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17話 元レース用商用車

 「おーし。教科書運ぶぞー。全員校門前に行って」


 結城先生の号令が響く。昨夜、スピリタスと格闘しながら「しおり」を書き上げたとは思えないほど、今日の彼女はシャッキリとしていた。アルコールの分解能力までGT-R級なのだろうか。


 「はーい……」


 俺たちの返事は、春の陽気とは裏腹にどんよりと濁っていた。遠い。とにかく、校門から俺たちの「潜水艦教室」までは絶望的に距離がある。しかも、行きは手ぶらだが、帰りは物理的な重量(知識の塊)を両手に提げて戻らねばならない。足取りがゾンビのように重くなるのは、生物としての防衛本能だ。


 だが、校門に着いて俺たちは首を傾げた。何もない。教科書の束も、配送業者のトラックも、段ボールの山一つ見当たらない。


 「どーゆーことっすか?」


 一人の男子が勇気を出して聞いた。その通りだ。俺たちは教科書を運ぶために、この貴重な午前中のエネルギーを割いてここまで来たのだ。


 「車待ち」


 結城先生はスマホを眺めながら素っ気なく答える。


 「なんで車を待ってるんですか?教科書を待ってるのでは?」


 ど正論を誰かがボソッと呟いた。


 「教科書を運ぶための『車』を待ってるの。少し離れた大きめの本屋にブツがあるんだけど、私のR34じゃ、そんなに量は運べないでしょう?だから、知り合いに頼んで量を運べる車を持ってきてもらってるんだよね。そろそろ来てもいいはずなんだけど」


 なるほど。本屋まで「取りに行く」スタイルか。この学校、備品の配送すらケチっているのか?そんなことを考えてたその時、地を這うような乾いた排気音音が聞こえてきた。


 ヴアアアアアアアアン!!


 現れたのは、一台の白いワゴン。商用車の王、トヨタ・プロボックス。だが、何かがおかしい。営業回りのそれにしては車高が低すぎるし、鉄チンホイールの奥には、場違いなほど巨大な赤いキャリパーが覗いている。


 「おーい友希。持ってきてやったぞ」


 運転席から降りてきたのは、作業着をラフに着崩した、渋いおっさんだった。


 「こいつは結城裕二。私の父。54歳」


 「『こいつ』ってひどいなぁ、友希」


 「知り合い」って父親なのか。正直親子で全く似ていない。多分結城さんは母親似なのだろう。


 「お父さん、こいつのスペックは?」


 先生が我が子を見るような目で聞いた。父親はフッと笑い、ボンネットを軽く叩く。


 「ああ、引退ほやほやの元レース車だから、まあまあだな。1.5LのNA(自然吸気)で圧縮比をだいぶ上げて、エンジンの内部パーツを軽量なものに変えたり、ECUの現車合わせチューニング、特注のマフラー交換。その他諸々しまくって、実効値8300回転で180馬力。レッドゾーンは10500回転からだ。 もちろんタコメーターは社外品に変えてある。ブレーキパッドはBrembo製、駆動形式はFF。スペック自体の数値はまあまあだが、内装を全部剥いであるから、だいぶ軽いぞ」


 「じゃあ、この車借りるよ」


 「貸さんよ」


 「え?」


 親子揃って、フリーズした。俺たちもフリーズした。


 「これ、もういらんことなったらしいから、やるよ。教師になって人を乗せることも多くなるだろ? R34なんか人も荷物も乗らないだろうしな」


 「…………ありがとう」


 先生は、父親への感謝「は」しているようだった。だが、愛車のR34を遠回しにディスられたのが、走り屋としてのプライドに触ったらしい。眉間が少しピクついている。


 「じゃあ、本屋行ってくるわ」


 「一人でですか?教科書って相当重いでしょう」


 イチが珍しく自分から発言した。どうした、次男の一郎。もしかして、あの「バケモノ・プロボックス」の助手席を狙っているのか?


 「あー。じゃあ、佐渡くん。ついてきなさい」


 「えー……」


 「ついて、来なさい!」


 有無を言わさぬ圧力。周囲の男子から「なんであいつばっかり」という嫉妬の視線が突き刺さる。そして、我が家の女子勢、彌生は「また女たらしの本領発揮?」と言わんばかりに目を細め、夜露は「……ドナドナなのです」と寂しげに手を振っていた。


 「友希?お父さんはどうやって家に帰ればいい?」


 「歩いて帰って」


 「ひどいなぁ……」


 実の親を放置して、先生はプロボックスに乗り込んだ。俺も助手席へ滑り込む。内装は確かに剥き出しで、フロアマットすらなく、無骨なロールケージが張り巡らされていた。ただ、ソレは純粋なレーシングカーではないのかもしれない。後部座席があったのだ。普通に考えたら、少しでも車重を軽くするために後部座席は取り外す事が多い。


 「本屋ってどこにあるんですか?」


 「6km先。じゃあ行くわよ」


 ギャギャギャギャギャッ!!

 ヴアアアアアアアアアアアアアン!!


 「うわっ!?」

 

 加速の衝撃で首が後ろに持っていかれる。軽い。軽すぎる。R34が「重厚な剣」だとしたら、このプロボックスは「剃刀」だ。車体がエンジンの咆哮に振り回されているような、危ういバランス。


 横を見ると、先生が笑っていた。大爆笑している。


 「なんで、そんなに笑ってるんですかぁっ!?」


 「だって、低回転領域がスカスカすぎるのよ! 5000回転以下は死んでるわね。こんなの公道で乗るもんじゃないわ……流石、元レース車! 最高にバカな車ね!」


 狂喜乱舞する担任教師。時速はおそらく、住宅街で出していい数値を優に超えている。


 本屋での作業は、まさに重労働だった。「1年A組・30名分」の教科書。現代文、古典、漢文、数1、数A、リーダー、グラマーetc……。一冊一冊は薄くても、それが束になり、30倍になると、プロボックスの積載限界に挑むような重量になる。


 「はい、これ持って」

 「重っ! 先生、これ本当に一気に運ぶんですか?」

 「時間は有限なのよ。積んで積んで!」


 帰り道、教科書の重みでプロボックスのリアが沈み込み、跳ねるような挙動は少し収まったが、代わりにブレーキを踏むたびにブレーキパッドがキィキィと悲鳴を上げた。


 学校に到着すると、校門前ではまだ生徒たちが「いろいろ」しながら待っていた。

 

 「お待たせ! 教科書到着よ!」


 リアハッチが開かれ、文字通り「知識の山」が姿を現した。


 「これを、各自……じゃなくて、みんなで協力して教室まで運ぶ。いい? 出席番号順に分けるなんて非効率なことはしないわ。持てるだけ持って、さっさと歩きなさい!」


 俺たちは、再びゾンビの群れへと戻った。腕に食い込むビニール袋の紐。階段を登るたびに、体内の酸素が奪われていく。


 ようやく辿り着いた「窓のない教室」。机の上にドサリ、ドサリと教科書が置かれていく。紙の匂いと、インクの香りが、密閉された空間に充満した。


 「はい、全員座って。自分の名前が書いてあるか確認しなさいよ。間違ってたら、それは運命だと思って諦めること」


 「諦めさせるなよ……」


 俺は、まだ指先に残る教科書の重みを感じながら、自分の席に座った。目の前には、真新しい、まだ折り目のない教科書。


 「これで、ようやく授業の準備が整ったわけだ……」


 イチが隣で、自分の一郎という名前が書かれた表紙をじっと見つめている。夜露は早くも「倫理」の教科書をパラパラとめくり、「カントは猫派だったのか気になるのです」と独り言を言っていた。

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