第53話 あとちょっと
「あ、そうだ。かき氷でも食べない?」
1時間ほど海で遊び、疲れて砂浜に上がったところで渚が言った。
近くには海の家がたくさんあって、かき氷や焼きそばなどが売られているのだ。
「いいね」
草壁がすぐに賛成する。私としても、特に反対意見はない。
海の家とかお祭りのかき氷って、別に美味しくはないんだけどつい食べたくなるのよね。
「じゃあ、私が桃華と買ってくるから、草壁は待機しといて」
「……俺が桃華ちゃんと行きたいんだけど」
「女の子1人残していくとか、危ないでしょ」
渚が勝ち誇ったように言えば、草壁はしぶしぶ頷いた。
砂浜はそれなりに混んでいる。レジャーシートを置いて場所取りに成功したが、一度離れたらすぐに誰かにとられてしまうだろう。
荷物もあるし、荷物番として草壁が残るというのは不思議な話じゃない。
「行こ、桃華」
「うん。あ、優希くんはかき氷、何味?」
「桃華ちゃんのおすすめでいいよ」
「なにそれ。……メロンでいい?」
草壁は一瞬目を見開いて、満面の笑みで頷いた。
「さすが桃華ちゃん! 俺の好みよく分かってるね」
……そうだっけ? 言われてみれば、そうかも。
適当に言ったつもりだったけれど、考えてみればかき氷を食べる時、草壁はいつもメロン味だった気がする。
渚から聞いたことだけれど。
「桃華、行くよ」
不機嫌そうな声で言って、渚が私を引っ張った。
♡
「桃華って、草壁の好みとかにやけに詳しいよね」
「……そうかな?」
「絶対そう」
未来の渚に聞いてるからだよ、なんて言えない。
この世界線では、そんな未来にするつもりもないし。
「そういうの、むかつく」
はあ、と渚がわざとらしく溜息を吐いた。
なにか私が言おうとした、その時。
「ねえ、君たち2人?」
「俺たちも2人なんだけど、よかったら一緒に遊ばない?」
チャラそうな男たちが声をかけてきた。明らかなナンパである。
ちら、と渚を見る。渚は強張った顔をしていた。
そうだよね。高校生の頃って、あんまり慣れてなかっただろうし。
大人になった渚は、ナンパのあしらい方も上手かった。というか、そもそも全く相手をしない。
私だって慣れないうちは動揺していたけれど、もう平気だ。
「行こ」
男たちを無視し、渚の手を引いて歩く。これで諦めてくれる人が多いのだが、今回は違った。
鬱陶しいことに私たちの進行方向に立ち、歩くのを妨害してきたのだ。
「無視は酷くない?」
「私たち、デート中なので」
ピシャリと言って、渚の手を引いて走る。勢いよく走れば、さすがに追ってくることはなかった。
かき氷屋の前まで走り、列に並ぶ。走ったせいで乱れた呼吸を整えていると、渚が私を見つめた。
「デート中なの? 私たち」
「渚はどっちだと思う?」
「……その聞き方、狡くない?」
言いながら、渚は私の指を絡めとった。いわゆる、恋人繋ぎだ。
「桃華が可愛いから声かけてきたんだよ。さっきの人たち」
「渚目当てかもしれないでしょ」
「あいつら、桃華のこといやらしい目で見てた」
渚がそっと息を吐く。周りにはたくさんの人がいるのに、見つめられると、私たち以外には誰もいないような気がしてくるのはどうしてだろう。
「ねえ、桃華」
「なに?」
「キスして。今、ここで」
「……え?」
ここは人気の多い海水浴場で、おまけに海の家の前だ。しかも、かき氷の行列に並んでいる最中。
手を繋いでいるカップルはいても、キスをしている人なんていない。
なに考えてるの?
「だめなの? こんなに、私が頼んでるのに」
ねえ、と泣きそうな顔で渚は私を見つめた。
ぐしゃり、と理性が崩れそうな音がする。でもきっと、だめだ。まだ、だめ。
私の理性より先に、渚の理性が崩れてくれなきゃ、きっとだめなんだ。
「……人がいないところでね」
情けないことに私の声は震えていた。
あとちょっと。
あと、本当にちょっとな気がする。でもまだ、足りないものがある。
「桃華の馬鹿」
不貞腐れたような声で渚が呟く。聞こえないふりをしたら、私の手を握る渚の力が強くなった。
ねえ、渚。
たった一言、言ってくれるだけいいの。
恋人になろうって。
それだけで本当に、私は全部、渚の言うことを聞いてあげられるのに。