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05/10 火には火を

火炎系のヒーロー、レッドバーンの放つ猛烈な劫火によって、二体の植物怪人がなす術もなく炭化し敗北したという報告を前に、私はデスクに置かれたタブレットの記録映像を何度もループ再生させていた。ラボの空気はどこか焦げ臭い幻聴を伴い、無機質なライトに照らされた画面の中では、赤く燃え盛る炎を纏ったヒーローが、スナバコノキの種子を空中で爆散させ、ギンピギンピの毒の霧を焼き払いながら、迷いなく突進していた。植物をモチーフにした怪人にとって、火炎は防ぎようのない最大の天敵であることを、その映像は残酷なまでに証明している。


「……火か。最大の弱点を突かれたね。生物としての理屈に、真正面から叩き潰された気分はどう?」


私は椅子をきしませながら、ぼそりとつぶやいた。手元で回していたペンを止め、画面の中で咆哮するレッドバーンの姿を凝視する。その瞳に宿る確信に満ちた正義の光を見つめながら、私は勝利への新たな道筋を見つけた。それは、敵が誇る最強の武器を、そのまま彼自身の首を絞める最大の弱点へと変える、逆転の論理だ。


「よし。次はこれにしよう! ドクター、最高に嫌なアイデアが思い浮かんだよ」


私はパッと顔を上げ、傍らで複雑な計算式をモニターに走らせていたドクター・フリーズドライに告げた。彼は岩のようにゴツゴツとした手を止め、瞬きのない瞳で私を見つめる。


「あの火炎系のヒーローに、街中でユーカリ怪人をぶつけようか。こっちからは攻撃する必要なんて一切ないよ。火炎系のヒーローが攻撃を仕掛けてくる前に、徹底的に無抵抗を装って、うっとうしいくらいに長話をするだけでいいんだ」


ドクター・フリーズドライは、私のあまりに突拍子もない、戦いという概念を放棄したかのような提案に、その奇妙な眼球を丸くして固まった。彼の喉の奥から、乾いた砂がこすれるような音が漏れる。


「ユーカリ……オーストラリアの乾燥地帯に群生する、乾燥地帯の火災を生存戦略に利用するあの非常に燃えやすい樹木ですか。そして、自ら打って出る直接攻撃手段を持たない怪人、ですか?」


彼は顎のゴツゴツとした突起に手をやり、思索の海に深く沈み始めた。彼の頭脳の中で、ユーカリという植物の極めて特殊な生存戦略と、レッドバーンという火炎系ヒーローの能力特性が、恐ろしい精度で噛み合っていくのが手に取るように分かった。


「ユーカリの葉や厚い樹皮には、驚くほど多量の油分が含まれています。特にシネオールやテルペンといった揮発性の、極めて燃えやすい精油成分ですね。これが、熱源そのものである火炎系のヒーローの至近距離に、霧となって漂っていたらどうなるか……」


ドクター・フリーズドライは、その知的な興奮を隠しきれず、震える声で続けた。彼の肌からは、高揚を鎮めるための微細な体液が滲み出している。


「そして、明らかに無抵抗で、慈悲を乞うような怪人に対し、単に姿形が怪人であるという理由だけで、ヒーローは迷いなく必殺の炎を叩き込めるのか? 周囲には無数の市民がスマートフォンを構え、その光景を記録しているかもしれない。ヒーローが内包する正義の心、あるいは彼を縛り付けている世間体という社会的制約を逆手に取るわけですね。これは、ユーカリの物理的特性と、田中さんの最も得意とする心理戦を完璧に融合させた、極めて巧妙かつ悪辣な戦略です!」


「その通り! 話が早くて助かるよ、ドクター」


私は快活に笑い、冷たいコンクリートの壁にその声を響かせた。これまでの怪人は、強大な武力でヒーローの肉体を屈服させようとしてきた。しかし、この怪人が挑むのは肉体ではない。彼を取り巻く環境と、彼を縛る倫理観そのもので彼を窒息させる。


「改造の設計は単純でいいよ。ユーカリ由来の可燃性ガスの生産と放出、それだけにリソースを全振りして最大強化しよう。腕力も走力も、戦うための爪も牙もいらない。あとはどうでもいいから! それに見た目も、できるだけ人間に近い方がいい。ちょっと肌が樹木っぽく改造されただけの、どこにでもいそうな無害な一般市民がコスプレでもしているように見える程度にね。その方が、ヒーローの戸惑いを誘えるでしょう?」


私の提案は、まさにヒーローという人種の根底にあるジレンマを正確に射抜くものだった。


「引き金は、ヒーロー自身の手で引いてもらおう。彼がその輝かしい正義の炎を使えば使うほど、ユーカリ怪人が音もなく放出した目に見えないガスと油分によって、街は巨大な爆薬庫へと変貌する。引火すれば最後、街は大火災に包まれる。そうなれば、彼はたとえ奇跡的に生き残ったとしても、守るべき街を自らの手で焼き尽くした破壊者として、社会から一生消えない非難を浴びることになるんだよ」


私はデスクの上のペンを指先で弄び、クルリと回しながら、さらに残酷な付け足しをした。


「まあ、街中で火を使っている場所までガスが十分に充満すれば、ヒーローがわざわざ攻撃しなくても、タバコの火一つでジ・エンドでもあるけどね。その場合、彼は何もできずに大火災の元凶にされるわけだ。滑稽じゃない?」


この完璧な破滅のシナリオに、ドクター・フリーズドライは再び狂気にも似た研究者としての情熱を燃え上がらせた。彼はすぐに適合者リストが並ぶタブレットを猛烈な勢いで操作し、この特殊な役回りを演じきるための人選に入った。


「可燃性ガスを密かに放出しつつ、敵の前で無抵抗を装って立ち回れる怪人……。単なる身体能力ではなく、観衆を惹きつける演技力、常に注目を浴びたがる自己顕示欲、そして、相手が辟易するまでとにかく粘り強く、不快なほど饒舌に喋り続ける強固な精神力が求められますね」


彼の指が止まった。モニターに一人の若者の顔写真が映し出される。その表情には、空虚な承認欲求が張り付いていた。


「いました。元炎上系ユーチューバーです。再生数が伸び悩み、過激な言動で炎上を繰り返しては警察に厳重注意されることも数度あったという、社会の鼻つまみ者です。誰でもいいから人目を引きたい、自分の存在を認めさせたいという歪んだ欲求は凄まじいものがある。このユーカリ怪人としての、観衆の前で演じ続ける役割に、これ以上なく適合しています!」


ドクター・フリーズドライは即座に改造手術の手配を進めた。その若者の承認欲求は、文字通り燃え上がりやすい油分へと作り変えられ、数日後には晴天の下、大勢の市民が行き交う広場にてユーカリ怪人の実戦の場が設けられた。


それから数日後、組織の本拠地のモニターに送られてきた鮮明な映像報告を見た私とドクター・フリーズドライは、思わず同時に拍手喝采を送っていた。


映像は、白昼の広場で、困惑した表情の火炎系ヒーロー、レッドバーンがユーカリ怪人と対峙する様子を克明に捉えていた。怪人の見た目は、注意深く見なければ樹皮のような質感の肌と、不自然に緑色をした葉っぱのような髪を持つ以外、どこにでもいる騒がしい若者と変わらない。彼は威嚇するヒーローの前にあえて無防備に立ちふさがり、スマートフォンを片手に、延々と善意の市民を装った詭弁を、周囲の野次馬たちにも聞こえるような大声で話し続けていた。


「ヒーローさん、ちょっと待ってくださいよ! 暴力反対って学校で習わなかったんですか? あなたのその物騒な炎は、本当にこの平和な街の人を救おうとしてるんですか? ただの破壊を楽しんでるだけじゃないんですか! 私だって、この街の空気を愛する一市民なんです。怪人だからって決めつけないで、もっと平和的に、民主的に話し合いましょうよ!」


ユーカリ怪人の、聞いているだけで耳の奥が痒くなるような粘着質な説得は、まさに元炎上系ユーチューバーとしての真骨頂、彼が最も得意とする土俵だった。周囲の市民たちは何事かと足を止め、中には怪人の言葉に同情的な視線を向ける者さえ現れ始めていた。


しかし、その饒舌な言葉の裏側で、目には見えない致命的な異変が着実に進行していた。ユーカリ怪人の全身の毛穴からは、無色透明の、しかし濃厚な揮発性の油分がガスとなって、微風に乗って周囲に垂れ流されている。ガスは瞬く間に周囲の建物の壁を濡らし、道路の隙間に溜まり、広場の空気の密度を静かに、しかし確実に危険域まで高めていった。周囲には、どこか鼻を突くような、清涼感の強い薬品のような匂いが立ち込めていたが、誰もそれが死の予兆だとは気づかなかった。


レッドバーンは、目の前の怪人が吐き出す言葉が、一から十まで綺麗事ばかりの嘘偽りであることなど、百も承知だ。拳を握りしめ、今すぐにでもその不快な口を焼き塞ぎたいという衝動に駆られていた。しかし、彼は大勢の観衆が見守る無抵抗の相手に、しかも引火の危険がある街中で、自らの唯一の武器である炎を使うことに強い躊躇を覚えていた。しかし、ヒーローとて、聖人君子ではない。ただの血の通った人間なのだ。延々と続く人格否定に近い罵倒と詭弁に、やがて彼の堪忍袋の緒が切れる瞬間が訪れた。


「ええい、黙れ! 屁理屈を並べるな! お前は、世界を脅かす悪の組織の怪人だろうが!」


レッドバーンは苛立ちに任せ、せめて少し脅して黙らせてやろうと、彼の右拳に眩いばかりの炎が纏われ始めた。その瞬間、彼が正義を成すために灯したその聖なる炎こそが、ユーカリ怪人が密かに仕掛けていた、逃げ場のない罠の残酷な引き金となった。


炎がわずかでも外気に触れた瞬間、周囲に立ち込めていた濃密なユーカリの可燃性ガスが一気に臨界点に達した。


それは、ドカンという派手な爆発音を伴うものではなかった。シュオッ、という空気を吸い込むような不気味な音と共に、広場全体が青白い炎の海へと一瞬で変貌した。その炎は瞬く間に周囲の建物に付着した油分とガスを爆発的に食らい尽くし、逃げ惑う人々を置き去りにして、街を丸ごと呑み込むような未曾有の大規模火災へと発展した。


映像は、自ら放った火種が原因で巻き起こった炎の渦に飲み込まれ、もはやユーカリ怪人との戦闘どころではなくなり、絶望に顔を歪めるヒーローの無様な姿を映し出していた。


大規模火災によって発生した火炎旋風が巨大な龍のようにうねり、周囲の酸素を猛烈な勢いで吸い込み、消費していく。地上の酸素濃度は急速に低下し、死の空間へと変わった。どんなに強力な炎を自在に操り、火に耐性を持つスーツを身に纏っていようと、その中身が生物である人間である以上、ヒーローは呼吸なしでは一分たりとも戦えない。急激に訪れた低酸素状態と、自らの火炎が巻き上げた一酸化炭素により、レッドバーンは喉をかき抱くようにしてその場に膝をついた。火炎を使いこなし、正義を叫ぼうとも、生物としての生存の条件である酸素が失われては、生きてはいけないのだ。彼は自分の炎が作り出した地獄の中で、酸欠による激しい目眩と苦悶に喘ぎ、やがて泥のように地面に突っ伏した。


「……勝てない。彼は、自分自身の誇りである炎に、文字通り殺されたんだね。皮肉な最期だ」


「生物の根源的な欠陥を突きましたな」


ドクター・フリーズドライは、モニターに映る全滅した街の惨状を見つめながら、陶酔したような感嘆の声を漏らした。


「素晴らしい! 実に素晴らしい! ユーカリ怪人本体は、想定通り表面の樹皮が激しく燃え上がりましたが、自身の油分が燃える熱を炭化した厚い皮が遮断し、中身の核は無傷のまま回収されました。目的は、一点の曇りもなく完全に達成されました。彼は、ヒーローの持ちうる正義感という精神的弱点と、物理法則という抗いようのない生理的弱点を同時に、的確に射抜いたのです!」


「ふふふ。やっぱり知略で勝つのは気分がいいね。さてドクター、次はどんな理想に燃えるヒーローを、絶望の淵まで追い詰めてあげようか?」


私は、画面の向こうで力なく横たわる元英雄を冷めた目で見下ろし、既に次の獲物を定めていた。もはや武力で倒す必要などない。ヒーローが存在するこの世界そのもののルールを、私たちの都合の良いように、じわじわと、しかし徹底的に作り変えていくのだ。





topics AIの解説



ユーカリ(Eucalyptus)は、フトモモ科に属する常緑高木の総称で、主にオーストラリアやタスマニア島が原産です。独特の香りを持つ銀葉が特徴で、切り花やドライフラワー、アロマテラピーや化粧品、湿布など、多方面で利用されています。コアラが食べる植物としても有名で、ユーカリの葉には殺菌・抗菌作用やリラックス効果があると言われています。



ユーカリの葉や枝から放出されるテルペンという物質は引火性があり、気温が高くなるとその濃度が増して山火事を引き起こす一因となります。


ユーカリは火災によって内側の樹皮が燃えやすくなっている一方で、内側の幹は保護されるように適応しています。



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