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11話 新世界

「れっつごー、新世界ニューワールドなのです。」


 桜の花びらがアスファルトを薄紅色の絨毯に変える、春の朝。今日から俺、佐渡斉昭は高校生という「義務教育の防波堤」を越えた外洋へと漕ぎ出すはずだった。だが、なぜか俺の左右と背後には、制服に身を包んだ「歩く火種」たちが揃っている。


 清楚なブレザーに身を包んだ彌生、ボタンが弾けそうなほど発育のいい皐月、そして袖が余りまくっているオーバーサイズの夜露。……お分かりいただけるだろうか。この地獄のような注目度を。登校中の野郎どもの視線が、レーザーサイトのように俺の眉間に集まっている。


 「あいつ、女3人を侍らせてやがる……」

 「入学初日から爆破しろ」


 そんな殺意が背中に突き刺さる。俺の高校生活の第一印象は、もはや「女たらしの不届き者」として確定したも同然だった。


 「アウグストゥス〜ティベリウス〜カリグラ〜クラウディウス〜ネロ〜ガルバ〜オト〜ウィテリウス〜……」


 そんな俺の心労をよそに、隣を歩く夜露は謎の呪文をリズミカルに唱えていた。メロディは軽快だが、内容は歴代ローマ皇帝のリストだ。五賢帝すら通過点と言わんばかりの圧倒的な人名羅列。


 「なぁ夜露。お前、その……古代国家の権力者の知識、どこで仕入れたんだ?」


 「朝のきょーいく番組で、お姉さんが血を流しながら歌ってたのです。自然と脳の海馬に刻まれたのですよ。」


 どんな教育番組だ。R指定でもかかっているのか。


 「じゃあ、ローマ帝国の最大版図を築いたのは?」

 

 「トラヤヌスなのです。ダキアをボコボコにして、地中海を『我らが海』にしたのですよ。」

 

 「……背教者と呼ばれたのは?」


 「ユリアヌスなのです。多神教を復活させようとして、時代の濁流に飲み込まれた悲劇のインテリなのです。」


 夜露は淡々と、しかし確かな知識をアウトプットする。こいつ、普段は猫の真似をしてゴロゴロ言っているくせに、脳みそのスペックは高性能なのか。


 「さっきからあんたたち、歴史オタクの密談はやめなさいよ!着いたわよ、ここが戦場ガッコウよ!」


 彌生が指差した先には、看板に「田田田たでんだ高校」と書かれた巨大な校門がそびえ立っていた。


 「新入生の下駄箱は、銀河のどこかにありまーす。各自、○ォースを感じて探すように。」


 「案内が雑すぎるだろ!」


 校門前の案内係は、死んだ魚のような目で空を指差していた。広大な敷地から下駄箱一つ探せというのか。


 「ふふん、こういう時こそ科学の力〜。」


 皐月がリュックから取り出したのは、ラジコンカーだった。しかも、やけに細部まで作り込まれたブガッティ・シロン。


 「おい、学校にそんなもん持ってくるな!速攻で没収されっ」


 「貴様ッ!校門前で何たる不穏なブツを所持しているのかね!」


 案の定、竹刀を持った生活指導らしき男が血相を変えて飛んできた。


 「これは……1/10スケールのブガッティ・シロン、W16エンジン再現モデル(ラジコン)ですが、何か?」


 皐月が涼しい顔で答える。指導員はラジコンをまじまじと見つめ、その造形美に息を呑んだ。


 「速そうだから許可する!速さは正義だ!」


 校風がバカすぎる。


 「ついでに下駄箱の位置、教えて欲しいな〜(♡)」


 「ええい、そのブガッティに免じて教えてやろう。ここを直進し、北校舎の裏を左折、その先にある………」


 皐月は勝利のドヤ顔を俺に向けた。絶対、計算じゃなくて「なんとなく」持ってきただけだろう。


 教えられた通りに進むと、そこにあったのは下駄箱……ではなく、外壁に後付けされた、錆びだらけの鉄製非常階段だった。


 「さっきのやつ、絶対嘘ついたわよ!新入生に非常階段を登らせる学校なんて!」


 彌生が毒づくが、夜露は迷わず階段をタン、タン、タンと軽快に登っていく。屋上付近の非常出口。その重い扉を「ガチャッ」と開けた瞬間、世界が変わった。


 廊下いっぱいに並ぶ、真新しい下駄箱。そして……


 「ようこそ、鉄の階段を越えし同志諸君。よくぞこの試練を突破した!」


 そこに立っていたのは、角刈りに筆のような立派な髭を蓄えた、長身の男だった。威圧感がすごい。


 「Кто ты?(あんた、誰?)」


 突然、夜露がロシア語で問いかけた。俺の隣で、この猫娘がいきなりキリル文字の波動を放ち始めた。


 「Я президент студенческого совета этой школы.(私はこの学校の生徒会長だ。)」


 男が完璧な発音で返した。夜露の目がキラキラと輝き、尻尾(見えないが)がブンブンと振られる。


 「息子!この人、生徒会長らしいのです!ロシア語が通じたのです!ボルシチの匂いがするのです!」


 「お前、なんでロシア語なんて……いや、もういい」


 ツッコミを諦めた俺の前に、生徒会長が歩み寄る。


 「歓迎しよう。この星輪サマの治める楽園へな。感謝の印として、校歌を三唱してもいいのだぞ?」


 「……あ、いえ、遠慮しておきます。」


 傲慢だ。尋常じゃなく上から目線だ。すると星輪の背後から、ツルツルの禿げ頭に丸メガネをかけた男がヌルリと現れた。


 「おお、同志星輪。この者たちが、例の非常階段を登りきった精鋭ですか。」


 男は辺理ベリと呼ばれた。ニヤニヤと卑屈な笑みを浮かべ、値踏みするように女子たちを見ている。正直、生理的に受け付けないタイプだ。


 「お任せください、同志。さて、新入生の諸君。同志星輪の再選と君たちの前途を祝して、ファミレスの『ジョ○フル』にでも行かないかね?私が全額、奢らせてもらおう」


 「えっ、奢り!?行く行く!ハンバーグ3皿食べていい!?」


 皐月、お前の警戒心は、さっきのラジコンと一緒に門に置いてきたのか?


 「絶対にダメなのです!断固拒否なのです!!」


 夜露が、見たこともないような剣幕で辺理を指差した。その瞳は獲物を狙う猛獣のそれだ。


 「おや、どうしましたお嬢さん? 私はただの親切な先パ」


 「Скольких людей ты уже изнасиловал, лоликонщик?(今まで何人の人間を毒牙にかけたんだ、このロリコン野郎?)」


 「………………っ、ちっ。」


 辺理の顔が、一瞬で茹で上がったタコのように真っ赤に染まった。凄まじい舌打ち。その顔には「図星」と「屈辱」がありありと刻まれている。


 「夜露……お前、今なんて言ったんだ?」


 「……『教育番組』で習った、害虫駆除の呪文なのです。」


 夜露は冷たく言い捨てると、俺の手を引いて下駄箱へと向かった。入学初日、下駄箱の前。俺たちは、この学校の深すぎる闇と、同居人の「底知れぬスペック」を同時に思い知ることになった。

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