【136不思議】誓い
今日も今日とて逢魔ヶ刻高校に放課後が訪れた。
廊下では生徒達が教室から飛び出して、我先にと帰路や部室に向かっている。
群衆の中の斎藤も、穏やかに部室へと歩いていた。
そこに、目の前に見覚えのある影が映る。
「あっ」
斎藤はその影に気が付くと、顔色を一気に明るく染めた。
「山崎君!」
名前を呼ぶ声が耳に届き、前方の山崎も斎藤に気付く。
少し不信そうな山崎の表情も知らず、斎藤はそっと山崎に駆け寄った。
「久し振りだね!」
「……そうだな」
素っ気ない山崎の相槌にも、斎藤はまるで愛犬の様に尻尾を振っている。
その実、二人は確かに久し振りの再会だった。
何度か目にした事はあったが、三年が午前授業になった今、こうして顔を合わせて立ち話をする機会はそうそう巡り合うものではない。
「これから用事?」
「あぁ、ちょっと職員室に用があってな。そういうお前は……、部活か」
「うん」
「全く、いつまであそこに入り浸ってるつもりだ」
「えへへ……」
返す言葉が見つからず、斎藤は愛想笑いする。
会話に困っていると、そういえば風の噂で聞いた事を山崎に伝えるのを忘れていた。
「あっ、そうだ! 山崎君国立大学受かったんだって!? すごいね! おめでと!」
「あぁ……、ありがとう」
山崎は一流国立大学を志望し、見事合格してみせた。
学園随一の進学先を確定させた元生徒会長の噂は、あらゆるところで囁かれていた。
「……そういうお前は正碁王大学だろ? すごいじゃないか」
「いやっ、山崎君に比べたら僕なんて!」
「謙遜する事でもないだろ。おめでとう」
「あっ、ありがとう!」
「確か西園も同じ大学だったよな?」
「………」
ふと斎藤の脳裏に、嫌な感覚が過る。
「……あっ! 職員室行くんだよね!? ごめんね止めちゃって! それじゃあまたね!」
「……あぁ」
いきなり慌てたように山崎の横を通り抜けた斎藤は、早歩きで廊下を進んでいく。
山崎も職員室へ向かおうとしたが、その足はすぐに止まった。
「……そういえば」
山崎が振り返り、声を投げる。
誰に投げられたかも分からない投球だったが、斎藤は背中を向けたまま立ち止まった。
相手に伝わった事を確認して、山崎は口を開く。
今学園では山崎の進学先と共に、もう一つの噂が広まっていたのだ。
「西園と付き合ったんだってな」
斎藤の額から、嫌な汗が零れる。
どうやら学園のマドンナの恋愛スクープは、山崎の耳にも届いていたらしい。
山崎は以前西園を取り合った、友と書いてライバルと呼ぶ恋敵。
そんな山崎に、斎藤はなんと伝えればいいか解らなかった。
だから先程逃げるように帰ろうとしたのに、それには一歩間に合わなかったようだ。
「……うん」
長い沈黙の後、覚悟を決めたように斎藤が振り返る。
「西園さんと、お付き合いする事になりました」
斎藤の顔は案外澄んだ顔だった。
その表情は眼鏡越しの山崎の目に、静かに焼き付いていく。
「報告が遅くなってごめんなさい」
斎藤は深く頭を下げる。
折りたたまれる程曲がった背中からは、その謝罪の重さがえらく伝わってきた。
「別にいい。お前の性格だ。大層言いづらかったんだろ」
山崎はそう言って斎藤の頭を上げさせる。
上がった斎藤の表情は、まだ下げたりないようだった。
「……西園の気持ちなど、とうに分かっていた」
「……え?」
さり気なく吐かれた山崎の言葉が、斎藤に引っかかる。
「山崎君も分かってたの?」
「当然だろ」
「えぇ!?」
まさか恋敵まで西園の気持ちが知れ渡っているとは、夢にも思わなかった。
「全く、考えてみろ! 想い人がもう一人の恋敵にぞっこんで、その恋敵は想いに気付かずウダウダしている俺の気持ちを! 俺がどんな想いで西園を想っていたか分かるか!?」
「うぅっ、ごめんなさい!」
鬼気迫る山崎の説教に、斎藤は涙目になって腰が引ける。
いつになってもこのウダウダは治りそうにないと、山崎は溜息を吐いた。
「まぁでも、そんなお前がよく告白したものだ」
ふと山崎が視線を上げる。
「……一つ、心に刻め」
「?」
すると山崎は、ズカズカと斎藤のもとへ歩き出した。
そのまま壁を突き破りそうな勢いに、斎藤は二歩後退りしてしまう。
顔がぶつかるという手前、山崎の進撃は止まった。
「もし西園を泣かせたら、その時は俺が西園を貰うからな」
そこまで大きくない、山崎の怒号。
しかしその怒号の奥には、静かに荒ぶる山崎の闘志が見えた。
「……うん、泣かせない」
斎藤もそれに応じる。
「だから、西園さんは渡さない」
いつもの斎藤だったら、物怖気づいてしまっているだろう。
だがそこを踏ん張って奮い立たせているのが、西園への想いなのだろうか。
「……ふんっ」
斎藤の揺るぎない瞳に、山崎はようやく下がった。
「それではここに誓え」
「え?」
突然の展開に、斎藤はついていけず首を傾げる。
そのすぐ後に聞こえてきたのは、校舎中に響かせんとする山崎の叫び声だった。
「汝ぃ! 病める時もぉ!」
「ちょっ、ちょっと! 山崎君声デカい!」
「健やかなる時もぉ!」
「山崎君! 聞こえてる!?」
「富める時もぉ! 貧しい時もぉ!」
「皆見てるから! ごめんなさい! 何でもないです!」
「彼女を愛しぃ! 敬いぃ! 慈しむ事をぉ! ちぃかいますかぁぁぁー!?」
「ビブラートがすごい!」
どれだけ斎藤が言い聞かせても、山崎の絶唱が収まる気配は無い。
それどころが、どんどん勢いに乗っているようだ。
「おいどうした! 返事がないぞ! お前の誓いはそんなもんかぁ!」
「えぇっ!? そっ、そんな事はないけど……!」
「ならば今ここで誓え!」
「そっ、そんなぁ!」
「ほら行くぞ! 汝ぃ! 病める時もぉ!」
「ちょっと山崎君! 落ち着いて!」
「健やかなる時もぉ!」
遂にブレーキの壊れた山崎に、斎藤ももうお手上げ状態だった。
「どうしたの?」
そんな時である。
突如聞こえてきた女神の様な声に、斎藤は振り返った。
「西園さん!」
そこにいたのは、紛れもなく話題の渦中にいる西園だった。
救世主の様に現れた西園に、斎藤は藁にも縋る思いで西園に救いを求める。
「何かすごい叫び声が聞こえると思って来てみたら、やっぱり山崎君じゃん。とうとうぶっ壊れた?」
「西園さん助けて!」
「一体何があったの?」
「僕にも分かんない!」
斎藤からの事情聴取では何も分からず、西園は首を傾げる。
その間にも、山崎の絶叫は絶え間なく続いていた。
「誓いますかぁぁぁぁぁぁぁ――――!」
流石の絶叫に山崎も疲れ果て、激しく息を乱していた。
ますます疑問の深まる西園。
しかし斎藤の心には、その絶叫が届いたようだ。
「……うん」
すると斎藤の腕が、西園を引き寄せた。
「誓います」
斎藤の目はずっと未来を見通しているようで、その顔持ちは覚悟で満ち満ちていた。
隣の西園に目を向けると、二人の視線はぶつかる。
優しく微笑んだ斎藤の表情が、西園の鼓動を逸らせた。
「……そうか」
山崎は何か満足がいったのか、そう声を漏らすと深く頷いた。
「西園」
唐突に名前を呼ばれ、西園が振り向く。
そこに見えた山崎の表情は、随分と清々しかった。
「幸せにな」
「……うん」
全貌が分からないまま、西園はそう頷く事しか出来なかった。
ただその頷きで、山崎は十分のようだ。
山崎は視線を西園から二人に変えると、今まで言えなかった言葉を優しく口にした。
「……二人共、おめでとう」
「……ありがと」
山崎はどこか、晴れやかな表情だった。
「それじゃあな」
それだけ言って、山崎は二人に背中を向けて歩き出す。
その後ろ姿はどこか大きく見えて、二人はそこから目を逸らす事が出来なかった。
山崎が視界から消えると、ようやく斎藤の肌に西園の体温が伝わる。
「あっ! ごっ、ごめん!」
「えっ? あぁ、別に良いけど」
いつも通りの臆病者に戻った斎藤に、西園が質問する。
「……なに誓ったの?」
「えっ?」
「さっきの」
斎藤の脳内に数秒前のやり取りが浮かぶ。
すると斎藤は不意に笑い出して、西園に答えた。
「内緒」
「えぇ?」
答えになっていない答えに、西園は不満そうに眉を曲げる。
それに対して、斎藤の表情は明るかった。
「男同士の秘密ってヤツだよ」
文句の一つや二つもありそうな西園に、斎藤はそう言ってみせた。
「つまんない」
「えぇ!?」
「男同士の秘密なんて、斎藤君似合わないよ」
「そこまで言う!?」
やはり序列で言えば、斎藤が西園の上に立つ事などないようだ。
心の挫けそうな斎藤だったが、西園がそれ以上その事について追及する事は無かった。
「……そろそろ部室行こっか」
「あぁそうだね。もうこんな時間だ」
二人は本来の目的地に向かって歩き出す。
この日、逢魔ヶ刻高校の廊下という衆前で誓ったこの誓いを、斎藤と山崎が生涯忘れる事はないだろう。
汝、病める時も、健やかなる時も。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
久々の山崎元生徒会長登場回でした。
実は彼、もう登場させる予定はありませんでした。
ちょっとネタバレになってしまいますが、これからの卒業式編にちょろっと登場させて「あー久しぶりだなー」って思ってもらえたらいいなーって予定だったんですが、急遽変更。
何書こうかと悩んでいたら、山崎と斎藤の回を書くことになったのです。
後で考えたら、必須の回でしたね。
山崎に交際報告もなしに卒業する訳にもいかないし、斎藤にとってもとても重要な回になったと思います。
山崎も出番増えてよかったな。
ちなみに「ビブラートがすごい!」は個人的にお気に入りなツッコミですww
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!