで乃良が花屋から出てくるのを、ずっと待ち伏せしていた様に。

「……なんでいんの?」

「なんでって?」

 はぐらかすように千尋が質問で返す。

 心の内を晒す様子のない千尋に、乃良は諦めて溜息を吐いた。

「まぁいいや」

 乃良はふと右手に握られた花を見つめる。

「……ほい」

「ん?」

 千尋は差し出された花を受け取る。

 しばらくその花を観察した後、心配するように乃良に目を向けた。

「……いいの?」

 千尋の質問を置いて、乃良は一人で歩き出した。

「いいんだよ」

 そして、数歩進んだ先で足が止まる。

「……もう、十分だ」

 前に立つ乃良の表情はあまり読めない。

 ただ暗雲の見当たらない、清々しい表情である事は、後ろからでも感じ取れた。

 再び歩き出す乃良に、千尋は一度花を見つめ返す。

「……綺麗な花」

 すると千尋は顔を上げて、乃良の隣に駆け寄った。

「ねぇ! この花なんていう花なの?」

「さぁ、知らねぇ」

「えっ!? 花の名前聞いてないの!?」

「それどころじゃなかったんだよ」

「花の名前分かんないんじゃどうしようもないでしょ!? もう一回戻って花の名前訊いてきて!」

「嫌だよ! なんでまた戻んなきゃいけないんだよ! 結構いい感じでまとまったのに!」

「だって花の名前気になるじゃん! じゃあ私訊きに行く!」

「ダメ! それもダメ!」

「なんで!」

「だっ! だってぇ……、それはぁ、そのぉ……そうだ! ラーメン食いに行こ!」

「はぁ!? なんで!」

「良いじゃん! 腹減ったんだよ! なっ!? 行こうぜ!」

「……二郎系ね」

「思ったよりガッツリ!」

 気付けば会話は、いつも通りの他愛無い会話に。

 しかし乃良の心には残っている。

 この日、恋鳥と交わした言葉の一つ一つを、乃良が忘れる事は決してないだろう。

いつまでも、君が幸せでいられますように。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


乃良と恋鳥の再会編でした!

今回は再会編という事で、ほとんど乃良と恋鳥の掛け合いのみでシーンを作ってみました。


二人の掛け合いですが、そこまで固く考えずに書きました。

なんか僕が色々考えるよりは、もし二人が再会したらこんな雰囲気になるのかなみたいな、そんな自然な感じでシーンが完成していきました。

流石に帰り際に鈴と声が漏れるのは決定事項でしたけどね。


作中でも言っていますが、乃良に恋愛感情があったかは分かりません。

あったとも、なかったとも、どちらとも書きたくないのです。

正直分かんない事なんていっぱいあると思うし、乃良の感情は曖昧にさせといた方が僕は美しいと判断しました。

そこから皆さんがどう感じるかは、皆さんの自由です。

思う存分妄想してください!ww


さて、これにて乃良の再会編は完結。

この再会が、乃良にとって大事な一歩になってくれた事を切に願っています。

次回からは春休みの続行、今回空気だったメインカップルも含めて楽しくやっていこうと思います!ww


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ