【129不思議】先生連絡包囲網
一つの授業が終了し、廊下に生徒達の影が溢れ返った。
みな束の間の休息に笑い話を咲かせたり、用を足しに行ったりと右往左往に生き急いでいる。
その喧騒な廊下の真ん中を歩く一人の女性。
現代文の授業を終えたばかりの馬場だ。
教師である馬場も、この休息を生きる一人の人間である。
両腕で教材を抱いた馬場の顔は、どこか心地良さそうに歩いている。
そんな馬場に甲高い声が飛び込んできた。
「馬場先生!」
「!」
突如耳に侵入してきた声に、馬場は驚くと共に警戒を最大限に強める。
その声の主は、馬場にとって天敵ともいえる相手だったからだ。
未だ驚きに取り残されている馬場に、声の主は颯爽と馬場の前に参上した。
「隙あり!」
そのポニーテールは、こちらに指を構えていた。
「バーンッ!」
「えぇ!?」
突然の出来事に、馬場は為す術無く撃たれる。
少女が狙いを定めて撃った指鉄砲は、間違いなく馬場の心臓を撃ち抜いていた。
あっという間に殉死した馬場に、少女は物足りなさそうに項垂れた。
「ちょっとー馬場先生ー!」
「石神さん!?」
馬場が石神と呼ぶその少女は、オカ研所属の千尋だ。
状況を読み込めていない馬場は、とにかく千尋に解説を求める。
「何するんですか!?」
「何って、バーンッ!ですよバーンッ!」
「何するんですか!」
「バーンッ!てやったらバーンッ!てなってバーンッ!てしなきゃ!」
「全然分かりません! その前にまず挨拶でしょ!?」
日本語になっていない言葉に、国語教師が叱責する。
すると千尋の影に隠れていた少女がぴょこんと顔を出し、こちらに一瞥した。
「……おはようございます」
「あっ、零野さんもいたのね……。おはようございます」
零野とは同じくオカ研所属の花子。
担任を務める生徒の花子とは朝に既に挨拶しているのだが、それは置いておくとする。
千尋はまだ馬場の反応が不満のようで、頬を膨らませていた。
「あーあ、楠岡先生はもっと面白いリアクションしてくれてたのになー!」
「!?」
その一言を、馬場が聞き逃す筈がなかった。
「えっ、楠岡先生にもやったの!?」
「うん」
なんて事ないように千尋は頷いてみせる。
「でっ、どっ、どんな……」
急に語彙力が衰えていたが、その目は楠岡の反応の全貌を待ち望んでいた。
雄弁に語る瞳が千尋を見つめる。
千尋は特に勿体ぶる様子もなく、当日を思い出していった。
「えーっと……」
――楠岡先生!
いつかのオカ研部室の出来事。
相変わらず部室で寛いでいた楠岡に、千尋が標準を合わせていた。
――バーンッ!
楠岡がこちらを見つけたところで、千尋は引き金を引いた。
刹那、楠岡が左手で空を握る。
――……あのなぁ。
未だ呆気にとられている千尋や他の部員を置いて、楠岡は左手を開いていく。
指の隙間から落ちていく弾丸だった欠片。
床に落ちていく鉄製の音が聞こえてくる様な錯覚まで感じた。
――こんなガキみてぇな事いつまでもしてんじゃねぇよ。
「楠岡先生強くない!?」
弾丸を掌で握り潰した楠岡の武勇伝に、馬場は声を止められなかった。
●○●○●○●
職員室に辿り着く頃には、馬場は疲労の余り机に突っ伏した。
脳裏には数分前の景色が焼付く。
『あっ、チャイム鳴ったよ! 先生授業行かなくていいの!?』
『私は次の授業休みです! それより行かなきゃいけないのは貴方達でしょ!?』
『そうだった! 行こ花子ちゃん!』
『バイバーイ』
台風の様な女子高生二人に、廊下は走っちゃいけませんと言う事すら忘れていた。
少しでも心を安らがせようと、深く息を吐く。
「……大丈夫ですか?」
「!?」
ふと耳に入った声に、馬場は上半身を叩き起こす。
顔を上げると、一瞬絵本の中の王子様がいた様にさえ思えた。
「楠岡先生!?」
「お疲れ様です」
声を掛けてくれたのは、何を隠そう楠岡である。
「おっ、おおっ、お疲れ様です」
唐突すぎて喉が上手く働いてくれなかった。
予想だにしない想い人登場に、馬場は乱れた髪を整えたり、赤くなった頬を落ち着かせたりと、文字通り大混乱だった。
「さっき石神と零野といましたよね?」
「えっ!?」
不意打ちな言葉に、心まで暴走する。
「すみません、途中でお見かけしまして」
どうやらあの醜態はバッチリ見られてしまっていたらしい。
会話までは聞こえていないだろうか。
頭の中は様々な内情で覆い隠されていったが、楠岡はそんな事知らないように語っていく。
「あの二人、馬場先生に大分懐いてますよね。何か迷惑かけてませんか? 何かありましたら言ってくださいね。一発入れときますんで」
「いっ、いえっ! 大丈夫です」
楠岡の言葉に、馬場は歪に手を振る。
正直困ってはいるが、楠岡の手を煩わせる訳にはいかなかった。
心を落ち着かせる術を探して、馬場は焙じ茶の入った水筒に手を伸ばした。
楠岡は「そうですか」と零し、辺りを見回す。
すると丁度授業に行って空いていた馬場の隣の先生の席を見つけ、その席に腰を下ろした。
「……そういや絵菜から聞いたんすけど」
そう口を開く楠岡に、馬場は飲みながら目を向けた。
「馬場先生って姉貴の友達だったんすね」
ブーッ!と馬場の口から焙じ茶が発射される。
思わず変なところへ焙じ茶が入ってしまい、馬場は苦しそうに咳込んでいる。
目の前の書類も汚れてしまい、片手でティッシュを抜いていく。
そんな馬場に楠岡は気付いていないようで、変わらずに話を続けていった。
「いやーこんな事あるんすねー。絵菜の奴、なんか変な事言ってないですか?」
「うっ、うん……。……というか、楠岡先生こそなんか変な話聞いてないですか?」
「? 特におかしな話は何も……」
楠岡の不思議そうな反応に、馬場はひとまず安心する。
しかし安心できるような要素は一つも無かった。
――……変な事、ねぇ。
馬場はふと久々に再会した絵菜との会話を思い出していった。
●○●○●○●
それは馬場の想い人と絵菜の弟が同一人物だと分かった数分後の会話。
「えっ!? アンタ連絡先も知らないの!?」
絵菜の心底驚いた様子の表情に、馬場はぐうの音も出なかった。
「どんだけ意気地なしなの! 今時小学生だってもっとアプローチ出来てるわよ! 私だって連絡先知ってるわよ!?」
「それは家族だから当然でしょ!?」
「あいつ見てくれはいいんだからさ、生徒も元基の連絡先聞いたり、もう交換したりしてる子もいるんじゃないの?」
「ぐっ……」
確かに楠岡は生徒間でもそこそこの人気だ。
教師として連絡先を交換しているとまでは思えないが、話を持ちかけられたりはするだろう。
黙り込んでしまった馬場に、絵菜が心配そうに覗く。
「……教えよっか?」
「ダメ!」
絵菜の天使の囁きの様な提案に、馬場は力強く断る。
「自分でどうにかするから」
それはまるで悪魔から振り切るようだった。
どう言っても頑固に首を振らないだろう馬場に、絵菜は仕方なく息を吐いた。
「分かったけど、早くしなさいよ」
「うぐっ!」
絵菜の釣り針の様に尖った言葉が、馬場の心臓を捕えて離れなかった。
●○●○●○●
それから一ヶ月以上経った今、事態が進行する気配は一切なかった。
しかし今こそ、紛れもないチャンスである。
隣で背凭れに体を預けている楠岡に、馬場が恐る恐る声をかける。
「……楠岡先生」
「はい?」
楠岡は目を向けて、次の馬場の声を待ち構える。
逸る心拍を必死に抑え込みながら、馬場は言葉を紡ぎ出していった。
「そのぉ……、楠岡先生って……せっ、生徒と……そのぅ……連絡先……交換とか……しっ、したり……するんですか?」
口にした言葉はかなり遠回りをする言葉だった。
それでも馬場にとっては、勇気を振り絞って出した確かな言葉である。
対する楠岡は暗号の様に途切れ途切れになってしまった文章を、何とか解読していく。
「……あー連絡先ですか?」
解読の終わった楠岡は、なんて事なく回答する。
「してますよ、何人か」
「!?」
それは馬場にとって予想外の回答だった。
自分から質問しておいてなんだが、教師として生徒に何を唆されようとそういうのは断っているものだと思っていた。
震える馬場に首を傾げた楠岡だったが、察して慌てて口を開く。
「あぁ、勿論変な誘いのは断ってますよ!? ただ連絡が必要な生徒とか部活とか、なんらかの事情がある生徒しかしてないです!」
「あっ、あー!」
楠岡の弁明に、何とか馬場も納得する。
あのまま誤解を続けていれば、教師として楠岡を侮蔑する事となっていた。
ふと安心した馬場だったが、一つ気がかりな事に気付く。
「ん? 部活?」
そう、楠岡は確かにそう口にした。
馬場の漏れ出た疑問に、楠岡が気付いて後押しする。
「はい、オカ研の部員とは何人か交換してますよ」
「!?」
思いがけない衝撃に、馬場は思わず目を見開かせた。
「えっ!? 全員ですか!?」
「いや全員ではないですけど、すぐ連絡できるように部長・副部長の斎藤と多々羅と、あと次期副部長になった石神とかですかね」
「石神さんも!?」
更なる衝撃が馬場を襲う。
まさかあの千尋が自分よりも先に楠岡と連絡先を交換しているとは夢にも思わなかった。
厭らしい顔で高笑う千尋を想像し、馬場の心に追い打ちをかける。
「そっ、そうなんですね……」
重い敗北を背負った馬場の背中は酷く丸くなった。
「いや、今時生徒と連絡先交換してる先生なんていくらでもいるでしょ。馬場先生も生徒と交換してる人いないんですか?」
『今時』という言葉に胸を締め付けられるも、今はそういう時ではない。
心当たりを探していくが、部活内でも連絡先は交換していないし、男子から声を掛けられた事も勿論なかった。
馬場の連絡網に生徒の項目は無いと思われたが、ふと思い出す。
「あっ」
そういえば一人、秋頃に交換していた。
「そういえば石神さんと交換してました」
「えっ!?」
楠岡もまさか千尋の連絡先を知っているとは思っていなかったようで、珍しく声を上げる。
「どうして!?」
「いやー、どうしてだっけなー……」
その顛末は鮮明に覚えているが、それを楠岡に教える訳にはいかない。
しらばっくれる馬場に、楠岡の視線が刺さる。
しばらく頭を働かせていた楠岡は、一つの答えを口に出した。
「……馬場先生」
「はい?」
名前を呼ばれて振り返る馬場。
目にした楠岡の手には、最新型のスマートフォンが握られていた。
「連絡先交換しませんか?」
時が止まる。
無論実際に時が止まる筈無く、秒針は動くし風でカーテンは揺れる。
しかし数秒間馬場の脳は完全に停止し、その全てを感じ取る事が出来なくなってしまった。
「えっ!?」
やっと時を取り戻した馬場は、職員室に響く声でそう呻く。
「いやっ、まさか馬場先生がそこまで石神と絡んでるなんて思ってなくて、姉貴の事もあるし、なんかあった時の為に連絡先知ってた方がいいかなと思いまして」
楠岡の説明は馬場の右耳から左耳に流れていくだけだった。
ただ茫然と楠岡に見惚れるだけである。
「あっ、勿論嫌でしたら全然いいんですけど」
「交換しましょう!」
その時だけ、馬場は勢いよく返事を口にした。
それから楠岡と馬場は連絡先を交換した。
自分の携帯の中に楠岡の連絡先を見つけるだけで、馬場はいとも簡単に幸せになれてしまう。
連絡先を交換できたのは千尋のおかげと言っても過言ではないので、今度会った時はちゃんとお礼を言おうと心に決めた馬場であった。
赤外線という名の赤い糸。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
定期的に来る『そろそろ先生の話を書こう回』ですね。
いつも前回どうなったか忘れるぐらい久々になって書くんですが、今回はある程度既視感を覚えながら書き始めました。
なんでだろうなーって考えたら、そういえば年明けに馬場の誕生日回を書いてました。
楠岡もちょこちょこ出していたので、そういう意味では割と書きやすい先生回だったなと思います。
いつも内容に苦しむ先生回ですが、内容も割とあっさり浮かびました。
先生間で連絡先を交換する話。
内容は浮かんだんですが、まさかここで深く千尋が絡んでくるとは正直書いてる途中も思いませんでしたww
書いてて、あーそういや馬場と千尋って連絡先交換してたなーとww
んで楠岡も多分持ってるだろーと無理矢理理由作って、こういう交換に至った訳です。
随分前だけど、千尋ファインプレー!ww
僕も担任の先生とか何人かの先生と連絡手段がありました。
ただ顧問の先生に連絡先教えてと言った事あるんですが、それは断られてしまいました。
先生でも価値観の違いがあるんでしょうね。
連絡先交換したかったなー。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!