3 ボーダーライン
■曜日、いつものようにコインランドリーに行くと、思いがけず彼がいた。
「え、なんで……」
「洗濯をしに」
彼は椅子に座ったまま、洗濯機を無感情に指さした。
「そうじゃなくて、どうして」
俺は、言葉を続けられなかった。
なんで急にこなくなったのか、どうしてシティで俺を無視したのか。そのくせどうして今、ここにいるのか問いただしたかった。けれど、うまくしゃべれなかった。
俺は魚みたいに、ただ口をぱくぱくさせることしかできなかった。
そんな俺を見て彼は苦笑した。
「先週、シティにきていましたね」
「行ったよ! でも、あんたに無視された」
「ふたつ、理由があります」
彼は悪びれなかった。回る洗濯機へ視線を移し、長い足を組んだ。
「あのとき、もし僕が君に駆け寄ったりしたら、たいへんな騒ぎになりましたよ。君は、一人で帰らなくちゃいけなかった」
「騒ぎって?」
「僕が君と秘密裏に会っていると知られたら、僕は処分されたでしょうね」
「もう、会えなくなってたかもしれないってこと?」
「そうなりますね」
彼はあっさり頷いた。ここにいるということは、彼は処分とやらを免れたのだろう。
俺はほっと息を吐きだした。
「二つ目は、君を守るためでした」
「守るってなんだよ。別にシティの人は俺に興味なんてなさそうだったけど?」
「だれも君に声をかけなかったのは、そう定められているからに過ぎません。ですが、あの日だれもが君を注視していた」
「そりゃ、俺は浮いてたかもしれないけど、おおげさじゃない?」
「いいえ。君は刺激的過ぎます」
「……なにそれ、からかってる?」
「からかう? まさか。禁止されています」
「だれに――。ああ、いい、答えなくて! でもやっぱ大げさだよ。別にシティの奴らが俺の見学ツアーを組むとかじゃないんだろ?」
「そうなってもおかしくありません」
冗談だったのに真面目に返されて、俺は戸惑う。
「……ぇえ?」
「実際、あの日はひどくざわついていましたから。もし、僕たちが君を見るため大挙して押し寄せたら、どうなると思います。この町の人間は君をどうするでしょう?」
「そりゃあ……」
俺は口ごもった。鍵をかけて閉じ込めるくらいはするんじゃないかって思った。考えるだけで吐きそうだ。
「ご理解いただけたでしょうか」
全部を理解できたわけじゃない。だけどすごく自分に都合のいい解釈をするならば……。
「――俺に、また会いたくてあの時は無視したってこと?」
彼はふわりと笑みを浮かべた。
「おっしゃる通りです」
「なんか、AIと話しているみたいだ」
すると彼はパチパチと音がしそうな瞬きした。
「そうですか。気を付けます」
「そういうところだよ」
ふっと沈黙が降りて、洗濯機の回る音ばかりが響いた。
コインランドリーの中は蒸し暑く少し汗ばむくらいだった。
窓はないので扉を開け放ちに行ったのだが、なぜかリハルまで慌てた様子で立ち上がった。
「どうかした?」
「いえ、どこかへ行ってしまうのかと思って」
「いや、暑かったから、ドアを開けただけ」
ホッとしたように見えたのは、期待しすぎだろうか。
俺と彼は並んで椅子に座った。
俺はじっと彼の横顔を見つめ、ハタと気づいて口元を隠した。
見つめることは、誘うこと。
ということは、見ていたらまたキスをしてくれるということだろうか。
俺は自分の考えに動揺し、少しソワソワした。
逃げ出してしまいたくなったそのとき、彼が俺の手をそっと抑えた。
驚いて見上げると彼もじっとこちらを見ていた。
「本当はね、いけないことなんです。僕たち新人類は、旧人類に関わってはいけない。データへのアクセスも制限される」
それは俺にも少しわかる。こちら側でもなんとなく、シティに興味を持つのは悪いことだという空気がある。
「でもね、あの日偶然あなたに会ってから、僕は少しおかしいんです」
「俺のせいにする気か? ――そもそもなにしにこんなところまできたの?」
「さあ、見ておきたかったのかな。――似ているんですよ、ここ。子供を作る場所に」
「こ、子供を作る?」
コインランドリーで?
俺は動揺して少しのけぞった。
リハルはちょっと首を傾げ、洗濯機を指さした。
手が、離れてしまった。
「それが」
「洗濯機が、何に似ているって……?」
「子供を作る機械に」
「子供を作る機械?」
まぬけに繰り返してしまう。
「僕らは機械で生まれ、各シティに送られる。自分の生まれた場所を見てみたいと思ったんです。だけど、ここに入っていたのは――だれかが取り込み忘れたらしい服でした。不可解に感じて、説明書にある正しい使い方とやらを試している最中に、君が来ました」
「あれ、自分の服じゃなかったんだ」
「はい。あなたのものでしたか?」
「いや、ちがう。じゃあずっと、だれかの忘れ物を洗ってたの? 残ってたのが、下着じゃなくてよかったな」
俺が苦笑を漏らしたそのとき、ピーピーと終了の合図が響いた。
彼は立ち上がり、洗濯機の前に立った。
「生まれました」
「なんだよそれ、子供が欲しいの?」
「いいえ。それはあなた方にしかできないことです。僕らにできるのは、セックスの真似事だけです」
俺はギョッとして彼を見た。きれいな顔で何を言ってるんだ。
思わず彼の下半身に目をやりかけて、俺は慌てて自分の洗濯物を洗濯槽にポンポンと放り込んだ。
反対に、リハルは黒いTシャツを取り出して興味深げに観察している。急にいやらしい仕草に見えてしまって、妙に心臓がばくばくいった。
「人類がいなくなっては、僕たちも存続できない。あなたは、僕らの素材でもある。みんなのものでなくてはならない」
「は? ――え?」
言われたことの意味に気づいたとき、俺は息を飲み損ね、引きつった。震えがくる。自分の体を抱きかかえるようにして、泥を吐くような気分で笑った。
笑うしかなかった。
そうだよ。俺はみんなのものだ。みんなが育てたから、だれかひとりを愛することも、ひとりに愛されることも俺には許されない。将来はみんなのために子供を作って、よろこんで手放さなくてはならない。
俺は生む側じゃないからまだマシだ。
女の人はもっと悲惨だ。
新人類と旧人類、せっかくだれかが線を引いたのに、行きつく先はこんなにも似ている。
彼らはだれかが提供した精子と卵子で作られて、親と呼べる存在はいないそうだ。彼らは全員シティの子どもたちなのだ。
そんなの、俺と同じじゃないか。
エデンで生まれた子供は、まずは母親の故郷へ優先的に卸される。次は父親の故郷。それ以外の自治体は、ひたすら自分たちの子供が来るのを待つしかない。
俺は母親の胎から生まれたけど、俺は彼女のモノではなく、彼女も俺のモノではない。
「僕はね、それを嫌だと感じてしまったんです」
「……え?」
「もう、シティに来てはいけません。君は本当に刺激的です。君は僕らを壊しかねないほど、不可解で、強烈で、魅力的だ。きっとみんな君を共有したがる。でも僕は、だれとも共有したくない。君を、自分のものにしたい」
ドクンと、心臓が跳ねた。
リハルの目を覗き込む。彼は瞬きを忘れたように俺を見つめている。
今、彼はなんて言った――?
「自分のものにしたい?」
そのとき彼が浮かべた微笑みは、いつもどこか違っていた。ふと、空気まで変えてしまったようだった。
それまでまとっていた優しさを脱ぎ捨てて、はじめて欲をむき出しにした。
「いけませんか?」
怖いと思うよりもずっと、強く思った。俺も彼が欲しい。
「だったら、名前、教えてよ」
彼のことが知りたい。自分のことを刻みつけたい。境界線なら、とっくに超えてる。
「俺も、あんたを――俺のものにしたい」