10:麻婆豆腐
改めてだが。魔族は、基本的に食物からエネルギーを摂っているワケではない。もちろん気まぐれに飲食をすることはあるが、本当に戯れの域だ。
では彼らは何を動力源にしているのかというと……それは人間から採れる恐怖の感情エネルギーだ。魔王や魔族、あるいは我々が経営しているダンジョンに対する畏怖、そういったものが糧となるのだ。
従って。勇者を退けたばかりの我が魔界は、最高に潤っている。その膨大なエネルギーを、誰が管理しているのかというと……アンデッド軍の演算担当、その名はブレイナー。
ただそんな彼が今、危機に直面していた。
「ブレイナーが病ミそうなのデス」
アンデッド軍団の首領であるガランドの報告から、その危機は発覚した。事情を詳しく聞こうと思ったが、まあ魔王城からすぐの場所に本人が居るし、直接訪ねた方が早いと考え直し。急ぎ、現場へ向かった。
飛行魔法で城から1分。恐怖エネルギー貯蔵施設に辿り着いた。城と同じくらいの大きさがある。前はもう少し小さかったけど、最近になって増設したのだ。
……もしかしなくても、病み堕ちしかけてる原因は、仕事量の増加か。エネルギー量の増加に比例して、人員は増やしたハズだけど。
建物内に入る。石造りの神殿みたいな外観だけど、中はだだっ広いワンルーム構造だ。中央に巨大な鉄の囲い。各地のダンジョンから地下を通じて、ストリームのように流れ込んでくる恐怖エネルギーを溜め込んでおくための槽だ。
ちなみにエネルギーの姿形だが……液体と気体の狭間というか。黒く澄んだ水のようでもあり、瘴気のようでもある。
エネルギーはフィアーと呼ばれ、魔族たちの直接の栄養源としてだけでなく、通貨のような役割も担っている。
そして魔王軍内での分配方式はというと。まず最低限生きられるだけの量は全員が貰える。ベーシックインカムないし、フードスタンプといったところか。
更に貢献度によって加算される制度、まあいわゆる成果給だね。ここら辺は俺が魔王になってから整備した。先代までは雑に強い順から多く取ってたのが、評価基準の見える化を推し進めたことで、全体の収穫量も増えたんだけど……
「この量を計算するんだからなあ」
そりゃ重労働なのは間違いない。いわばマンモス企業の社員全員の給与計算を、いきなり任せられるようになったに等しいからな。
「それでブレイナーくんは」
「槽の裏側デスな」
回り込んでみると、確かに居た。保存液で満たした小型のガラス水槽の中に、人間の脳みそが浮いている。コレがブレイナーくんだ。最初に見た時はメチャクチャ動揺したけど、まあもう慣れたよね。
かなり高IQだった青年の脳だけがアンデッド化した魔族らしい。そんなアンデッドのパターンもあるんだなと感心したのを覚えてる。
「やあ、ブレイナーくん」
「あ、ルイ様……」
何故か普通に人語を話せるんだよな。擬人化した時のガランドより流暢なのは、マジで説明不可すぎるけど。
「僕はもうダメです。この仕事を続けていく自信がありません」
「いきなりだね。俺が評価表やら何やら押し付けすぎちゃったかな?」
「いえ。ルイ様の考案したシステムはとても良いものだと思いますし、人員も増やしていただけたので、そこまで大きな負担になっているワケではないのです」
気を遣って言ってる雰囲気じゃないな。一安心だ。
「ただ……」
「ただ?」
「ルイ様のご助言、砂糖を多く摂れというのが、徐々にキツくなってきまして」
「ああ……」
確かにそんなことを言った。脳を使う、っていうか、彼の場合は脳しか使う箇所が無いからな。疲労回復には糖分を、と勧めたんだ。
「折角のご助言、申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうな声音で、こっちこそ罪悪感。
「いや、俺の言い方も悪かった。砂糖だけ食ってたら、そりゃ苦しいよ」
栄養が偏りすぎると、やっぱり精神の健康にも影響があるからな。他のも食べて良いんだよ、と言いかけて。その選択肢は、この魔界では決して多くないことに気付く。しかも彼は固形物すぎる物は食べられない様子だし。
これは……やはり日本の食に頼る感じだな。
「ブレイナーくん、移動は出来るかな?」
「異動……当然ですね。ダンジョンでしょうか? 戦闘は得意ではありませんが、ここでお荷物になってるくらいなら……」
「違う違う。その異動じゃなくて」
「ルイ様は、キミを日本へ連レて行くおつもリなのだ」
「日本? あのルイ様の生まれ故郷だと言う?」
「そうダ。驚くほどニ沢山のパンがあルぞ」
「パン限定ではないから。キミが気に入る食べ物も、きっとあるよ」
補足しておく。
「ですが……僕は歯も無いですから。じっくり水溶した物を吸収するような料理が果たしてあるでしょうか」
ちょっとパッとは思いつかないけど、とにかく連れて行ってみよう。
というワケで施設の他の職員たちに断って、彼を持ち出すことにした。水槽のガラスには加護の魔法をガッツリ掛けてから、日本で買ったトートバッグに入れる。小さく覗き穴も開けてやり、中から外の景色が見えるようにしてあげた。
「よし、準備万端だな」
「行きマしょう」
ガランドも張り切ってるな。
……昨日はサーシャが居たから寄り付きもしなかったクセに。と思わず恨み言も出そうになるが、グッと抑えてゲートを発動させる。
飛び込めば、いつものビジネス街だ。時計を確認すると11時20分過ぎ。まだまだランチ民の姿は疎らだな。
「……ここがルイ様の世界、日本。なんと道がキレイなのでしょう。黒で統一されているのも見事です。これはルイ様がやらせたのですか?」
「そんな権限は無いんだよなあ」
この世界では俺もただの一般人だということを言い含めておく。なんか微妙に納得してない感じはあるけど、取り敢えずは了承してくれた。なので変なことすれば、普通に治安維持部隊(警察)に捕まってしまうということも。
「では気を付けなければいけませんね」
まあキミは、変なことしようもないけどね。サーシャとかに持ってもらいたい危機感だ。
「しテ、ルイ様。アテはあるのでデスか?」
「うーん。そうだなあ。砂糖じゃなくても、甘い物は嫌だろう?」
「出来れば」
ブドウ糖の補充をジュース系で補う案も考えたんだけど、結局は甘いからな。今はとにかく、甘味漬けにされた脳に別の物を与えるべきだろう。
「甘くなくて、硬い物でもなくて。ある程度は水溶性で……」
うーん。取り敢えず歩いてみるか。ちょうど各店のランチ営業も始まる頃だしな。
「前回ノ、カフェとやらハ……」
「あそこは甘い物主体だからダメだ」
ていうか、仮に普通の食事メニューがあったとしても嫌だよ。こんな短期間に行ったら、絶対向こうも気付くだろ。「またあの60代くらいの西洋人と、30代くらいの日本人の謎コンビ来たよ」って裏で笑われるわ。
「なんかパンもテキトーに買ってやるから」
「ううム、別にパンが欲シかったワケではないのデスが」
「じゃあ要らない?」
「……いタだきまス」
なんて話しながらも、今日はビジネス街を東に行ってみる。あっち側もオフィスが多いらしいけど、その分ランチをやってる飲食店も多いだろう。
とはいえなあ。具体案がまだ浮かばないんだよね。ジュースはダメとしても、飲めるようなヤツ。コーヒーは……魔界にもあるから、ブレイナーくんも飲んでるだろう。じゃあコーヒーゼリーはどうか。いや、アレもなんだかんだ甘いか。
「うーん」
店を物色しながら歩く。海鮮、和食、クラフトバーガー、韓国料理、天ぷら……
「ん」
中華か。赤を大胆に使ったファサードが、いかにもな感じ。と、立て看板の『麻婆豆腐ランチ1200円』という文字を見て、ピンときてしまった。
そうか。甘さと対極であり、脳型アンデッドのブレイナーくんでも食べられる(吸収できる)かも知れない料理。
「コレだ」
俺は2人に待っているように伝えて、扉を軽く押す。中の店員と目が合った。
「いらっしゃいませ」
「あの、ちょっとお訊ねしたいんですけど……」
「はい?」
「こちらの麻婆豆腐って、絹を使ってますか?」
「え、ええ。ウチは絹豆腐です」
よし。木綿だと硬くてアウトの可能性があったけど、杞憂だったみたいだ。
俺は振り返ってガランドを手招きする。そうして3人で入店。まだ空いてるからか、4人掛けのテーブル席に案内された。そのまま店員さんが注文待ちをするので、
「麻婆豆腐定食を3つ」
「3つですか?」
「あ、いえ。2つです」
危ない。ブレイナーくんはトートバッグの中なんだった。
店員が奥に引っ込んだ後。俺は少しだけ前屈みになって、2人と内緒話をする。
「料理が来たら、ここに結界魔法を張るから。そしたら悪いけど、2人はシェアで食べてくれ」
脳しかないブレイナーくんが1人前食えるとは思えないし。ガランドも割と甘党という事実が発覚したからな。2人で1つなら丁度良い量じゃないかと。
「承知イたしまシた」
「お手数お掛けします」
話がまとまったタイミングで、厨房からさっきの店員が出てくる。両手に盆を持っている。そして俺たちのテーブルに順番に置いた。
「麻婆2つですね。ごゆっくりどうぞ」
盆の上を確認する。ご飯と中華スープ。そしてメインの麻婆豆腐は……オイル系だな。結構辛いかも。ミンチもゴロゴロ、絹豆腐はツルツルのプルプルだ。
俺は結界魔法を展開。トートバッグからブレイナーくんが入った縦長の水槽を取り出す。
「どうだろう?」
「なんか凄いですね。僕が知ってる料理とは何もかもが違う……というか、正直に言うと、本当に食べられる物なのか疑ってしまいそうです」
まあ無理もない。ガランドお気に入りのパンなんかは向こうにもあるし、日本のはそれの質向上版だからな。けど豆腐や醤の類は未知も未知だろう。ガランドも少し引き釣った顔をしてるし。
ここは俺が率先していきましょう。
まずはスープで口を潤す。溶き卵のふんわり優しい味が口一杯に広がる。
続いて、レンゲで麻婆豆腐を掬った。うん、やっぱりオイル多めだね。ニオイを嗅ぐと、花椒の香りが鼻を刺激する。
ミンチ肉と豆腐がバランスよく乗ったレンゲを口の中へと運ぶ。舌に当たるツルンと瑞々しい感触。軽く押すとほぐれた。そこに絡まるオイリーで辛いソース。ミンチ肉のゴリゴリ肉感。
「っ!」
遅れてやって来る、麻と辣。花椒がもたらす心地よい痺れ。唐辛子が残す辛味。舌の上で両方が暴れ狂う。辛い! けど旨味も凄い。やっぱ本格派だったか。
食ってる間にも続々と客が入って来ている。12時前に満席だな、これは。恐らくは有名店だった模様。
「ルイ様、汗が」
「うん。でも美味いよ。マジで」
俺の言葉に、ガランドとブレイナーくんが顔(脳)を見合わせる。まだ踏ん切りがつかないか。
俺は手を伸ばして、彼らの盆に乗っているレンゲを取る。そして1口分掬って、粉砕の魔法を唱えて、小指の先で当てる。元々弱い絹豆腐と、ミンチが更に細分化された。
「ルイ様?」
「まあ良いから、食ってみろ」
水槽の中に流し込む。途端、
「う、ゲホッ、ゲホッ!」
中の保存液が泡立つ。どうやって咳してるのか、そこはきっと深く考えちゃダメだな。
ていうか、大丈夫か。具材は潰したけど、まだ大きかったか? と、心配になりかけたところで。
「お」
息を整えたブレイナーくんが言葉を発した。
「お?」
「美味しい! 何ですか、コレ! 未だかつてない、強烈な味です! でも美味しい! 痺れるけど! 美味しい!」
大喜びだった。美味しいを連呼してる。
興味を引かれたらしいガランドも、レンゲを持って1口。
「う」
口に入れた途端、顔が歪んだ。
「ワ、ワタクシは……ちょっト、ダメみたいデス」
ありゃ。まあそういうこともあるよな。
しかしそうなると、残りの麻婆豆腐は……
「食べます。僕が食べます」
食い気味だった。声も弾んでるし。
「ははは。日本に来るまでアンニュイだったのがウソみたいだね」
「それは言わない約束ですよぉ」
まあ良かったよ。やっぱり食だよな。未知の美味いモンは人(脳)をポジティブに変える。脳内麻薬だ、麻だけに。
結局、彼は残りの麻婆豆腐と中華スープを全部平らげた。ご飯は俺が2人分いただいて、無事に退店。ちなみにガランドには、近くのパン屋でクリームパンを買ってやった。
魔界へと戻り、施設までブレイナーくんを送って行く。
「また時々で良いので……麻婆豆腐を食べさせてください」
別れ際には、そんな約束もして。
「よーし! バリバリ働きますよ!」
病みの「や」の字も無い元気な声を聞きながら、施設を後にしたのだった。




