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記憶の陰・1

   プロローグ


 時々、夢を見る。

 暗く深い海のなか、上空に見える月に向かって泳ぎ続ける。

 息苦しく、体が重い。

 すぐ背後に『死』が迫っているのが感じられる。

(いやだ……死にたくない……)

 波にもまれながらも、必死になってもがきつづける。

 ふと、声が下のほうから聞こえてくる。

――助けてくれ……

 低く悲しげな声。

 誰だ?

 足元を見ると誰かが助けを求めるように、手を伸ばすのが見える。

 男の苦しげな声。

――助けてくれ……

 必死に手を伸ばし、上にいる自分の足を掴もうとしている。その指が足首に触れ、グイと身体を引きずり込もうとする。

(やめろ……離せ!)

 慌ててその手を蹴って逃げる。

 やがて、声は低いうめき声に変わり、暗い海の底に落ちていく。


   *   *   *


「おはよう」

 今年8歳になる娘の恵子の甲高い声に君島隼人は瞼を開けた。

 窓から差し込んでくる春の明るい日差しの眩しさに思わず眉をしかめながら、隼人は少し頭をあげて枕元の目覚まし時計に視線を向けた。

 午前8時。

 一瞬、ハッとしてとび起きようとした後で、今日が日曜だったことを思い出す。

「なんだ……もう少し寝かせてくれよ」

 再びベッドに横になりながら、脇に立つ恵子に言った。

「だめよぉ。お父さん、今日、みんなで遊園地に行くって約束してたでしょ」

「うーん……そうだったか?」

 枕に顔を押し付けながら隼人は答える。

「そうだよぉ。早く起きてぇ」

 恵子はそう言うと飛び跳ねて隼人の背中に飛び乗った。それでも隼人はわざと布団のなかに潜り込む。

「お父さぁん、ねぇ、起きてよぉ」

 恵子は布団の上から隼人の体を揺さぶる。

「あなた、そろそろ起きてくださいね」

 奈津子の声が聞こえてきた。

 妻の奈美子と一緒になって今年で13年になる。結婚して間もなく、奈美子は子供が出来ない体と医者から言われた。だが、その5年後、奇跡的に奈美子が妊娠した。隼人が事故に逢ったのを期に茨城に移り住み、ちょうど1年後だった。

 よほど水があっていたのかもしれない。

「わかったよ」

 布団から首を出して奈津子に答える。その隼人の首に恵子がしがみついて来た。

「早く起きてぇ」

「そんな慌てるなよ。遊園地は逃げやしないんだから」

「早くいかないと時間なくなっちゃうよ」

「わかった、わかった」

 隼人ははしゃぐ恵子の温もりを感じながら、平凡ながらも幸せな自らの人生を噛み締めていた。


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