【138不思議】旅立ち
今日は目覚まし時計が鳴るよりも早く目が覚めた。
聞こえるのは窓越しの微かな雀のさえずりくらいで、木漏れ日も眠気眼に厳しくない。
こんなに目覚めの良い日は、いつ振りだろう。
斎藤は傍の目覚まし時計を停止し、体をゆっくり起こす。
カレンダーなど見なくても、今日が何の日かは体が覚えていた。
「……よし」
自分の体にそう合図して、斎藤は立ち上がった。
●○●○●○●
朝の通学路に、斎藤以外の影は一つも無かった。
いつにも増して早起きしたので、この時間に外を出歩いている人なんて早々いないだろう。
また今日は親に送迎してもらう生徒も多い筈だ。
閑散とした朝だったが、それでも斎藤の表情は天気と同じく快晴だった。
こうして学校までの道のりを歩くのも、今日が最後だ。
今袖を通しているこの制服も、あと数年も経てばただのイタいコスプレになってしまうだろう。
三年前新品だった制服は、しっかり三年分の歴史を刻んでいる。
この制服だって、斎藤と一緒になって高校生活を過ごしてきたのだ。
ふと、トントンと肩が叩かれる。
「?」
何事かと斎藤が振り返ると、その白い頬に指が刺さった。
「うふふっ、おはよ」
楽しそうに微笑する西園である。
突然のヒロイン登場に、斎藤は後ろに跳び下がった。
「西園さん!? なんでここに!?」
「なんでって、学校行くんだよ?」
「西園さん僕と家逆方向でしょ!?」
一度も訪問した事はないが、斎藤の記憶が正しければ、西園の家は自宅から逆方向だった筈だ。
帰り道が途中まで一緒ならまだしも、登校中にこうしてバッタリなんて事は是が非でも有り得ない。
「だって、今日で卒業でしょ? 一度くらい斎藤君と一緒に通学したいなーって」
そう言って西園が斎藤の腕に絡んでくる。
「!? にっ、西園さん!?」
朝からこんな展開になるとは夢にも思わなかった。
制服越しに西園の感触が伝わってくる。
西園を突き放す事も出来ないまま、斎藤の理性は崩壊寸前まで達してきた。
「なーにを朝からイチャイチャしてやがんだこのバカップルは!」
「!」
朝とは思えない声量が後ろから聞こえ、二人は振り向く。
そこにはこちらを不満そうな目で睨んでくる多々羅が仁王立ちしていた。
「多々羅!?」
「あら多々羅君、おはよ」
多々羅を前にしても、西園が腕を解く事は無かった。
「なんで多々羅までここに!?」
「登校だよ」
「いや多々羅家が学校なんだから登校なんてないでしょ!?」
至極真っ当な意見である。
「最後だから俺も登校してみようと思ったんだよ」
多々羅は呆れたようにしながら斎藤の隣へと歩いていく。
肝心の斎藤は多々羅に目を奪われ、その場でただ立ち尽くしてしまった。
「おら、早く行くぞ! てか美姫! お前いつまでくっついてんだよ! 早く離れろ!」
「えー」
「えーじゃねぇ!」
半ば強引に引き剥がされるようにして、ようやく西園が斎藤から離れる。
西園は頬を膨らませていたが、斎藤はどこかホッとしたようだ。
三人は並んで、ゆっくりと校舎へ歩いていく。
「こうして三人で並んで歩くってなかなかねぇよな」
「うん、そうだね」
「案外初めてなんじゃない?」
「そうかも」
「あー! こんな事なら何回か登校しとけば良かったー!」
「多々羅にとっては最初で最後の登校だもんね」
「私達は何回もしてきたからこそ、最後ってなるとちょっと感慨深いなー」
「あっそうだ! あれやろうぜ! 学校まで一度も白線から出ないように歩くヤツ!」
「それやるの小学生とかだよ?」
募る話はたくさんある。
それでも三人は思い出話をするのではなく、ただの何気ない世間話に花を咲かせていた。
その談笑は学校に着くまで止まる事は無かった。
●○●○●○●
九時、卒業式が始まった。
体育館には全校生徒、教師含め、たくさんの保護者や来賓が詰め寄っている。
いつもはジャージ姿の体育教師の鬼塚も、今日はネクタイを締めていた。
「卒業証書授与」
優しさにどこか威厳のある声の進行で式は進む。
「三年A組」
担任教師の声が、一人ずつ生徒の名前を読み上げていった。
「斎藤優介」
「はい」
「多々羅剛臣」
「はい」
「西園美姫」
「はい」
いつもはふざけている生徒も、今日ばかりは真面目に返事をする。
名前を呼ばれる事に、誇りを持っているように。
その返答を他の席で眺める人々も、耳を澄ませて聞いていた。
教員席に座る楠岡は、無愛想な顔の奥にどこか親心のようなものが垣間見える。
保護者席に座る大輔も、いつもの自由奔放な表情はリセットされていた。
そして、在校生席の博士。
しばらく会う機会も無くなるだろう先輩達の姿を、その瞳にしっかりと焼き付けていた。
●○●○●○●
式も進んで、随分終盤までやってきた。
在校生送辞を終えた代表者が、ステージから降壇していく。
続いては卒業生答辞だ。
「卒業生答辞」
心の落ち着く声が体育館にこだまする。
「卒業生代表、山崎一」
「はい!」
勢いのある良い返事が、体育館に響いた。
山崎は立ち上がると、機械の様な一連の動作でステージへ登壇していく。
マイクの前に立つと、巻物の様な白い紙が開かれた。
「卒業生答辞。未だ肌寒い風の吹く季節の中、春の訪れを報せる蕾が顔を出すような今日の良き日、このような式を挙行していただき誠に有難うございます。またお忙しい中ご列席くださいました先生方、在校生、ご来賓の方々、並びに保護者の皆様に心から御礼申し上げます」
テンプレの様な文章。
ここまで読んで山崎は一呼吸を入れる。
「三年前、私達はこの学校にやってきました。初めての校舎、初めての友人、何もかもが初めてで、期待の反面、不安も大きかったと思います」
卒業生全員に、初めてのあの日が思い浮かぶ。
「それから三年間、実に色々な事がありました。私個人の話をしますと、以前生徒会長を務め、この学校をより良くしようと奮起し、西へ東へと走っていました。今思い返しても眩しい、とても充実した思い出です。きっと卒業生全員に、何か心に残るような思い出があるでしょう」
西園は共に過ごした生徒会の日々を振り返る。
「ふと考える時があります。何故私達は学校に行くのだろうか。義務教育を終えた私達にもう勉学はいらない。就職に有利にしろ、何故高校卒業の認定が就職に有利なのか」
多々羅はその答えに頭を働かせる。
「私の導いた回答はこうです」
眼鏡の奥で、山崎の瞳が揺らいだ。
「思い出が、人間を強くするから。楽しい思い出は人間の芯を太くし、苦い思い出は明日への原動力になる。どんな思い出も、私達人間を強くしてくれるのです。私達は思い出を求めて、学校に過ごしているのです」
斎藤は瞬きする事無く、じっと山崎を見つめていた。
「そしてその思い出も、今日が最後になりました」
山崎の声は全員の胸に響いていく。
卒業生、先生、保護者、そして在校生に。
「……一つ、最後の思い出に宣言させてください」
すると山崎はすーっとマイクに音が入るくらい、息を吸い込んだ。
そして、それを吐き出した。
「この学校で一番! 俺がここ逢魔ヶ刻高校を愛している!」
「誰よりもこの学校の事を想って動いた! 誰よりもこの学校の為に知恵を絞った! 誰よりもこの学校で思い出を築いた! これまでも! これからも! この学校への愛情が変わる事はない! 私は! 私達は! この学校を愛している!」
高らかに放たれた咆哮。
それは間違いなく、疑いようもないくらい、全員の耳に届いていた。
中には涙する者もいた。
ただ涙を流すには、十分な答辞だった。
「逢魔ヶ刻高校の益々のご発展と、私の永遠の愛を誓って、別れの言葉とさせていただきます。卒業生代表、山崎一」
そう言い残し、山崎は降壇していく。
恐らく彼にとって、最後の逢魔ヶ刻高校のステージだっただろう。
別れを惜しむ暇などなく、時間は過ぎていく。
そして、卒業式は閉式した。
●○●○●○●
正門とは少し離れた校舎の裏。
三年A組としての解散式を終えた三人は、そこに身を集めていた。
「いやー、終わったな」
「終わったね」
三人の手には黒い筒。
この中に、先程一人ずつ手渡された卒業証書が収められている。
「なんか、あっという間だったなー」
「そうだね」
「まぁ、多々羅にとっての三年は、僕らとはまた違うものだろうしね」
「そうか? そうでもねぇだろ」
斎藤の言葉に、多々羅が首を傾げる。
「俺とお前らの三年間は、間違いなく同じもんだろ」
あっさりと吐かれた言葉。
斎藤は虚でも突かれたように茫然としていたが、ふっと口元が緩む。
その心には三年分の思い出が駆け巡った。
「……多々羅」
「ん?」
名前を呼ばれ、多々羅が斎藤に顔を向ける。
斎藤は丁寧に文字を綴るように、一言一言噛み締めながら口にした。
「僕をこの学校に連れてきてくれてありがとう。僕をオカ研に誘ってくれてありがとう。僕と……友達になってくれてありがとう」
突然の感謝に、多々羅は豆鉄砲でも食らったようだ。
「西園さん」
次の標的の西園も、少し構える。
「僕の気持ちを受け入れてくれてありがとう。僕を好きでいてくれてありがとう。僕の……恋人になってくれてありがとう」
二人は固まったまま、斎藤を見つめる。
斎藤の身に纏う空気は実に穏やかで、表情も和やかで柔和な笑みを浮かべていた。
「……二人共、僕と出逢ってくれてありが」
「ストーップ!」
「!?」
突如言葉は遮られ、斎藤の独白は中断されてしまう。
「何だそれ!? 何だその湿っぽいのは!? いい、いい、いい! そういうの良いから! やめてくれ! 吐き気がする!」
「えぇ!?」
「斎藤君、そういうの似合わないからやめた方がいいと思うよ? 気持ち悪いし」
「ちょっ、ちょっと!」
まさかの不平不満の大ブーイングに、斎藤の心は打って変わって砕けていく。
多々羅はホトホト呆れたように溜息を吐いた。
「全く、今生の別れじゃねぇんだからよ」
「そういうのは死ぬまでとっとけ」
死ぬまで。
それは間接的に、死ぬまでずっと友人として会えるという事だろうか。
そう思うと斎藤の顔に笑顔が戻ってきた。
「死んじゃったら伝えらんないじゃんか」
「バカ野郎、俺達は死んでも告白した奴知ってんだろうが」
「あーそうだった」
おかしくって三人は笑い合った。
「……よし、んじゃやるか!」
「えっ!? 本当にやるの!? 恥ずかしいよ! 大人になったら絶対恥ずかしくなるヤツだよ!」
「だから今やるんでしょ?」
乗り気じゃない斎藤を、西園が強引に引っ張る。
そうして三人は輪になった。
右手には筒。
その筒を天に掲げると、三人はお互いの筒を重ね合わせた。
愉快な表情。
筒越しに、言葉以上の想いが伝わってくるようだった。
「んじゃ、またな!」
こうして、三人の高校生活に終止符が打たれた。
後に大人になってこの事を恥ずかしく感じるかどうかは知らないが、きっと後悔する事はないだろう。
「またねー!」
「またー!」
「おぅ! またなー!」
「ねぇ斎藤君、これからデートしよっか」
「デッ、デデデート!? なっ、何を!?」
「何って、別に一緒に帰ろってだけだけど」
手を振った先の斎藤と西園は、そんな会話をしながら正門へと歩いていった。
我が家が学校の多々羅は、こうして二人を見送っている。
影が見えなくなるまで手を振ると、多々羅はその手を下ろした。
「良かったのかい?」
後ろからそう声が聞こえる。
すると先程まで熱の籠っていた多々羅の表情が、急激に冷えていった。
「あの子達、僕に会いたがっていただろ? 僕としては、いつでも会う準備は出来てたのに」
多々羅が振り返る事はない。
まるで振り返る事も拒んでいるようだ。
「……俺はもう、誰にもお前に会わせないって決めたんだよ」
その声は斎藤に掛けた事のない声色だった。
「寂しいなぁ」
「言ってろよ」
くるりと多々羅は振り返る。
それに向ける多々羅の目は、今までに見た事ないくらい乱暴だった。
「金輪際、こっちの世界に関わるんじゃねぇと言った筈だ」
「なぁ、七番目」
こうして時代は移ろいでいく。
季節は冬から春へ。
そして物語は、新しい世代へ――。
ただ君に、卒業おめでとう。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
いよいよ卒業式回でした。
嬉しいような、悲しいような、本当の卒業式のような気分です。
言いたいことがいっぱいあるので、今回のあとがきは長くなりますよ?ww
今回の卒業式編、在校生の出番はほとんどなく、卒業生三人だけで丸々話を書いていきました。
もう当分彼らを書くことはないでしょうから、悔いのないように書きました。
前回卒業らしい話は書きましたからね、最後は平凡に。
マガオカらしい卒業式になればいいと思ったんですが、どうでしょうか。
卒業生答辞の大役をお願いしたのは、予告していた元生徒会長山崎。
答辞なんて何言えばいいのか分かんなかったんで、とにかく愛を叫んでもらいましたww
そして図らずも彼の下の名前が出ることにww
最後。
きっと気になることもたくさんあるでしょうが、今回は彼らの卒業式ということで省略させていただきます。
三年生達が卒業した訳ですが、マガオカはまだ終わりません。
しかし、まだまだ終わらないという訳でもありません。
まだ書いてないので分かりませんが、僕の計算ではすでに物語は折り返し地点を回っております。
といっても書きたい話はまだあるので、そうですねぇ……あと二年ぐらい?
斎藤も西園も、書いていくうちに面白味のあるキャラクターになりました。
ただこれにて三年生とはお別れ。
多々羅とはいつでも会えますが、これから斎藤と西園を書く予定はあるようなないようななので分かりません。
しかし、前回斎藤が言ってましたよね?
さよならは言わない。
さよならを言わなければ、きっと彼らとはまた出会えるでしょう。
その時まで、しばしさらばと致しましょう。
それでは!
三年のいなくなってしまったオカルト研究部ですが、これからもマガオカのことをよろしくお願いします!
斎藤! 西園! おまけに多々羅!
今までありがとう!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!