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 私はある上流貴族の家に生まれた。今となっては私しかいない血筋だが、当時は多くの使用人を使い、華やかな生活を送っていた。

 私の父は手広い商売をしており、正直な話をすれば家で出会った記憶があまり無い。母は神仕(しんし)として大堂に勤めていたのだが、父に見初められて職を辞し、私を生んですぐ還土(かんど)した。つまり亡くなった。それで、私は物心つくまでは乳母に、物心ついてからは家庭教師に育てられた。別にそれがどうと言うわけではないと思うが、私は従順で物静かな人間に育ったのだと思う。

 当然の成り行きだったと思ってはいるが、私は殆ど接する機会の無かった父の後を継ぐつもりは無かった。正直な事を言えば、流土民(るどみん)の楽団に憧れ、弦器(げんき)の演奏者になりたかったのだ。十七歳の誕生日にそれを父に打ち明けると、父は何も言わなかった。しかし次の日、私は僅かな路銀と一緒に家から放り出された。

 が、やはり反骨精神の強い時期だったので私はそのまま流土民の列に加わり、二度と家になど戻るかと固く誓った。驚いた事に私と同じ境遇で年上の貴族子弟が何人か居て、普通に考えれば(当時は勿論、そんな事など思いつきもしなかったが)恐らく列に加わる人達に身体を売るしかなかったであろう私の近い将来を劇的に変化させてくれた。彼らに流土民の秩序を教えられ、手習いした弦器を掻き鳴らし、皆で踊って過ごすような生活がなんと七年も続いたのだから、劇的だっただろう。

 しかし転機が訪れた。流れ着いたとある市に出店を開いていたら、ほとんど泣き崩れるような形で私を抱きしめる老いた神仕が現れ、仰天した。それは私の大叔父で、幼い頃に数度会ったきりだったのだが、私の事を覚えていたらしい。

 幸いだったのか当然の成り行きだったのか、はたまた私の幼稚な反骨精神の残滓(ざんし)だったのか、私は未だに身分を証明出来る物をいくつか所持していた。指輪印(ゆびわいん)とか清名札(せいめいふだ)などである。それでもって私は正式に身分を確認され、ついで相次ぐ戦争の煽りを受けて事業が壊滅し、ほぼ無一文になった父が亡くなったどころか家系が離散し、上流貴族である私の家名が消滅せんとしている所だという事を知った。そして、それを守る事が出来るのが私だけなのだという事も知った。

 しかし、時節は水教内部の反目が最高潮に達していた頃で、特に政治において非常に慌ただしい時期であった。上流貴族側が擁立した聖皇(せいこう)は暗愚で、当時の聖皇領衛士団長に命じて水教の大堂を強襲し、湧流貴族(ゆうりゅうきぞく)を倒そうと画策したのだが、それが明るみに出ると上流貴族達はあっさり彼を見捨て、聖皇は退位して側近は失脚した。大叔父は湧流貴族の方に繋がりがあり、この事件の結果、ある部署の管理総責(かんりそうせき)として大堂に入る事となった。親切な彼は、私に一つの選択を提示してくれた。つまり水教の大堂院(だいどういん)に入って修行の身になり、ほとぼりが冷めた頃に家名を再興すればよいのだと。私はその提案を受け、没収されなかった微々たる財産の全てを信託の形で彼に預け、大堂院に入った。そして三年の修行の後、大叔父の死亡に伴い家名の再興を願い出て許可され、ようやく私の不孝も消え去った。

 が、間の悪い事は続く。湧流貴族の衛士(えじ)同士による小競り合いが火種となった、聖都内乱が起きたのだ。当時大堂で神仕助控(しんしじょひかえ)になっていた私は、大叔父の遺言に従う事にした。つまり、聖皇後継者争いで揉めていた湧流貴族の元を離れ、当時の大神仕を筆頭とした新聖皇派の側に身を寄せたのだ。湧流貴族によって出世した大叔父は、湧流貴族の致命を見切っていたということである。

 地方の一神仕であった当時の大神仕(だいしんし)は、出身の村で「聖女」を賜った者として中央に進出し、新興の派閥として当然政敵も多かったようだが、聖女を前面に押し出して民衆の支持を得るようになると、あっという間に上流貴族の支持をも得て一大勢力を築き、そして聖女を聖皇に擁立しようとした結果、衛士団を派遣して聖都内乱に介入していったのだった。

 三ヶ月の後、貴族間での停戦が合意して、湧流貴族側の衛士団長二人と上流貴族の神仕数人が解任ないし連座処分され、ようやく事態は沈静化した。ごたごたの内に湧流貴族の擁立していた幼い聖皇が倒れ、次皇の選定によってこれ以上の揉め事が起きる事を嫌った湧流貴族の穏健派が、新聖皇派との調整に乗り出したからである。これによって彼らは大堂内での地位をある程度確保し、勢力を維持する事に成功した。しかし結局のところ、勝者は新聖皇派だった。停戦直後に大神仕は還土したが、湧流貴族出身の新しい大神仕は現実をちゃんと理解していて、至極丁寧な人選でもって大堂内人事を立て直し、聖女を聖皇として宣言した。

 以上が、私の半生である。


 内乱終了時、私は正神仕(せいしんし)になっていた。各文書の管理をする文書処(もんじょどころ)にて水源管理の書類を整頓する仕事に就いていたのだが、内乱の煽りを受けて一度解任され、再度大神仕による辞令を受けることになっていた、はずだった。

 しかし、私には何故か辞令が降りず、私は大堂内の自室で待機するしか無かった。訳が分からなかったが、大叔父が亡くなった今、完全に天涯孤独となった私には繋がりも無い。よく話す饗応処(きょうおうどころ)の神仕は何も知らないし、黙って待つ事しか出来なかった。

 そんな生活が八日ほど続いていたが、九日目の深夜、私の部屋の扉が叩かれた。眠い目をこすりながら開けると、頭巾と長衣(ながえ)で全身を覆った人物が音も無く滑り込んできて、私が驚く間もなく扉を閉め、とんとん、と二度地面を蹴って跳礼(ちょうれい)した。

「お静かに。貴君(きくん)の次席を通達しに参った」

 彼(声で男性と判断した)はそう言うと、懐から一枚の紙を取り出し、混乱している私に差し出した。

「明日早朝に、大神仕の執務室に来るのだ。そこで仕事の指示がある」

 それだけ言って、彼は来た時と同じ様に無音で部屋を出て行った。取り残された私は呆然としていたが、ふと気づいて、きっちり手に押し込められた紙を見た。大堂での正式な書類に使われる厚手の上質紙で、几帳面な四角い文字で小さく一行、たった一行だけ文が書いてあった。

 一言『卿を聖皇御役(せいこうおやく)に任ずる』。それだけだった。ただ、その下には大神仕の指輪印では無く聖皇印が刻まれていた。つまり、正式な辞令、否、聖皇降命(せいこうこうめい)ということだ。


 ……このたった一行の書類が、私の「聖皇御役」としての始まりであった。

 枯竹四手です。宜しくお願いします。

 連載一作目の投稿となります。


 はい、こちらが予定されていた「ファンタジー」です。「ファンタジー」です!

 今の所そんな雰囲気はあまりありませんが。


 目標は鎌倉仏教風味です。

 そして、週一で投稿するのが二つ目の目標、3000字前後で続けるのが三つ目の目標です。


 感想等ありましたら、宜しくお願いします。非常に喜びます。

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