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 ■曜日、いつものようにコインランドリーに行くと、思いがけず彼がいた。

「え、なんで……」

「洗濯をしに」

 彼は椅子に座ったまま、洗濯機を無感情に指さした。

「そうじゃなくて、どうして」


 俺は、言葉を続けられなかった。

 なんで急にこなくなったのか、どうしてシティで俺を無視したのか。そのくせどうして今、ここにいるのか問いただしたかった。けれど、うまくしゃべれなかった。


 俺は魚みたいに、ただ口をぱくぱくさせることしかできなかった。

 そんな俺を見て彼は苦笑した。

「先週、シティにきていましたね」

「行ったよ! でも、あんたに無視された」

「ふたつ、理由があります」


 彼は悪びれなかった。回る洗濯機へ視線を移し、長い足を組んだ。

「あのとき、もし僕が君に駆け寄ったりしたら、たいへんな騒ぎになりましたよ。君は、一人で帰らなくちゃいけなかった」

「騒ぎって?」


「僕が君と秘密裏に会っていると知られたら、僕は処分されたでしょうね」

「もう、会えなくなってたかもしれないってこと?」

「そうなりますね」


 彼はあっさり頷いた。ここにいるということは、彼は処分とやらを免れたのだろう。

 俺はほっと息を吐きだした。

「二つ目は、君を守るためでした」

「守るってなんだよ。別にシティの人は俺に興味なんてなさそうだったけど?」

「だれも君に声をかけなかったのは、そう定められているからに過ぎません。ですが、あの日だれもが君を注視していた」


「そりゃ、俺は浮いてたかもしれないけど、おおげさじゃない?」

「いいえ。君は刺激的過ぎます」

「……なにそれ、からかってる?」

「からかう? まさか。禁止されています」

「だれに――。ああ、いい、答えなくて! でもやっぱ大げさだよ。別にシティの奴らが俺の見学ツアーを組むとかじゃないんだろ?」

「そうなってもおかしくありません」


 冗談だったのに真面目に返されて、俺は戸惑う。

「……ぇえ?」

「実際、あの日はひどくざわついていましたから。もし、僕たちが君を見るため大挙して押し寄せたら、どうなると思います。この町の人間は君をどうするでしょう?」

「そりゃあ……」


 俺は口ごもった。鍵をかけて閉じ込めるくらいはするんじゃないかって思った。考えるだけで吐きそうだ。

「ご理解いただけたでしょうか」


 全部を理解できたわけじゃない。だけどすごく自分に都合のいい解釈をするならば……。

「――俺に、また会いたくてあの時は無視したってこと?」

 彼はふわりと笑みを浮かべた。

「おっしゃる通りです」

「なんか、AIと話しているみたいだ」

 すると彼はパチパチと音がしそうな瞬きした。

「そうですか。気を付けます」

「そういうところだよ」


 ふっと沈黙が降りて、洗濯機の回る音ばかりが響いた。

 コインランドリーの中は蒸し暑く少し汗ばむくらいだった。


 窓はないので扉を開け放ちに行ったのだが、なぜかリハルまで慌てた様子で立ち上がった。

「どうかした?」

「いえ、どこかへ行ってしまうのかと思って」

「いや、暑かったから、ドアを開けただけ」

 ホッとしたように見えたのは、期待しすぎだろうか。


 俺と彼は並んで椅子に座った。

 俺はじっと彼の横顔を見つめ、ハタと気づいて口元を隠した。

 見つめることは、誘うこと。


 ということは、見ていたらまたキスをしてくれるということだろうか。

 俺は自分の考えに動揺し、少しソワソワした。

 逃げ出してしまいたくなったそのとき、彼が俺の手をそっと抑えた。

 驚いて見上げると彼もじっとこちらを見ていた。


「本当はね、いけないことなんです。僕たち新人類は、旧人類に関わってはいけない。データへのアクセスも制限される」

 それは俺にも少しわかる。こちら側でもなんとなく、シティに興味を持つのは悪いことだという空気がある。


「でもね、あの日偶然あなたに会ってから、僕は少しおかしいんです」

「俺のせいにする気か? ――そもそもなにしにこんなところまできたの?」


「さあ、見ておきたかったのかな。――似ているんですよ、ここ。子供を作る場所に」

「こ、子供を作る?」

 コインランドリーで?

 俺は動揺して少しのけぞった。

 リハルはちょっと首を傾げ、洗濯機を指さした。

 手が、離れてしまった。


「それが」

「洗濯機が、何に似ているって……?」

「子供を作る機械に」

「子供を作る機械?」

 まぬけに繰り返してしまう。


「僕らは機械で生まれ、各シティに送られる。自分の生まれた場所を見てみたいと思ったんです。だけど、ここに入っていたのは――だれかが取り込み忘れたらしい服でした。不可解に感じて、説明書にある正しい使い方とやらを試している最中に、君が来ました」

「あれ、自分の服じゃなかったんだ」

「はい。あなたのものでしたか?」

「いや、ちがう。じゃあずっと、だれかの忘れ物を洗ってたの? 残ってたのが、下着じゃなくてよかったな」


 俺が苦笑を漏らしたそのとき、ピーピーと終了の合図が響いた。

 彼は立ち上がり、洗濯機の前に立った。

「生まれました」

「なんだよそれ、子供が欲しいの?」

「いいえ。それはあなた方にしかできないことです。僕らにできるのは、セックスの真似事だけです」

 俺はギョッとして彼を見た。きれいな顔で何を言ってるんだ。

 思わず彼の下半身に目をやりかけて、俺は慌てて自分の洗濯物を洗濯槽にポンポンと放り込んだ。

 反対に、リハルは黒いTシャツを取り出して興味深げに観察している。急にいやらしい仕草に見えてしまって、妙に心臓がばくばくいった。


「人類がいなくなっては、僕たちも存続できない。あなたは、僕らの素材でもある。みんなのものでなくてはならない」

「は? ――え?」

 言われたことの意味に気づいたとき、俺は息を飲み損ね、引きつった。震えがくる。自分の体を抱きかかえるようにして、泥を吐くような気分で笑った。

 笑うしかなかった。


 そうだよ。俺はみんなのものだ。みんなが育てたから、だれかひとりを愛することも、ひとりに愛されることも俺には許されない。将来はみんなのために子供を作って、よろこんで手放さなくてはならない。


 俺は生む側じゃないからまだマシだ。

 女の人はもっと悲惨だ。


 新人類と旧人類、せっかくだれかが線を引いたのに、行きつく先はこんなにも似ている。

 彼らはだれかが提供した精子と卵子で作られて、親と呼べる存在はいないそうだ。彼らは全員シティの子どもたちなのだ。


 そんなの、俺と同じじゃないか。

 エデンで生まれた子供は、まずは母親の故郷へ優先的に卸される。次は父親の故郷。それ以外の自治体は、ひたすら自分たちの子供が来るのを待つしかない。

 俺は母親の胎から生まれたけど、俺は彼女のモノではなく、彼女も俺のモノではない。


「僕はね、それを嫌だと感じてしまったんです」

「……え?」

「もう、シティに来てはいけません。君は本当に刺激的です。君は僕らを壊しかねないほど、不可解で、強烈で、魅力的だ。きっとみんな君を共有したがる。でも僕は、だれとも共有したくない。君を、自分のものにしたい」

 ドクンと、心臓が跳ねた。

 リハルの目を覗き込む。彼は瞬きを忘れたように俺を見つめている。

 今、彼はなんて言った――?


「自分のものにしたい?」


 そのとき彼が浮かべた微笑みは、いつもどこか違っていた。ふと、空気まで変えてしまったようだった。

 それまでまとっていた優しさを脱ぎ捨てて、はじめて欲をむき出しにした。


「いけませんか?」

 怖いと思うよりもずっと、強く思った。俺も彼が欲しい。


「だったら、名前、教えてよ」

 彼のことが知りたい。自分のことを刻みつけたい。境界線なら、とっくに超えてる。

「俺も、あんたを――俺のものにしたい」


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