【101不思議】君と奏でる協奏曲
放課後の音楽室。
音一つとしてしない筈のそこで耳を澄ませば、美しい旋律が聞こえてくる。
曲目はベートーヴェンで『エリーゼのために』。
月曜日の放課後に、久々の授業で疲れた体を癒すのには丁度良かった。
ピアノを叩いていた指は最後の楽譜を弾くと共に離れ、それと同時に賞賛の拍手が送られた。
演奏していたヴェンが拍手のする方へ目を向ける。
「ありがとう、ノラ君、ハカセ君、花子ちゃん」
そしてもう一人。
「いいいいいいいしししがみさん」
「ガックガクのブルッブルじゃないですか!」
さっきまでの美しい伴奏者はどこにいったのか、ヴェンは顔を真っ青にして震えていた。
明らかに恐怖の色を見せるヴェンに、千尋が声を荒げる。
「もういい加減慣れてくださいよ! こっちも辛いんですよ! 私一人だけそんな恐れ慄かれるの!」
「うん、ごめん……。解ってる」
「ちゃんと目を見て言ってください!」
「女嫌い治らねぇなー」
千尋の訴えにもヴェンの目は泳いでいて、これでは一方通行のまま何も進展は無さそうだ。
傍から眺めていた乃良は以前の事を思い出していた。
「やっぱこの前のデート逆効果だったかなー」
以前強制的に開催されたヴェンとローラのデート。
ヴェンの女嫌いを治すという名目で行われたものだったが、結果は案の定この様である。
「そもそも女嫌いにデートさせるって発想が飛躍し過ぎなんだよ」
「いやお前結構ノリノリだったじゃねぇか」
「だって俺女嫌い治す気無かったもん」
「ハカセ君!?」
博士の衝撃の告白に、ヴェンは黙っていられなかった。
すると今までの昔話を掻き消す様に、未だ不機嫌な千尋が身を乗り出した。
「過ぎた事はどうでもいいの! 私はとにかくもっとヴェンさんと仲良くなりたいの!」
千尋の発言に、ヴェンは申し訳無さそうに俯く。
「んー、なんか女嫌いが治る良い方法ねぇかなー」
一同はヴェンの女嫌いが改善する方法に頭を悩ませた。
とは言っても、都合よく治る万能薬など早々見つかるものじゃない。
そう思われたが乃良がポンッと手を叩いた。
「そうだ! にらめっこしよう!」
「はぁ?」
自信満々に吐かれた乃良の妙案に、博士が口を歪める。
乃良はそのまま浮かんだ案の全容を、楽しそうに解説し出した。
「ほら! にらめっこって顔を見合ってやるだろ!? つまり目を合わせる訳だ! ヴェンとちひろんでにらめっこして、女嫌いのリハビリするってのはどうだ!?」
「……割と真面な案だな」
「な!? 良いだろ!?」
ただの乃良の思い付きだと思ったが、どうやらしっかりと考えられた策らしい。
博士も納得して、余計な口出しは控える事にする。
「よし! んじゃヴェンとちひろん、にらめっこするぞ!」
「えっ、いきなり!?」
前準備も無く唐突に言われたヴェンは、ビクリと肩を震わせる。
「当たり前だろ! 何の為のにらめっこだと思ってんだ!」
「ちょっと心の準備が……」
「にらめっこに心の準備なんかいらねぇよ!」
これからにらめっこするとは思えない程のヴェンの動悸に、乃良は声を上げる。
一方の千尋は頬に手を当ててグルグルと回していた。
「ちょっと待って、私も表情筋の準備が……」
「何でお前はそんなやる気満々なんだよ」
博士のツッコミも聞こえない程、千尋は表情筋のマッサージに専念する。
頬から手を離すと、やる気十分と言う様に口から息を吐いた。
ヴェンに目がけて上げられた目は、これから獲物を狩る狩人の目付きだった。
「んじゃ、行くぞ!」
「ちょっ、ちょっと待って!」
まだ心の準備の整っていないヴェンだったが、それを無視して乃良が音頭を取る。
「にらめっこしましょ! 笑うと負けよ! あっぷっぷ!」
合図と共に、千尋は顔面をひょうたんの様に膨らませ、それは酷い有様の顔になっていた。
対するヴェンは明後日の方向に視線を逃がしている。
「ちゃんと見ろよ!」
乃良はヴェンの逃げた視線を見逃さず、しっかりと捕える。
「何で目ぇ逸らしてんだよ! にらめっこだっつってんだろ! 相手の顔見なきゃ始まんねぇだろうが!」
「ヴェンさんが見てくれなきゃ、私一人で変顔してた事になりますよ!?」
「そうは言ってもやっぱり怖いよ!」
「まぁ確かに化け物みたいな顔してたしな」
「やかましいわ!」
博士の聞こえるか聞こえないかくらいの陰口も、千尋は聞き逃さなかった。
ヴェンは申し訳ないと思っているか定かではないが、どうも本気で腰を抜かしている様である。
乃良はヴェンの困った女嫌いに呆れて溜息を吐いた。
「しゃーねぇなぁ。んじゃ見本に俺とちひろんでにらめっこするか!」
「お前それやりたくなっただけだろ」
博士の指摘も届かず、乃良はヴェンの離れた千尋の真ん前に居座る。
「へっへー、俺実はにらめっこ一回も負けた事ねぇんだよな!」
「どんな自慢だ」
自分の強さをアピールして、乃良は千尋に宣戦布告をする。
対する千尋はその自慢に後ずさりする事無く、堂々と乃良の勝負に乗っかるようだ。
「行くぜ」
二人の準備が整ったところで、乃良が口を開く。
「にらめっこしましょ! 笑うと負けよ! あっぷっぷ!」
千尋は先程とバリエーションと変え、口を不恰好に開けてみせた。
乃良も口を無様に開いており、目は黒点が行方不明になって真っ白に染まっている。
「いやそれじゃ見えねぇだろうが!」
乃良の必殺の表情に、博士が堪らず物申す。
それと同時に、千尋の甲高い笑い声が耳に響いた。
博士に言われて気付いたのか、乃良はハッと我に返る。
「そうか! それで今までにらめっこすると相手の顔が見えなくなったのか!」
「無自覚かよ! さっきの何の自慢にもなんねぇじゃねぇか!」
「アハハハハハッ! 乃良! 今の顔……アハハハハハッ!」
どうやら壺に入ったのか、千尋の笑いが収まる事は無い。
対戦相手が戦闘不能になった乃良は、次なる対戦相手を指名した。
「おい花子! にらめっこしようぜ!」
「趣旨大分ズレてんぞ」
元々の本題が大分あやふやになっている中、乃良は構いなく花子に声を投げた。
花子は当然解っていないようで、首を傾げている。
乃良は解らないままの花子を連れ出して、悪い笑顔を浮かべた。
「へっへっへっ、今日こそお前のその鉄仮面をぶっ壊して、頬っぺたつるくらいに爆笑させてやる!」
「花子に恨みでもあんの?」
「行くぜ!」
花子の内情など知らないまま、乃良は自分勝手に音頭を取り出した。
「にらめっこしましょ! 笑うと負けよ! あっぷっぷ!」
開始早々、乃良は渾身の変顔を決める。
今回はちゃんと黒点をその眼に残し、相手の顔がハッキリと目に焼き付く。
目の前にいる花子はいつも通りの無表情だった。
まだまだと乃良は口を「い」の形に開き、その奥に磨かれた歯をこれ見よがしに見せつけて、眼球は半分顔の外からはみ出した。
しかし花子は無表情。
遂には乃良は両手を用いて、鼻、目、耳に指を突き立てて、全体的に顔のパーツを上方向へと歪ませた。
それでも花子は口元を吊り上げるどころか、眉一つ動かなかった。
「何なんだよお前! 心折れるわ!」
結局無表情を貫いていた花子に精神を抉られ、乃良は両手で覆い隠した。
「何がしたかったんだよお前」
博士が慰めの言葉などかける訳もなく、乃良の心に追い打ちをかける。
ほんの少しだが、蹲った肩が刺さった様に揺れた。
すると今度は乃良の変顔の呪縛から解放された千尋が、パンッと手を鳴らした。
「そうだ! 今度は花子ちゃんとハカセでやったら?」
「あぁ?」
いよいよ指摘され、博士は顔を顰める。
「何で俺がやらなきゃいけねぇんだよ。俺はやんねぇよ」
「いいじゃん別に! もうハカセ以外皆やったよ?」
「勝手にやっただけだろ」
「花子ちゃんもハカセとやりたいよね!? ね!?」
「………」
花子は何も言葉を返す事無く、ただじっと博士の目を見つめる。
それだけで博士は花子の言いたい事が解ったらしい。
「……あーったよ。さっさと終わらせるぞ」
博士は面倒臭そうに頭を掻き毟り、花子の前へと体を動かす。
「よし、んじゃ行くよ!」
千尋は博士の気が変わらないうちにと、早速戦いのゴングを鳴らした。
「にらめっこしましょ! 笑うと負けよ! あっぷっぷ!」
静寂。
にらめっことは本来音の無い戦いだが、それはあまりにも静寂すぎた。
花子はまたも無表情、対する博士も同じく無表情だった。
二人の表情が動く事はなく、ただ時間だけが流れていく。
あまりにも二人が行動する気配が無いので、どこか一時停止ボタンを押してしまったのかと錯覚してしまう程だ。
どれだけ経っても二人は無表情で、このまま今日が終わるとさえ思えた。
「時間の無駄だわ!」
戦いに口を挟む質では無かったが、流石に耐え兼ねて乃良が口を開いた。
二人は乃良の方に顔を向けるも未だ無表情で、それが更に乃良の怒りを掻き立てる。
「いやお前ら何してんの!? にらめっこだろ!? ちょっとは顔変える努力しろよ! 二人して無表情のまま顔を向き合わせて! 羊の数数えた方が余っ程有意義な時間過ごせるわ!」
乃良が必死に声を荒げるも、やはり二人の顔色が変わる事は無かった。
博士は聞き飽きたように溜息を吐き、思いきり逸れていた本題へと元に戻す。
「別に俺らの事はどうでもいいだろ? 元々はこの人の女嫌い克服なんだし」
「あっ、忘れてた」
「ていうか今までいました?」
「ちょっと君達!?」
流石幽霊と言うべきか、すっかり影を薄めていたヴェンは一同の反応に傷を負った。
そもそもの案を提示した乃良が話を振る。
「んじゃあもう一回やるか?」
「えぇ!? ちょっとノラ君!」
「女嫌い治したいんだろ? 今まで散々見てきたし、チャレンジくらいしてみろよ」
乃良の言葉に否定する箇所が見当たらなかった。
全て自分の為に皆してくれているのに、一人で消極的になっている自分が恥ずかしい。
そう思うと、自然に心の準備も整っていた。
「……うん。石神さん、お願いしていい?」
ヴェンのかしこまった要望に、千尋は笑顔で頷いた。
「勿論!」
二人は体を向き合わせ、じっと対面する。
ヴェンは今すぐ逃げ出したくなる体を抑え、千尋の顔に目を向け続けた。
「行くぞ!」
乃良の合図にヴェンはぐっと拳に力を入れた。
「にらめっこしましょ! 笑うと負けよ! あっぷっぷ!」
千尋は今度は口内の空気を全部逃がし、顔のシルエットにくびれを生み出していた。
それに対してヴェンは、千尋の顔を見たままそっと口を開ける。
「アハハ……」
「愛想笑いじゃないですか!」
ヴェンの笑いは実に乾いたものだった。
「ちょっと! 人が本気で変顔してるの見て愛想笑いって、一番酷いですよ!」
「だって! 元々女の子が怖いのにもっと怖い顔になってるから……」
「それにらめっこ療法全否定じゃないですか!」
「あーやっぱダメなのかー」
額に血管を浮かばせて怒鳴る千尋に、ヴェンは体を竦めて身を守っていた。
案外良い策と思われたにらめっこは根本的に間違えていたらしい。
ヴェンが女嫌いを完全に克服するのは、どうやらもっと先の未来のようだ。
にらめっこ療法、役立たず。
ここまで読んで下さり有難うございます! 越谷さんです!
ヴェン&ローラ編から大分経ったという事で、ヴェンさんの回を書こうと決めました。
決めたはいいが、さてどうしよう。
決まった事はヴェンさんメイン回という事だけで、それ以外は全然決まってはいませんでした。
色々と頭を悩ませた結果、にらめっこをする事に。
もうこれヴェンさんメイン回じゃねぇなww
にらめっこを書くにあたって、変顔の描写を書いていったんですが、これがなかなか楽しい。
まじまじと人間の面に関して書く事なんて無かったんで、とても活き活きと書く事が出来ました。
ヴェンさんも今回は早めに登場できてよかったね。
それでは最後にもう一度、ここまで読んで下さり有難うございました!