【110不思議】ゆく年
時間帯は深夜に差し掛かり、窓に映る空も何もかもを呑み込みそうな真っ黒に染まっている。
普段なら消灯する住宅も多いが、今日は何故かどこも明かりが付いていた。
箒屋宅もその一つだ。
いつもならベッドに潜っている博士も、寝間着姿でリビングに腰を下ろしている。
勿論、目の前には参考書やノートが開かれていたが。
リビングに置かれたテレビには電源が入っており、落ち着きながらもどこか心躍らせる声が聞こえてきた。
「あっ! 次雅治だ!」
そう声を上げたのは、博士の隣でテレビに夢中だった理子。
テレビに映っているのは、年末恒例の紅白歌合戦。
そう、今日の日付は十二月三十一日、大晦日だった。
箒屋宅では毎年、大晦日のチャンネルはNHKだと決まっている。
するとリビングの奥から声が漏れてきた。
「そっか、うん。それじゃあ明日ね」
電話を切ってリビングに戻ってきたのは二人の母親、麻理香。
どうやら電話の相手は父親だったようだ。
「お父さん、寂しそうだったよ。明日には帰ってこれるみたいだったから」
「ねぇ雅治! 雅治! 次雅治だよ!」
「えっ!? ほんと!? キャー! 雅治ー!」
「やっぱカッコいい雅治ー!」
――下の名前で呼ぶなよ。
父親の事なんて綺麗さっぱり忘れたように、二人は画面の雅治に食いついている。
父親への憐みは声には出さず、博士は二人の黄色い歓声をBGMにして勉学に勤しんだ。
●○●○●○●
時は同じく、逢魔ヶ刻高校――。
真っ暗の校舎の中、お化けでも出そうな雰囲気のその場所に、何故か一部屋だけ明かりが灯っていた。
オカルト研究部部室だ。
「ギャハハハハハハ!」
「アッハハハハ! ヒー! ヒィーッ!」
部室からは『デデーン、浜田OUTー』という不穏な音楽と共に、激しい高笑いが聞こえてきた。
畳スペースには奥深くに眠っていた箱型テレビが設置され、年末の特番を放送している。
そこでのた打ち回るのは、多々羅と乃良だった。
「やばいやばいやばい! 腹痛い……、死ぬ……!」
「浜ちゃん……、ダメ……、ダ……アハハハハハ!」
大分壺に入ったようで、二人はこたつの中で腹を抱えている。
これは収まった後も、思い出し笑いするパターンだ。
二人が血眼になって取り憑くテレビの画面に、花子も傍でじっと見つめていた。
しかし、花子の表情は変わらない。
多々羅や乃良の様にゲラゲラ笑う事なく、「プッ」と思わず吹いてしまう事も無かった。
笑ってはいけない二十四時間など、花子にとっては普段の日常とそう大差ないのかもしれない。
ただじっと、バラエティの行く末を観察しているだけである。
すると花子は徐にこたつから足を出した。
畳スペースから出て上履きを履いたところで、笑いの呪縛から解放された乃良が気付く。
「お? どした? トイレか? じゃあまた来年なー」
花子の場合、トイレに行く事は帰宅を意味する。
後ろから飛んできた乃良の声に、花子は振り返らずに答えた。
「……ハカセに会いに行く」
「はぁ?」
それは予想外の回答だった。
「会いに行くって、もうすぐ新年だぞ? こんな夜更けに危ねぇって!」
乃良の言い分はもっともだ。
それは、花子にも分かっているようだった。
「うん、でも……会いたい」
花子はそう言葉を残して、結局振り返らないまま部室の外へと出てしまった。
一瞬腰の上がった乃良だったが、一つ溜息を落として畳に残る。
隣の多々羅は花子がいなくなった事に気付いていないくらい、テレビに釘付けだった。
しばらく考えて、乃良はスマホを手に取る。
流石の彼でも、年末くらいは夜深くまで起きているだろうと推測して。
●○●○●○●
新年まで、残り三十分を切った。
歌番組もいよいよ待ちに待ったトリ達の出番が回ってきて、今年を締めくくろうとしている。
それだというのに、博士はまだ勉強の手を止める事は無かった。
隣の理子は、すっかり夢の中に落ちている。
「あの女……。お兄ちゃんは……、私が……」
内容はよく解らなかったが、寝言を零すくらい熟睡してしまっているようだ。
本来受験生である理子こそ勉強をしなければいけないと思うが、今更この寝顔を崩す事など博士には出来なかった。
「博士ー」
リビングから離れた調理場から、麻理香の声が聞こえてくる。
「もう年越し蕎麦茹でてもいいー?」
「あー」
博士は適当に返事を返して、再度ペンを走らせた。
その時、唐突に手元に置いていたスマホが激しくバイブする。
一体こんな夜更けに誰がと苛立ちながら名前を確認すると、その苛立ちは更に上った。
『よーハカセー! まだ起きてたかー!』
スマホの向こうから、陽気な乃良の声が聞こえる。
「……何の用だよ」
『えへへー、ちょっとなー!』
向こうの乃良のおどけた表情が容易に想像できて、博士はスマホを握る力を強くした。
年の最後に一体何だと、左指がトントンと苛立ちを募らせる。
『今花子がそっち行ったから、よろしくなー!』
「…………は?」
どういう意味か解らず、思わず訊き返す。
「ちょっと待って! 花子がこっち来てるって!?」
『だからそう言ってるだろー』
「こんな夜更けに!?」
『心配だよなー』
「つーかそもそもあいつ俺ん家分かんのかよ!」
『あーどうだろ。全然考えてなかった』
どれだけ声を荒げても、電話越しの答えはあっけらかんとしていた。
「あーもう! 何で止めなかったんだよ!」
『だって止める間もなく行っちまったんだもん』
その態度に、反省の意は感じられない。
博士の頭がこんがらがっているうちに、乃良が畳み込んでくる。
『とにかく、後はそっちに任せたから。んじゃ、よいお年を! あっ、ちょっ、松ちゃん! まっ、アハハハハハ!』
高らかな笑いと共に、電話はプツリと切れた。
結局こっちに全て丸投げされてしまった。
取り敢えず年明けにでも乃良に会ったら一発殴る予定を企て、問題は今の状況だ。
乃良の話では、花子がこっちに来ている事は確実らしい。
とてもじゃないが、こんな真夜中に花子が一人でここまで来られるとは到底思えない。
「……ちっ」
博士は舌打ちをして、掛けてあった上着を寝間着の上に羽織った。
「ごめん母さん、ちょっと出てくる」
「えっ、今から?」
「うん」
「蕎麦伸びちゃうよ?」
「ごめん、帰ってきてから食べるから!」
麻理香に言葉を吐き捨てると、博士は急いで玄関のドアを開けた。
●○●○●○●
大晦日の夜は、エアコンの効いたリビングとは比べ物にならないくらい寒かった。
流石大晦日、どこの家もまだ明かりが消える事は無い。
博士は乱れそうなマフラーを手で押さえ、今年最後の街を走っていく。
思えば今年色々な事があった。
晴れて高校生になり、オカルト研究部に不本意ながら入部させられ、非科学的な存在と出逢った。
花子もその一人だ。
花子は世間知らずで、マイペースで、幽霊で、その上出逢った初日に人生初の告白までされてしまった。
今だって、花子に振り回されている。
それから林間学校に行った。
遊園地に行った。
夏には部活で合宿をして、海にも行った。
秋には文化祭、そして乃良の正体も知った。
そして、冬。
幽霊とクリスマスデートをする事になるなんて、昨年の今頃は夢にも思わなかった筈だ。
こうして思い返すと、激動の一年だった。
本当、散々な思い出ばかりである。
「!」
白い息の上がっていた博士の足が止まる。
目の前から、探していた人影が見つかったからだ。
「ハカセ」
花子は待望の博士を見て、目を開けていた。
家を出て学校に向かって真っ直ぐ走っていたので、道自体は迷っていなかったようだ。
博士は一先ず呼吸を整える。
「……お前、こんな夜遅くに会いに来んな。迷惑だっつーの」
最初に出たのは、花子への説教だった。
早々博士に叱られ、花子は視線を下げて俯く。
「……ごめん」
謝られてはそれ以上何も言う事が出来ず、博士のやり場のない怒りは溜息となって吐き出された。
「……送ってくから」
そう言って、博士は花子の横を通り過ぎる。
花子も振り返って、博士の後をついていこうとした、その時だった。
ゴーン、
と、鈍い音が街に響き渡る。
二人も思わず音のした方に目を向けたが、そこにはただ街のいつもの景色が映るだけ。
「……あぁ」
ようやく何事か気付いて、博士はスマホを確認する。
「何、今の?」
花子は何も分からないように、首を傾げていた。
「除夜の鐘だよ」
スマホのデジタル時計は既に零時を回っている。
花子を探して走り回っている間に、もうそんな時間になってしまったようだ。
「除夜の鐘って?」
いつもの様に無知な花子は絶えずそう訊いてくる。
そんな事にも、この一年ですっかり慣れてしまった。
「……一年が終わって、また新しい一年がやってきたって事」
「?」
博士の説明にも、まだ花子はピンと来ていなかった。
いつだってそうだ。
こちらがどれだけ頑張っても、花子は想像の斜め上の突飛な行動をして苦しめてくる。
きっと来年、否今年だってそうだろう。
それでも――。
博士は花子に向き直り、改めて口にした。
「あけましておめでと、今年もよろしく」
機械の様に吐かれたその挨拶に、気持ちが籠っているかどうかなんて分からなかった。
対する花子もカチコチな無表情である。
「……何それ」
「新年の挨拶」
「挨拶……」
随分と前に博士から教えて貰った言葉の一つだ。
挨拶といえば、されたら返すのが礼儀の筈。
「あけましておめでと、今年もよろしく」
コピーペーストしたような挨拶と共に、花子はぺこりと小さくお辞儀した。
そんな花子に思わず口角を上げる。
「ほら行くぞ」
花子から目を逸らすと、踵を返して学校へと歩き出した。
頭を上げた花子はそれに気付くと、急ぎ足で博士の隣に駆け寄る。
今年最初の街を、二人は他愛ない会話を織り交ぜながら歩いていく。
博士が家に帰った時、年越し蕎麦はびっくりするくらいフニャフニャになっていたが、博士はその器を空にして眠りについた。
僕は紅白、録画でガキ使派です。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
とうとうマガオカ作中でも新年を迎える事になりました!
あけましておめでとうございます!
四月から始まったので正確には一年経ってないのですが、ここまで来るのに二年かかってしまいました……。
こうやって振り返ると感慨深いです。
今回の大晦日の話も、「書くならきっとこんな話だなー」となんとなくは想像していました。
そのなんとなくをそのまま具現化した感じですかね。
という事で色々と味気ない気もしますが、これはこれで良いんじゃないでしょうか。
年越しはさっぱり塩味という事で。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!