15話 1学期の日程を確認しよう
「次に、1学期の日程確認をしていくよ。メモしたい人はしてね」
教壇で結城先生が気だるげに告げた。クラスの約半分がメモ帳を取り出す。もちろん俺もペンを握った。意外だったのは、隣の夜露までがメモをとろうとしたことだ。あの「歩く百科事典」並みの記憶力があれば、正直メモなど不要な気がするが。
「まず、三日後の4月9日から三日間、『旧校舎宿泊』があるよ。初日の集合は朝7時、最終日の解散は19時頃の予定だから、家の人に言っておくこと。しおりは今日、私がテキトーに作って明日渡すから」
旧校舎に、宿泊。この窓のない潜水艦のような校舎だけでなく、さらに古い建物に泊まり込むというのか。夜の学校その響きだけで、背中に微かな期待と薄気味悪い予感が走る。
「次。4月16日は身体測定に内科、心電図、眼科、歯科、耳鼻科……要するに検診デーね。体操服で登校すること。」
「センセー、体操服ってまだもらってないっスけど?」
名も知らぬ男子生徒の質問に、先生は「あー」と天井を仰いだ。
「確か職員室に届いてた気がする。ちょっと待ってて、取ってくるから」
ガラガラガラ、と小気味よい音を立てて引き戸が閉まる。先生が退室した瞬間、教室はダムが決壊したような騒がしさに包まれた。話題の中心は、もちろん「旧校舎宿泊」だ。
「宿泊って何すんのかな。勉強漬け?」
「ご飯はどうするのよ。自炊?」
「カレーだろ。学校行事の定番だしな。」
何を食べ、どこで、誰と寝るのか。風呂はあるのか。そんな喧騒の中、俺の右隣の席の男だけは、石像のように黙りこくっていた。左側の熱気と右側の静寂、その極端な温度差に耐えかねて、俺はそいつに声をかけることにした。
「ねぇ、君。名前は?」
「にっ、……弐野一郎。一郎だけど、次男」
絞り出すような声だった。だが、少し話して直感した。こいつ、根は明るいタイプだ。極度のコミュ障ではあるが、「次男なのに一郎」という矛盾を自分から説明するあたり、サービス精神が隠しきれていない。
「俺は佐渡斉昭。じゃあ、イチ。お前は旧校舎宿泊、何すると思う?」
「さぁ……。来る時にチラ見したけど、あそこ相当ボロかった。たぶん、掃除とかさせられるんじゃないかな。でも、夜の学校ってワクワクするよね。……何か出そうで」
「俺もそう思うよ!」
少し強めに共感してみる。イチの声が、ほんの少しずつ、確かな熱を持って大きくなっていく。他人の心が開いていく感覚は、案外心地がいいものだ。
ガラガラガラ、ダンッ!
「ふぅ……重かった。一人ずつ渡すの面倒だから、頑張って取ってね。袋に名前書いてあるから」
戻ってきた先生は、大きなビニール袋の塊を抱えていた。たかが体操服を配るのに「頑張れ」とは一体どういう……
「そぉれいっ!」
バサァッ!
宙を舞う体操服。群がる生徒たち。それは学校行事というより、田舎の祭りの「餅まき」に近い光景だった。だが、餅と違って中身には個人の名前が記されている。俺は混乱が収まるのを待つのが得策だと判断した。
「な、ナリ。これ」
いつの間にか人混みを潜り抜けていたイチが、二つの袋を手に戻ってきた。差し出された片方には、確かに俺の名前が書いてあった。……なぜか、少しだけ血のような赤いシミが付着しているが、あえて触れないでおこう。
「はい、自分の見つけた人は席について。邪魔だから」
全員が着席し、先生が再びブロックメモをパラパラとめくり始めた。目を細めて凝視している。老眼か、あるいは自分の汚い字が読めないのか。
「あー、あとはテスト日程ね。5月10日から中間、6月28日から期末。7月21日から夏休み。詳細はプリント見て」
高校生活。やはり勉強からは逃れられないらしい。中学時代、俺はろくにペンを握らなかった。父に連れ回され、山、川、海、そして父の酒飲み仲間たちの集会。学校へは月に十日通えればいい方だった。
「あと二つ、大事なこと。地震が起きても放送は鳴らないから、揺れが収まったら黙ってグラウンドへ。あと、不審者が来たら『お客様が到着しました、拍手でお出迎えを』って放送が入るから。絶対にお出迎えしちゃダメだよ? 鍵を閉めて、机でバリケードを作るの。わかった?」
「はーい」
不審者を拍手で迎えるな。あまりにシュールな防犯標語に、俺はメモを取る手が止まった。
「質問は?……なさそうね。じゃあプリント配るから。秋山さん、これ各列に回して」
先生から束を受け取った夜露は、瞬時に五枚を抜き取り、残りを横の列の先頭へ渡した。無駄のない連携。先生は動くことなく、プリントは教室全体へ行き渡った。
「明日は1、2時間目が教科書販売で潰れるよ。……よし、これでロングなホームルームを終わります。気をつけ、礼」
無心にお辞儀をする。
「今日の学校は終わり。帰っていいよ、お疲れ様。あ、この学校の登校時刻は8時50分だから。遅刻しないようにね」
これから「お疲れ様」を言う側から、言われる側へ。俺は、血のついた体操服と、謎に満ちた年間予定表を鞄に詰め込み、窓のない教室を後にした。




