8:ビーフステーキ
面倒なことになった。今朝、部屋の魔法陣の一部が掠れているのを見つけてしまったのだ。ガランドを呼んで意見を聞いたところ、恐らく昨日の1時間オーバーの日本滞在が仇となったのだろうとのこと。時間超過は俺の魔力がキツいだけじゃなくて、こんな弊害も起こすみたいだ。
ともあれ、魔法陣を描き直さないといけなくなった。そのためには……気が進まないけど、とある人物(人じゃないけど)を訪ねる必要がある。
魔王城の地下室、そこに彼女は居る。1階の廊下、秘密の符号を唱えると、床面がズズズと動いた。ポッカリと開いた空間の中、地下への隠し階段が続いている。俺は魔法で指先に炎を灯し、そこへ下りていく。
十数メートルほど下りたところで、T字廊下に行きついた。右に折れて最初の小部屋の前に立つ。鉄扉に手をかざすと、ガチャンと大きな音が鳴って開錠された。
――ギイイィ
少し耳障りな音を立てて、鉄の扉が開いた。思わず顔をしかめたくなるような血のニオイ。薄暗い部屋の中には拷問器具が所狭しと並べられている。その中に、一際目立つ拷問器具があった。鋼鉄の処女、いわゆるアイアンメイデンというヤツだ。釣り鐘型の胴体に、不気味な女性の顔が載っている。漆黒の色合いも相まって、凄い威圧感だ。
「あら、ルイ様」
中からくぐもった声が聞こえる。
「また入ってるのか。サーシャ」
「ええ、ここが落ち着きますから」
淑女の話し方なんだけど……アイアンメイデンの中からっていうのが、もう色々と破綻してるんだよな。
彼女、サーシャは魔王軍四天王の一角だ。バンパイア真祖の娘(眷属などではなく、純粋な交配で生まれた子供)であり、超のつく実力者なんだが……目の前の光景が示す通り、超のつく変人でもある。
「それで魔王様? このような場所まで、なんの御用でしょうか?」
「ああ、えっと。また血を分けて欲しいんだ」
件の魔法陣。アレは純潔の乙女の血を使って書いているんだけど、その血というのが彼女のものなのだ。純潔の乙女なら、そこらの町娘でも良いというワケではなく。アレだけの超高位魔法を使うには四天王クラスの魔力的素地が必要になる。
「あら、またですか? まあ良いですけれど、蹴ってはいただけるのですよね?」
「……うん、まあ」
このサーシャ、痛みを何よりも好む性癖を持つ。彼女のアイアンメイデンはデスバレーの鉄鉱石で作った特注品なんだけど、この針の痛みにも慣れてしまったとかで。最近は俺や他の四天王に自分を攻撃させることを覚えてしまった。中級以下の魔族の攻撃なんか、彼女には通らないからな。
「それでは早速。これは等価交換ですから」
俺の蹴りと、彼女の血。本当に等価なのかは全然分からないけど。仕方ない。こっちは貰う立場だからな。
「アイアンメイデン越しで良いのか?」
「はい。そこで1発。脱いで1発、お願いします」
増えてる気がするが……まあ良い。
「いくぞ」
「はい!」
魔力を右足に込める。結構全力でやらないと怒られるからな。とはいえ、俺の方が実力は上なのでガチの本気で蹴ったら、彼女はタダでは済まない(それすらも快楽に変えそうで怖いけど)ので、程々の手加減は必要。だいぶ難しいんだよな、コレ。
「ふっ!」
凄まじい速度で振りぬく。ゴーンと鈍い音が響き渡った。しかし流石は魔界一硬いとされるデスバレー産の鉄だ。結構強く蹴ったのに、凹みだけで済んでるな。
そして。
――ぶしゅ!
アイアンメイデンの内部、針がより深くサーシャの体に刺さったらしい。血が流れだしてくる。それらを重力操作の魔法で宙に浮かせ、空きビンに詰めた。
「ああ……良い……素晴らしい」
恍惚とした声が漏れてくる。いやあ、ついて行けないわ、やっぱ。
「それでは、脱ぎますので。次発を」
鉄のスライドが、ゴゴゴと左右に開き、中から女性が出てくる。真っ赤な髪に、真っ白な肌。顔の造形は整っているけど、目元に大きなクマがあり、頬も少しこけているせいで、あまり女性的な魅力を感じにくい。何よりも不健康な病人に見えて仕方ないんだよな。
黒いドレスに開いている穴は、彼女が歩くたびに勝手に修復されていく。アレもまたマジックアイテムだ。防御力は(彼女が痛みを感じるために)あえてゼロの物を選んだが、修復機能は凄まじい。
「久しぶりだね、サーシャ」
「はい。ご機嫌麗しゅう」
そのまま彼女は俺の前に跪く。魔王である俺に敬意を表して……ではなく。
「さあ、お蹴り下さい」
うん、そういう約束だったよね。
「……」
少しだけ足を浮かせ、二の腕の辺りをポコンと蹴った。人間でも痛みを感じないレベルだと思うけど……やっぱりさ、姿が見えた状態では難しいよ。病人みたいな知人女性を全力数歩手前で蹴れって言われても。
「魔王様……」
俺の想いが通じたんなら良いけど、
「そういうの要りませんから」
ですよねえ。
とはいえ、やっぱり出来ないと告げると、彼女は小さく嘆息した。
「仕方ありませんね。魔王様はお優しいですから。では代わりに、本日はワタクシを日本なる場所に連れて行ってください」
「え? なんで知ってるの?」
「ガランドが教えてくれました。彼が死にかけるほどのパンがあると言うではありませんか。俄然、気になりますわ」
いや、アレは……確かに逝きかけてたけども。痛みとかは無く、むしろ安らかな感じだったんだよなあ。
「ていうか、オマエ。俺が蹴れないのを見越して、最初からそう言うつもりだったんだろう?」
「ふふ」
こけた頬に笑みを浮かべる。やっぱりか。
「……分かった。分かったよ」
ガランドやニュイみたいな優等生なら葛藤も無いんだけど。正直、こんな苦痛ジャンキーを連れて行くのは何が起こるか分からなくて怖いけど。2発の約束を違えたのは俺の方だからな。
「それでは明日の夜に」
「ああ」
バンパイアだし、夜が本領か。
俺はそのまま地下室を後にし、自室へ戻る。ガランドも待っててくれたので、一緒に陣を描いた。これにて修復完了だ。
「そういやさ。明日の夜、サーシャを日本に連れて行くことになったんだけど」
「あ、用事を思イ出しまシた。それデは」
「え? あ……」
まさに脱兎の如く。飛行魔法まで使って飛んで行ってるし。
まあ仕方ないか。ガランドはサーシャ苦手(血を貰うために一応の交流はあるが)だもんな。魔法に誇りを持ってる彼いわく、「ワタクシの魔法ハ、変態を満足さセるためノ物ではアりません」とのことだ。まあ気持ちは分かる。よく分かる。
「しかしまあ、これでワンオペおもり確定か」
気が重いなあ。
今日は何か、明日の夜に向けて気合の入りそうな物を食べようか。
早速、直したばかりの魔法陣で、俺は日本へと飛んだ。
時刻は13時02分。ビジネス街は人通りが疎らだった。最も混み合う12時台を過ぎてるからな。つまり戦争の後、ウチの魔界と一緒だな。
「さてと。通し営業でも探すか」
今度こそ牛丼か、寿司か。気合入れるためのご馳走ってことなら、やっぱ寿司か。でも昨日、海鮮丼だったからなあ。
うんうんと唸りながらも、ニュイと歩いた南方面へ。あっちは繁華街だから、通しも多いだろう。
と。その途中で、
「お」
少し暗い店内がガラス越しに見える建物。喫茶店かと思ったけど、どうもステーキハウスみたいだ。良いね。ビーフステーキ……気合の入る飯としてはうってつけだ。
それに、ここなら通し営業じゃないか?
「ええっと」
レンガタイルの外壁に看板が掛かっている。確認すると、どうやら通しではなく、15時で中閉めみたいだけど。とにかく入れそうだな。
「お値段は……」
サービスランチで1500円。黒毛和牛は1980円だった。高いけど……入っちゃうか。また踏ん切りがつかないせいでランチ難民未遂はゴメンだし。
少し重たいガラス扉を開いて、俺は店内へと入る。あれ? 気付かれない?
「あ、いらっしゃいませ」
やっと奥から人が出てきた。若い女性店員は、ステーキを乗せた皿を持っている。焼き上がりのタイミングと俺の来店が重なって気付かなかったのか。
しかし少し距離があるのに、メッチャ良いニオイがするな。ジューという音も聞こえてくる。
彼女は俺に待っているように伝え、客席にサーブしに行った。そしてすぐさま戻ってくると、俺を4人掛けのテーブル席に案内してくれた。ソロで4人掛けを使うの、ちょっと申し訳ない気持ちになるんだよな。けどこの店は、基本このサイズのテーブル席しか無いみたいだ。
「メニュー、そちらになります」
テーブルの端にスタンドがあって、そこにメニュー表が挟まってる。ダークブルーの装丁をした、重厚なヤツだ。こりゃグランドメニューはお高そうだな。
メニュー表の1ページ目に挟まっていた、ラミネートの紙メニューを抜き取る。ランチ用のヤツだね。看板で見たのと同じ物が載っている。よし、やっぱ和牛にしよう。
「すいません、この黒毛和牛のランチを」
「あ、はい。黒毛和牛ですね」
お冷をテーブルに置きながら、女性店員は復唱する。
「ソース、お選びいただけますが?」
あ、そういうパターンか。和風タマネギ、おろしポン酢、デミ、ワサビ。うーん、そうだなあ……
「タマネギソースで」
「タマネギですね。今から焼き上げますので、お時間10分少々かかりますが、大丈夫ですか?」
「はい」
今日は歩いてきた10分足らずしかロスしてないからな。
店員が去った後は、カバンから魔導書を出して、読み耽る。店内は客も疎らだし、テーブル席ゆえに覗かれる心配も無い。まあ覗かれたところで、洋書か何かにしか見えないだろうけど。
「ん」
8分ほど経ったところで、さっきも聞いたジュージューという小気味よい音と、肉の香ばしいニオイが漂ってくる。俺の注文かな。
本を閉じて顔を上げると、先程の店員が皿を運んでくるところだった。
「お待たせしました。黒毛和牛のステーキです」
油が跳ねないよう、慎重に配膳してくれる。
木のプレートの上に鉄板が置かれた二重構造。そしてその上には、茶色い塊。存在感満点の塊肉は……イチボか、シンシンあたりか。脂身と分かれていないのでサーロインではなさそう。付け合わせはポテトとニンジン。コンソメスープもついている。ライスは平皿に盛られていて、フォークで食うパターンだな。
「ご飯、おかわり自由になってますので」
「あ、はい。ありがとうございます」
昨今、米も高いらしいからな。こういうサービスを続けてくれてる所は感謝だよね。
それじゃあ、まあ。
「いただきます」
まずはベジファーストでニンジンを頂く。甘くて瑞々しい。芯を残さないよう、しっかり茹でられてるから柔らかいし。これは肉も期待できそうか。
コンソメスープで口直し。こちらも辛すぎず、甘すぎず。クルトンは少しだけ浸かりすぎてるせいか、俺の好みより柔らかめだけど、全然許容範囲内だ。
「さて」
前座はこれくらいにして、ステーキだ。フォークとナイフを取り、切り分ける。刃がスッと入るな。良い肉だ。
「……」
1口分のそれをフォークに刺して、中を観察。ミディアムだな。ロゼ色が少し濃い。
口の中へ入れた。まずは舌が肉の旨味を捕まえ、ついで歯で少しだけ噛む。肉汁がジュワッと洪水を起こした。ああ、美味い。下味の塩コショウだけでも全然美味いけど、ここに醬油ベースの甘辛さ、そしてタマネギのツブツブ感。前歯で噛むと、タマネギ本来の甘みも出てくる。それらと肉汁が合わさり、混然一体の美味さだ。
「ああ」
肉はやっぱり適サシだな。全体が柔らかい。そして脂の甘みがランダムに当たる。歯応えも赤身の硬さはなく、しかし脂身のブヨブヨ感もなく。ちょうど良い。俺の好きなステーキだ。
ライスを頂く。こちらも粒立ちの良い硬め炊き。口の中で肉汁とソースを吸って、米本来の甘みと合わさる。ああ、美味え。やっぱ良い肉には良い米だな。
ギザギザに切られたポテトにもフォークを刺す。ソースを絡めると、ギザ部分がよく持ち上げてくれる。そのまま口中へ。うん、不味いワケがないよね。
ホクホク食感と、ジャガイモの甘さ。そしてソースの甘辛さ。良い箸休めになる。
また肉へと戻る。今度は小さく切る。ご飯おかわりを念頭に入れると、ペース配分しないとだからな。
――ぱく
1口サイズを味わって、そのままライスだ。フォークでこそぐように取るけど、米粒がちょっと潰れちゃうんだよな。まあいいや。
「すいません」
「はーい」
「ご飯おかわりください!」
子供みたいなテンションで言ってしまった。店員さんが軽く頬を緩める。ちょっと恥ずかしい。
でも仕方ない。ステーキは大人でも中々食えないご馳走だからな。
結局、ご飯2杯分を平らげ、ご馳走様だ。美味かった。久しぶりの和牛、堪能させていただきました。




