6 担当者
「イスミくんなにか食べたいものはありませんか?」
担当者が言うので、俺は適当に答えた。
「ものすごく甘いもの」
健康に害のあるものは、成人したら自由に食べられるのだと信じていたのだが、務めを果たすまでは許されないと知ったばかりだった。単なる腹いせだった。
「イスミくん、公園に行きませんか? コスモスが見頃ですよ」
健全な人間の育成には、花が必要だとでも考えているのか、エデンにはそこかしこに花壇があった。
俺は花にはそれほど興味はなかったが、外には出たかったので応じた。
しばらく歩いたあと彼は俺をベンチに座らせて、カバンから魔法のように冷えたプリンを取り出した。
「エデンで一番甘いものです。普通のプリンに見せかけて、甘さは三倍だそうですよ」
「いや、禁止だろ、そんなの……」
「秘密にします」
「数値でバレるだろ」
「一口だけでもどうぞ?」
プリンの蓋を開けると、甘い匂いがふわりと漂った。
彼の真意がわからない。興味はあったが、なんとなく後が怖い気がした。
俺は結局断った。わがままを言って困らせた形だ。
けれど彼はうっすらとほほ笑んだ。
「いいこですね、イスミ君は」
「……試したのか」
「まさか。イスミ君が望んだから、用意したんですよ」
彼は心外だと言わんばかりに目を見開いた。
その顔は、やはりリハルに似ている気がして、俺はそっと彼から目をそらし、八つ当たりした。
「じゃあ、ここから出たいと言ったら出してくれるのか」
できるわけがないだろう。
そう思って鼻で笑うと、彼は表情の抜け落ちた顔でしばし固まっていた。
「あの……」
声をかけようとしたとき、遠くからふと聞き覚えのあるメロディーが聞こえてきた。
夕暮れを告げるそのメロディーに彼はハッとした様子で公園の時計を確認した。
「そろそろ帰りましょうか」
「……うん」
彼を困らせた自覚のある俺は、素直にうなずいた。彼は確かにここのスタッフだが、別にこの制度は彼が始めたわけでもないだろう。
そのとき、入れ違いにエデンで暮らす新人類の親子がやってきた。どうやらコスモスを見に来たらしい。
エデンの市民たちは、いつもみな幸せそうに微笑んでいる。まるでそれしか表情を知らないみたいだ。
まさか、彼らも薬を打たれている――?
突拍子もない妄想に、もはや笑う気力もなかった。
「新人類と旧人類、いったい何が違うのかな」
独り言は風に流れて消えてしまった。
どこからか低く唸るような音が聞こえる。
「風の音かな?」
「イスミ君、行きますよ」
急かされるようにして、俺は自分の部屋に戻った。
それから数日後のことだ。
「イスミ君、見学の許可が下りましたよ。行きましょう」
「見学?」
「ご自身の存在がどれだけ人類の役に立つか、知っておくほうが良いでしょう」
そう言って彼は、これまで俺が踏み入ったことのない区画へ案内した。飾り気のない四角い建物ばかりが並ぶエリアだ。似たような建物が規則正しく並びすぎていて、彼がいなければ迷子になってしまいそうだった。
やがて彼はそのうちの一つに迷いなく入っていく。
「こちらです。イスミ君」
狭い部屋の中、四角いカプセルが整然と並んでいた。
小型の洗濯機みたいだと思い、中を覗き込んで俺は首を傾げた。
なんだこれ、肉の塊みたいな――。
「こちらは培養カプセルです。あなたが提供した細胞もこちらで活用されているんですよ」
部屋の中は絶えず重低音の機械音が響いている。その中で彼の声はやけにはっきりと聞こえた。
「提供された組織は、研究所ですこしばかり操作されます。均すんです」
妙に自慢げに聞かされて、俺は耳を塞ぎたくなった。
「こちらで培養した生体素材は、専用のバイオプリンターで使用されます。そちらも見学されますか?」
リハル。
俺は声に出さずに彼の名を呼んだ。彼は知っていたんだろうか。この景色を。だとしたら、どういう気持ちであのコインランドリーを眺めていたのか。
「問題は対応年数ですね。新人類は旧人類に比べると格段に対応年数が低いのです。イスミくんどうしましたか? ――おや、失礼。見学コースが間違っていましたね。君はこちらだ」
彼は笑顔のままそう言って、今度は俺を別の部屋へ連れて行った。
「いまだに自然分娩にこだわる自治体は少なくありません。あれはもう信仰ですね。人工授精の子供だって遜色などないのにねえ」
先ほどとよく似た部屋。
違うのは、そこで育てられているのが人間の赤ちゃんだということだ。
真四角の人工子宮の中で彼らは生まれるのだという。
旧人類と新人類の差――。
どうやって部屋に戻ったのかもわからない。
ベッドに横たわったとたん、アラームがなって、白衣の男が入ってきた。
「はい、大丈夫だよ、落ち着いて」
そうしてまた注射を打たれる。
俺には悲しむ時間さえ与えられない。
新人類は、――リハルは。機械の骨組みに人間の細胞を張り付けて作られる、バイオハイブリッドロボットだったんだ。
信じたくない。
そんな素振り全然、――いや、思ってたじゃないか。受け答えがAIみたいだって。
人形じみた容貌だって。
でも、だったらあのぬくもりは何だったんだ。あの優しいキスは。
……あれは夢だったのかな。
俺はシーツをギュッと掴んでいた。縋りつくように。