第10話 もっと
渚が真っ青な顔で教室を出ていった。
すぐに追いかけなきゃ、と思うのに、なかなか動けない。
だって、にやけがおさまらないから。
渚は明らかに、私が草壁と……特定の男子と仲良くするのを嫌がっている。
こんなの、初めてだ。嬉しくてたまらない。
考えてみれば、前は男子となんて滅多に喋らなかったのだから、当たり前かもしれない。
男子どころか、学生時代は渚以外の女子とも仲良くすることはなかった。
渚が好きで、渚以外はどうでもいいと思っていたから。
今だってそうだ。でも、気づいた。
渚を落とすには、渚とだけ仲良くしてちゃだめだわ。
落ち着くために軽く深呼吸をし、自分の席に鞄を置く。
おはよう、と草壁に挨拶した後、私は教室を出た。
♡
「渚」
渚はトイレ内にある鏡の前にぼーっと立っていた。相変わらず顔色は悪い。
「桃華、きてくれたの?」
「うん。心配で。……保健室行く?」
「ううん、たぶん、熱とかないし」
渚はどこか戸惑っているように見える。
これは私の予想だけれど、渚は自分が嫉妬していることに驚いているんじゃないだろうか。
「ねえ、桃華」
「なに?」
「どうしてヘアミルク、その匂いのにしたの?」
予想外のことを聞かれて、ちょっとびっくりした。
渚、この匂いにも反応してたんだ。
てっきり、私が草壁に手を振ったことがきっかけだと思っていた。
「特に理由はないよ。ネットで評判よかったから、買ってみただけ」
大学生や社会人の時は、綺麗な髪を保つために美容院でトリートメントをしていた。
でも、高校生のお小遣いで定期的にトリートメントをするのは厳しい。
かといって、高校生の時のヘアケアは今の私には物足りなく感じた。
そのため、お財布的にはちょっと痛かったけれど、高いヘアミルクを買ってみたのだ。
「最近始めたメイクは?」
「高校生になったからだよ」
一度目の人生で、渚は高校生の私に「もっとおしゃれしたらいいのに」とよく言っていた。
なのに、いざやるとこの反応なのね。
「誰かのため……とかじゃないよね?」
疑うような、怯えたような眼差し。
渚の手が伸びてきて、私の腕をぎゅっと掴んだ。
「好きな人ができたとか、そういうんじゃないよね?」
「……もし、そうだって言ったら?」
つい、そう言ってしまった。渚がどんな顔をするのかが気になって。
「そうなの?」
渚の顔色がさらに悪くなった。
私の腕を掴んだ手は、わずかに震えている。
「冗談だよ」
渚はまだ私の腕を離さない。
「渚は、私に好きな人ができたら、どう思う?」
「……そんなの、相手によるでしょ」
渚らしくない答えだ。
前は、「桃華も恋愛しなよ」と笑っていたのに。
いざ私が誰かを好きになろうとしたら、貴女はこんな顔をするの?
遠くでチャイムの音がした。もうすぐホームルームが始まってしまう。
「ねえ、渚」
「……なに?」
「一限、サボっちゃう?」
私の言葉に渚は大きく目を見開いた。学校をサボるなんて、私が言い出すとは思わなかったのだろう。
昔の私なら、言えなかっただろうな。結構真面目だったし。
でも社会人になって分かった。学校をちょっとサボるくらい、たいしたことではない。
「スマホは持ってきてるから、コンビニとかならいけるよ」
鞄を教室においてきたから財布はないけれど、モバイルSuicaにチャージしてある。
「……行く」
桃華は頷いた。私を見つめる眼差しには、どこか焦りがある。
ねえ、もっと私が変わったら、他の人と仲良くしたら、渚はもっと私に執着してくれる?
「じゃあ、行こ」
そう言って、私は渚の手をぎゅっと握った。




