第70話(草壁視点)お似合い
「……気まずいなぁ」
教室に入る前に、立ち止まって深呼吸をする。教室に入りたくない、なんて思うのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
夏休み中に桃華ちゃんに告白して、振られた。
自分から告白したのも、女の子に振られたのも初めてだ。
今までは告白してくれた子とか、なんとなくいい雰囲気になった子と流れで付き合ってきたから。
あれから、桃華ちゃんとは連絡をとっていない。どんなメッセージを送ればいいのか分からなかった。
まあ、振られるだろうっていうのは、薄々分かってたけどさ。
それでも、あれほどはっきり振られるとは思っていなかった。依存でもおかしくてもいい。そう言いきった桃華ちゃんは覚悟の決まった目をしていた。
あの目を見たら、今後俺がどう頑張ったって勝ち目がないことに気づいてしまった。
それでも二人の間にあるものが、ただの恋とは思えない。
「あ、草壁」
名前を呼ばれて振り向くと、藤宮さんが立っていた。もちろんその隣には桃華ちゃんがいる。
朝から手を繋いでいる二人を見ても、誰も何も言わない。仲のいい女子が手を繋いでいることなんて日常茶飯事だから。
「……おはよう」
藤宮さんは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、桃華ちゃんはちょっと気まずそうな顔をして俺から目を逸らす。
「ちょっと話したいことがあるんだけど、きてよ」
藤宮さんがそう言ってにっこりと笑った。
♡
藤宮さんに連れていかれたのは、人気のない空き教室だ。数学や英語の授業で使うことはあるけれど、朝に人が入ってくることはほとんどない。
「それで、話って?」
「私たちのこと」
二人はまだ見せつけるように手を繋いでいる。しかも恋人繋ぎだ。
「私と桃華、付き合い始めたの。恋人として。ね、桃華」
藤宮さんと桃華ちゃんの唇がおそろいの色をしている気がして、大声で叫びたいような、泣きたいような気持になった。
桃華ちゃんは頷いて、そうなの、と俺を見つめる。その瞳が全力でごめんと言っている気がした。
「……そうなんだ」
桃華ちゃんは正直、今まで俺が付き合ってきた子とはまるでタイプが違った。
男子と積極的に話すようなタイプじゃないのに、なぜか俺には初対面の時から話しかけてくれて。
話すうちにどんどん、桃華ちゃんとの距離が縮まっていった。
最初は俺のことが好きなのかな? とか、好みのタイプだったのかな? なんて考えたけど、たぶん違った。
でもそのことに気づいた時には、俺はもう桃華ちゃんを好きになっていたのだ。
他の子とは違って、大人っぽくて、特別な空気を纏っている子だと感じた。でもちゃんと子供っぽいところもあって、そこが可愛くて。
そしてその幼さが、幼馴染への依存に繋がっているのだと思った。
「おめでとう、桃華ちゃん」
「……ありがとう」
今でも思う。依存は恋じゃない。
でも桃華ちゃんは、依存でも恋でもなんでもいいから、藤宮さんがいいんだよね。
そんな風に認められたらもう、俺はどうしようもないじゃん。
俺の方がきっと、桃華ちゃんと普通の恋愛をできる。でも桃華ちゃんは普通の恋なんて全く望んでいない。
「一個だけ桃華ちゃんに聞きたいことがあるんだけど……ちょっとだけ、桃華ちゃんと二人きりにしてくれない?」
藤宮さんがあからさまに顔を顰めたけれど、桃華ちゃんは頷いてくれた。不満そうな顔で、五分だけだからね! と言って藤宮さんが教室を出ていく。
「私に聞きたいことって?」
「なんで桃華ちゃんは、俺と仲良くしようとしてくれたの?」
社交的じゃなくて、他の男子とはほとんど喋らない桃華ちゃん。
そんな桃華ちゃんが、初対面の時から俺には好意的だった理由が分からない。
今となってはどうでもいいことなのかもしれないけれど、気になってしまう。
「……それは」
「誰にも言わないから、本当のこと教えてよ。お願い。俺、桃華ちゃんのこと本気で好きなんだから」
わざと罪悪感を刺激するような言葉を口にする。振られた男のみっともない質問だ。
「分かった。むかついたら、殴っていいから」
「桃華ちゃんのこと、俺が殴るわけないじゃん」
桃華ちゃんが深呼吸をする。緊張しながらも、俺に向き合おうとしてくれているのだろう。
「……優希くんに、渚を好きになってほしくなかったから」
なにそれ。
藤宮さんが好きで、俺に藤宮さんをとられないように、先手を打って俺に近づいたってこと? 俺は藤宮さんと話をしたことすらなかったのに?
意味が分からない。
「ごめんなさい」
桃華ちゃんは勢いよく頭を下げた。
なんでだろうって、ずっと思ってたけど。
そんな理由だったとは予想できなかったな。
正直、むかつく。
でも素直に話してくれたから怒る気にはなれない。本当のことを言ってくれたのは、俺に向き合ってくれた証だから。
藤宮さんをとられないように俺に近づいた桃華ちゃん。
桃華ちゃんを好きな俺に見せつけるような行動ばかりをとった藤宮さん。
「桃華ちゃんと藤宮さんってさあ……」
二人ともどこかおかしい。
でも、いや、だからこそ、と言うべきなのか。
「本当、お似合いだよ」