第4話
洗濯というものが、これほど面倒なものだと思わなかった。
脱ぎ捨てた衣服は洗濯カゴに入れておけば、次の日には綺麗に畳まれている状態で、自室のタンスの上に置いてある。
そんな生活を送ってきた僕にとって、『洗濯』というものが、どれほど重要かなどというのが分かるはずもなかった。
当たり前だ。衣服は洗わなければ、汚れていく一方なんだから。それに臭いだってつく。何度も同じ服を着るにしろ、限界というものがある。仮に、それで自分が平気でも、他人からの目もあるわけだし。
いずれは洗濯をしなければいけないんだ。だけどそんな時、僕に
『ああ、めんどくせえや。どうせまた溜まるんだし、それならもっと洗濯物が溜まってから一度に洗ってしまおう』
という悪魔の囁きがあったわけ。
この罠に、僕は見事にハマってしまい、洗濯物をどんどん溜めていってしまったのだが……。
皆さんにも一緒に考えてもらいたい。
少し洗濯物が溜まっただけでも『面倒くさい』と考えてしまう人間が、さらに多量に溜まった洗濯物を、一度にすべて洗う。なんて器用な事が出来るのだろうか。
当然、出来るわけがない。ということで、僕は洗濯を先回し、また先回しにし続けた。結果、とうとう着る物が無くなってしまい、ようやく重い腰を上げざるを得なくなったのだ。
まあ、自分自身の『ぐうたら』のツケが回ってきたというわけ。たった今、その『ぐうたら』にものすごく後悔しているところだ。
だいたい、一度に洗濯できる量なんて限りがある。洗濯というのは、こまめに行うべき事だったんだ。結局、僕はさっきから何度もコインランドリーと部屋とを往復していた。
今、僕はコインランドリー内の休憩所で洗濯が終わるのを待っているところ。これで、もう三回目だったか、それとも四回目だったか……。
もう疲れた。さっきから、肩と腰に妙な重みを感じる。急に母が恋しくなった。
東京に出てきて、すでに十日あまり。何から何まで慣れない事ばかりだ。
洗濯も、炊事も、公共料金の支払いも、すべて自分でやらなければならない。
ゴミだって、燃えないゴミと燃えるゴミ、それと資源ゴミと分けて捨てなければ怒られるのは僕自身だし、新聞の勧誘も自分でキッバリと断らなければならないのだ。
ただの『生活』や『日常』の中にも、まだまだ知らなかった事というか、意識していなかった事がたくさんあったんだなと気付かされた。
当たり前な事だけど、それが大変だ。いまさらになって気付くなんて。
そんなふうに考えていると、やがて洗濯機の唸りが止まった。少しの沈黙の後、長い電子音が響く。脱水が終わったみたいだ。
百円ショップで買った洗濯カゴに、洗い終えたばかりの衣服や下着を入れ、それを抱えてコインランドリーの外へと出た。
このコインランドリーと、部屋のあるアパートまでは歩いて一、二分の距離。運が良かった。自分で洗濯機を買うまでは、良く利用することになりそうだ。
アパートに着くと、入り口で猫がひなたぼっこしていた。コンクリート頭をもたげ、気持ちよさそうにしている。悪いけど邪魔だよ。
猫をひょいと跨ぎ、カゴを抱えたまま、アパートの階段を上がっていく。足下が見えないので、注意しなければならない。
僕の部屋は、階段を上がって一番手前の部屋。この『201』の部屋がそう。
なかなか良い部屋だ。部屋の中にまで良く陽が入るので、洗濯機が乾きやすいし、窓を開ければ風の通りも良いので夏は涼しそうだ。そして、何より家賃が安い。
それと……。僕は隣の部屋に目をやった。『202』の部屋だ。
隣には、綺麗な女の人が住んでいる。猫を見てたら、話しかけてきた人だ。
何となく、不思議な雰囲気を持った人で……。正直、僕は少し気になっている。
とはいっても、その時以来、話した事はない。たますれ違ったりすれば、挨拶などはするものの、なかなか会話を交わす機会はなく……。
名字は分かった。山崎さんというらしい。集合ポストに名前の入ったプリントシールが貼ってあった。
せっかく隣人同士なんで、親しくなったりできればいいなとは思うのだけど……。すぐにはそうはいかないか。
僕は自分の部屋の扉を開け、中に入った。
部屋の中は、部屋干しされた洗濯物でいっぱいだった。
カーテンレールにハンガーを引っかけて、そこに先ほど洗濯してきた衣服をかける。下着や靴下は、洗濯バサミを使ってハンガーに固定させた。 ようやくこれですべてが終わった。溜まっていた洗濯物を片づけた事で、部屋がすっきりして見える。
開けられた窓からは、爽やかな風が入ってくる。この分だと、すぐに乾きそうだ。
やりきったという爽快感はすぐに去り、すぐに眠気が襲ってきた。
別に予定もないし、何時間か寝ることにした。
布団にくるまり、目を閉じる。すると、すぐにウトウトと眠りに引き込まれていった。
意識が途切れていき、思考の渦もよどんでいく。
入りこんでくる陽の光を感じながら、僕はすやすやと寝息をたてはじめた。
その時、
――――やりてー!!
その声に、僕は飛び起きた。感じていた眠気も、どこかに吹き飛んでいってしまった。
誰の声だ、という事は考えなかった。なぜなら声の主は分かっていたから。
それは女の人の声で、確実に隣の部屋から聞こえた。




