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【143不思議】吾輩はノラ猫である

 春の陽気に満ち溢れた街の角。

 そろそろ肌寒いと感じる風も止んでいき、気付けば春一番が吹いてきた。

 そんな街角に、二人の男女が並んで歩いている。

「いやー今日は付き合ってくれてありがとね!」

 無邪気に笑う千尋。

 もう一人の乃良は、今にも押し潰されそうな苦しい表情だった。

「いっ、いやっ、別にいいんだけどさ……」

 声を出すのも苦しそうな乃良だったが、なんとか腹に力を入れて声を絞り出していく。

「ちょっ、ちょっと持ってくれない?」

 乃良の両手にはたくさんの袋でいっぱいだった。

 ブランド品の袋や、人気のスイーツ屋の袋、両手では収まらず、乃良の肩にも数多の袋達がぎゅうぎゅうにぶら下がっていた。

 対する千尋は、可愛らしい鞄を肩から提げてあるだけである。

「ごめん、両手塞がってて」

「全然空いてるじゃん!」

「今空いてても買い物する時邪魔でしょ!? そもそも女の子に荷物持たせないで! 荷物持つのは男の仕事でしょ!」

「これ全部ちひろんの買ったもんでしょうが!」

 どれだけ抗議しても、千尋はそっぽを向く。

 今朝いきなり電話がかかって呼び出されたと思えばこの始末だ。

 最初は楽しかったものの、時間が経つにつれ重くなっていく負担と荷物に、こんな事なら博士に押しつければ良かったと後悔が募る。

 肝心なところで発揮しない猫耳センサーに、密かに八つ当たりした。

「じゃあ次はー」

「はぁ!? まだ行くの!? もう持てないんだけど!」

「次で最後!」

 千尋はそう宣言して、目当ての店を見つける。

 それは今までとは一風変わった店だった。

 マネキンやイチオシメニューは置いてなく、代わりに生い茂る緑色が千尋達を歓迎している。

「……花屋?」

 乃良が率直に口にした。

「そう、もうすぐ両親の結婚記念日でさ。何かあげよっかなって」

「へぇー」

 それは素敵な心がけだと思う。

 千尋は気持ちを新たに、花屋の中へと入っていった。

 ここで待っていても仕方ないので、乃良もカランコロンとドアを開けていく。

 店内は外よりもたくさんの植物で溢れ返っていた。

 元々そこまで花に興味などなかったが、この場にいるだけで心が癒されていくような気がする。

 ふと千尋に目をやると、無数の花達に睨みをきかせていた。

「んー、どんなのがいいんだろ……?」

 花の種類は数知れず、どれがプレゼントに最適かなど素人には分からない。

「ねぇ乃良」

「俺も分かんねぇよ。店員に訊いてみたら?」

 乃良のアドバイスを、千尋はすぐさま行動に移した。

「すみませーん!」

 奥で作業をしていた店員に声をかける。

 すると店員も「はーい!」と返事をして、作業を手早く終わらせこちらに駆け寄ってきた。


 瞬間、乃良の鼓動が止まる。


「…………えっ」

 思わずそんな声が零れる。

 その声はあまりにも小さく、千尋やその店員に届く事はなかった。

「どうされましたか?」

「あの、両親がもうすぐ結婚記念日で、それで花をあげたいんですけど」

「あら、素敵な娘さんですね」

「いやーそれ程でもー!」

「それでしたら」

 視界の奥で千尋と店員がそんな会話をしている。

 しかし今の乃良には、会話の一言一句全て耳の横を通り過ぎていった。

 乃良は潰れるくらいに目を凝らす。

 おっとりとした瞳。

 柔らかそうな耳たぶ。

 色のついた唇。

 少しふっくらとした頬っぺた。

 何度見直しても、間違いない。

 間違える筈がない。

「……恋鳥(ことり)?」

 その言葉は千尋の耳に届き、千尋は店員との会話を中断して乃良に目を向けた。

「乃良?」

 一方の店員は不思議そうな目で乃良を見つめる。

 乃良と店員の視線がぶつかった。

「ちょっと乃良、大丈夫?」

 あまりにも様子のおかしい乃良に、千尋が心配そうに声をかける。

 その声に、ようやく乃良も我に返った。

「えっ、あっ、うん」

 ただ平常心ではいられない。

 こちらに不思議そうな目を向けてくる店員に、乃良は目のやり場に困った。

「……ごめん、俺ちょっと外で休んでくるわ」

「乃良!」

 千尋の声を背中に受けたまま、乃良は花屋を後にする。

 自分でもどこに向かっているか解らない。

 しかし、今現在じっとしたままではいられなかった。

 脳裏に浮かぶ店員の姿。

 もう何十年も前だが、その面影は強く残っている。

「………」

 ずっと一緒に暮らしていたのだ、他人の空似なんて事は、万が一にも有り得ない。


●○●○●○●


 辿り着いたのは公園のベンチ。

 敷地の枠を緑色の木がぐるっと囲っていて、目の前の遊具では遊び盛りの子供達が声を上げている。

 しかし、乃良の目には何も映らなかった。

 思い出すのは、あの日の思い出。

 ずっと忘れたくて、それでも忘れられなかった、大切な思い出。

「はいっ」

 ふとそんな声が聞こえた。

 自分にかけられた言葉だと気付き、乃良は顔を上げる。

 そこにはこちらに缶コーヒーを差し出してくる千尋の姿があった。

「………」

 何も言わずに、乃良は受け取る。

「百円」

「金取るの!?」

「当たり前でしょ」

 未だに右手で手招いている千尋の催促に、乃良が思わず声を上げる。

 勝手に奢ってくれたものだと思っていた。

 乃良は溜息を吐いて、財布から銀貨を取り出す。

 受け取った千尋は、満足そうに乃良の隣に座って、缶のカフェラテの封を開けた。

「どうしたの?」

「………」

 千尋が視線はそのままで尋ねてくる。

 乃良は返事をしないまま、同じく缶コーヒーに手をかけた。

「もうびっくりしたよ。急にどっか行っちゃうんだから。LINE送っても返ってこないし。もう探しまくり。ちゃんと携帯見てよね」

「……ごめん」

 確かに携帯の確認にまで頭が回らなかった。

「……花、買えたの?」

「イヒヒ」

 千尋は楽しそうに歯を見せると、「じゃーん!」と花束を出した。

 赤、オレンジ、ピンクと暖かい色に包まれた花束。

 見ているこっちまで、心が温かくなるのを感じた。

「スカシユリって花なんだって。綺麗でしょ? 花言葉に『親思い』、『子としての愛』ってのがあって、両親に贈るのにピッタリだって、店員さんが教えてくれたんだ」

 ふと乃良の目が止まる。

 店員さんとは、先程話していた店員の事だろう。

「で、乃良はどうしたの?」

 いつの間にか話がズレている事に気付いて、千尋が今一度問い質す。

 これからはぐらかすには、流石に無理があるだろう。

 乃良は心を落ち着かせようと、コーヒーを口に流し込む。

 特有の苦い後味が、口中に広がった。

「……その『教えてくれた』って店員さ」

「? うん」

 言葉にするのに抵抗があったが、乃良はしっかり口にする。

「俺の飼い主だったんだよね、昔」

「え?」

 乃良の告白に、千尋は口をぽっかり開ける。

「飼い主って……、乃良が七不思議になる前に飼われてたっていう?」

「……そう」

 千尋も乃良の過去については、一度聞いた事があった。

 乃良が逢魔ヶ刻高校に訪れる前、飼い猫としてとある家族のもとでしばらく世話になっていたという事。

「もう二十年も前だけど……、会った瞬間すぐ分かったよ」

 数分前に再会した彼女を思い出す。

 店のエプロンを身につけて、髪を一つ結びにした彼女。

 最後の時、彼女は中学三年生だった筈なので、年齢は三十五歳になっているだろうか。

 口紅や化粧なんかもして、すっかり大人の女性になっていた。

「あの子がこんなちっさい時からずっと一緒でさ。遊ぶ時も、寝る時も、旅行だって一緒に行ったんだ。捨てるっていう事になった時も、あの子は最後まで反対してくれてた」

 今でも覚えている。

 涙ながらに両親に訴えてくれていた、彼女の姿。

 両親の決定は動かなかったが、それでも彼女は必死で乃良を守ろうとしていた。

「まぁ、こんな姿だし、向こうが気付く筈ないんだけど」

 空気がいたたまれなくなって、乃良は明るくしようと無理に笑う。

 その笑顔が、逆に千尋の胸を締め付けていった。

「……乃良は、飼い主さんの事が好きだったの?」

「………」

 数え切れない彼女との思い出。

『鈴、一緒に遊ぼ!』

『今日はどこに行こうか!』

『嫌だよ! 鈴を捨てるとか、そんなの絶対嫌だ!』

『ごめんね……。鈴……ほんとごめんね』

 ――………。

 彼女と過ごした毎日が、走馬灯の様に駆け巡った。

 彼女の笑った顔も、怒った顔も、泣き顔も、全部この心の中に大切に保管されている。

「……分かんない」

 そして、答えが溢れる。

「でも、そんなんじゃないと思う」

 実際のところ、乃良一人では本当に分からなかった。

 『好き』とかいう感情を他に知らないし、この感情を『好き』でまとめていいのかも解らない。

 ただ彼女は、紛れもない家族なのである。

「……名前」

 記憶に新しい景色を目に起こす。

「ネームタグの名前、違ってたんだよね」

「えっ?」

「左手の薬指に指輪も見えた」

 そう言われて、千尋はさっきまでの記憶を掘り下げていく。

 言われてみれば、確かに左の薬指にキラリとしたものが付いていた気がする。

 そんな事、言われなければ絶対に気付かなかった。

「幸せなのかな」

 三十五歳だ、結婚していたって不思議じゃない。

 もしかしたら子供だっているかもしれない。

 旦那と、子供と、家族三人で過ごす彼女を想像すると、なんだか不思議な気持ちになった。

「幸せだったらいいな」

 空を仰いで、口を零す。

 まだ頭の中で整理が出来ずぐちゃぐちゃなのか、乃良の表情は空っぽの様だった。

 千尋も乃良に心配そうな視線を送り続ける。

 乃良の心も知らないまま、空は右から左に雲を動かしていた。


●○●○●○●


 翌日。

 花屋の朝は早く、女性は花のメンテナンスに大忙しだった。

 開店時刻は回っているが、客の姿はない。

 有意義に花の面倒を見ていると、カランコロンと来客を報せるベルが鳴った。

「いらっしゃいま」

 女性が気付いて顔を上げる。

 その時、女性の声は止まった。

 扉の前にいたのは、一人の少年。

 髪を金髪にした、しかしどこか憂いを帯びているような少年――乃良だった。

 乃良は店内に入ると、無言のまま女性と目を合わせる。

 女性も、どういう訳か視線を逸らせなかった。

 花屋の中に、外とは違った時間が流れる。

 店内の色鮮やかな花達も、ただじっと乃良とその女性を見守っていた。

再会編、とでも名付けましょうか。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


今まで割と真面目な回は、この小説を書き始める前からある程度どの時期にどんな話を書こうか決めていました。

しかし今回は例外、書いている途中で書こうと思ったのです。


きっかけはノラ編ですね。

ノラ編を書いている時に飼い主が少しだけ登場する事になって、ふと「これ飼い主と再会したらどうなるんだろう?」と思ってしまったんです。

再会しない方が美しいとも思ったんですが、想像したが最後で後に引けません。

そこから書く時期を春休みに定めて、ずっと温めてきました。

といっても、一年半越しの執筆な訳ですが。


そんな作者の勝手に想像により再会する事になってしまった乃良と少女。

これから二人はどんな言葉を交わすのか、次回に続きます。

ちょっとネタは少なくなっちゃうけど許してね。


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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