【139不思議】はな咲か地獄
卒業式の終わった逢魔ヶ刻高校。
三年生が卒業してからは目まぐるしく学年末テスト、修了式が行われ、あっという間に春休みを迎えていた。
季節はすっかり春。
耳を澄ませば、鶯のさえずりが聞こえた気がした。
「ぶぇっくしょん!」
「うわぁ!」
そんな細やかな春の訪れを掻き消すような音が、部室に爆発する。
体を弾かせた千尋が音のした方へ振り向くと、真っ赤なお鼻の博士がその鼻を鳴らしていた。
「ちょっとぉ! びっくりさせないでよね!」
「悪ぃ」
そう言われても何も出来ず、博士は鼻を啜るだけだった。
「どうしたの? 風邪?」
「いや」
「あっ! 分かった! 誰かがハカセの噂してたんでしょ!?」
「もっての外だけど、そうだったとして俺に分かる訳ねぇだろ」
千尋が幾つか当てに行くも、そのどれもが不発に終わる。
話を聞いていた乃良が、横から声を上げた。
「花粉症?」
「……あぁ」
どうやら正解だったようだ。
博士はピンポン音の代用と言わんばかりに、盛大にティッシュで鼻を噛んだ。
「もうそんな季節か」
「ハカセって花粉症なんだ」
「あぁ、結構酷いぞ。ハカセって何の花粉症だっけ?」
こちらに語りかけてくる二人に、博士は鼻を噛む合間に答える。
「杉、檜、稲、ブタクサ、その他諸々」
「つまり全部だ」
「そういやハカセ、埃とかにも弱かったもんね」
今まで一緒に過ごした一年間を思い出しながら、千尋は自然と納得した。
一方の博士は目にも症状が表れ、涙目になっていた。
「……春なんて滅べばいい」
「あーこりゃ相当参ってるな」
この世の末を見据えた様な目に、乃良は呆れながらも楽しそうである。
千尋も一緒になって笑っていると、ふと素に戻る。
「……しかし」
目を移したのは、何でもない部室だった。
「広くなったね」
「……あぁ」
少し侘しさの残る千尋の声に、乃良が頷く。
大した掃除もしていない、いつも通り乱雑に散らばった部室。
しかしいつもそこにいた筈の先輩達の姿は、もうどこにも見当たらない。
たった三人いなくなっただけなのに、部屋が随分と広くなったような錯覚を感じていた。
「部室ってこんなに広かったっけ?」
「……そうだったんじゃねぇか? 今まで気付かなかったけど」
「そっか……、ずっと一緒だったもんね」
「ぶぇっくしょん!」
「……そうだな」
「……先輩達元気かな?」
「ぶぁっくしょん!」
「数日前に会ったばっかだろ! 元気にしてるよ」
「……そうだね」
「ぶぁっくせぃ!」
「あぁ」
「ぶぃっくしゅん!」
「……寂しいね」
「ぶぁっくしん!」
「……あぁ」
「ぶわぁっくしょぉん!」
「「五月蠅ぇなぁ!」」
合間に聞こえてきた雑音に、流石に乃良と千尋が物申す。
「五月蠅ぇなぁさっきからぶぁっくしょんぶぁっくしょん! 今良い感じな流れだっただろうが! 少しは自制しろ!」
「んな事言ったって堪えらんねぇんだからしょうがねぇだろ」
「空気読みなさいって言ってんの! くしゃみするにしろもうちょっと抑えてよね!」
「そうは言ってもよ……、あっ、やべぇ、来る」
「えっ!?」
二人に対応している間に、また一つ波が押し寄せてきたようだ。
「は……、は……、は……」
博士は何とか堪えようとするも、どうしても踏ん張れずに押し流されてしまう。
「ぶぁっふぁろんっごろっ!」
「バッファロー五郎!?」
溢れたくしゃみは、聞き覚えのある個人名だった。
「えっ!? 今バッファロー五郎って言ったよね!?」
「言ってねぇよ」
「いや言ってた! 明らかに五郎って言ったもん! ねぇ!?」
「あぁ、俺もバッファロー五郎って聞こえた!」
「ほら! 絶対にバッファロー五郎だったって! アンタわざとやってるでしょ!」
「五月蠅ぇなぁ」
耳を劈くような甲高い声に、博士は耳を塞ぐ。
ふと博士は話題を変える事にした。
「つーかお前ら、他に花粉症の奴いねぇのかよ」
質問を投げかけられた一同は、互いに顔を見合わせる。
「いや、私は全然」
「俺も違ぇよ」
「花粉症って何?」
「何なんだよお前ら……」
博士の悶え苦しむ状況と打って変わって、どうって事ないような一年達に、博士は項垂れた。
「日本人の四割が花粉症じゃねぇのかよ……」
「まぁここにいる二人が人間じゃねぇから、そのデータは参考になんねぇだろ」
フォローになるか解らないが、一応乃良が注釈を入れる。
「あとは……」
千尋はそう言って、ぐるりと部室を見回す。
人影の少なくなった部室の残り一人を見つけて、千尋の目は止まる。
「百舌先ぱ……て誰!?」
その人影に、千尋は思わずそう声を荒げた。
そこに映ったのは、長い前髪の下にマスクをつけた制服姿の男。
顔が一切見えなくて思わず叫んでしまった千尋だったが、よく見ればどこからどう見ても百舌に違いなかった。
「あっ、百舌先輩か! びっくりしたぁ!」
「もうその前髪にマスクつけたらただの不審者ですよ」
乃良が案外毒を吐くが、その顔が何を考えているか解らない。
ただ手にした本の一ページをひらりと捲るだけだった。
すると、ふと千尋が疑問に思う。
「あれ? なんでハカセ、マスクしてないの? ハカセもマスクすればいいじゃん」
「マスクすると眼鏡曇るんだよ……」
「あー、察し」
覇気のない博士の声に、千尋が「成程」と納得する。
その姿はどこまでも衰弱しきっていた。
「……そんなに辛いの? 花粉症って」
「辛いってもんじゃねぇよ」
「どんくらい?」
興味本位で尋ねてくる千尋に、博士が分かり易く説明した。
「女の人が出産する時に鼻からスイカでるくらい痛いって言うだろ。その逆だ」
「逆?」
「鼻から赤ん坊でるくらい辛い」
「ごめん全然分かんない」
分かり易く言った筈の解説も、千尋には解読できなかった。
すると不意に、また博士の口からドカンとけたたましい爆発音が飛び出した。
「ぶぁっくしょん! ……あー、ティッシュなくなった。悪ぃ。誰かティッシュくんねぇか」
「あっ、私持ってるよ」
博士からの救難信号に、千尋は自分の鞄を漁り出した。
お目当てのポケットティッシュが見つかり、千尋は博士までそれを届ける。
「はい!」
「あぁ、ありがと」
博士は礼を言って、それに目を落とす。
そこにはどことなく怪しげな開運講座と、大々的に書かれた電話番号が映っていた。
「……何これ?」
「なんか歩いてたら貰った!」
「なんでもかんでも貰ってんじゃねぇよ……」
「え?」
「……まぁいいや」
声を荒げて抗いたかったが、そこまでの元気が今の博士には存在しなかった。
取り敢えずポケットティッシュを有り難く頂戴し、止めどなく溢れ出る鼻水を一斉に噴き出した。
辛そうに鼻を啜る博士の横顔に、流石に心配の情が芽生えてくる。
そんな中、乃良は一人首を捻らせていた。
「なぁ、なんかおかしくねぇか?」
「ん?」
そう口にした乃良に、一同が振り向く。
「いや、花粉症だからってこんなに酷くなるもんか? 確かに博士は花粉症に弱いけど、まだピークって訳じゃないし。それに屋内で窓も閉め切ってるのに、こんな酷くなるか?」
「そういうもんなんじゃないの?」
「いや、確かに家ではもっとマシだった」
そう言って、博士は今朝の事を思い返してみる。
いつもよりものんびりとした朝ご飯、確かに少しくしゃみは出たが、そこまで気になる事ではなかった。
登校中も鼻がむず痒くなるくらい。
つまり学校、この部室にいる時に限って、症状がここまで悪化しているという事だ。
「何で部室だとこんな酷くなるんだ?」
頭を悩ませてみても、鼻水の詰まった脳じゃ上手く働かない。
千尋はまたぐるりと部室を見回した。
「部室にある植物なんて、それこそこの前西園先輩が記念にって置いてった杉の木ぐらいしか」
思わず目を見開いた。
千尋だけでなく、乃良、博士、花子でさえもその植物に目を奪われる。
部屋の隅に置かれた、植木鉢から伸びた観賞用の一本杉。
こちらの事情などお構いなしに、気分よく光合成しているようだ。
それはまるで、犯人が自白をした様な気分だった。
「………」
博士はそっとその場を立つ。
鼻を赤くしたまま足音を鳴らして歩いていくと、犯人である杉の前に立ち塞がった。
そして、その植木鉢を抱える。
博士はそのまま歩いていき、外に繋がる窓を開けてそれを振り翳した。
「ちょっと待って!」
衝動に任せて動く博士に、千尋が待ったをかける。
「ハカセ何するの!? それ先輩から貰った木だよ!?」
「捨てるんだよ! あの先輩、最後に俺を殺すような真似しやがって! 絶対わざとだろ! 一刻も早く処分しねぇと!」
「落ち着いて! 花粉症なんかで死なないよ! それ遺品だから!」
「死んでねぇだろ!」
「まぁ別にいいんじゃねぇか?」
博士は頭に血が急上昇していたが、千尋が懸命に宥める。
その成果あってか、杉の木を千尋が受け取るという事で、博士は植木鉢を下ろした。
床に下りた植木鉢を確認し、千尋が胸を撫で下ろす。
しかし石神家は千尋以外花粉症だったらしく、結局数日後に杉の木は処分の道を辿る事になったらしい。
その一部始終、千尋の目には涙が映っていたという。
卒業してもこちらを嘲笑ってくる西園の表情が、いとも簡単に想像できた。
花粉症はつらいよ。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
前回卒業式編も終わり、今回から春休み!
ということで何か春らしいテーマから春休みをスタートさせていこうと思いました。
それで思いついたのが花粉症というテーマだったのです。
僕自身ハカセと同じような重度の花粉症なので、今回のハカセの気持ちが痛い程分かります。
ほんと春なんて滅べばいいと思うレベルww
テーマ自体は悪くないと思っていたのですが、テーマがピンポイントすぎて花粉症ネタを考えるのに苦労したのが結構難点ですね。
ちょろっと冒頭に書いた先輩達の面影が、やはり寂しくさせますね。
ただ最初そんな予定なかったんですけど、オチで西園がやりやがったので、寂しい思いで終わらせないあたりが流石だと思いましたww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!