逃亡の夜(1)
八歳の誕生日に生贄として選ばれた、その日。
「…ちょ!!!なんだよこれ!!出せ、だーせーよー!!!」
アサヒは、ガッツリ牢に閉じ込められていた。
「おい!!きーてんのか?!俺は生贄なんだろ?! こんなキッタネーとこに閉じ込めて…穢れたらどうすんだっ!!せめてベッドとシャワー付きの豪勢な部屋!!うまいもんに甘いもん!!」
石造りの地下牢は湿気に満ち、苔の匂いが鼻をつく。
鉄格子の向こうには、見張りの兵士が二人。彼らは酒を飲みながら談笑し、時折こちらを一瞥するだけで…ガン無視状態だった。
「……これ、マジで詰んでるやつじゃん!!」
アサヒは膝を抱え、冷たい床に座り込んだ。
前世で培った知識を総動員しても、牢からの脱出方法は思いつかない。ごく普通の一般人であったアサヒに鍵を開ける技術はなく、見張りを翻弄して隙をつくような知能も備わっていない上に、体力だってごく普通の8歳児並でしかないのだ。
魔法を使えば、おそらくなんとかなるとは思った。しかし、それには記憶を代償にすることになる。
ここで強力な魔法を使えば逃げられるかもしれないが、失うものは大きい。魔法という便利なものを使ってしまえば、魔法を使うことに対する躊躇が無くなりはじめ…やがて『記憶なんてなくなってもいいから魔法、魔法!!』状態に陥ってしまうであろうことは明らかだからだ。
「記憶って、前世のネタ帳みたいなもんだし……消えたら無双どころじゃねー。この世界のヤバい常識が自分にとっての常識になっちまうのが一番まずいんだ、どんな魔法がどの記憶を代償にして発動されるのかはっきりしない以上、使わないでおくに越したことはないわけで…ああ、も~!」
三角座りをしながら悶絶するアサヒ。
気の毒ではあるが、時間は残されていない。月蝕の夜は明日なのだ。生贄として祭壇に捧げられる未来は確実に迫っている。
「…逃げるしかない! 今夜しか…ない!! でも…どうやって?!」
……コッ
アサヒがつやっつやの髪をがっしがっしともみくちゃにしたその時、牢の隅で、小さな音がした。
…牢屋の石壁の一部が崩れて転がっている。
もしかしたら意外ともろいのかも…、そんなことを考え、アサヒは崩れた壁の前に移動し、じっと凹んだ部分を見つめた。
すると。
「……今、助ける。声…出さないで」
「…えっ」
……ぽろっ
パラ、パラパラ…
見張りの目が届かない場所の壁の一部が、少しずつ崩れ始めた。
壁土がこんもりと山を作っていくのを黙って見ていたアサヒは、穴の向こうに見知った顔がいることに気が付いた。
無表情でこちらをじっと見つめている、黒目黒髪超ロングストレートの…タレ目の少女。
「セリナ……!!!」
少女の名を呼ぶアサヒの声は、涙声で…少し震えていた。




