第62話 今度こそ
アラームをセットしていなかったから、私が目を覚ましたのは午前11時過ぎだった。
わずかに開いたカーテンの隙間から差し込む陽光がやけに眩しい。
「ん……」
私の腕の中で、渚が小さな寝息を立てている。こうして一晩中、私は渚のことを抱き締めていたみたいだ。
渚と一緒にお風呂に入って、同じベッドに寝て。
昨日の私たちは、完全に恋人同士だった。
渚、どうしたのかな。
草壁と話をしたせい?
渚からキスをしようとしてくれたり、身体的な接触を求めてくれることは嬉しい。でもそれが草壁の影響だと思うと、少しもやもやする。
可愛い寝顔。
つん、と頬をつついてみる。もちもちとした肌が気持ちいい。
もし一緒に暮らしたら、毎朝渚の寝顔を見られるんだよね。
それだけじゃない。毎日一緒に朝食や夕食を食べられるし、お風呂にだって毎日一緒に入れるかもしれない。
互いのスケジュールを共有し合って、一緒に行動するのが当たり前な関係になれる。
……たぶんそれが、結婚よね。
そして昔、渚はその相手に私じゃなくて草壁を選んだ。
今度は絶対、私を選んでもらわなきゃいけない。
「渚、おはよう。朝ご飯食べる?」
「ん……おはよ、桃華」
私の顔を見て、へにゃ、と渚が笑う。寝起きの渚はいつもより気が抜けていて、子供みたいで可愛い。
まあ、渚が可愛くない瞬間なんて全くないんだけれど。
「食パンでも焼く?」
「あ、食べたい」
「了解。できたら呼ぼうか? もう少し寝てていいから」
「ありがとう」
すぐにまた、渚は眠ってしまった。軽く渚の頭を撫でて、ゆっくりとベッドから起き上がる。
両親が帰ってくるのは今日の夜で、渚が帰るのは夕方の予定だ。まだ、私たちは二人きりでいられる。
だけど今日の夜はまた、別々の家で、別々のベッドで眠らなきゃいけない。
「……やっぱり、早く付き合いたい」
渚だって、私とそういう意味で距離を縮めようとしてくれている。
残念なことにまだ、決定的な言葉はくれないけれど。
付き合おうって、恋人になろうって、渚から言ってもらいたいけど……でも、そんなことより大事なものがあるのかも。
渚から言ってもらってこそって、ずっとそう思ってたけど。
私は昔、渚に告白できなかった。
そしてそのまま、渚は草壁と付き合って、草壁と結婚した。
その間にだってきっと、告白するチャンスはあったはずなのに。
今度こそ、私が告白するべきなのかもしれない。
そのために神様は、私にもう一度だけチャンスをくれたんじゃないの?
食パンにチーズとウインナーをのせながら、大きく深呼吸する。
「……そうよね」
このままいつまでも告白を先延ばしにしていたら、前と同じ結果になってしまうかもしれない。
渚が私以外の誰かを好きになって、告白されて、そいつと結婚しちゃうかもしれない。
神様はきっと、もう一度私にチャンスをくれることはない。
だから。
「決めた」
渚に告白する。恋人になってほしいって、今度こそちゃんと伝えなきゃ。
「あの日しかないわよね」
8月25日。
渚と草壁の記念日。二人が付き合い始めた日。二人が結婚することを決めた日。そして二人が、結婚式を挙げた日。
その記念日を、私が塗り替えたい。