【130不思議】13日は木曜日
今日も授業が終わった。
逢魔ヶ刻高校中にチャイムが鳴り響き、生徒達は呪縛から逃れたように息を返している。
といっても時刻はまだ午前。
束の間の昼休みが終われば、また席に縛られた授業に逆戻りだ。
午前で授業が終了する三年生からすれば、このチャイムは終わりの報せに違いないのだが。
三年校舎の廊下を歩く斎藤。
今日も今日とて、放課後までの時間をどう潰そうかと考えていた。
そんな時だ。
「!」
ふと窓に映った中庭の景色が目に入る。
日光が優しく照らす二月の昼。
まだ生徒の少ない中庭には、二人しか人影が見えなかった。
そのうちの一人は、斎藤が見間違える筈もない人物。
――西園さん……。
斎藤が想いを寄せる、西園美姫。
そしてもう一人の人物、それは名前までは知らないが、顔だけは知っている男子生徒だった。
中庭に男女が二人。
それだけで、どういう状況かくらいは見当がつく。
男は西園に頭を下げた。
西園は男をしばらく見つめていたが、ぼそりと何かを口にする。
流石に窓越しでは何を言っているかまで分からない。
ただ西園の言葉を聞くと、男は西園に朗らかに笑ってその場を後にした。
西園を中庭に残して。
「………」
一部始終を見届けた斎藤は、西園の横顔を置いて窓から目を逸らした。
●○●○●○●
時は流れ、オカルト研究部部室。
「んー……」
畳に胡坐を掻く多々羅は、眉を顰めて喉を唸らせていた。
睨む先は多々羅の手にする和柄の手札。
畳にも数枚札が開かれており、戦況は佳境に差し掛かっていた。
次の一手に苦難する多々羅。
もうこれで手詰まりかと思われたが、多々羅に救いの手を差し伸べる様な知恵が降りかかった。
多々羅はペンを手にすると札に何かを描いていく。
そのまま多々羅が召喚したのは、子供の落書きの様な拙い札だった。
「おらぁ!」
「待てやごらぁ!」
苦渋すぎる手段に、対戦相手の博士が待ったをかける。
「よし! これで猪鹿蝶! 逆転じゃおらぁ!」
「逆転じゃねぇよ! 認めるかぁ! なに自分で絵ぇ描いて絵札作ってんだ! イカサマにも程があんだろうが!」
博士の詰問に、多々羅は下手に口笛を吹いた。
「ちっ、違ぇよ! これは本物の絵札だって!」
「見苦しいわ! さっき目の前で描いてたじゃねぇか! そもそも一つだけ絵柄違ぇんだよ! 大体これなんだ!?」
「何って、どう見ても鳥だろ!」
「猪鹿蝶は蝶だろうが!」
博士に論破されてしまい、とうとう多々羅の自己弁護も尽きてしまう。
多々羅は絶望し、まるで人生を賭していた様な悲鳴を上げる。
そんな多々羅を眺めながら、乃良はテーブルスペースの方角へと目を向けた。
「おーい! ちひろん達も一緒に花ふ」
しかしその声は、彼女達には届かなかった。
「あー! これ可愛くないですか!?」
「確かに可愛い。でもこれって作るの大変そうじゃない?」
「大丈夫ですよ! 材料もスーパーに売ってるのばっかだし、見た感じそんなに難しくないです!」
「そっか、じゃあ私はこれにしよっかな」
「あっ、それも可愛いですね!」
「うん、作り方も簡単そうだし」
「よし! そうと決まれば早速材料調達しにいきましょう!」
「そうだね」
「花子ちゃんも行こ!」
「どこに?」
とある雑誌を開いて、雅にガールズトークする少女達。
すると少女達は鞄を用意して立ち上がった。
「それじゃあお先失礼します!」
「えっ、もう帰んのか?」
「今日はこれからみんなで西園先輩ん家に行くんです!」
「はぁ!? なんだそれ! 俺も行きたい!」
「ダメに決まってるじゃないですか! 多々羅先輩の分用意しませんよ!?」
「それじゃあお疲れ様」
「ハカセ、バイバイ」
乙女三人衆はそう言い残し、部室を後にした。
取り残された男子達は、不思議そうに首を傾げて出て行ったドアを見つめている。
「……何言ってたんだ?」
少女達の残した言葉の意味がよく解らず、博士がそう反芻する。
「……あー、もうそんな時期か」
ただ一人分かったように乃良が独り言を零す。
乃良の視線の先はカレンダーを映していた。
今日の日付は二月十三日、翌日の日付にはピンク色のハートマークが記されていた。
「バレンタインデーねぇ……」
乃良から伝えられた巷で噂の明日の名前に、博士は息を漏らした。
「興味ねぇな」
「だろうな」
眼鏡の奥の座った瞳に、乃良も呆れてしまう。
バレンタインデー、女子が男子にチョコレートをあげる日。
近年その定義が外れつつあるが、全国の男子がソワソワしてしまう一大イベントも、博士にとっては変わり映えないいつもの毎日だろう。
「なんて、一度もチョコ貰った事ねぇから僻んでんじゃねぇか?」
「僻んでねぇよ!」
多々羅の歪んだ笑みに、博士が声を上げる。
先程負けた腹いせか多々羅が挑発をやめる事はなく、そのまま挑発を重ねていく。
「んな事言って、お前チョコなんて貰った事ねぇだろ」
「いや毎年貰ってるよ」
「毎年!?」
思いもよらない衝撃告白に、多々羅の挑発を失敗に終わった。
「えっ、誰から!?」
「誰って……」
動揺の隠しきれない多々羅に、博士は顔を引きつらせながらも答える。
「母さんと理子からだけど」
「家族じゃねぇか!」
結局は明白なオチで、多々羅がベタにツッコむ。
「家族チョコなんてチョコ貰ったうちに入んねぇよ!」
「チョコ貰ってる事には変わりねぇだろうが! そういうアンタはチョコ貰ってんのかよ!」
「あー貰ってるよ! 勿論本命をな! 毎年クラスの女子達に『同じクラスのよしみで!』っていう照れ隠しの台詞と一緒に貰ってるよ!」
「それ義理チョコあげる時の台詞だよ!」
ヒートアップする二人の言い争いに、乃良が仲裁に入る。
「まぁまぁ、どうせお前らより俺のが貰ってるって」
「「やかましいわ!」」
「さいとぅー先輩はどうなんですか? バレンタインデー」
「えっ?」
突然話を振られて、斎藤は硬直する。
何の話をしているのか上の空だった斎藤は、数秒躊躇いながらも真摯に答えた。
「うーん……、僕は西園さんから貰った義理チョコぐらいかな?」
「……ふーん」
斎藤ならいくらか貰っていると踏んでいたが、持ち前の臆病がマイナスに働いたのだろうか。
しかし乃良が疑問に思ったのは、そこじゃなかった。
「……今日どうしました?」
「え?」
「なんかぼーっとしてますけど」
乃良に指摘され、斎藤は黙ってしまう。
気付けば他の部員達も、同じ事を思っていたと言わんばかりに見つめている。
その視線から逃れる術は見つからず、斎藤は正直に白状する事にした。
「………あのね」
●○●○●○●
ふんわりと柔らかいカーテンが風で靡く。
その風は白を基調とした清楚なダイニングスペースまで、空の匂いを運んできてくれた。
「いやーキレイなおうちですね!」
初めて西園宅にやって来た千尋の目はキラキラと輝いていた。
「そうかな? 普通じゃない?」
「いやキレイですよ! 西園先輩がこの家で過ごした十八年間の思い出が家から伝わってくるみたいです!」
「四年前に越してきたんだけどね。お父さんとお母さん遅くまで帰ってこないし、自由に使っていいよ」
「ありがとうございます!」
千尋の興奮は冷めやらず、早速本題に突入する。
「さて、それじゃあ作りますか!」
「うん」
全員それぞれエプロンを既に装備している。
ダイニングには先程買ってきた材料や調理器具、作り方の書かれた雑誌など、準備は万全だった。
ただ一人、万全じゃない少女が首を傾げる。
「なにするの?」
「もう花子ちゃん! 今日はチョコレート作るって言ったでしょ!」
数日前からちゃんと伝えていた筈だが、花子は初耳の反応だった。
無知な花子の為に、千尋が悠々と謳い上げる。
「バレンタインデー、それは女子が男子にチョコレートと共に想いを伝える愛の一大イベント! 今日はオカ研の皆にチョコレートを作ってあげるの!」
千尋はそう謳うと、瞑っていた瞳を花子に向ける。
「花子ちゃんはハカセに!」
するとその瞳を今度は西園に向ける。
「西園先輩は斎藤先輩に!」
最後に千尋は右手を自身の張った胸に当て、力強く言い放った。
「そして私はその他大勢に!」
「ちょっと言い方酷いね」
「さぁ男子共にホワイトデーの三倍返しをさせる為に、一生懸命作りましょう!」
「おー!」
千尋の掛け声を合図に、少女達は調理に取り掛かった。
西園がチョコレートに手をかけ、千尋は要注意人物の花子に付きっきりで作業を開始する。
調理中は勿論、ガールズトークと同時進行だ。
「西園先輩って、毎年斎藤先輩にチョコレートあげてるんですか?」
「そうだよー」
手を動かしたまま、少女達の会話は弾む。
「全く、なんで斎藤先輩気付かないんでしょうね」
「うーん、多々羅君とかにもあげてるからかな?」
「去年はなにあげたんですか?」
「去年はロシアンルーレットトリュフチョコレートあげたよ。斎藤君の表情面白かった」
――この人ほんと魔性だな……。
西園の蕩ける程の恍惚な表情に、千尋はなんとか作り笑いを見せる。
しかし西園のその表情は、すぐに暗くなった。
「……でも、こうやってチョコ作るのももう最後かな」
呟いて聞こえた西園の声に、千尋は作業を中断する。
「えっ、先輩達大学でも一緒じゃないですか」
「一緒だけど、もう同じ部活のよしみでチョコレートあげる事は出来なくなっちゃうし。勿論友達としてチョコはあげれるけどね」
西園の言いたい事は、今と同じ状況でチョコをあげる事が出来なくなるという事だ。
高校を卒業すれば、二人はオカ研部員ではなくなる。
二人の中に確実にあった関係性が、突如として消えるのだ。
それでも二人の関係が断たれる事は決してないが、その先の事なんて誰も分からないだろう。
未来の話に後輩が口出しできる訳もなく、千尋も口を噤んだ。
「……でも」
そう口を開いた西園に、千尋が顔を上げる。
「私、もう友達としてあげたくないなって」
西園は一言一言大事そうに声を紡ぐ。
これから放つその言葉を、しかと胸に刻み込むように。
「だから私」
●○●○●○●
今日の昼休みの話を斎藤から聞き終えた男子部員達は、随分と怠けていた。
「……別に西園先輩が告白されるのなんて今に始まった事じゃないじゃないですか」
「そうだけど……」
博士の正論に、斎藤が縮こまる。
理屈が分からず首を傾げる博士に、乃良がふと声を漏らす。
「でも、確かに最近ミキティ先輩よく告られてる気がしますね」
「そうなのか?」
特に日常の変化を気に留めない博士は、そんな上級生の細やかな変化など気付かなかった。
「もうすぐ卒業だからな」
そう口を開いたのは多々羅である。
「今まで勇気がなくて告白できなかった奴が、もうすぐ卒業っていう現実に背中押されて告ってる奴が多いんだよ。西園ロスってヤツだな」
「西園ロス」
「なんだその社会現象みたいな名前」
多々羅の冗談みたいな話だが、実際に学校中で噂されている総称だ。
事実西園にダメ元で告白する男子も学年問わず多く、西園が教室から呼び出される事なんてしょっちゅうだった。
その度に斎藤は、表情を曇らせるのである。
「……んで、斎藤先輩は西園先輩が誰かに取られちゃうんじゃないかと焦っていると」
「………」
博士の直球な言葉に、また斎藤の表情は曇っていく。
「別に焦っちゃいないよ。同じ大学なんだし」
斎藤の口から出た言葉は、案外震えていなかった。
「……でも」
白く細い指にきゅっと力を入れる。
「同じ大学だからって甘えてるんじゃないかって、西園さんは告白全部断るって決めつけてるんじゃないかって、そう安心してる自分が、なんか許せなくて……」
斎藤の首は、じっと項垂れている。
その顔色は、斎藤を見つめる部員達には一切読めなかった。
すると斎藤は一言口にする。
「……決めた」
その声はいつもの斎藤とは違った。
いつものように怯えた声ではなく、かといって優しい声でもない。
何かを決断した様な声だった。
斎藤はゆっくりと顔を上げ、その別人の様な表情に部員達は目を見開く。
斎藤のその瞳は、決意に満ち溢れていた。
●○●○●○●
「明日、斎藤君に告白させる」
「明日、西園さんに告白するよ」
明日を誓った二人の言葉。
場所は違えどそう口を揃えた二人の言葉から、二人の運命は音を立て始めた。
とうとう二人の恋が……!?
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
現在マガオカの時間軸は二月。
二月といえば? 勿論バレンタインデーでしょ!
ということで、今回からバレンタインデー編がいよいよ始まります!
これまたラブコメには必須のイベント、バレンタインデー。
勿論今回もずっと前からどうしようかと頭を悩ませました。
そして考えた結果、斎藤と西園の恋をメインに書き上げていこうと決めました。
というのも、実は投稿するずっと前から決めてたんですけどね。
さて、二人の恋の行方は何処に……?
バレンタインデー編、ラブコメ全開でお届けする予定です!
これからお楽しみに!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!