【128不思議】丸毛の掟
逢魔ヶ刻高校に本日の全日程終了のチャイムが鳴り響いた。
校舎には帰路へとのんびり歩いたり、部室へ急いで走ったり、それを注意する先生がいたりと放課後は今日も賑やかである。
三年生の校舎には、様々な事情であまり生徒が見えなかった。
数少ない生徒の一人である斎藤は、今日も今日とて部室へと歩いていく。
その道中に、とある背中を見つけた。
「あっ」
白髪白衣の後ろ姿など、この学校には一人しかいない。
「丸毛先生ー!」
「ん?」
背後から声をかけられ、その背中をこちらへと返す。
呼び止めたのが斎藤だと分かると、しわくちゃな顔をした丸毛は更に笑い皺を増やした。
「おー斎藤君じゃないか」
立ち止まった丸毛に、早歩きした斎藤が追いつく。
「お疲れ様です」
「お疲れ、これから部活かい?」
「はい」
典型的な世間話をしながら、二人は廊下を歩き出した。
隣を歩く斎藤に、丸毛は感心したように頷く。
「いやー偉いねぇ君達。三年生はもう午前授業しかないっていうのに、わざわざ放課後まで残って部活に行くなんて」
丸毛の言う通り、三年生は既に午前中に授業を終わらせていた。
これから試験の準備に入る生徒もおり、着々とこの学校を去る準備が進められている。
三年の校舎に生徒が見えないのも、そんな理由だ。
授業が終わればすぐに学校から飛び出すのが生徒の性だと思ったが、今日も斎藤は学校に残っていた。
「いえ、どうせ家に帰っても暇なだけですから」
そう苦笑いするばかりである。
「放課後までの時間、一体何してるんだい?」
丸毛はそう斎藤に疑問を投げかけた。
「んー受験前は受験勉強してましたけど、今は図書室で本読んだり、あとはちょっと学校出て、時間が経ったら戻ったりしてますね」
「ふーん、そうかい」
斎藤の答えに丸毛は頷いた。
その答えを耳にし、そういえば丸毛は一つ思い出す。
「そうだ、君達正碁王大受かったんだってね。おめでとう」
「あっ!」
丸毛の激励に、斎藤も思い出したように体を弾かせた。
「ありがとうございます! すみません報告が遅くなりまして」
「いやいいよいいよ」
斎藤の焦ったように下がった頭に、丸毛は何でもないようにそれを止める。
「しかし君達すごいね。あの難関私立大学に揃って合格しちゃうなんて」
「いえいえ、先生達のおかげです」
「私は何もしてないさ。君達の努力の賜物だよ。関係ないけど、私も鼻が高いってものさ! ハッハッハ!」
丸毛は大分背中を仰け反って、高らかに笑い出した。
隣を歩く斎藤はどう対応して良いか解らず、取り敢えず丸毛を見守っている。
瞬間、斎藤の耳にも届く程にゴキッ!と鈍い音がした。
「がはっ!」
「先生!?」
同時に聞こえた呻き声に、斎藤はすかさず手を差し伸べる。
「大丈夫ですか!?」
「あっ、あぁ、大丈夫だ……。ちょっとパーツが……」
「パーツって……」
「ありがとう」
丸毛は音の発信源である背中を抑え、よろよろと斎藤に体を預けていた。
その見た目はどう見ても大丈夫ではない。
痛みが引いたのか、丸毛は斎藤から離れると先程よりも重い足取りで廊下を歩き出した。
そんな丸毛を、斎藤は不安げに見つめる。
その姿はどこからどう見ても腰の悪い老人だ。
「……しかし、本当に分かりませんよね。先生が七不思議だなんて」
「ん?」
丸毛が振り返って、斎藤に目を向ける。
「うむ、まぁ分からないようにしているからな」
そう言うと老人独特の心安らぐ笑みを浮かべた。
先日カミングアウトされた事実がありながらも、その姿はとても動く人体模型には見えない。
白衣に隠されたチャックがなければ、あの日すら夢と思える程だ。
「あっ」
丸毛はそう顔を歪めると、斎藤の耳先まで顔を近付ける。
「君に限って大丈夫だとは思うが、私の素性は誰にも言わないでくれよ」
「いっ、言いませんよ!」
耳元で囁かれた忠告に、斎藤は大きな声で首を振る。
その反応に丸毛も安心したようだ。
「ありがとう、私の素性がバレたら、もう教師として生活できなくなってしまうからね」
丸毛が目を閉じ、教師としての日々を思い出している間、斎藤の目の端には見慣れた人影が見えた。
その人影が斎藤の次に丸毛を見つけると、その口が厭らしく吊り上がる。
すると人影は大きく息を吸い込んで、廊下の端からその名を叫んだ。
「もけじぃー!」
「タタラ君!」
――早っ!
多々羅の大声をキャッチした丸毛は、まるで瞬間移動の様に多々羅のもとに着いた。
つい先程まで腰を痛めていた老人とは、とても思えない。
丸毛はというと、教師らしく多々羅に説教を食らわしている。
「廊下でそんな大声で叫んじゃダメでしょ!」
「もけじーだって今大声で叫んでんじゃ」
「何ですかその言い方は! 先生の事はちゃんと丸毛先生と」
「あぁ!? お前先生である以前に七不思」
「あーあーあー!」
小学生の様なやり取りに、周囲からの視線が集まってきた。
察知した丸毛は多々羅を自分の顔に近付けると、コソコソと囁いて伝える。
「学校の時はその呼び方やめてくれって言ってるでしょ!」
「んな事言ったって、もうもけじーで慣れてんだから今更呼び方返らんねーよ」
「もう三年経つでしょうが! どんだけ慣れないの!」
どうやらこのやり取りは、三年間継続していたらしい。
卒業までに治る事の無さそうな多々羅に、丸毛は諦めて溜息を吐いた。
そこに新たな刺客が現れる。
「もけじぃー!」
「ノラ君!」
次にやって来たのは金髪の一年坊、乃良だ。
またもや瞬間移動を駆使して乃良のもとまで急いだ丸毛は、取り急ぎ詰問に走った。
「ちょっとノラ君までどうしたの!?」
「よっすもけじー!」
「その呼び方やめなさい! 大体ここ三年生の校舎でしょ!? なんで一年生のノラ君がここにいるの!」
「ん? なんか面白そうな事やってるような気がして」
「ここで野性の勘働かせないで!」
乃良まで現れて、丸毛の体力はみるみるうちに削られていた。
人体模型にも息切れは起こるらしく、その呼吸は酷く苦しそうである。
「もうやめてくれよ。タタラ君でさえ大変なのに、ノラ君までそんな調子だったら私壊れちゃうよ」
「もけじーって壊れたらどうなるんだ?」
「内臓とか弾け飛ぶんかな?」
「面白そう! やってみようぜ!」
「やめなさい!」
何を言っても丸毛にとってプラスな事は無いらしい。
「大丈夫ですか?」
立ち眩みそうな程疲弊した丸毛に、斎藤が心配するように歩み寄った。
その姿はさながら、祖父を気遣う孫である。
「あっ、あぁ、大丈夫だ……」
斎藤の補助もあって、丸毛はなんとか持ち堪えようと今度は深呼吸する。
そこに、第三の砦が一人、
「あっ♡」
と嬉しそうに笑った。
少女は目標を定めると、意を決してこちらに手を振った。
「もけじぃー!」
「石神君!?」
飛び込んできた最終兵器に、丸毛は振り返ってただただ驚愕していた。
視線の先にいる千尋は、とても屈託のない素敵な笑顔である。
あまりの衝撃に身動きの取れなかった丸毛だが、我に返るとお得意の瞬間移動で千尋のもとへ向かった。
「ちょっと石神君なにしてるの!?」
「えへへ、お久し振りです!」
「状況分かってる!? 今私あそこにいる問題児二人で手一杯なの! これ以上私の手を煩わせないで!」
「いやっ、あのっ」
「大体石神君別にもけじー呼び定着してないでしょ!? 無理にその呼び方で呼ばなくていいから! お願いだから丸毛先生って呼んで! もけじーって呼ばないで!」
溜まった鬱憤を一緒に晴らすように、丸毛は全てをぶちまけた。
肩の力を借りて呼吸をしていると、ふと気付く。
言っている最中はそちらに夢中で気付かなかったが、気付けば千尋の表情は変わっていた。
今までの笑顔は霧散し、瞳は今にも涙を溢しそうである。
「……私がもけじーって呼んだらダメですか?」
「!」
先程とは一転、目の前の涙ぐむ少女に丸毛は狼狽えた。
「いやっ、そのー……学校とか、皆のいる前では言わないでって意味であって」
「私も……、乃良や多々羅先輩みたいに、先生と仲良くなりたくて……」
「うっ、うん! なろう! 仲良くなろう! いつでもどこでももけじーと呼んでくれたまえ! だから泣かないで!」
「うーわっ、もけじー女の子泣かせたー」
「教師が女子高生泣かせるって、これヤバいんじゃない?」
「君達はちょっと黙ってなさい!」
千尋に必死で弁明する丸毛に、それを冷やかす多々羅と乃良。
遠巻きに通りすがっていく生徒の目には、勿論不思議や怪訝がふんだんに込められていた。
その現場を当事者として眺める斎藤。
――……なんで分かんなかったんだろう。
目の前で繰り広げられる惨劇に、斎藤は数分前の自分の発言を撤回しながら、そう嘆いていた。
もけじーはいつだっけ危機一髪!
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
折角登場した六番目の七不思議ですから、丸毛をテーマに一話書こうと思いました。
さてどんな話を書こうかと悩んだ結果、他の七不思議メンバーと絡ませようと。
その時浮かんだのが丸毛の呼び方問題。
いやこの案自体は、恐らくもけじーというキャラクターが生まれた時点で考えてたんだと思います。
千尋の件とかも書きたかったシーンの一つなので、スムーズに想像力が働きました。
名前の呼び方って難しいですよね。
僕も場所によってあだ名で呼んだり、逆にあだ名で呼ばれたりと上手くやりくりしてました。
そういや先生もあだ名で呼んだりしてましたww
ごめんもけじーww 頑張れもけじー!
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!