茶会の事 壱
私は今、記録上長い事絶えていた「聖皇御役」という職に就いている。それがどういう事かというと、傍から見たら何をしている神仕なのか分からない、という事である。私はたまたま記録文書を保管する役職に就いていたから聞きかじる程度には知っていたが、私くらい若い神仕は殆ど知らないだろうし、それは単純に戦乱のせいで数が少ないのも関係している。地方から聖都に赴いていた神仕は半分くらいが地元に呼び戻されて帰って来なかったし、残った半分のまた半分は聖都内乱に巻き込まれて還土した。私より若い、アラタくらいの神仕は大体が内乱終了後に大堂に来た者達で、やっぱり古い話を知る者は少ない。
つまり、私は水教大堂内に於いて、ちょっとした「異端」なのだった。
お前がそう言うならいいんだがな、とハライは言って、禿頭をつるつると撫でた。彼は私の亡くなった大叔父の古い友人で、この大堂では数少ない私を知る者だった。当然そういった事情にも詳しいのだが、当人の言葉を借りるなら「老婆心」という事らしい。
冷える大堂の廊下は立ち話には向かない。私とハライは並んで歩いていた。
「まあ、ちょっとは自覚しといてくれって事だ。こないだなんかは肝が冷えた」
彼が言っているのは、多分少し前にあった架橋計画に関するちょっとした問題の事だろう。どちらかと言えば、あれで一番肝を冷やしたのは私なのだが。
「主上の指示に従うなって言ってるわけじゃなくてな? お前さんが安全でいる事が、主上の安全にも繋がるんだってことだよ。分かるだろ?」
大きく頷くと、ハライはちょっと安心してくれたようで、まあ、考えといてくれよ、という言葉を残して、次の角を曲がって去って行った。私は逆方向に曲がって、主上のいる寝殿への道を一人で歩き出した。
彼の言う「考えといて」とは、聖皇御役に関する動議が持ち上がりかけている、という情報に基づくものだった。どうやら私の動きが派手に過ぎると見て取った一派がいるらしく、多分聖皇御役としての権限を縮小する事を考えているのだと言う。
正直に言うと、あまり考えた事が無かった。私が知る「聖皇御役」とは、そのまま「聖皇猊下の側仕え」である。この間のは、まあ、危険に対応しただけだ。それ以上をする気など全く無い。なんなら私から権限の縮小を申し出てもいい。私は別に、そんなモノは欲しくない。
……では、私は何が欲しいのだろう。
唐突に思い浮かんだこの疑問に、私の足は止まった。私が神仕になった理由は、大叔父の勧めに従ったからだ。私が聖皇御役になった理由は、まだ分からない。多分、大神仕なら知っている。つまり、大神仕の勧めだ。
なるほど、私は何かの為に神仕になったわけではないのだ。
分かってはいた。思えば、始まりは私の稚拙な反骨と家名の没落、その程度だ。水教の何たるかの為にここにいるわけではない。主上の為に神仕になったわけでもない。
ただ、今私は主上の為に働こう、と思っている。主上に仕えよう、と思っている。それが結果として水教の為になるならば、私がここにいる理由にはなるのだろうか。
……だが、それは「私が欲しいモノ」の答えではない、と思う。
ここまで考えて、私は初めてそこそこの間廊下の真ん中に棒立ちでいた事、そして、自分の横に誰かいる事に気がついた。
顔を上げると、私の右横には大柄な男が立っていた。一分の隙もない、枯草色の長衣を着ていて、そして両目の部分だけがくりぬかれた、木製の仮面を付けている。しかも、それが四人。
さらに言うなら、その男達は輿を担いでいた。簡素に見えながら頑丈で上等な、天蓋付の輿である。
「そなた」
どこからか軽やかな声がした。私は一瞬その声の主を捜そうとして、すぐに思い当たった。
見ると、輿の御簾の中から、ほっそりとした手が出ていた。
「そなたである。ちと来やれ」
天蓋から下がる御簾の向こうから手招きされる感覚に既視感を覚えながら、私は手の前まで動いて、そして跪いた。すると、男達は輿を下ろし、私の目の前に細い手がぴたりと止まった。
「そなたをの、妾の茶会に招くでな」
輿から響く声は悪戯っぽくそう言い、手が一度引っ込むと一枚の紙を持ってまた出てきた。香の匂いがする、厚い上質な紙だ。
「今夜である故、きちんと来るのだぞ」
そう言った白い手が唐突に紙を離したので、私は慌ててそれを受け取ろうとしたが失敗し、床に舞い落ちた紙を拾い上げて立ち上がった時には、輿はもう出発していた。手はひらひらと振られていたが、すぐに引っ込んだ。
私は呆然と立っていた。我に返って紙を見ると、綺麗な文字で「八の刻に大堂正面に来る事」としたためられていて、右の隅に「誰にも言わず一人で来る事」と走り書きしてあった。もう一度顔を上げると、もう輿はどこにも見当たらなかった。
ハライの話ではないが、確かに最近、私の動きは多少派手だったかも知れない。必要だったとは言え、だ。あるいは茶会の体を取った罠である可能性も否定出来ない。私はあまり政治的に物事を考えたくはないのだが、なまじそういう話を聞いただけに思考が限定気味になる。何より、全く善意で茶会に誘われた可能性も無いわけではない。ただ、私を茶会に招くような知り合いがいるかどうかは別にして、だ。少なくとも私の知る人間でない事は確かだと思う。聞いた事の無い声だったし、見た事の無い輿だった。分かったのは、相手が若い女性で相当の身分であろう、という事だけである。
こんな調子で一応、一通り悩んでみたが、結局断って良い理由が思いつかなかったので行く事にした。が、問題はすぐ生まれた。当然主上である。
「なぁに、何か考えてる事でもあるの?」
考えている事を極力表情に出さないように努めながら夕餉の配膳を行っていた私は、流石にぎくりとしてしまった。何でもない、という風に微笑んでみたが、自分でも硬い笑顔だと思った。
「ねえねえ、何? どうしたの?」
夕餉の献立から完全に興味を失ったようで、執拗に私の方を見てくる。隠し通すのがひどく難しくなったが、それでも隠し通さなくてはならない。主上かあの御簾向こうの女性かは何とも言えないが、少なくともどちらかに迷惑がかかる。何か言われる前に手を打たなくてはいけない、と必死で目を逸らすと、その先に綺麗に洗った生菜の大きな盆を持ってよたよたしているラウラが飛び込んできた。
あまり褒められた事ではないが、これぞ水神の加護だと思った。
したり顔でラウラを呼び寄せ、今夜は二人で寝ては如何か、と出来るだけ冷静に言ってみるとそれはもう効果覿面だった。主上の顔が、先ほどとは違う意味で明るくなった。
「ほんと! ほんとにいいの!」
お食事中は静かに、と促すと、主上は一瞬で黙って静かに、そして優雅に茶碗から粥を啜り、全て平らげると、とびっきりの笑顔で「美味しかったわ。夕餉の係に伝えて頂戴」と言って、会心の気分の私と状況がこれっぽっちも飲み込めていないラウラが膳を下げ終わるまで、本も読まずにじっとしていた。
「で、さっきの続きは?」
盆を持った係の者が去り、私が扉を閉めると、主上は待ちきれなさそうに布団の上でうずうずと身を動かしていた。
本当に失礼だとは思っているが、私は聖皇御役として初めて、主上を御する事が出来たのだ、と思った。
枯竹四手です。宜しくお願いします。
連載14話目の投稿となります。
長い事ご無沙汰していましたが、またぼちぼちやっていきたいと思っています。宜しくお願いします。
そして、新キャラの雰囲気です。
感想等ありましたら、宜しくお願いします。
ばしばし喜びます。




