第71話 死んでも
「……変じゃない、よね」
鏡を見ながら何度も前髪を調整する。スプレーで固めてしまったら簡単には修正できないから。
いつもの倍は時間をかけてメイクとヘアセットをした。後は前髪を固めれば完成だ。
今日は、8月25日。
渚と恋人になって、今日でちょうど9年だ。
記念日だけど今日は平日だから、デートは夕方からの約束。でも私はちゃんと準備をしたくて有給をとった。
明日も休みをとってあるから、今日は心置きなくゆっくりできる。
「渚を迎えに行って、それから……」
何度も確認した今日のスケジュールをまた脳内で振り返る。今日は今までの記念日で一番特別な日にしたいから、少しだって気は抜けない。
前髪をスプレーで固め、リビングに戻る。そして鞄の奥底にしまってあった小さな箱を取り出した。
同棲してると、隠し事をするのってかなり難しいんだよね。
どこにおけば安心できるかを考えた末に、結局鞄の中だという結論に達したのだ。
深呼吸をしてゆっくりと箱を開ける。中に入っているのは、私が貯金をはたいて買った婚約指輪だ。
うん。やっぱり可愛い。絶対渚に似合うと思う。
こういうのは、値段だけが全てじゃない。分かってはいるけれど、どうしても草壁が買った物よりも立派な指輪を選びたかった。
私は今日、渚にプロポーズをする。
前の人生で草壁が渚にプロポーズをしたのと同じ日に。
そして前に私が死んだ日……二人が結婚式を挙げた日に、私は渚と式を挙げる。それでようやく、やり直しは終わりだ。
♡
「お待たせ、桃華」
会社から出てきた渚が駆け足でやってくる。どこに行くかを内緒にしたくて、今日は会社の前まで迎えにくることにしたのだ。
デートだと伝えてあるから、いつもより渚の服装は華やかだ。
渚の今の髪型は茶髪のボブで、渚によく似合っている。髪を耳にかけると見えるピアスは、私が3年前の誕生日にプレゼントした物だ。
「待った?」
「ううん、今きたところ」
「嘘。待ったでしょ。素直に待ったって言えばいいのに」
分かってるんだから、と渚が笑う。渚に見透かされるのは気持ちがいい。
「それで今日は、どこに連れて行ってくれるの?」
自然な動作で渚が私の手をぎゅっと握る。もう私たち女子高生じゃない。手を繋いで歩いていれば、周りから奇異の目を向けられることもある。
だけど渚はいつも私の手を握ってくれる。それが、私はすごく嬉しい。
「内緒」
だよね、と笑った渚はもう、これから行く場所に気づいているのかもしれない。それはそれでいいかも、なんて私が思っていることにだって。
♡
「ここ」
私が財布から二人分のチケットを取り出すと、やっぱり、と渚は笑った。
渚を連れてきたのは観覧車だ。9年前、私が渚に告白した思い出の場所。
高級ホテルとか、クルージング船とか、有名テーマパークとか、プロポーズに向いていそうなところはいろいろと考えた。
でも私たちに一番ぴったりな場所はここしかないと思ったのだ。
「観覧車、乗らない?」
「乗る」
ここにくるのは9年ぶりじゃない。落ち着いて話をしたい時、私たちはよくここへくる。
別々の大学へ進学することが決まった時とか、就活で悩んでいた時とか。
ここには、たくさんの思い出が詰まっている。
案内に従ってゴンドラに乗る。9年も付き合っているけれど、やっぱり渚は正面じゃなく私の隣に座った。
「渚」
「なに?」
「話があるの」
うん、と頷いた渚はすごく緊張しているのが分かった。
渚のこんな表情を見るのはずいぶんと久しぶりかもしれない。
深呼吸をして鞄から指輪の入った箱を取り出す。箱に書かれたブランドのロゴを見て渚が息を呑んだ。
「私と結婚してください」
箱を開けて、真っ直ぐに渚へ差し出す。
「私と一緒に、これからの人生も歩んでほしいの。絶対、世界で一番幸せにするから」
「……あの時と同じようなこと言ってる」
「知ってる。でも私の気持ち、あの時から変わってないから」
今も昔も、渚を幸せにするという決意は変わっていない。
「私の返事だって変わってないよ」
指輪を受け取って、渚が私に軽くキスをした。その後指輪を左手の薬指につけて、どう? と泣きそうな顔で笑う。
ダイアモンドの輝きも、渚の前では控えめになっているような気がした。
「私を選んでくれてありがとう、桃華」
「渚以外の選択肢、最初からないよ」
私たちは女同士だから、正式に籍を入れられるわけじゃない。それでもけじめとして、どうしても今日プロポーズしたかった。
くだらない意地、プライド。分かってる。それでも私は、過去を塗り替えてしまいたいの。
「私のこと、一生愛してくれる?」
ねえ、と甘えた声を出して、渚が私の肩にもたれかかった。
「うん。死んでも愛してるよ、渚のこと」
強く抱き締めて、強引に唇を重ねる。渚も私の腰に手を回してくれた。
私、本当に渚と結婚できるんだ。
今度はちゃんと、私が渚を幸せにできるんだ。
溢れてくる涙を堪えることができない。そんな私を見て、渚は幸せそうに笑ってくれた。




