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捨子の事 了

 緊張で石の様に固まったアラタが身体をがくがくさせながら寝殿(しんでん)を出て行くまで、主上(しゅじょう)は厳かな顔を崩さなかった。一応御簾があったので表情までは読み取れなかったと思うのだが、それでも冷静な声色を保っていたのは、やはり彼女が聖皇(せいこう)であるからだろう。

「ここまで連れてきて」

 主上の言葉で私が促すと、戸惑う様子も無く段を上がって、御簾の前で二度跳ねた。跳礼は知っているようだ。自分が誰の前にいるのか分かっているのかは微妙だが。

 ぼそぼそと主上が喋る声が聞こえたが、何を言っているのかは聞き取れない。ただ、そうしても意味は無い。

 私の手の中には、まだ捨子が持っていた札が握られていた。「声無し、水神(すいじん)に捧げる由」と書いてあるそれの意味は明白だった。

 部屋に入る前、私が話しかけても反応しないし、一言も喋ろうとしなかった。ふるふると頭を振るだけだ。

 どうやら、耳が聞こえないらしい。

 珍しい事だ。流土民(るどみん)だった時代に話を聞いた事はあったが、本当にこういう人間がいるものらしい。

 だが、彼女がここにいる理由もまた明白である。

 あるはずのものが無い。結果、日常生活に支障を来す。どうにもならずに、ついには置き捨てる。

 まだ、真っ当な「子捨て」の論理であるかも知れない。

 足の無い主上が頭に浮かぶ。彼女は一体どこから来たのだろう。そして……。

 少し寝不足だった事もあり、私は考えながら目を閉じていた。はっとして頭を上げ、眠気を払うために首を振って跳礼(ちょうれい)する。

 そして、捨子がどこにも居ない事に気づいた。

 一瞬息が詰まったが、すぐに気を取り直して室内を見渡し、見当たらない事を確認する。窓は高いし、唯一の扉の前には他ならぬ私が居る。どこかにいるはずなのだ。もっと冷静になる為に小さく深呼吸する。

 そして、何だか楽しげな、はしゃぐ声が聞こえる事に気づいた。

 御簾の中から。

 一応背後を見てから、私は高寝床に歩み寄った。

 窓からの光で絹の御簾は光り、中の影を映し出している。

 私は、御簾を跳ね上げた。

「あっ! ねえねえ」

 主上はいつもの様に大きな枕を背中に当て、高寝床に座り込んでいた。

 そして、寝床にもう一人の少女が座り込んでいた。黒くて艶のある髪の毛は肩に届かないくらいまで伸びていて、柔らかい表情が浮かんでいるが、今それは多少困った風に眉が下がっていた。そして、主上はにやにやしながら彼女の頭を撫で続けている。

「いいでしょ」

 何がいいのか分からない。分からないが、彼女が何を考えているのかは分かる。まず間違いない。

 彼女は、この少女を甚く気に入ったのだ。それはもう、恐ろしいくらいに。


 致し方ないので、私はとりあえず妥協案を提示する事にした。さっきも言ったが、私は主上に讒言する事が仕事なのだ(と思っている)が、彼女の恐ろしいまでの好奇心と頑固さには膝を折る事しか出来ない。

 当然の如く、主上は反対した。

「それって危なくないかしら? 私の側にいれば、簡単に手は出せないでしょ?」

 こちらが危惧しているのはその少女の身ではなく、主上自身の身である事は理解してもらえなかった。しかし、たとえ聖皇降命(せいこうこうめい)であろうと手続きを踏むのが規則であり、正当な手法である事を必死で説くと、彼女は頬を膨らませながらも承諾し、黒髪の少女を離して、私に預けた。

「三日だからね、それまでだからね!」

 とてつもなく名残惜しそうにする主上に、少女は笑みを浮かべて手を振った。

 つまり、私は期限を切られたわけだ。三日だけ。


 取りあえずは、私の部屋にいてもらう事にした。ひいき目に言っても片付いているとは言い難いが、無いよりはマシだろう。

 取りあえず寝床に座らせ、ここにいる様に告げようとして、困ってしまった。そう言えば、彼女は耳が聞こえないのだ。捨てられていた所から判断すると、多分文字も読めないだろう。一縷の望みを賭けて、木簡に「ここにいて」と書いて差し出してみたが、案の定首を傾げて微笑むだけだった。まずい。

 結局、身振り手振りでここにいる様に伝えた。正確には私の必死な様子から何となく察したらしい彼女が、笑い転げながらも頷いた事を確認した、というのが正しいが、結果は一緒だ。

 ついでに、気心の知れた饗応処(きょうおうどころ)神仕(しんし)を呼んで来た。状況を説明するとすぐに飲み込んでくれて、内緒で食事を運ぶ事を約束してくれた。

 これで当面は大丈夫だ。さて、三日の間に、大神仕も主上も、他の神仕も納得する「理由」を考えなくてはならない。


 二日悩んだ末、私はこっそり学舎(がくしゃ)に赴いてナカリ中教授(ちゅうきょうじゅ)に会う事にした。大神仕(だいしんし)は相談相手には向かないし、他に思いつく人はいない。というより、大堂内でこういった事を頼れるのは大神仕と彼くらいなのだ。

 中教授は事情を聞いて目を剥き、渋い顔のまま跳礼して、ため息をついた。

御役殿(おやくどの)がお諌めするべきだったのではないかな……」

 それは重々承知していたので、私は頭を下げるしかなかった。中教授は何故か慌てた。

「いや、私はこういう事を言える立場ではない。失礼したのは私の方だ」

 そう言って、彼は数刻思案顔で部屋の中を歩き回っていたが、ふと思いついたらしく「暫し待たれよ」と言って本箱を漁り始めた。一つ目の箱には無かったらしく、空になったそれを不満げに脇に避け、次の箱の中身も大半出した所で、ようやく感嘆の口笛と共に顔を上げた。

「これだ、これ」

 彼が出してきたのは、古ぼけた木綿布で装丁された薄い本だった。刺繍は色褪せてほとんど分からないが、どうやら水神の縫い取りらしい。

布本(ぬのほん)だ。頁を木糸(きいと)で織った堅い布で作り、内容は全て刺繍で縫い取って書く。道楽でなければ 供養か修行で作るような物だ」

 ゆっくりとそれを開くと、粗い織り目の頁には細い刺繍糸で文字が縫い取ってあり、挿絵も刺繍で出来ている。

「当然相当の手間がかかる。内容はともかく、布本で二十頁も作ってあるのは非常に珍しいので、ある貴族から資料として譲ってもらったのだ」

 確かに、これは難業だろう。制作者には頭が上がらない。中教授は慎重に数頁を繰って「ここだ」と一節を指した。黒糸だったらしい文字の縫い取りはすっかり色が抜けて灰色になり、読み辛かったが、何とか追う事は出来た。

「ここには、水神に誤って近づきすぎた地の民が神の周りに渦巻く水流によって耳を奪われ、何も聞こえなくなってしまった事を神が嘆いて、彼を水に変え、側仕えの水流が一つとした、という伝説が書いてある。一部の本にしか残っていない伝承で、あまり多くは知られていないが」

 私もそれは知らなかった。恐らく「神に近づく勿れ」という教訓譚なのだろうが、これは少々過激に過ぎる、と判断されたのだろう。大体、これが事実なら私は耳どころか目も口も奪われている。そんな私の気持ちに気づいたのか、中教授は小さく笑った。

「確かに、御役殿には文字通り耳が痛い話であろうな」

 その通り、と思って、思わず私も微笑んだ。彼には冗談の才能がある。中教授は空咳をして、本を指し示した。

「……さて、何故これを見せたのか、という事だ。御役殿の話によるとその少女、耳が利かぬそうだな」

 得心がいった私は頷いた。確かにこれは使えるかも知れない。

「大神仕殿にはこの方向で通すといい。彼は承諾する」

 やけに訳知り顔で言うので不思議に思っていると、彼はまた小さく声を出して笑った。

「まあ、見ていたまえよ。これを持っていくといい」

 中教授は布本を閉じて、私にそれを差し出した。ありがたく受け取って懐に入れる。終わったら返してくれ、と彼は言って、乱雑に積まれた本はそのままに、用事があるから、と部屋を出て行った。ちょっと気になったが、下手に触るのも怖い。片付けは諦めて、私も部屋を退散した。


 中教授の予言通り、大神仕はあっさりと首肯した。

「筋が通れば良いのだ。故事伝説に依る物なら尚更だ。古老はそれで納得するし、若輩には教導の一端となろう。神は時にそういったモノを伴い、それはひどく気まぐれだ」

 そう言った彼は布本から顔を上げて、それを私に返した。皺だらけの神経質な表情は、いつもどおり無感情だ。

「大堂内には私が話をつける。だが常に主上のすぐ横にいるのは好ましくない。以上だ」

 つまり、主上には私の「妥協案」で通せ、ということだろう。ほっとして胸をなで下ろし、辞去の礼をすると、大神仕が私を呼び止めた。

「……君が筋を付けた事は、評価に値する」

 それだけ言って彼はまた大量の書類に目を落とし、もう頭を上げなかった。


 主上の元に参じて説明すると、彼女はとても喜んだ。

「駄目って言われた時の作戦を五通りくらい考えてたんだけどね」

 彼女はひとしきりベッドを転げ回った後、乱れた髪の毛を手櫛で整えながらそう言った。良かった、本当に。彼女の言う「作戦」は、いつも通りとんでもない物だったに違いない。

「いつも一緒にいられないのは残念だけど、しょうがないよね」

 珍しく妥協の姿勢を見せているのは、それほど彼女の事が気に入っている証拠だろう。微笑ましいのだか打算的なのか微妙な所だが、取りあえずは一件落着だ。

 という事で、私の質素な部屋に同居人が出来た。


 彼女には名前が付けられる事になった。どちらにしろ呼び名には困っていたのだ。問題は主上が名付けてしまうと諸問題が発生する可能性がある事だけだ。

 そういう事なので、私はまたぞろ学舎に出かけた。少女にはゆったりした頭巾を被せ、一応顔を隠した。不思議そうにきょろきょろとして、あちこちにふらふらと歩いていってしまう彼女を抑えるのは大変だったが、どうにか中教授の部屋まで辿り着く事が出来た。

 流石にこれは予想出来なかったらしく、中教授は私たちを見るなり飲んでいた茶を盛大に吹き出した。思わず笑ってしまったが、彼は珍しく焦っていた。

「いや、これは……まあ、いやはや……」

 頭巾を取って、あちこちに積まれた本を、微笑みながら興味深げにつついている少女を横目に、彼は頭を掻いた。

「名付けまでは手伝えんよ。私が付けても主上は納得すまい」

 私は頭を横に振って否定し、事情を説明した。

 大堂の諸神仕を納得させるため、大神仕は彼女を聖皇御役助(せいこうおやくじょ)という新しい役職に据える手続きをしたのだが、そこで問題になったのが、彼女の由緒に関する記録が無い事だった。彼女が主上の側仕えになる事は伝承を根拠とした奇妙な「筋」で納得されたのだが、突っ込める所には突っ込んでおこうという輩がいるのもまた事実だ。捨て子なのだからそんなモノがあるはずは無いのだが。

 聖皇降命で乗り切る事も検討されたが、理解が得られそうになかったので、主上の許可を得た上で、彼女を私の養女にする事で状況が決着した。最初は大神仕の養女になる予定だったのだが、主上の出した許可の条件は彼女を私の養女にする事だった。そして、私に「ぴったりの名前を付けてあげて」と言ったのだ。てっきり主上がこっそり名付けるものだと思っていたので、私はびっくりした。

「アナタの養女になるのなら、アナタが付けるのが当然でしょう? 彼女が私の側に居れるようになったのもアナタのおかげだし、ご褒美だと思って頂戴」

 正直に言えば、ご褒美どころか恐ろしい重荷になってしまった。独身で若輩の私には身寄も知識も無く、良い知恵を授けてくれそうな人が中教授しか思いつかない。

 そう説明すると、中教授は大きなため息をついた。

「私も独身なんだがね?」

 ……知らなかった。落ち着きのある人だったので、てっきり妻子が居るのだろうと思っていたのだ。今度は私が慌てる番だった。

「いや、別にそれは大した問題ではない……。ふむ、この間の布本は持ってきてくれたかね」

 彼に言われて思い出し、懐から布本を出して机に置いた。中教授は頁をめくって、あの伝承が書かれた部分を表した。

「ここに書かれた地の民が神を取り巻く水流になったのは説明したと思うが、この挿絵を見たまえ」

 覗き込むと、そこは一頁をほとんど埋めた水神の姿を、五つの円が取り囲んでいる刺繍があった。

「これによると、地の民がなった水流は水神の上から四番目の円になったとある。……何か気づく事は無いかね」

 なるほど、と思い、私は首肯した。水神もとい主なる川である央河(おうが)の五つの支流の内、上流から数えて四つ目の川であるラウラ川の事を言っているのだろう。

「故事伝説の類に忠実であるべきならば、これほどぴったりな名前もあるまい」

 素晴らしい考えだ。丁重に礼を言うと、中教授は何とも言えない、微妙な笑みを浮かべた。

「私を頼ってくれるのは嬉しいのだが、頼りすぎるのは良くない。教義と一緒でな」

 ……耳が痛い。重ねて礼を言い部屋を辞そうとしたが、中教授は私を手招きして止めた。

清名(せいめい)は決めてあるのかね?」

 私はちょっと考えて、それから頷いた。

 何でも彼に決めてもらうのは良くない。自分で考えよう。


 次の日、私は黒髪の少女を引き連れて大神仕の執務室に入った。出来上がった書類を手渡すと、彼をそれを一瞥し、上目遣いで私を見た。

「これでいいのかね」

 私に言ったのか少女に言ったのかは判然としなかったが、私も、それから彼女も頷いた。それを確認して、大神仕は無感動なまま書類を机に置いて署名し、指輪で印を捺した。

 こうして彼女は聖皇御役助ラウラ=アルワ=ラウアルワ神仕となった。直訳すると「四の川の四川」というとんでもない名前かも知れないが、少なくとも彼女は納得したようだし、主上に至っては笑い転げていたので、まあ、いいのだろう。多分。これでも一晩考えたのだ。

 大堂内では清名が通称なので、彼女はラウアルワと呼ばれるようになった。が、やっぱり言い辛いのか、自然と「ラウラ」と呼ばれるように変わり、当人もどうやらそっちの方が良いようだ。

 ちょっとだけ、不満である。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載十話目の投稿となります。


 かなり間が空いてしまいましたが、「捨子の事」終了です。

 彼女には出番がたくさんありそうです(笑


 感想等ありましたら、宜しくお願いします。

 延々喜びます。

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