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5 楽園

   5 楽園


 幸せな日々は、突然、スイッチをオフにしたみたいに真っ暗に切り替わった。


 その日のことはよく覚えている。帰りが少し遅くなり、俺は洗濯物を抱えて家まで走った。

 慌てていたから町の異変に気付かなかった。叱られずに済んだことを喜んですらいた。夕飯を済ませたあたりでさすがに遅すぎると気がついて、俺はそろりと町へ出た。


 街灯と、防犯灯、それとコンビニの看板。点いているのはそのくらいで、町には人の気配がまるでなかった。

 せり上がる寒気に、俺は二の腕をさすった。

 それでも俺はじいちゃんたちを待った。探す当てもないし、出かけているうちにみんなが帰ってきてもイヤだから、ひたすら家にこもって帰宅を待ち構えた。


 五日経って、ようやく俺は理解した。俺は捨てられてしまったのだと。




「■曜崇拝の信者たちが集団自殺した件は知っていますか? そうですか。国内三度目の事例ですが、地区まるごとというのはこれまでに例がありませんね。いや、本当によかった。君が無事で」


 知らせを持ってきた男は、エデンの使者を名乗った。彼は笑顔のまま、この地区の人間のほぼ全員の死亡が確認されたと告げ、俺に対してよかったと繰り返した。

 耳が理解を拒んだ。どうしてじいちゃんたちが死ななきゃならないんだ?

「予定が少し早まりましたが、エデンはあなたを歓迎します。さあ――」

 後ずさりした俺を、両脇から背の高い男が二人、抱えるようにして車に押し込めた。

 車内は薄暗く、窓は自分を映すばかりで外の景色は一切見えなかった。

 囚人になった気分は間違いではなかったのかもしれない。

 エデンは高い塀で囲まれていた。

 そして無機質な灰色の壁を隠すかのように木々が植えられ、様々な花が咲き誇っている。

 見え透いた、偽りの平和に、寒気がした。




 生殖可能な人間を集めて、ただ子供を産ませるための場所。それが楽園エデンだ。

 だれが名付けたのか、そのありがちな名前を人々は却ってありがたがった。

 俺は楽園へ移り住み、成人を前に最初の義務を果たした。細胞の提供。これも旧人類の未来のためになるらしい。


 真っ白な部屋でベッドにうずくまり、俺はじいちゃんたちのことを思い出し、こみ上げる吐き気をなんどもなんども飲み込んだ。

 口うるさくて、わがままで、面倒で。俺はいつだって、早く彼らから解放されたいと願っていた。


 年よりなんて、みんなさっさと死んじまえばいいのに。そう考えたこともある。それでも、こんなふうに置いて行かれるなんて思ってもみなかった。

 俺は、あんたたちの希望だったんじゃないのか。楽園で命を繋いで、あの町に新しい子供が訪れる日を楽しみに待っていたんじゃなかったのか。


 嗚咽を必死に堪えたが、遅かったようだ。

 静かにアラームが鳴り響いて、白衣姿の若い男が入室してきた。


「要らない」

 俺は縮こまって首を振った。

「うん。そうだね、念のためだから。大丈夫、安心して」

 優しい声でささやいて、俺に注射を打つ。楽園ではしあわせに暮らすことさえ義務だ。精神を乱せば薬で調整される。


 いやだ、眠りたくない。


 眠ってしまえば、夢に見るのはリハルのことだ。

 薬が強制的に見せる夢は、そのすべてが偽りだ。俺の記憶から彼の温もりを、声を奪っていく。


 リハルはこんなふうに笑わない。俺に幸福を囁いたりしない。夢を見るたび本当の彼が薄まって、やがて書き換えられてしまうのではないかと怖かった。いやだ、眠りたくない。


 あのコインランドリーに、彼は今もひとりで通っているのだろうか。

 別れの言葉も、言えなかった。


 ごうんごうんごうん。


 整然と並ぶ洗濯槽を思い出す。あのなかでぐるぐる回っているような不快な気分のまま俺は眠りに落ちた。




 木漏れ日が、ゆらゆらと地面にいくつもの円を作っていた。

 公園を散歩する俺に、若い男がひとり付き添っている。

 エデンでは旧人類一人一人に、担当者が付けられている。生活環境を整えるためだとか、健康維持のためだとか、体のいいことを言っているが、要するに監視だ。

 俺の担当者は、親身になってくれるほうなのだと思う。けれど馴れ馴れしすぎる気もする。距離の近さがちょっと気になった。


「イスミ君、寒くはないですか?」

「イスミくん、不足はありませんか」

「イスミくん」


 どれだけ名前を呼ばれても、俺はなるべく彼の顔を見ないようにしていた。

 彼はゾッとするほどリハルに似ている。いや、よく見ればそれほど似ていない。

 けれど俺を混乱させるには充分なほど、彼はいたって平均的な、シティの人間だった。


 楽園エデンは旧人類存続のためにあるのだと教え込まれてきた。けれど実際には、俺たちを管理していたのは、新人類だったわけだ。


 リハルも言っていたっけ、人類がいなくなったら、新人類も存続できないって。

 真実を知った俺は、少なからぬショックを受けた。けれど俺は結局すべてを受け入れた。

 逃げるにはあまりにも疲れすぎていた。

 いろいろなものを一度に失いすぎていた。


 エデンについて真っ先にされたことは、首にマイクロチップを埋め込まれることだった。

 エデンは巨大な檻だった。

 移動は厳しく管理され、他の旧人類との接触は制限される。


 ここから出る手段は三つ。

 一つは言われるままに務めを果たす。

 もう一つは、ここの技術でも直せない病気や怪我を負う。「用なし」の烙印を押されれば追い出される。

 最後は、もっと単純。死ねばここから出られる。



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