【125不思議】Put a run up
仄暗い部屋の中。
明かりは勉強机に備え付けられた簡易なライトと、月光がベッドを薄く照らしているくらい。
時刻は十一時過ぎ。
深夜まで椅子に座っていたのは斎藤だった。
机に広がるのはノートと参考書、筆記用具。
斎藤は参考書の問題を解釈しては、ノートに答えを解き明かしていた。
机の隅には小さなカレンダーが一つ。
今日までの日付にはバツが打ってあり、明日の日付には大々的に赤い丸が記されている。
そう、明日は――。
●○●○●○●
「いよいよ明日だな」
遡る事数時間前。
楠岡が久しく部室に顔を揃える斎藤と西園に、そう声をかけていた。
「まぁお前達に関していえば心配してない。落ち着いて、リラックスして挑めば問題ないだろ。とにかく今日は早めに寝て、明日に備える事だな」
「はい」
先生からの激励に、斎藤が意を新たに相槌した。
問題なさそうな二人に、楠岡は席を立つ。
「あっ、でも余裕綽々で受験に行って当日ボロボロで帰ってきたヤツなんてクソ程見てきたから気を付けて」
「何でそんな事言うんですか!?」
「じゃあ頑張れよー」
案の定不安に駆られる斎藤に、楠岡は口角を吊り上げた。
煽るだけ煽って、楠岡は部室のドアを開ける。
散々嵐に振り回された斎藤は、耐え切れずに部室に重い溜息を吐き出した。
「……しかし、本当にいよいよですね」
楠岡を見送って、博士が声をかける。
そう、何を隠そう、明日は斎藤と西園の志望する大学の受験日だ。
正碁王大学。
この地区では一、二を争う難関私立大学で、毎年約半数の受験生が泥水を啜る結果になる。
そんな地獄に、斎藤と西園は明日飛び立つのだ。
もっとも、二人の成績は十分大学の合格ラインに達しているのだが。
「うん」
博士の声に、斎藤が強く頷く。
「ここまで頑張って来たんだ。不思議とそこまで緊張してないよ」
臆病者の斎藤らしくない、鮮明な言葉だった。
しかし博士の視線は、訝しげに斎藤を見つめている。
「……めちゃくちゃ震えてますけど」
「えぇ!?」
言葉と反して、斎藤は客観的に見ても分かる程体が異常に震えていた。
当の本人は気付いていなかったようで、博士に言われてようやく自分の体を確認している。
「武者震いだよね?」
「えっ!?」
隣の西園から多少強引なフォローが舞い込んできて、斎藤も混乱する。
「そっ、そう! 武者震い!」
「落ち武者じゃないっすか」
「落ちるとか言わないで!」
受験生への禁句を耳にしてしまい、斎藤は更に激しく動揺する。
この調子では明日もかなり心配だ。
最早自分で体の制御が出来なくなっていた斎藤に、一つの声が飛び込んでくる。
「大丈夫ですよ先輩!」
斎藤と西園は、声のした方へ目を向ける。
そこには燦々とした笑顔の千尋が、こちらを向いて立っていた。
「はい!」
「?」
そう言って、千尋は二人にそれぞれ手渡した。
よく意図が分からないまま二人は受け取り、その正体を確かめる。
見た目はどこかの神社で売ってそうなものだった。
「……これは?」
「お守りです!」
斎藤の質問に、千尋がそう断言する。
ただ神社で売っているようなものではなく、文字やところどころの刺繍に愛情が見える。
「……もしかして、これ千尋ちゃんの手作り?」
「はい!」
西園の質問にも、千尋は大きく頷いた。
「本当は山に三年間籠って、そのお守りに神を宿したかったんですけど」
「俺らの受験も終わってんじゃねぇか」
千尋の本気で悔しがる表情に、博士が冷静に口を挟む。
その表情やお守りから、千尋の気持ちが滝の様に溢れ出ていた。
「……ありがと、明日持ってくね」
「はい!」
「ほんとにありがと」
先輩二人からの感謝に、千尋も幸せそうな笑顔を浮かべた。
大事そうに斎藤がお守りを持っていると、ふと不可思議な感触が手の腹に当たる。
「……石神さん、これ中に何か入ってる?」
斎藤がそう訊くと、千尋は笑顔を厭らしい方向に切り替えた。
さながら「よく気付きましたね」と言いたげである。
千尋はにへらな笑顔のまま、その質問の答え合わせをした。
「小豆です」
「何で!?」
予想外の内容物に、斎藤が声を上げる。
「何で!? 何で小豆!?」
「知らないんですか? 小豆には魔除けの効果があるんですよ?」
「うんだから何で!? 魔除け関係無くない!?」
折角貰ったお守りだったが、その中に隠された小さな豆達に、斎藤は疑問が止まらない。
「おい千尋! そんなんじゃダメだろ!」
すると奥の方から大きな声が聞こえてきた。
声の主である多々羅は、畳スペースから立ち上がってこちらに歩いてくる。
その姿に千尋は顔を顰めていた。
「そんなんって何ですかそんなんって! 私昨日一晩中頑張って作ったんですよ!?」
「気持ちじゃどうにもならない時もあるだろって言ってんだ」
多々羅は二人とはす向かいのところまで来ると、ポケットから取り出したそれを机に置いた。
それは二枚の紙。
幾重に折られていた紙だったが、裏に書かれていた夥しい量の文字が微かに透けている。
「……これ」
「とっとと受け取れ」
多々羅に催促され、二人は黙って受け取った。
気持ちじゃどうにもならないとか言って、手紙とは多々羅らしくない、粋な事をしてくるではないか。
斎藤は自然に笑みを零して、その紙を開いた。
「昨日夜なべして作ったカンニングペーパーだ」
「ふざけるな!」
斎藤は数式や語呂合わせなど大量に敷き詰められた紙を、力強く机に叩きつけた。
「おい! 俺が頑張って作ったカンニングペーパーに何してんだよ!」
「頑張って作んないでよカンニングペーパーなんて! 僕達今まで頑張ってきたの! カンニングなんてしないから!」
「いいか!? このカンニングペーパーを制服の胸ポケットに忍ばせとくんだ!」
「だからしないから!」
「あとはどうにか頑張って、試験官にバレないようにカンニングペーパーを取り出して答え写せ!」
「大事なとこガバガバじゃんか!」
多々羅の想いの籠った手紙かと思いきや、やはり多々羅はどこまでも多々羅だった。
こんな凄惨な景色にも関わらず、西園は笑顔でその景色を見守っている。
堪らず息を吐いたのは乃良だった。
「……まぁとにかく、全員先輩達の事応援してるって気持ちは一緒なんで」
二人を落ち着かせようと、乃良が口を開く。
「そうだぞ! 少しは有り難がれ!」
「ちょっとタタラ黙って!」
未だ暴走する多々羅を何とか制して、乃良が台詞の続きを綴る。
「……明日、頑張ってくださいね!」
先輩を想う後輩の姿。
それだけでも少し、斎藤の涙腺は刺激されていた。
斎藤は何とか持ち堪えて、西園と一緒に力いっぱい頷いた。
「「うん」」
●○●○●○●
手元に置かれていた千尋お手製のお守りに、思わず斎藤は笑みが零れる。
ふと時計に目を移すと、もう少しで針は十二時を回ろうとしていた。
「あっ、もうこんな時間」
流石にこれ以上は明日の本番に支障を来すだろう。
楠岡の言葉通り、斎藤は明日に備えて眠ろうと机のライトを消した。
泣いても笑っても明日で終わり。
斎藤は難しい事を考える事無く、ベッドに潜り込んだ。
ちなみに多々羅から貰ったカンニングペーパーは、家に着いたと同時にゴミ箱に詰められた。
●○●○●○●
翌朝、斎藤は受験会場である大学までを歩いていた。
昨日の夜は思ったよりもぐっすり眠る事が出来た。
やはり昨日博士に伝えた通り、そこまで緊張はしていないらしい。
――僕なら大丈夫、僕なら大丈夫、僕なら大丈夫、僕なら大丈夫僕なら大丈夫僕奈良。
とは言いつつも、頭の中はそれの無限ループだ。
他事を考えていると道のりは短く感じるもので、目的地の正碁王大学はもう目と鼻の先だった。
数多くの受験者が吸い込まれる正門まで、斎藤も吸い寄せられる。
「おーい!」
聞き覚えのある声が聞こえて、斎藤は呪文を唱えるのをやめた。
顔を上げると、そこにはこちらに手を振っている西園の姿があった。
「西園さん!」
斎藤は顔を明るくして、西園のもとまで駆け足で近寄った。
「おはよ、斎藤君」
「おはよ! いやー良かったよ! さっきから知らない人ばっかりで窮屈でさー」
斎藤は日常会話の様にそう話してくる。
しかし西園には、それが緊張を隠す上辺だけの様な会話に感じた。
斎藤の既に疲弊したような顔に、西園は口を開けようとする。
「大丈夫! 僕達なら大丈夫だよ!」
西園の言葉を遮って、斎藤はそう言い放った。
突然の声に西園は固まってしまい、ただ斎藤の事を見つめている。
ただすぐにいつもの西園に戻ると、なんて事ない笑顔で頷いてみせた。
「うん、そうだね」
その笑顔が、また斎藤を強くする。
僕達は一人じゃない。
そう思える気持ちだけで、この受験を乗り切れそうな気すらした。
「行こっか」
「うん」
こうして二人は歩き出す。
何が起こるか解らない、未知な受験生の戦場へと。
そして、試験が始まった。
二人の未来が動き出す。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
いつかはやると決まっていましたが、とうとうここまで来てしまいました。
斎藤と西園の受験回。
今回はその前日譚、そして当日の直前を書きました。
僕は大学には進学せず専門学校だったので、大学受験という道は進まなかったのですが、高校が自称進学校だったので、受験戦争に挑んだ友人はたくさん見てます。
斎藤と西園はそんな友人達を参考に、という訳ではないですw
この二人、余裕ぶっこいてますからね。
どちらかといえば願書出して終わった僕の方が、この二人に近いかもしれません。
さて、こうして始まった二人の受験。
その結果とは……、次回に続きます。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!