06/10 茸筍戦争
火炎系ヒーローを自滅させるという、かつてないほど鮮やかな大勝利の余韻が冷めやらぬ中、地下ラボの冷たい空気の中には奇妙な高揚感が沈殿していた。ドクター・フリーズドライは、ユーカリ怪人の残骸から慎重に回収された炭化サンプルの破片をピンセットで掴み、電子顕微鏡のレンズを覗き込みながら熱心に数値を記録している。時折、彼の岩のような皮膚が微かに震え、未知のデータに触れた科学者特有の愉悦が、カサカサというかすかな音となってラボに響いていた。
私は再び、座り心地の悪い事務用のパイプ椅子に深く腰を下ろし、背もたれをきしませながら次のターゲットと戦略を練っていた。勝利の美酒に酔い痴れる時間は、今の私には必要ない。悪の組織の目的が達成された今、この退屈を埋めるための極上の暇つぶしを永続させるには、止まることのない悪意の連鎖が必要不可欠だった。私は指先で顎をなぞり、ふと視線を落として、足元を這うように広がる影を見つめる。
「次は、ヒドラよりも規模は小さいけど、より巧妙で、生理的な嫌悪感と精神的な絶望を植え付けるような厄介な敵がいいな。ドクター、少し手を止めて聞いてくれる?」
私は、幼い子供が新しい遊びを思いついた時のような無邪気なワクワク感を声に乗せて提案した。その声は、冷たいコンクリートの壁に反射して、不気味なほど明るく響く。ドクター・フリーズドライは、分析機器からゆっくりと顔を上げた。レンズの奥にある彼の瞳には、私の言葉を一つも漏らすまいとする強烈な期待が宿っている。
「キノコはどうだろう? 地味だけど、彼らの生存戦略は非常に暴力的で、美しいと思わない?」
「キノコ、ですか。菌類……確かに。彼らは植物でも動物でもない特異な生命体だ。その分解と増殖の特性は、改造のモチーフとして極めて興味深い」
「オニナラタケってあるじゃない。アメリカの森で、地下に菌糸を伸ばし続けて、九平方キロメートルくらいまで領土を広げた記録があるやつ。あれを応用するのよ。一つの山が、丸ごと一つの巨大な怪人そのものになるっていう構想」
私は細い指でタブレットの画面を滑らかに操作し、広大な森の地下で毛細血管のように複雑に張り巡らされた、菌糸ネットワークのイメージ図を彼に向けた。青白く発光する画面が、私の顔を青ざめた悪魔のように照らし出す。
「どの種のキノコをベースにするかとか、胞子の毒性をどう調整するかは、あなたの専門知識に任せるわ。でも、今回のポイントは、巨大な本体を地中の暗闇に隠し通すこと。そして、ヒーローがこれまで積み上げてきた勝利という概念そのものを、根底から粉砕することよ」
私は、唇の端を吊り上げてニヤリと笑い、この新たな悪夢のシナリオを淡々と、しかし情熱的に語り始めた。私の言葉が紡がれるたび、静かなラボの中に、目に見えない胞子が舞い散るかのようなじわりとした不安が広がっていく。
「まず、深い山の中でハイカーたちが次々と神隠しに遭う。最初はありふれた遭難事故として処理されるでしょうけど、あまりに数が多ければ、当然ヒーローが調査に踏み込んでくる。彼らは正義感に突き動かされて、迷いなく死の森へ足を踏み入れる」
「すると、山の中には、色彩豊かな傘を持ち、胞子に強力な神経毒を乗せて飛ばすキノコ怪人が居るのを見つける。ヒーローは、なるべくその致死性の胞子を吸い込まないように、マスクやバリアで防御しながら、苦労して怪人と戦うことになるだろうね」
「そして、凄まじい激戦の末、ようやく怪人を倒す。ヒーローは息を切らしながら、倒れた怪人を見下ろしてこう語るはずよ。毒以外はあまり強くない、見かけ倒しの怪人だった、と。そう、彼らの眼前に現れたキノコの子実体は、物理的にはあまりに脆い組織の塊に過ぎないのだから」
私は、こらえきれないというように大袈裟に笑い声を上げながら、肩をすくめて首を振った。
「ははは、残念でした! ヒーローがその山に最初の一歩を踏み込んだ時点で、もう全てはお終いなのよ。菌糸は山一つを地下で完全に覆い尽くしており、彼らが倒したのは地表に現れた子実体の一つ、つまりただの枝先に過ぎないんだから。本体は、彼らの足元の暗闇で、脈動しながら笑っているわ」
ドクター・フリーズドライの岩のような顔が、わずかに引きつった。ヒドラ怪人の時と同じく、山一つを根こそぎ焼き払わない限り、決して本体を消滅させることはできないという、物理的な物量と生存能力の暴力。
「この後が最高に愉しいの。一体倒せば別の場所から二体生え、二体を焼き払えば四体が地下から芽吹いてくる。胞子による被害は山を駆け下り、周辺の麓の村や地域にもじわじわと広がり、人々を眠りの中に閉じ込める。ヒーローは、これから永遠に続くであろう山一つ分の敵との無益な消耗戦に、果たして勝てるかな? 剣を振るうたびに、敵が増えるという絶望に耐えられるかしら」
ドクター・フリーズドライは、その無限に続く絶望の連鎖を想像したのか、感嘆とも苦笑とも取れる表情を浮かべた。彼の喉が微かに鳴る。
「山に入ってもお仕舞い、入らなくても周辺地域に毒胞子の被害が広がり、人々の悲鳴が聞こえてくる。ヒーローは、救うべき住民の命と、決して尽きることのない土の下の敵の間で、自らの無力さに苛まれ、苦悩し続けるでしょうね。実に、実に不愉快で、効率的な地獄だ」
私は、さらにその地獄に悪辣な色彩を加えるべく、次の一手を口にした。
「でも、キノコは山から動けないのが欠点よね。だから、どうにかしてヒーローを山の最深部まで、菌糸の核がある場所まで誘導して、たっぷり胞子を浴びせたい。そう思わない?」
私は再びタブレットを操作し、今度は鮮やかな色彩を持つ美しい鳥の映像を映し出した。
「例えば、胞子を吸い込まないように高空を自由に飛べる、オウム怪人で誘導するのはどう? オウムの能力は、ただの物真似じゃない。愛する人や、危機に瀕した仲間の助けを求める声を、その波長まで完璧に再現すること。本物と区別がつかないほどの絶叫をね」
私は、ドクター・フリーズドライの目をじっと見つめ、静かに問いかけた。
「暗い森の奥から聞こえてくる、愛する人や仲間の悲痛な助けを求める声。それが罠だと頭で分かっていても、それにあらがえるヒーローは、この世界にどれほど居るかな? 彼らの持つ気高い自己犠牲の精神こそが、死の深淵へと誘う最高の鎖になるのよ」
私は一息つくと、満足げに椅子の背もたれに体を預け、次の無限の敵の構想を続けた。私の頭の中では、悪意の芽が次々と土を割って顔を出している。
「キノコと似たコンセプトで、竹も同じことができるね。竹はいいわよ、その冷たさと鋭さが」
私は、竹の地下茎によるネットワークと、コンクリートをも持ち上げるタケノコの強烈な成長力、そしてその生命の爆発力に目をつけた。
「こっちは成長力を最大強化して、地中から巨大な槍みたいに瞬時に突き出させたらどうかしら? 突然、足元の地面から、土や硬いアスファルトを紙細工みたいに突き破って、ヒーローの隙を突いて串刺しにする。予測不能な死の剣林よ」
そして、私はその植物兵器に、最高の相棒を提案した。これもまた、生物界が進化の果てに生み出した、狡猾な心理戦に特化したモチーフだ。
「そして、その竹怪人と組ませるなら、スパイダーテイルドクサリヘビ怪人がいいわ。彼らの擬態は、神様が作った最高の悪戯よ」
ドクター・フリーズドライは、ヘビの尻尾の先端が、まるで生きている蜘蛛のように蠢いている驚異的な映像を食い入るように見た。その生態の不気味さに、彼の頬が微かに歪む。
「獲物を欺き、自ら近づかせるための疑似餌、ですか。それを怪人の能力として、どう利用するのです?」
私は、残酷なほど冷静で、透き通った口調で告げた。その瞳には、一欠片の慈悲も宿っていない。
「ただし、その尻尾の先端の疑似餌部分は、クモなんて小さなものじゃない。精巧に作られた、助けを求める人間を模したものにするのよ。人質か、あるいは怪人に襲われて動けなくなった負傷者のふりをさせて、正義の味方を竹林の最も深い、逃げ場のない場所までおびき出す。ヒーローがその偽りの犠牲者の手を握ろうとした瞬間が、彼らの命日よ」
その言葉を聞いた瞬間、ドクター・フリーズドライの岩のような顔が、今度こそ明確な戦慄と、畏敬の念に染まった。彼は手に持っていたペンをデスクに置き、私の思考の深淵を覗き込もうとする。
「人命救助という、ヒーローにとっての絶対的な使命感そのものを、死へと導く罠の餌として使う。そして、誘導された先の静まり返った竹林では、視界の外、予測不能な位置から竹怪人の槍が容赦なく突き出す……。田中さん、あなたのその発想は、もはや人間という枠を軽々と超えた、純粋な悪意の結晶です。これらの怪人は、物理的な破壊を超えて、ヒーローの心そのものを折るという、ただ一点に特化している」
彼は静かに、深く深呼吸を繰り返し、自らの高鳴る鼓動を鎮めるかのように落ち着かせた。
「田中さん。あなたの発想は、我々の想像力を遥かに凌駕している。改造のプロセスにおいて、主導権を主張し合うのではなく、互いの能力を補完し協力し合うことで最大の殺傷効果を発揮する……その連携の実現は、本能が強く、我の強い動物型と植物型という異種の怪人同士では、神経接続の面でも技術的に非常に困難を極めます。ですが、それは同時に、我々科学者チームの挑戦意欲をこれ以上なく刺激します」
私は再びパイプ椅子をリズムよく揺らし、勝利を確信した子供のように満足げに笑った。
「そうよ。主導権争いなんて矮小なプライドにしがみついているから負けるの。力と知恵を、一つの目的のために徹底的に協力させる。それが、この退屈な世界を美しく壊すための唯一の正解なんだから」
これで、組織は再び狂気のような忙しさに包まれるだろう。そして、私のこの極上の暇つぶしは、まだ当分終わりそうになかった。私は窓のないラボの天井を見上げ、そこに見えない蜘蛛の巣が広がっていくのを幻視していた。
topics AIの解説
オニナラタケ:キノコの一種で、世界最大級の単一生物である可能性が指摘されていることで知られています。見た目が近縁種のナラタケよりも大きくごつごつしていることから、「鬼」の名がついています。
宿主となる樹木の根に菌糸を伸ばして栄養を奪う、寄生性のキノコです。地中に張り巡らされた菌糸は、栄養分を運ぶための長いひも状の構造体を形成します。
アメリカのオレゴン州にあるマールーア国立森林公園では、このオニナラタケの一種が、地下に広大な菌糸を張り巡らせて生息していることが確認されています。
その面積は2,200エーカー(東京ドーム約684個分)にもおよび、世界最大の単一生物と考えられています。推定年齢は2,400歳以上とされています。
スパイダーテイルドクサリヘビ:尻尾の先端がクモの脚に似た形をしたイランなどに生息するヘビです。このクモに似た尻尾を「擬餌」として小鳥をおびき寄せ、捕食します。別名「クモオクサリヘビ」とも呼ばれ、クサリヘビ科ツノメクサリヘビ属に分類されます。
尚、この物語は明治のお菓子とは関係がありません。




