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【119不思議】シェフは気まぐれ

 水曜日の早朝。

 それはまだ空が暗色で、雀の泣き声も聞こえてこない程の時間。

 代わりに聞こえてきたのは、早朝の眠気を吹き飛ばすようなポニーテールの鼻歌だった。

「フンフフンッフンフフフフフフンッ、フンフフンフンフフフフフフンッ」

 後ろのBGMには鍋を煮込む音。

 千尋はお玉で鍋の白いスープを回しており、中からは芳醇な香りが漂う。

「フンフフンッフンフフフフフフンッ、フンフフンフンフフフフフフンッ」

 少しお玉でスープを掬えば、湯気がフワフワと宙を舞っている。

「ワン、モアタイム」

 うろ覚えの歌詞の後にフーフーと息を吹くと、その熱が冷え切らないうちに口の中へと注いだ。

 すると千尋は、堪らず笑顔が零れる。

 思い浮かぶは友人の顔。

 その友達は驚く程の無表情だが、千尋の料理を食べる時はいつも美味しそうに食べてくれる。

「ワンモアタイム、フフフンフフンッフフンッフゥンフフフンッ」

 と、千尋はまた鍋を混ぜていく。

 友達の幸せそうな顔を想像しながら。


●○●○●○●


「寒っ!」

 午前の授業が終了し、校舎に昼休みが訪れた。

 今日も今日とて冬真っ盛りで、中庭には何人も生徒が見えたが、その姿はどれも厚着だ。

 時折吹く北風が、生徒達の体温を容赦なく奪う。

 そのダメージを誰よりも脆に受けていたのが、乃良だった。

「ったく、そんなに寒いなら中で食えばいいのに」

 隣で死にそうになりながら焼きそばパンを食べる乃良に、博士が北風の様に呟く。

 乃良はその一言を逃さず、こちらに声を飛ばしてきた。

「バカ野郎! 寒いって震えながら食うのがいいんだろうが!」

「おい! こっち向くな! 焼きそば飛んでくる!」

 声と一緒に飛んできた焼きそばを、博士が汚物を見る様な目で払っている。

 そこにまたひゅるりと風が吹いた。

 少しばかり昂っていた乃良の熱はまた冷やされてしまい、乃良は蹲ってテーブルに倒れ込む。

「……とは言っても、やっぱ寒いなぁ。なんかせめて温かい食べ物でもありゃいいんだけど」

「バーカ、弁当なんだからそんなのある訳」

 博士の言いかけた言葉は、口をあんぐりとさせて止まった。

 隣の乃良も一緒で、二人とも目の前に見えた俄かには信じ難い情景に目を奪われている。

 それはごく普通の事。

 勿体ぶるような素振りも無く、千尋がスープを飲んでいる。

 ただ、それだけだった。

「ちょっ、ちょっとちひろん!」

 突然名前を呼ばれ、千尋が容器に付けていた口を外す。

「ん?」

「なっ、何それ!? その温かそうなの!」

 乃良は震えからか、標準が定まっていない指を容器に向けた。

 何とか指の差しているものを推測すると、千尋はそれを少し高い位置に上げる。

「これ?」

「それ!」

 興味津々な乃良に、千尋は至って平然だった。

「これはスープだよ。クラムチャウダー」

「クラムチャウダー!?」

 当然の様に返ってきた返答に、乃良はまだ信じられない様子だ。

「どっ、どういう事!? 温かいの!?」

「うん、保温用の容器だからね。これ結構最近使ってる人多いと思うんだけど、知らない? なんかネアンデルタール人みたいだね」

「ネアンデルタール人!?」

 千尋から突飛な暴言が飛び込んできて、乃良の脳内は更に困惑する。

 隣で聞いていた博士も、保温容器には初めて遭遇したらしい。

「俺も知らなかった。そんなの初めて見た」

 と、再び言いかけの途中で言葉が詰まる。

 また見てしまったのだ。

 今度は千尋と色違いの保温容器を手にしてスープを飲んでいる、花子の姿を。

「「えぇぇぇ!?」」

 割と大きな二人の反応に、花子はマイペースにスープを飲み続ける。

「花子ちゃん美味しい?」

「うん」

「そっか! 良かったー!」

「ちょ、ちょっと!」

 あっさりと流されそうだったので、乃良が二人の腕を掴む勢いで呼び止めた。

「何で花子も持ってんの!? 俺らやっぱりネアンデルタール人!?」

「いやこれは私のだけど。私が花子ちゃん分のスープ持ってきたの」

「えぇ!?」

 再三乃良は驚き、もう一日分の驚きをここで浪費している様だ。

「それちひろんが作ったの!? ずるい! なんで花子にはちゃんと用意して俺らには何も用意してないんだよ! 俺らにも食わせろ!」

 乃良はテーブルに手を置き、身を乗り出す。

 近付いた乃良の体に、千尋は反射的に仰け反った。

「いや、何でアンタ達の分まで用意しなきゃなんないの。人数分の弁当箱用意して持って帰って洗ってってメンドくさいでしょ」

 千尋の目は細くなっており、乃良に鋭い視線を送る。

 それだけでは乃良はへこたれず、更に身を乗り出して交渉に出る。

 その表情は酷く厭らしかった。

「なぁ、良いじゃねぇかよぉ。ちょっとだけぇ、ちょっとだけでいいからぁ」

「なんか気持ち悪い! 分かった! 分かったから! ほら! 一口あげるから!」

 乃良にとてつもない不快感を覚え、千尋は慌てて自分の容器とスプーンを渡す。

 目の前にやってきたクリーミーな香りに、乃良は先程の下卑た顔から賢者の様な顔にすり替わった。

 スプーンで掬い、無垢なスープを大きな口で頬張る。

「熱っ!」

「何やってんの!?」

 舌が焼かれる様な衝撃に、乃良の顔はのた打ち回る。

 それでもその優しい味は、確かに乃良の舌へと伝わっていた。

「……んぅうめぇ! やっぱ美味ぇなちひろんの料理は!」

「えへへ、そりゃどうも」

 口では何ともないように言っているが、その表情は隠し切れていない。

 乃良は二口目をよそいながら、千尋に話をかける。

「何でちひろんってそんな料理上手いんだ?」

「んー、何でって言われても、子供の頃からお母さんの手伝いとかよくしてたからかなぁ。お母さんがいない日とかは、弟の分まで私が作ってたりしたし」

 女の子は、いつだって母親の姿に憧れるものだ。

 キッチンで家族全員分の料理を拵える母親の姿は、まさしく千尋の憧れだった。

 料理の時はいつも母親の傍にいて、手伝えるものは全て手伝った。

 そういう幼い日の経験が、今の自分を作っていると思っている。

「どうやったら料理上手くなるんだ!?」

「え?」

 美味しそうにスープを頬張る乃良にそう訊かれ、ふと思考が停止する。

「ほら、料理が上手くなるコツっていうか、そういうの無いの!?」

 その答えは、案外簡単に見つかった。

「……あるよ」

「マジで!? 教えてよ!」

 目を爛々と輝かせた乃良は、千尋の答えを待ち望む。

 千尋は口角をクイッと吊り上げると、その答えを迷いなく明言した。

「それは……、愛!」

「……愛?」

 思っていた答えとは全く違う回答に、乃良の思考は宇宙状態に陥る。

「そう、愛。料理に一番大事なのは、その料理を食べた相手がどれだけ幸せそうな表情をするか想像する事! 愛こそが、料理で最も重要なスパイスなの!」

 千尋は指を立てて、空に言い放つ様に演説した。

 訊いた本人である乃良は、頷きながらも心ここに有らずといった様子。

 そこに異議を唱えたのは別の相手だった。

「んな訳あるか」

 耳に入ってきた反論に、千尋はすぐさま目を向ける。

 相手は勿論博士だった。

「愛で味が変わる? んな事あって堪るか。料理の味を決めるのは食材と調味料だ」

 いつも通り理屈を並べていく博士に、千尋の血が上っていく。

「変わるもん! 嫌いな人の為に作った料理より、好きな人の為に作った料理の方が美味しいもん! ハカセだって、見ず知らずの人のカレーより、お母さんのカレーの方が好きでしょ!?」

「それは舌が慣れてるからってだけだろ」

「いや、俺は違うと思うぜハカセ。だってこのクラムチャウダーめちゃくちゃ美味ぇもん」

「アンタはいつまで食べてんの! 一口だけって言ったでしょ!」

 奪われていた容器にようやく気付いて、千尋が乃良から引き剥がす。

 随分と空になっていた中身に嘆きながらも、千尋は二人を睨んだ。

「……二人とも、絶対下手くそでしょ」

「「いやこいつよりマシ」」

 まるで打ち合わせ通りの様な揃い方。

 二人はお互い何と言ったか解らなくなったように、目を見合わせる。

 段々と相手の言った事が信じられずに、二人は激昂していった。

「はぁ!? 何で俺がお前より料理下手くそなんだよ! お前調理実習の時、もう魚焼けてんのに『まだ生だ』とか言って、結局黒焦げになってたじゃねぇか!」

「そんなのまだ可愛い方だろ! ハカセなんか調味料の『適量』の意味が分かんなくて本当に適当にやってたら、筑前煮が砂糖味になってたじゃんか!」

「どっちもどっちだ!」

 どんぐりの背比べの様な言い争いに、千尋が何とか割って入る。

 何とか論争の収まった二人だったが、博士の矛先が今度は別の方向へと向く。

「まぁあいつよりは断然マシだけどな」

 あいつとは、無表情な花子の事だった。

「いや! 花子ちゃんはハカセよりも断然料理上手いよ!」

「はぁ?」

 花子を擁護する形で入ってきた千尋に、博士は容赦なく顔を顰める。

「だって花子ちゃんには愛があるもん! 相手の事を想いながら料理を作る花子ちゃんは、ハカセなんかより百二十倍上手いね!」

 大きな胸を張りながら断言する千尋を博士は睨む。

 なかなか折れる事の無さそうな博士に、千尋はふと口を開いた。

「分かった。じゃあ次の水曜日。お弁当作ってきてあげる」

「!」

 それに大きく反応したのは博士ではなく乃良である。

「別に弁当なんていらねぇんだけど」

「それでハカセに美味しいって言わせて、料理は愛が大事って事認めさせてやる!」

「……いいよ、分かった」

 千尋からの宣戦布告に、博士は真正面から受けて立った。

 千尋は冬にも勝る情熱をメラメラと燃やしていた。

「はい! 俺も! 俺もちひろんの料理食べたい!」

「見てろよハカセ! 絶対にその減らず口から美味しいって言わせてやる!」

 それからも乃良の声が千尋に聞こえる事は無かった。


●○●○●○●


 そして、翌週――。

 先週よりも寒く感じる水曜日の中庭に、いつも通りオカ研一年組の姿はあった。

 しかし、どうやら様子がおかしいようだ。

「「………」」

 目の前の景色に、博士と覗き込む乃良が言葉を探している様である。

 前の席に座る千尋は、体をモジモジと捻りながら言い難そうに言葉を紡いでいった。

「いやっ、そのぅ……、絶対美味いって言わせてやるって作ったんだけど……、なんか、素直に美味しいって言わなそうだなとか、何かと難癖つけて文句言ってきそうだなって思って……、そしたらなんか、段々イライラしてきて、気付いたらぁ……これに」

 博士の目の前に置かれたのは、今朝千尋の作った弁当。

 そこには得体の知れない物質が犇めいており、黒い煙が立ち上っている。

 一体何が詰まっているのか分からなかったが、ただ食べられるものでは無いという事だけは確かだった。

「……俺、今日弁当持ってきてないんだけど」

「ほんとごめんなさい!」

 千尋は誠心誠意を込めて頭を下げる。

 それも視界に入らない程、一同は虚無の世界に呑み込まれていた。

 思惑からは大分外れたが、料理って愛が大事なんだなと納得させられてしまった博士だった。

 ※この後お弁当は、皆で仲良く美味しくいただきました。

愛は最高の隠し味。

ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!


この話の原案、実は随分前に完全ボツになったネタなんです。

その時の後書きにもちょろっと書いたと思うんですけど。

この話自体はすごく気に入っていたので、いつかまたこの話は書きたいなとずっと機会を窺っていました。

そしてとうとう実現したのです!


きっかけは一年組の昼休みを書きたいと思ってから。

そこから千尋の弁当にフィーチャーして書く事になって、当初はそこから探り探りの不確かな状態で書いていました。

しかし書いてみると、どんどん面白い展開に。

オチも綺麗だし、サブタイトルも気に入ったし、自分の中でもお気に入りな回になりました。

今回完全に書き直すにあたって、またパワーアップできたかなと思います!


それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!

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