果てなる世界
探索船制圧はスムーズに行われた。作業ロボット一体を取り押さえ、エネルギー炉を物理的にダウンさせる。そうすればハイテクノロジーの塊である宇宙探索船も、ただの頑丈な金属の塊に変わった。一刻にも満たない時間だった。
宇宙探索船『沈黙の下弦号』。竜帝に命名されたとある船名を、ゴードゴーダバルが不服として新たに付けたのがこの名である。ちなみに配下の者には不評だ。
さて、沈黙の下弦号は長距離の有人観測飛行を目的に造られている。形状は弓なりでスリムだが、数世紀の実用を可能とする性能を誇っていた。中流階級である兵たちが、「自宅と同じくらい」と言う程度の広さも備えている。巨大宇宙戦艦におよそ百五十名を動員する宇宙飛行計画で、本艦から独立して情報収集にあたるのが役目だった。もっともこの船自体は試作機の上、実際に運用されるのは新たに開発された最新機なので、あまり関係のない話だ。搭載された武器は片手で数える程度、測定機器は最低限、おまけに専属のロボットが操舵補佐用の作業ロボット一体だけとくれば、これはもう、偉大な魔術師の宇宙への躍進にふさわしいことこの上ない。少なくとも竜帝ドーンにとっては。
沈黙の下弦号はゴードゴーダバルの指示の元、直径約二百キロのとある小惑星に停泊した。彼らが最初に取り掛かったのは、拠点の設営である。魔術的な防壁と、土地を隆起させての要塞の構築。金属類の資材確保のために、栄えある宇宙侵攻戦略団の面々は、小惑星を駆けずり回ることになった。
それに平行して、沈黙の下弦号の改造が進められている。科学技術に否定的なゴードゴーダバルが、科学の塊であり、魔術に悪影響を及ぼすかも知れない船の現状を、そのままにしておくはずがない。これに関しては、魔術兵らしく科学に拒絶反応を示す部下を締め出し、ゴードゴーダバルが作業を行っている。嫌悪している割に造詣の深さをうかがわせるのは、全能であらんとするゴードゴーダバルの自負心故だ。敵となろうとも、有用性を部分的に認めているためでもある。しかし、いかにゴードゴーダバルとはいえど、この精密作業を完遂させるにはあまりにも手が足りない。融通の利かないプログラムをなんとか妥協させて、拘束していた作業ロボットに作業を手伝わせていた。
魔術、科学技術を駆使しての星図制作、魔界とのコンタクトを可能とする連絡網の構築、位置座標の特定等も、ゴードゴーダバルの仕事であった。それに竜帝を出し抜くための、宇宙調査も加わる。手始めにゴードゴーダバルは、重力が魔術に及ぼす影響に関しての論文を書き上げた。その素晴らしさを理解できる魔族は、ここにはいない。
要塞の壁には、計画表が堂々と貼り付けられている。それから察するに、しばらくはこの小惑星からでることはないだろう。
代わり映えのない外の風景に飽きる程度には、時間が流れた。
ヘルドロバスはカードを放った。
「それで一体いつになったら暴れられるんだよ。俺たちは戦いの呼びかけに応じてここに来た。それなのにゴードゴーダバルの臆病者め。なんでなんでこんなちみっこい星で雑用なんぞしなきゃなんねぇんだ」
「話を聞かないのはいいが、口は慎んでくれ隊長。戦力不足な上、帰れる状況じゃないんだって。ほらカード拾え。一組しかないんだから」
独断で休憩をとっているのは、魔術武装兵団の精鋭──ではなく、中の下程度の実力を持つ元下界第五部隊の二人だった。現在は宇宙侵攻戦略団のメンバーに数えられている、ヘルドロバスとバルジャバである。
彼らは作業ロボットの監視を名目に、雑談を交えながらカードゲームで遊んでいた。それぞれ身を丸めながら、地べたに足を放っている。己の力量を弁え必要に応じて手を抜くのも、魑魅魍魎の魔界社会を生き抜くのに必須の技能だ。
「おい、お前が拾えよなんたら九号さんよ」
『現在電源機能の復旧作業中。その要求には応じない。ワタシは船長、操舵補佐ロボット八六〇〇九番。訂正を要求する』
「九号でも九番でもどっちだっていいだろう。それじゃあじゃあクバンさん。作業の進捗状況を報告してくれ」
『暫定的にその呼称を容認する。作業は予定通り進行中。持ち場に戻ることを推奨』
「くっそ生意気だぜ、こいつ」
「いきり立ったってしょうがないでしょ。プログラムなんだから」
額の広い頭を描きながら、バルジャバは立ち上がる。
カードは来るときたまたま装備に紛れていた、数少ない娯楽品だ。それぞれに、世界の物質を模した抽象的な図形が描かれている。手軽な占いでやれ水難だ女難だと言い合ったり、絵合わせで競い合ったりしていたが、それももうマンネリだ。
カードを集めて雑談を続ける。
「あーあ。適当にゴマすって退散しようと思ってたのに、いつの間にやら最前線よ。こりゃ、呼びかけシカトしてドーン様につけばよかったのかね」
「でもよ、ドーンは色々と締め付けがきついぜ。俺は好き勝手に戦えてサボれるから魔術兵になったってーのに。ゴードゴーダバルが日和ろうとも、奴は倒すべきだ。魔界でまたでかい顔したきゃな」
「お前さんがドーンと戦うのか?」
「そいつはごめんだ。俺は自分より弱いやつを痛めつけるのが好きなんだ」
「ま、同意見だ。だから俺たちは出世しないんだぜ」
金属質な作業音を背景に、二体の魔族の笑い声がこだました。
馬鹿笑いしながら、バルジャバは故郷の様子を思い返していた。魔術派閥でも、竜帝の言うゴードゴーダバルの宇宙派遣を丸々信じたのが八割ほど。その内半分が支持に回り、残りは無関心か反発しているといった現状。層は厚くとも、あそこは無能の巣窟だ。
勘よく真実を嗅ぎつけようとも、支配者を失った魔術派閥には竜帝に太刀打ちする力などない。真っ向からゴードゴーダバルがつぶされたのであれば 脳筋どもや失脚を拒むエゴイストらが蜂起しただろう。だが竜帝は徐々に力を削ぐ気だ。今保身の為に駆けずり回る者も、反乱を企む者も、ドーンの手の内なのだ。
それを考えれば、バルジャバがここにいるのは幸運なのかもしれない。バルジャバは己の頭脳に自信を持っているが、兵らしく戦略向きであり、政治闘争などには不向きだ。派手なドンパチもなしに、飼い殺されるか寝返るかの選択を迫られるよりは、今の状態の方が数段楽だ。下界惑星に帰り着きさえすれば、勝ちの目は充分にある。帰れるまでのんびりやって、着いたらゴードゴーダバルとそのシンパに丸投げして、後は然るべき褒賞を貰えれば言うことなしだ。
ただその考えを、ゴードゴーダバルは受け入れるだろうか。
「いまなんか変な音しなかったか?」
「やめろよ。ゴードゴーダバルは外だぜ」
神経が過敏になっているのか。
悪寒を抑えて、バルジャバは立ち上がった。「そろそろ行かないと、あいつら怒るよ」と、作業中の仲間に言及するが、ヘルドロバスの反応は芳しくない。
一通りの作業を終え、クバンが移動を始める。それを土製の足で引っ掛け転ばせて、ヘルドロバスはようやく立ち上がった。ガチャガチャもがく作業ロボットを、せせら笑いながら見下ろす。
「ひとつ俺の案にのらねぇか、兄弟よ」
「いいとも友よ、このバルジャバの力が必要ならば」
嫌な予感をひしひし感じつつ、バルジャバは笑みを作った。
体格差は圧倒的。小柄で平均的な戦闘力しか持たないゴブリンは、風見鶏を見上げて策を練る。己のより良き人生のために。
ゴードゴーダバルは立ち上がった。
ここは、要塞から離れた地下施設。秘密裏に築かれた、ゴードゴーダバルの研究室である。
彼の足元には、幾何学的な図式で構成された、魔術の陣が広がっていた。一尺ほどの杖を振るえば、それらはにわか光を発して展開する。
うすらぼんやりと宙に浮かび上がったのは、近辺の星図である。
重力の小ささを示すように、陣の回りに舞い上がった土ぼこりは緩やかに流れた。
ゆったりと、しかし現実より早足で周回する星々を眺める。ゴードゴーダバルは憎悪に沸き立ちながらも、やや機嫌がよかった。本能的な好奇心と魔術師としての探究心が、野心と傲慢を加速させていく。
何の支配も受けることなく駆け巡る星々の、なんと愛しきことか。この小惑星はすでにゴードゴーダバルのもの。眼下の星々もやがて、ゴードゴーダバルのものとなる。その事実が、錆びつきかけていたゴードゴーダバルの功名心を煽りたてる。いつからだ、二番手で満足するようになったのは。黒幕、実質的支配者、そんな半端な立ち位置で足を緩めるようになったのは。リスク回避のためだったか、その立場から染み出る悪徳の香味にうつつを抜かしたのか。まあ過去などどうでもよいのだ。己のありようが問うのは、これから何をするかにつきる。作成済みの星図には、すでに命名済みの星々の名が記録されていた。
──支配を待ちわびる雛鳥たちよ。我が深淵へと溶け込み、栄枯盛衰を委ねるがいい。支配してやろう、この下界宇宙を。銀河の果てを。
野心! 傲慢!
それこそが人生を彩り、より輝かしいものにしていく感情である。そのことを叡智の権化ゴードゴーダバルが知らぬはずがない。以前彼が著した自己啓発本にも、それは一大テーマとして盛り込まれている。高ぶる感情はやがて、全宇宙へと広がっていくだろう。ゴードゴーダバルの脳裏には、その未来図がはっきりと浮かび上がっている。彼は今、混沌なる世界を突きぬける漆黒の闇を見出した。
ここは下界宇宙。無限の可能性の広がる場所。かつて原始の魔族らが生まれ、戦いに明け暮れた世界。
長きに渡る精霊族との激しい闘争の末、魔族は惑星地下に異次元を切り開き、魔界を築いた。そこは魔族を新たな発展と進化をもたらした温室である。
魔界開拓者の一人、オイジエンはこう言った。「魔界には果てなる世界(現在の下界宇宙に相当)のすべてがある」と。極寒の大海、灼熱の密林。荒野の下界惑星を見るに、魔界に淀むそれらが下界に存在するとは信じがたい。夢を抱くは下界宇宙。あの光る星々の先に、支配するに足る世界があるのならば。
そうだ、我々が温室を作り上げたのは、堕落を貪るためではない。戦うためだ。魔術や技術を洗練させ、宇宙に至るまでに来た。邪魔するときだけ手が早い引きこもり精霊族もどものせいで、調査もろくにできなかった下界世界へ、ついに一歩踏み出した。
身の内の深淵へと沈むだけでは掴めない、世界の全貌を知る機会である。ここには小生意気な仕切り屋の竜帝ドーンも存在しない。ゴードゴーダバルの天下だ。
小惑星から採掘した素材を用いた、ステンレス製の杖を弄ぶ。映像が揺れ、近場の恒星を中心とする天体集団から、目立つものがピックアップされて映し出された。
ガス惑星が多い。資源採取に向かわせた使い魔は、調査のため帰還はもうしばらく先になるだろう。存在こそ知られていたが、精霊族のせいで実際の星を偵察できたのは数える程度なのだ。
ふとゴードゴーダバルは、星図に言いようのない違和感を覚えた。魔術による探索も、ややこしい機材での計測でも、この星図を覆す情報はない。だが深淵の奥深く、真理の囁きが目の端でチラつくのだ。
――魔だ、魔を感じる。魔術師など、我々を除いているはずもないのに。
より深みへと意識を伸ばした瞬間、大きな地響きが感覚を埋め尽くした。
いらっとしつつ伸ばした意識の果てで、居場所を感知する。身を揺るがすと、蜃気楼が空へと消えゆくように、ゴードゴーダバルは姿を消した。主人を失った部屋も、静かに身を闇に潜めた。
「何事だ馬鹿ども」
「ゴードゴーダバル様」
「団長、わざわざどうも」
宙から湧いて出た上官を迎えたのは、宇宙侵攻戦略団の団員らである。計画でコロニー化する予定の小惑星を掘削するのが、現状での彼らの仕事だ。急ぎの仕事である。軌道計算によれば、この小惑星はあと三十年ほどで他小惑星と激突してしまうのだ。
「なになに大したことでは。ちょっとしたトラブルがありましたが全然平気。お手間をとらすようなことではございませんて」
「よく口が回ることだなガットナット。口を縦に引き裂いてやれば、もっと回るようになるだろうよ」
「へっへっへ。お手厳しい」
ごまかし笑いを浮かべた彼の名はガットナット。心根の知れる下品な笑みである。残虐さで彼を上回る魔族は多くいるだろうが、卑しさを足し合わせたなら話は別だ。鼻先まで覆い尽くす兜の底から、赤くぎらつく目が光る。兜から誇示するように突き出た角は、彼がミノタウロスであることの証であった。
ゴードゴーダバルは、己の質問に答えぬ牛人から視線を離す。顔をしかめて辺りを見た。
凄惨な光景である。大地は容赦なく抉られ、土埃と熱気とガスをばらまいている。魔力の残骸が散らばって、状況の認知を妨げていた。戦闘用の破壊魔術だ。その身を半分以下に削られた哀れな作業用土人形は、ひしゃげた台車を手にもがいていた。
地形が大きく変動している。小惑星の軌道に生じた乱れを、ゴードゴーダバルは無言で感じ取った。
一瞬目を伏せたのち、一体の魔族がゴードゴーダバルの前へ進み出た。
「俺から報告を、ゴードゴーダバル様」
「手短に」
強面の魔族、ロガー。目につくのは筋張った漆黒の羽。一見貧相にも見えるそれは彼の武器であり、移動手段だ。有事の際には魔術を用いずともアクロバティックな飛行テクニックで敵を翻弄できる、機動力の高い兵である。彼は誇り高き種、ガーゴイル。しかし現在の表情は、いささか消極的だ。
「大規模の破壊魔術を使用しました。発動者はワナザグ。ここにいた三者全員合意の上での行使ですが、危機予測が不十分でありました。被害状況と影響は追って報告いたしますので、しばらくお待ちください。指示がありましたらどうぞ」
「合意なんかしてねえぜ。楽したいから岩盤を砕けって言ったら勝手に大事にしやがったんすよ奴が」
「この馬鹿」
ゴードゴーダバルは親切心から、ガットナットの口を縦に切り裂いてやった。理解可能な言語念波は出せていないが、予想通り口の回りはよくなったようだ。もがもがとはしゃいでいる。兜の合間から負傷を示す瘴気が立ち上るが、ゴードゴーダバルは気にしなかった。
「ワナザグか……」
僅かに呟き空を仰いだ。漆黒の星空の半分を霞ませる噴煙、僅かばかりの明かりをもたらす恒星が見える。そしてその遥か彼方を旋回する影があった。狼の顔、ドラゴンの爪、茨の翼、獅子の脚を持つキメラが、天こそ我が領域と言わんばかりに駆け巡っている。
ゴードゴーダバルは軽く右手を上げ、下ろした。魔の慟哭が渦を巻き、摂理を歪め、世界に己が刻印を焼き付ける。次の瞬間、天空の主人は領地を追われ、ひび割れた大地へと叩きつけられた。大地に更なる歪をもたらして、そのキメラ――ワナザグは静止した。形成された小規模のクレーター中でピクリと動き、四足で起き上がる。
「……ぐぅるるる、シュハー」
地に響く低い唸り声が、彼の口から洩れた。
ワナザグという魔族には謎が多い。寡黙で目付きも怪しい、魔物と紙一重というべき奴について、ゴードゴーダバルは簡単な略歴と能力しか情報を持っていなかった。元飛行部隊所属でスカウトされる形で魔術兵団に移籍したこと。自ら肉体改造を施し、杖すら身の一部としていること。大規模な破壊に関しては抜きんでた実力を持っている期待の新人であること。そのくらいだ。趣味も家族も出身も不明、元は実験生物ではという噂もあるほどだ。
ゴードゴーダバルは一考し、手を空へ――立ち上る煙へと向けた。深淵からひも解く真理の片鱗を、牙として天へと叩きつける。
衝撃というのも生易しい、空間をも切り裂かんとする平面的斬撃が、一瞬にして粉塵を飛散させた。うっすらと霞のような残り香がわずかに漂うだけだ。不気味な静けさを恒星の生ぬるい光が照らしだす。巻き込まれた使い魔が、その身を粉にして消えた。
ここでゴードゴーダバルは問う。
「消えゆく煙塵から何を読む」
優れた魔術師は森羅万象からすべてを読み解く。岩のひび割れ、木々の葉音、舞い落ちる灰。ある種の占いであるが、魔術において重要な認識能力を問うには丁度いい題材だ。
「ふざけやがって、糞煙なんぞ見えやしねぇよ!」
自分で口を回復させたガットナットが、吠えるように叫んだ。ゴードゴーダバルは慈悲をもって聞き流す。ガットナットはもともと気の短い魔族だ。いちいちそのご機嫌に対応しては、何度殺しても足りなくなる。
「ロガー」
「は、我々のさらなる躍進を彷彿とさせる光明が見えました。ゴードゴーダバル様の計画は確かな成果を上げるでしょう」
及第点だが少々雑だ。取りあえず端だけ拾って、持ち上げておこうという思惑が透けている。着目したであろう点が適切なだけにおしい。運命を読み取るには、もっと繊細で柔軟な視点を持たねばならないのだ。
砂利が音を立てた。
露出した鉱石が、ドラゴンの爪に砕かれて砂利になったのだ。ワナザグが空を見上げ、前足を一歩踏み出していた。ピクリピクリと右前脚が痙攣している。魔術の負荷かと思いきや、新しく付け替えたばかりの爪がまだ馴染んでいないから、というのが実情だ。
彼は口から瘴気を漏らし、異物を吐くように念波を発する。
「進展と障害。ワレラは牙を研がねばならない。乱が来る。岐路タクサン」
要点を押さえつつも、憶測を断定する博打的勢いは高評価。ただ表現が杜撰。78点。
砕かれた黒曜石に邪悪さを溶け込ませたような、ぞっとする声音だった。ゴードゴーダバル好みの声だ。
ワナザグの評価を上方へ修正しながら、ゴードゴーダバルは空を見上げた。物のついでに拾い上げた魔術の残骸を繋ぎ合わせて確信する。確かに、ただの空中兵にしておくには惜しい魔術的素養を持っている。使われたのは小惑星どころか、惑星すら消し飛ばしかねない強大で複雑な魔術だ。この程度の威力に抑えた繊細な調整能力は評価に値する。
「素晴らしい。皆の者、天に描かれしは戦いの予兆だ。祝砲をならそうではないか。ついでにここの仕事を一気に片付ける」
「お、団長戦いですかぁ。そりゃ胸躍る」
「ぐるるるうるる」
「楽を目指すのはよいことだ。魔術を使うのも大いに結構。荒れ狂え魔族よ、狂気の一撃、破滅の魔術こそが運命を切り開く。しかし、お前らでは少々力量不足だ。私が調整しよう。先ほどの術でこの小惑星を一挙に空洞化させる」
運命を如実に移す荒れ地を見て、ゴードゴーダバルは確信する。怒りと憎しみが身の内に沸き立つ感覚は、とても幸福なものだ。
「――やれワナザグ」
一拍置く間もなく破滅の閃光が放たれた。
ロガーは先ほどの騒動を思い返す。だらけて座り込むガットナット。道具を口でくわえて運び、時折足を滑らすワナザグ。派手にドカンとやれと囃し立てられ、止める間もなくワナザグは宙へと舞い上がる。破壊の念を凝縮するように輝く光。空気が張りつめ、衝撃と閃光によってはじけ飛ぶ。
これほど即行に撃ってはいなかった。ここまで激しくも、荒々しくもなかった。前での間は溜めではく、威力調整だったのかと思い至る。この苛烈さは、日頃のうっぷんを叩きつけているのではあるまいか。しかしその破壊の化身たる閃光は、クリームのようになめらかに解され、大地の割れ目へ溶け込んでいく。鈍く輝く杖を掲げるゴードゴーダバルが視界に入った。とっさに身構えた衝撃もなく、静かで重々しい振動が足元から伝わる。単身でこれほどの威力を放射するキメラの魔術にも、それを支配下に置くゴードゴーダバルの技量にも、舌を巻くばかりだ。
「あ、相変わらず出鱈目じゃねぇか、うちの御大将は……」
えぐり出された小惑星の内包物が、地に走る亀裂から吹き出す。歓声をあげるガットナットを尻目に、ロガーは呆れるばかりだ。固形化されたガスが塔を形成した。溶けた鉱物や岩石が、次々に番兵のモニュメントへと姿を変える。
演出的な火柱が乱立。天空を照らし出す光が、眩く世界を包んだ。
満足したゴードゴーダバルが立ち去った後、三体の魔族は後片付けに奔走することになる。だが進展を予知した彼らの足取りは軽い。竜帝の刺客か精霊族かはわからないが、戦いの刺激はちょうどいい気晴らしになるだろう。難しいことは、偉大なる魔術師ゴードゴーダバルが片付けてくれる。
眼下の光景が、彼らを一時的な陶酔状態に導いたのかもしれない。素晴らしき地獄絵図は、未来をほの暗く暗示していた。
――――逃げなきゃ、逃げなきゃ。
少女は駆ける。小さな体を酷使して。
いずこからそれらはやってきた。恐ろしく強く、得体がしれない謎の敵。
――逃げなきゃ、戦わなきゃ。
バランスを崩し、宙を舞う。全身にまとわりつく疲労感を無視し、立ち上がる。
戦う手段など思いつかない。生き延びる可能性はついぞ見えない。
悪いことは重なるものだ。天から邪悪がやってくる。この世のすべてを支配せんとする邪悪が。
少女は知らない。それでも立ち上がらねばならない。