8 再会
ハッと目を覚ますと、俺は見知らぬ部屋にいた。ボロボロのベッドに、大きな穴の開いた毛布。
エデンで用意された服ははぎ取られ、代わりに着ろというのか、ベッドの傍の椅子に、くたびれたパーカーとジーンズが置いてあった。
それを身に着け、警戒しながら部屋の外へ出ると、四〇代くらいのくらいの男性がリビングにいた。
「少し大きいね。まあ、小さいよりはいいか」
何がと思いかけたが、どうやら服の話だ。
「君が着ていた服と交換でどうかな。その服と一泊した代金と食事を一食分」
「え……?」
「悪いけどタダってわけにはいかないんだよ。こっちも生活あるしさ。それに君、他に売れそうなものなんて持ってないだろ?」
理解が追い付かない。
「あれ? 気に食わない? あのまま君をあそこに放置すれば、君は死んで、俺はタダでエデンの服を入手できたわけだけど、そっちのほうが良かった」
俺は慌てて首を振った。
「えっと、助けてくれたってことだよな。ありがとうございます」
「おお、いいね。スレてなくて」
彼が用意した薄いスープは正直あまりおいしいものではなかったけれど、何も食べないよりはマシだった。
「ここはさ、エデンから追われた人間が住む町なんだ。新人類も旧人類も関係なく暮らしてる。もっとも、新人類はちょっとズレるとすぐ処分されちゃうから、生き残りは珍しいけどね」
男に改めて礼を言って外に出る。エデンとは全然違う、木々に埋もれかけた廃墟のような薄暗い街に立つ。
建物の隙間から湖が見えた。
あそこを泳ぎ切ったんだ。本当に、エデンから出てきたんだ。
体が、いまさら寒さを思い出したように震えた。
エデンの穏やかで陰鬱な日々、担当者の最後の姿。
空がゆっくりと色を変えている。
「お、見ない顔だな。新入りか」
「いい仕事を探してやろうか?」
「まだ子供じゃないか」
「ばーか、だからいいんだろ? なあ、おまえなら稼げるぜ」
なんだか、少し嫌な雰囲気だ。
その時、窓からさっきの男がこちらに声をかけた。
「おい、そいつはやめとけ」
「なんだよ、血縁か?」
「かもね」
俺はギョッとして男を見上げた。
すると周りからどっと笑い声が巻き起こる。
「こいつ、真に受けてるぞ」
「ピュアなんだよ。絶滅危惧種だぞ、大事にしてやれ」
その時ふと、音が聞こえてきた。郷愁を誘うような夕暮れのメロディー。
そして、低く唸るような音。
「あの音は?」
「ん? ああ、焼却炉だよ。週に一度あそこのゴミを全部焼くんだ」
空はいつしか真っ赤に染まっていた。
白い煙がたなびいている。
ゴミなんかじゃない。人だった。
それがわかっているから、ここの人たちもどこか祈るような仕草で立ち上る煙を見つめているのだろう。
「おい、どこに行くんだ」
俺は、立ち止まっていられない。
俺のために死んだあの人の為にも、――というのはやっぱりきれいごとすぎる。
俺は俺のために、リハルに会いに行く。
何日もの間、ほとんど獣道と化した細い道を進んだ。国道や旧高速道路は、監視カメラが付いている。それに、物流や道路維持のためのロボットがうろついている。
野生動物には気を付ける。極力肌を出さない。
かつて学校でした、リハルとのごっこ遊びが、今の俺を救ってくれる。
日当たりのいい斜面には野生化したブドウがなっていて、それを食べて飢えをしのいだ。おそるおそる沢の水を飲んだ。人気のない街を抜け、打ち捨てられた廃屋で体を休めた。
足が痛くても、歩き続けた。
あれから、何日たったんだろう。俺は、育った町に帰ってきた。
家には立ち寄らないほうがいいだろう。
エデンの人間が探しに来ているかもしれない。
廃墟になったこの町でもいくつか明かりの生きている場所があった。例えば常夜灯やコンビニ。太陽光発電を利用しているから、半永久に明かりだけは保たれる。
中の品物とかに興味はあるけれど、あそこには監視カメラがある。
リハルに会うまでは捕まるわけにはいかない。
俺が向かったのは、あの懐かしいコインランドリーだ。
ホッとしたら、疲れが一気にやってきた。
ほんの少しだけ休みたい。
俺は隅の方へ行き、いつもリハルと並んで座った椅子の上に寝転がった。
「――スミ、伊澄! 起きてください、伊澄!」
「……リハル? 本物?」
「それはこっちが聞きたいですよ。本当に伊澄なんですか? どうして、いいえ、どうやってエデンを抜け出してきたんです」
リハルは震えているように見えた。夢でも見てるのかな。
「リハルこそ、なんでここに?」
リハルは口元を押さえた。
「わかりません。……ですが、君を待っていました。不合理ですよね。君はエデンで、会えるわけがないのに」
「会えたよ。リハルが来てくれたから、会えた」
俺は重たく感じる腕を伸ばしてリハルの頬に触れた。ひんやりと冷たく、気持ちよかった。
「ああ、これ、夢じゃないな……」
歩き通したせいで足が痛いし、頭も痛くなってきた。
「伊澄、熱があります!」
リハルが、泣きそうな顔をしている。
大丈夫だと伝えてやりたくて、もう一度腕を伸ばす。
リハルがその手をつかみ、また俺を呼んだ。
「伊澄――!」
次に目を覚ました時、俺はベッドの上にいた。
「ここは……」
「保健室です。ここなら解熱剤があるんじゃないかと思って」
学校、か?
ぼんやり部屋の中に視線を巡らせて、俺はハッと身を起こした。
「リハル、俺、エデンから逃げてきたんだ! 一緒にいたら、リハルまで捕まる!」
「ええ、探索ロボットがたっぷりウロウロしてましたね」
「何をのんきな」
「いまさらですよ。僕が今までどうやってシティから抜け出していたと思うんですか」
「意外と悪いやつだな」
「そうですよ。だから、大丈夫。今は安心して眠って」
悪いやつだから、安心しろっていうのもおかしな話だ。
笑ってしまった。本当に、久しぶりに。