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【短編小説】さよなら the Issue

掲載日:2025/12/15

 先輩はため息をついてコップの中の氷をストローで突きまわした。

 それにも飽きると再び短いため息をついてぼくに訊いた。

「お前はどうしてそう、私の処女性にこだわるんだ」

「何ででしょう」

 ぼくはまっすぐ先輩を見つめたけれど先輩はこちらを見ようとしなかった。

「男は最初の男になりたがると言うがお前もなのか」

 先輩の視線の先にある四角かった氷は溶けて穴を広げていた。

 同じ氷に視線を注ぐ。

 同じ氷を見つめる。

「そりゃあ、そうなんですけど。その理由をうまく言語化できないと言うか」

 言いたくないと言うか、恥ずかしいと言うか。

「最初なんてロクなもんじゃあないだろう。どうせ上手くできないんだし」

 氷が溶けて崩れる。

「えっ」

「一般論の話だよ。大体、最初の記憶なんて薄れてしまって思い出す事なんて無くなりそうだが」

 先輩は意地でもこちらを見ないつもりなのか、氷から視線を外すと窓の外に向けた。

 その視線の先には何もない、と思う。

 窓の外には鳩やカラスも飛んでいないし雨も降っていない。

 ぼくは先輩の答えに少し安心しながらも、やはりこちらを見ない先輩に対して少し寂しさを覚えていたし、先輩と同じものを見えていないのがひどくつまらなかった。


「それでも、最初にぼくを受け入れてくれたと言う事は重要じゃないですか。その相手が誰なのかも」

 ぼくも少し気持ちが挫けてきて、コップの中の氷をストローで回してみた。

 さっきと同じように溶けた氷が小さな音を立てて崩れた。

 でも何か違う、小さな違和感だけが残った。



 先輩は顔を外に向けたままだった。

「でもそれはお前にとって相手が誰か重要であったとしても、相手も初めてである必要はなくないか?」

「最初に受け入れてくれた相手の最初である事は重要だと思います」

 世界の入り口に立った瞬間を誰とどうやって見たのか、それだけでも生きていける自信に繋がる。

「そう言うものかね」

「はい」

 先輩は視線をグラスの中の氷に落として、深いため息をついた。

「それはもうあれじゃないか、私に対する告白じゃないか」

「だってバレてないとか思っていませんから」

 ぼくがそう言うと、先輩は驚いた顔でこちらを見た。

「だからぼくは先輩とその景色を見たいです」

 できれば世界の終わりも。

「そうか。それならひとつ約束してほしい」

 先輩の目が光った。


***


 病院の入り口には先輩の弟が立っていた。

「来ると思ってました。でもここを通す事はできません」

 ぼくは彼の目をまっすぐ見つめた。彼も視線を逸らさなかった。

「おねえは、きっと見られたくないと思うんです」

「先輩はそう言ったの?」

「そう言うと思うんです」

「言ってないんだね」

 彼は少し動揺したが、それでもぼくから視線は外さなかった。

 彼の黒い学ランが小刻みに震えていた。

「恋人はいるの」

「関係が無いでしょ」

「あるよ、とても。好きな人でもいい」

「……いますよ、それくらい」

「じゃあ、もう訊かなくてもわかると思うけど。ぼくと同じ状況になったら、君はどうするかな」


 ぼくはそこで一度視線を外して廊下の奥を見た。

 病室が並んで、銀色のスツールやら台車やらがあって、ストレッチャーだとか点滴台だとかが並んでいて、看護師たちがせわしなく出入りしている。

 彼に視線を戻す。

 強く握りしめた手が赤く変色していた。

 噛んだ唇が破れそうになっている。

「わかりました」

 彼はぼくから視線を外して周囲に走らせると、小さな、でもハッキリとした声で

「10分だけですよ」

 と言ってドアの前から動いた。

 ぼくは彼に飲み物代を渡して病室のドアを開けた。


 病室は人間の体臭と消毒剤の匂いが混ざっている。

 無機質さと生命そのものが曖昧に撹拌された部屋で、先輩が白いベッドに横たわっていた。

 ぼくは先輩を見て、なるべく記憶を上書きしないようにすぐに視線を外した。

 彼の言う事もわかる。

 先輩だってぼくに今の姿を見られたくないだろう。


 でもぼくには先輩と約束があって、ぼくはそれを果たさなきゃならない。

 先輩の身体に刺さっている管の途中に点滴を分岐させる器具を見つけた。

 ぼくはドアの施錠を確認してから先輩に刺さっている管の分岐を変えると点滴が止まった。色んな電源を引き抜いた。

 先輩に別れの言葉を投げた。もちろん反応しない。

「さようなら」

 もちろん、彼女は反応しなかった。

 世界が閉じていった。

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