プロローグ
神代旭は、かつて『バ美肉おじさん』としてネットの片隅で生きていた。
声を加工して美少女アバターを操り、配信で元気を撒き散らしながら笑いを取って、時に真面目に、時にひた向きに、時に甘い言葉を囁き…数多のファンを魅了していた。現実では三十代半ばの冴えない男だったが、配信画面の中では“理想の美少女”として輝いていたのだ。
現実とネットの著しいギャップを楽しみながら、時折顔を出す違和感を巧みな話術で誤魔化し…自嘲も交えつつ、ひたむきにファンたちと向き合った。その誠意はバッチリ伝わり、彼は確かに【推される存在】として注目を集め、崇められて…尊ばれていたのである。
だが、ある日突然、彼の人生は終わりを告げる。
事故か病か…、詳しいことは覚えていない。ただ目を覚ました時にはもう、異世界の赤子として泣いていたのだ。
……異世界転生。
それはネット小説で散々読んできた展開だった。
思いがけず前世と同じ名前「アサヒ」と名付けられることになった彼は、自分がTS転生していることを知った。
(おいおい、マジかよ……!!)
盛大に戸惑いを覚えながらも、柔軟な思考力を持つアサヒはわりとすぐに順応した。
生まれ落ちてしばらくは親子三人でおだやかな暮らしを続けていたのだが、離乳をしたあたりから変化が起き始めた。何の連絡も準備もなく…、いきなり両親が帰ってこなくなったりすることが増えたのである。
腹をすかせて孤独に泣いていた時、世話をしてくれたのはアパートの管理人の娘ルルだった。
ドジっ子ではあるが面倒見のいいルルの世話を受け、アサヒはすくすく育ち、この世界の知識を少しずつ身に着けていった。
精霊や神がいるみたいだ…。
どうやら魔法が存在しているようだ…。
魔法を発動するために両親は放浪している…?
貴族がいるのは確実だ…。
魔法を使わない一族もいる…。
美しく育つと天国が待っている…。
一方的に話される内容だけでは、イマイチはっきりしない部分も多かった。
状況を十二分に把握できない中、やみくもに動き回るのは危険だと判断したアサヒは、とりあえずごく普通の子どもとしてある程度育ったのち、折を見て…前世の知識と記憶をフルに活かし、少しばかり金儲けでもさせてもらおうと考えた。ちょっと裕福な生活を楽しみながら、みんなにかわいがってもらって生きていけたらいいな…、できれば、前世のようにみんなに推されるようになれたなら…。少しずつ将来を見据えながら、日々を過ごすようになった。
そんなある日、アサヒは衝撃の事実を知る。
「初めて見る自分のお顔、どうですかぁ~♡」
三階に住んでいるダンサーの獣人のお姉さんが引っ越すというので、ルルに抱っこされてお見送りに行った際、ふいに鏡を向けられた。
ニッコリと微笑みながら、自分を見る…ルルとお姉さん。
そっと鏡に視線を移したその瞬間、アサヒは大きな眼を見開いて、固まった。
なんと…自分の姿は、かつて配信で使っていた美少女アバターそのものだったのである!!
この世界では、鏡は貴重品であり…なかなか目にすることができない代物だった。まだ幼いこともあり、己の姿を反射する水面などに触れる機会も無ければ、身近に透明なガラスもない環境下。自分がどんな容姿をしているのか知らぬまま育ってきたアサヒにとって、生まれて初めて知った事実であった。
若干…いやかなり幼くはあるが、透き通るような白い肌、艶やかな黒髪、キュッと口角の上がったアヒル口、ばさばさのまつ毛に青緑色の瞳。鏡に映っている自分の顔は、前世で“推し”として多くのファンに愛されていたキャラクターと寸分違わぬものだった。
(これ……もしかして、無双できるやつじゃね?)
前世で培った知識、ゲームや小説で学んだ異世界攻略法。そして何より“美少女”という圧倒的アドバンテージ。この日、この時、この瞬間、アサヒは確かに…この世界で輝けるはずだと確信したのである。
だが、しかし…、現実は甘くなかった。
育つにつれ、過酷な現実がどんどん…明らかになっていく。
この世界は、魔法と剣が支配するファンタジー世界だった。
剣は、修練を重ね地道に鍛えて強くなっていくというありふれた常識の元に存在していたのだが、魔法は…記憶と感情を代償に発動するという残酷なシステムを持っていた。小さな火を灯すだけで…、大切な思い出が一つ消えてしまうのである!
強力な魔法を使えば、愛する人の顔すら忘れてしまうというおかしな仕様。冒険者として生計を立てている両親が頻繁に帰ってこなくなるのは、魔法そのものの在り方による弊害だったのだ。
魔法を使えば使うほどに、前世の記憶が消費されて…ただの凡庸な村娘に近づいてしまうことは明らかだった。いくら前世の記憶がある分この世界の人よりも潤沢に蓄えがあるとはいえ…安易に記憶を手放して魔法に替えてしまうのは悪手だ。もし…魔法を使ってその利便さに甘んじるようになってしまったら、身を滅ぼしかねない。
詳しいことが分かるまでは魔法は使わずに過ごすべきだと結論付け、自重することを決めた。
また時を同じくして、ひそかに憧れていた華やかな貴族社会で裏切りと粛清が日常茶飯事である事が判明し…ガックリ落ち込んだ。笑顔で握手した翌日に毒を盛られることも珍しくないという凶悪な世界が…今のところ身近ではないものの、現実にありふれていた事を知り、震え上がった。
さらにアサヒをビビらせたのは、【美少女】に関するとんでもない既成観念だった。
【美少女】は、けた外れに神聖視される存在であり、貴い。むやみやたらに手をのばしていい存在ではなく、尊さの極みであった。【美少女】は貴い、だからその記憶も当然尊い。その美しい器に蓄えられた記憶を神に捧げ、魔法という奇跡を民に分け与えなければならない…。
崇められ、持ち上げられ、羨望の眼差しを受け続ける一方で、神への供物…生贄として扱われるという、暗黙のルールがこの世界にはあったのだ。
この世界で生贄となった【美少女】は、例外なく人々の暮らしを支えることになる。
記憶を対価として…魔法を発動するための糧であり続けなければならないという、定め。
記憶を失った少女は貴族に手厚く保護され、豊かな暮らしを経験して思い出を育み…また記憶を対価に魔法を行使する。そして美少女が成長し美女になる頃、記憶の全てを神に捧げて、まっさらな状態で縁のあった貴族に召し上げられ、なに一つ思い出を持たぬまま嫁いで…子をなす。
記憶も感情も失った美女は、無表情で…ぼんやりと暮らすのだ。そして、寿命が尽きるまで笑顔を取り戻すことなく、天に召されていく。
アサヒは幼少期から、恐ろしい現実を突きつけられた。
「美しい子供だ」
「こんなかわいらしい幼児は見たことがない」
「神に選ばれし存在だ」
「何と神々しい」
「神託が降りるのは確実だ」
囁かれるたびに、背筋が冷たくなった。
前世の知識を活かして立ち回ろうとしたが、現実はゲームのように都合よくはいかなかった。目立たないように心がけても、目敏く見つかって悪目立ちした。真新しいことを始めて注目を集めても…美しさばかりが取り上げられてその評判が広がっていく。
「今年はアサヒが入学するだろうな」
「学園長が視察に来ていたぞ」
「両親の了解を得ているそうだよ」
「今のうちに美少女の笑顔を目に焼き付けておこう…」
「ルルちゃん、ちゃんとお世話してあげてね?一生もんなんだから!」
「あと二ヶ月…アサヒの事は私が守り抜くからね!」
この世界には…誰もが憧れる、魔法学園というものがあった。
入学を許されるのは、八歳になった美少女だけ。
ここに入学できれば、人生の安泰は間違いなしだというのがこの世界の常識だった。
この世界に生まれた女児は、八歳になったその日に神殿に赴くことが義務付けられている。
そこで神官による祝福を受け、共に神の祭壇に上り…祈らねばならない。その際、まれに神託が下りることがあり…魔法学園に入学するものが選定されるのだ。
入学は国民の義務であり…拒否は許されない。というより、何よりの喜びであって、泣くほどに嬉しいことで…感動のあまり気絶するものもいるほどだった。
衣食住、何一つ不自由することなく、手厚く保護してもらえる代わりに…記憶を手放し、感情を失って、空っぽになっていく。そのための準備と、知識と、心得を学びながら…二年かけて大切な思い出を増やし、魔法を発動するための記憶を溜めるのである。
(これ……俺もいずれ、同じ目に遭うんじゃね?)
アサヒからすれば理不尽極まりないものであるが、この世界の人々は魔法学園に入ることに憧れていた。生贄になるということは、この上ない栄誉であり…一生の宝、一族の誇りであったのだ。
そして迎えた八歳の誕生日。
その日、アサヒは祝福を受けた神殿で“神託”を下された。
「この子は、次の月蝕の夜に神に捧げられるべき存在です」
生贄になる事が、決定した。
選ばれた瞬間、周囲の大人たちは歓喜し、祝福の言葉を投げかけた。
だが、アサヒの心は凍りついた。
(いやいやいや…!!俺、前世じゃただの配信者だったんですけど?!中身、おっさんですけど!!)
尊いだの神聖だのと持ち上げられた結果がこれだ。
自分の存在が、ただの供物に過ぎないと突きつけられた瞬間だった。
万が一にも逃げ出さぬよう牢に閉じ込められ、月蝕の日を待つだけの生活。
その中で、アサヒは決意する。
「逃げるしか…ない!!」
無双を夢見たバ美肉おじさんは、異世界の残酷さに打ちのめされ、ただ生き延びるために逃亡することを決意した。
それは臆病な選択かもしれない。
だが、彼にとっては唯一の希望だった。
……夜の帳が降りる。
牢の隙間から差し込む月光を見上げながら、アサヒは呟いた。
「俺は、もう“推される存在”じゃなくていい。ただ…、生きたい。平凡に…幸せにこの命を全うしたいだけ…」
こうして始まった、元バ美肉おじさんの逃亡劇。
美少女の姿を持ちながら、前世の知識と機転を武器に、この世界を生き抜く物語はスタートしたばかり。
尊さに酔う人々の期待を裏切り、彼は孤独に…ただ生き延びる道筋を求めて、走り出した。
脳内に溜めこまれた、前世の爛れた記憶を失うことなく…美少女はこの世界を生きることができるのか?
それは、この物語を最後まで追うことができた人のみが知る事なのである。




