真実の扉
「ねえしょーちゃん。もしウチが地獄に行くってなったら、救ってね」
校舎の影でタバコを吹かす彼女は、唐突にそう言った。
「地獄があるならな。」
「約束?」
「約束ぅ?救える状況ならな。」
「しょーちゃんまじめー。」
「ほんとにあった時破るかもやん」
「えー救えないってこと?」
「かもだから。」
「たまには愛を言葉で聞きたいのだよ」
「カラスさん今日のひまりがメンヘラなんだが」
『カァー』
「カラスもそうだって」
「どっかいけっ。ウチらの邪魔すんなっ」
『ゴアーッ』バサバサッ
「愛を言葉でねえ。好きなのは変わらないよ」
「う、めっちゃ嬉しい。愛してる?」
「今日どーした。」
「たまにはいいじゃん?言葉のご褒美ちょうだいよ」
「ひまりが面倒くさくて気持ちが乗らんわ」
「言わされて軽く言うより気持ちかぁ。Theまじめくん、言えるチャンスなんてそんなないんだよ?」
「いくらでもあるわ。これから」
「おっじゃあ期待しとく」
『カァー』
「「お前じゃない」」
「「ハモった」」
「「(笑)」」
オレは南戸 彰。
高校2年。1年前から付き合ってる彼女は、才築 ひまり。同級。
付き合う前からしょうくんと間違えて呼ばれてたが、今では特別感(本人談)でしょーちゃんと呼ばれてる。
別にオレらはグレてるわけでもなく、ひまりの父親の影響で早くにタバコの味を覚えてしまっただけ。オレはひまりの影響。
これをグレてると言われるなら特に反論はない。
早死にがしばしば話題に上がったりする、高校生らしからぬオレらはしかしながらタバコミュニケーションで普通のカップルより2人になる回数は少しだけ多いと思う。
仲良い秘訣とポジティブに捉えて正当化してる。校則や法律と全く論点は違うが。早く大人になりたい。
いまは下校時間。
「じゃあな」
「うんまたね」
今日はひまりのこの後の予定のため、放課後のタバコタイムが終わったらそれぞれ家路に就く。校門前で手を振ってそこから1人。
30分ほど歩いて、あと少しで家な、細い暗がりの路地を進んでる最中、突然一陣の風が通り抜ける。
あまりの突風に顔に手をかざして目を閉じる。再び目を開けると風はなく今度は深い霧がかかっている。さっきまで快晴だったろ?と空を見上げるも上も霧で真っ白。
3歩先から何も見えない。軽く恐怖を感じたオレは小走りで家まで進もうとした、その時。
目の前に黒い人影が「舞い降りた」気配がした。
回れ右しようにも体が動かない。
異常事態によるパニックが恐怖へ変わる。
すると人影から嗄れた声が発せられた。
「汝、愛スル者ノタメ、魂ヲ捧グ覚悟ハアルカ」
目の前に黒くて長い五指がオレの頭を鷲掴む所で、
光景が一変した。
そこは病院の一室だった。医師の診断結果を聞く部屋みたいだ。
オレはなぜか幽体離脱したように上から風景を見下ろしている。物に触れようにも触れられず、ただオレの視点がモノを見、捉えているだけ。
状況を把握しようとするより先に、病室に学校制服の女性が入って来た。
『ひまり…?』
『ひまり!!』
オレは声が出ていないようだった。意識だけがそこにある感じで声は出せないようだ。
そしてひまりは医師の真ん前の椅子に座る。
オレはどういうことかと話を聞こうと、医師とひまりの近くまで移動した。なんか、思ったらできてた。
「先生、どうでしたか?覚悟はできてるので、オブラートに包まずはっきり教えてください」
「ああ、検査結果は肺ガン悪性で末期。余命は持って3か月という所だ」
『は??』
「そうですか…。わかりました。手術もあまり意味ないんですよね?」
「そうだね。親御さんはどう言ってるんだい?」
「ウチは入院も治療も嫌なので、説得しました。薬でなんとか最後まで学校通いたいなって思ってます」
「そうか。最後の方は薬でコントロールできる痛みも限界があるし、いつどうなるかわからないが、そこも承知ということだね?」
「はい。両親は次の予約日に連れて来ます。今日は都合が合わなくて」
「なるべく早い方が良いね。では今日は抗生物質と痛み止めを出しておきます。副作用が強いものだから、処方は正しく。」
「はい」
『ひまり!!!』
そこでまた風景が暗転し、オレは元の路地に倒れていた。霧も正体不明の人影も消えていて、ケガもない。
スマホで時間を見ると下校時間から逆算するにさっきの出来事はかかっても1・2分。
すぐひまりに繋ぐ。
出ない。さっきのがただの幻か、現実か確かめなければ。あれがリアルタイムならいま病院ということだ。予約だとしてもあんな早くあの部屋に入れるだろうか?でも検査結果聞くだけならあり得る。
学校から近くてあれがリアルタイム前提な病院は1つしかない。
俺は走った。幻かもしれないけど、あまりにリアルだったから、嫌な予感しかしていなかった。だから全力で走った、緩めることなく。
そして確かめるチャンスも今が最も大きい。
ひまりにうまく隠されたら暴けない。
本人の意思、オレに話したいタイミングもあるだろうけど。もう半分バレたようなものだ。確認して、安心したかった。エゴかもしれないけど、これで関係が拗れるのはもっと嫌だった。
オレがこの情報が事実かわからないまま耐えられるわけがないとわかってたから。
病院が見えてきたところで、
国道の真ん中を突っ切ってる最中、大きなクラクションが聞こえ、次の瞬間、世界が暗転した。
目覚めたらそこは延々と続く荒廃した土地。枯れた木々に砂地。夜に近い薄暗さ。どんよりとした雲に覆われた空。太陽は見えない。
オレは立ち上がって、ここはどこか考えた。
事故ったのは覚えている、なのに傷も痛みもない、ということは死後の世界か、気を失っていて夢の中か?嫌にリアルだ。
そこにどこからともなく黒い人影が現れた。
直感でわかった。あの時のあいつだ。
「汝、愛スル者ノタメ、魂ヲ捧ゲル覚悟ハアルカ」
全身が黒く、翼があり、カラスと人間を足して2で割ったような風貌。黒いコートに黒いフードを被っている。顔は逆三角形で目だけは青。
怖いが怖がってる場合じゃない。武器所持なしで、襲って来る気配もなければ人語を操るときた。なら会話を試みるか。
「お前何者だ?」
「我、名ヲ'エンヴニド'。冥界ノ番人ノ一人ダ」
一応会話はできるんだな。冥界ってあの冥界?だよな、この状況から察するに。信じて話を進めるしかなさそうだ。
「お前の目的はなんだ?オレに何の用だ?」
「我、愛憎・嫉妬・恐怖・苦痛ヲ養分トシ、人ヲ死ニ導ク者。汝ニ取引ヲ提示ス」
え?つまり悪魔ってこと?だよね。そう言ったよね。それか死神か。んで取引ってことは、ひまりの映像を見せたのは、、、
「オレの魂と引き換えにひまりの命を救うってか?」
「ソノ通リダ」
「あんたの言う魂の定義は?」
「精神ヲ心ヨリ捧グモノ。又ハ命ソノモノダ。」
「オレの場合は?」
「前者ダ。」
オレはまだ死んでないようだ。
「どうやってこの世でないここの世界で、ひまりが本当に余命が少ないと証明できる?見せてきた映像だって、幻かもしれないだろ?」
「デハ見テクルガ良イ」
そこで空がひび割れて光がさんざんと漏れ出してきた。意識が急速に集まるのを感じ、目を開けた。
白い天井。一定の電子音。布団。病院だ。オレは身動き取ろうとして、激痛が走ることに気が付く。首も動かせない。
「し…しょーちゃん!??」
いつもの声と、覗き込んだ泣き腫らした顔。
「…ま…り?」
「良かった!…良かった…!!」
こんなに嬉しそうな、だけど泣きそうな顔、見たことなくて、新鮮さを覚える。
「…うま…はなせ…な…」
「無理しちゃダメだよ。3日も意識不明だったんだから」
まじか。
「…ひまり、肺ガン…なのか…?」
途端に彼女から一瞬笑顔が引いたが、すぐ笑顔に戻った。
「なんて?悪夢でも見たの?」
「あく…せ…肺ガン…まっき…よめ…い、さんかげつ…ほんと?」
彼女から完全に笑顔が消えた。
「…なんで知ってるの?いや喋らせちゃダメだね。そうだよ長くて3か月。まだ伝えるつもりなかったのに。キミが完治する頃にはウチはこの世にいないかも。元気な時にもっと2人で過ごしたかった…しょーちゃん?」
・・・
オレはまた荒廃した土地に戻っていた。
目の前には黒ずくめの'ヤツ'がいた。
「満足カ」
「…オレの事故もお前が差し向けたのか?」
「事実確認マデ我ハ取引シマイトシタガ、汝ガ意識ヲ手放シタタメ、取引は遅レ、ワザワザ汝ノ夢ニ出向イテイル」
「間接的だがお前は責任は否認すんのね。まあいい。条件は?」
悪魔なら未来予想とリスク管理くらいしろよ。
それすら計算内か?
「彼女ノ命ヲ助ケル。代ワリニ汝ハ彼女ヲ愛スルコトガ困難ニナル。」
「どういうことだ?」
「彼女ヲ想ウ行動・言葉ガ全テ裏目ニ働ク。」
「裏目ってどの程度よ」
「時ト場合ニ依ルガ、体ノ接触ナラバ命ノ危機。言葉ヲ発セバ、顔ヲ合ワス機会ガ邪魔サレル程度ダ。」
「マジでひまりのこと忘れなきゃいけないレベルだな。オレは死ななくて良いってこと?想うのは自由なのか?」
「タダノ死ニナド意味ハ無イ。苦痛ト共ニ生キ、苦痛ト共ニ死ヌ、コレヲ叶ウガ我ノ最上ノ喜ビ。汝ハ苦シミト共ニ生キルノダ。相手ニ伝ワラナケレバ自由ダ」
「オレに有利すぎる気がするけど。裏の臭いがプンプンするな。でもひまりが元気になった確認は生きてないとできないな確かに。悪魔相手に騙されたらと考えても無駄だしなぁ。」
「コレハ契約。果タサレナイ事ハ有リ得ナイ。シカシ汝ノ事故ノヨウナ偶発的ナ事態ハ責任ハ負ワヌ。」
「オレからも1つ条件だ。ひまりには絶対にコンタクトしないこと。」
「イイダロウ。取引成立ダ。」
そこで無数の光に包まれ、時間が途切れた。
・・・
3日前。
ひまりは病院隣接の薬屋から出て、とぼとぼと歩く。
救急車のサイレンがけたたましく鳴りながら、またどこかの誰かを運んで来ていた。
気分は沈んでいる。
途端に辺りが暗くなり、雷鳴が轟く。
一陣の風が吹き抜けたかと思うと、目の前に黒いフードの男が現れた。
逃げようにも体が動かない。
どういうこと!?誰?何したの!?
「我、名ヲ'エンヴニド'。冥界ノ番人ノ一人」
怖くて何も喋れない。
「コノ姿ナラバ話セルカ?」
彼?は一瞬で姿も服装も変化し、色白長身の男の姿に。周りの景色も、人は1人もいないものの、元の明るい風景に戻っている。
話をしに来た意思を感じたのと、風景だけは異常がないという所で、やっと口が動くようになった。
「…信じざるを得ないでしょ…冥界ってあの冥界?」
「ソウダ。我、死ト生ヲ扱イ、地獄へ死者ヲ送ル者。汝ト取引ヲ願ウ」
「死神さんか何か?取引ってなに?」
「ソナタラノ世デ言ウ悪魔ニ近イ。汝ノ愛スル男ガ今死ノ淵ダ。男ノ命ヲ助ケル。代ワリニ汝ハ地獄へ落チル。」
「え、待って。愛する男って、しょー、あきらのこと?なんで?なんで死の淵なの?」
そこでまた風景が一転。
ここからそう遠くない、見慣れた交差点で、トラックに撥ねられるあきらを見た。
明るさから言って、今日の出来事ならさほど時間差がない。
「いつなの!?これいつのこと!?」
「先程ソコニ搬送サレタ」
まさかさっきの救急車!??
悪魔によって変わった世界など忘れて、咄嗟に引き返した。病院までまだ20秒ほどの距離。
集中治療室に目掛けて一目散に駆けた。
近くの看護師に怪訝な目で尋ねられる。
「キミ、どうしたんだい?」
「いま運ばれて来た人、ウチの彼氏かもしれないんです!学生証とかあれば、名前を確認してもらえませんか?お願いします!」
泣きそうだった。そうでないことを願った。
でも願いは虚しく砕けた。
「南戸彰さんです。ごぞんじ…大丈夫ですか!?」
私はその場に崩れた。
「…すみません、ここで待ってていいですか?」
「ここはまずいね。心中は察するけど、総合待ち受けの方で待ってもらえるかな?」
「はい…」
「あと、集中治療だから手術はいつまでかかるかわからないよ」
もう話は聞いていなかった。
看護師に支えられながらフラフラと待ち合い部屋まで来て、座らされた。
目の前が暗くなった。比喩ではない。
隣に立つ青年が声を掛けてきた。'アイツ'だ。
「彼ノ命ハ10分モ持タヌダロウ。我ハ死者ヲ蘇ラセルコトハデキヌ。」
私は彼の襟首に飛びかかって懇願した。
「地獄でもなんでも落として!!彼を、しょーちゃんを生かして!!お願い!!ウチなんてどうでもいい!!お願い!お願いだから…」
どうせあと3か月の命、これで彼の一生分を救える。
「取引成立ダ。彼ノ回復ヲ見届ケルマデガ残サレタ時間トスル。」
いつの間にか'アイツ'は消えていた。
それから間もなくして、先程の看護師が来て
「彼、奇跡的な回復をしたよ。にわかには信じられないくらい。君の想いが通じたのかも知れないね。まだ意識は戻らないけど、峠は越えたよ」
と言って、私の肩をポンとたたいて去って行った。
・・・
あれから毎日のようにひまりはオレの病室にせっせと見舞いに来た。
オレは完全に意識は戻っていた。
悪魔よ。なんて取引を持ち掛けてくれやがった。オレもなんで引き受けた!?
話し掛けてくれる、意識も戻ってる。なのに、記憶喪失を装うことに。しかも、短期記憶もない設定で。昨日のことも忘れてることにしなきゃ、こんなん毎日惚れ直す。 じゃなくて心を向けないのなんて不可能だ。
この設定、看護師や医師まで困らせ、迷惑を掛けてしまう始末。まじで困る。
くれる優しさ、くれる優しい言葉にも、全て素っ気なく返答しなきゃいけない。
ずっと手を握ってくれるのも、オレの心さえ彼女に向かなきゃ、彼女の身には何もないとわかって、惚れないよう、心を持ってかれないよう努力するのだが、向こうから来るものは拒めないし、ロクに腕も動かせないので振り切ることもできない。せめて握り返せるけどそうしないくらい。
そして彼女は、ガン転移がなぜか治療可能範囲にまで消えていることが発覚して、手術はあるが余命3か月どころかずっと生きられることを告白してくれた。
嬉しいどころの騒ぎじゃなかったが、おめでとうの言葉ひとつかけられない。
なぜか彼女の顔は泣きそうだったが、オレがこんなだからなのか。
一度我慢できずに伝えようとした。全てを。
その瞬間、地震が起きて、それどころでなくなった。その後のニュースで死者が25人出たことを知って、激しく後悔し、諦めた。
地獄に落としてくれとすら思った。
「もう来るな。嫌いだ」とひまりに伝えてみた。オレが辛さから逃げるためだった。
彼女のためを思って言うと考えると、翌日彼女には擦り傷が増えていた。
なぜか最近よくコケたり階段から落ちるそうだ。どんだけ正確に反映されるんだよ。
言う時だけ、嫌な思い出を浮かべながら心底嫌いという感情を込めて、彼女のためと一切考えずに「嫌いだ、来ないでくれ」と頼み続けた。
彼女はひどく悲しそうな顔をしたが、翌日にはまた病室にいた。そりゃ記憶喪失設定だからな。オレが嫌いと言ったことも忘れてると思うのは当然だ。
オレは毎日とはいかないが、心を鬼にして、嫌いだと来て欲しくないと彼女の帰りがけに伝える努力をした。
最初の方はなんで?どうしたらウチを受け入れてくれる?これでもあなたの彼女なんだよ?と尋ねてくることが多かったが、2週間もすると、毎日毎日彼女は何も言わず悲しそうな顔をして病室を出ていくようになった。
握ってくれる手も振り切れるようになって、だんだん彼女もオレへの気持ちを失っていっているように見え始めた。
しかし彼女は回復まで見届けるつもりらしい。
リハビリ期間は一人ではただでさえ辛いのに、支えてくれるその手は振り解かなくちゃならない。
もうワケ不明だ。
お礼を親に頼むことさえ、危害になりそうだから、親が勝手に気を利かせてくれるのを期待したら、大体その通りになった。
お礼をしときなさいときつく言われて、感謝と愛情は違うから大丈夫と、珍しく「ありがとう」と伝えてみた。
何も起きなかったが、ただ、彼女が目を丸くして静かに涙を流していた。
オレ、どこまで最低になればいいの?
こんなに好きでいてくれるのに。
支えてくれるのに。
どんなに突っぱねても、隣にいてくれるのに。
元気になることがせめてもの恩返しだろうか。
とは思うのに、死にたくなる自分がいる。
苦しい。こんなに辛いものだとは思わなかった。
そしてこれ以上苦しい思いもさせたくない。
と考えて死ぬと彼女の身も危険だろうか?
生き地獄じゃないかこんなの。
でも死ねばこの最悪の循環はせめて断ち切れるかもしれないし、契約不履行になるかもしれない。
ひまりにこの考えは伝わるはずがないから、普通に考えて大丈夫だと思うが。
ききたいが、こちらから呼び出せるような存在ではない、ヤツは。
なるべくなら'悪魔'なんて存在とは金輪際関わりたくない。
自殺も頭をちらつく中、オレにはもう少し生きる理由があった。
彼女の手術だ。ここまではなんとしても見届けなければならない。
肺のドナーも見つかり、綺麗な肺と交換されるそうだ。タバコは辞めるらしい。
・・・
手術当日。
直前にオレのとこに来て、神妙な顔で
「帰って来るね」
と言って向かって行った。
どこまで愛されてるんだオレは。
なのにオレは…
5時間後、食事を運んで来た看護師に手術が無事終わったと知らされた。
別の病棟でしばらく入院らしい。
オレは心底喜び、安堵した。
冷静に考えられるようになって、オレがいま死ねばひまりを苦しめると気が付いた。
死にたいなんて、オレが楽したいだけの判断じゃないか。
彼女を前にすると、戸惑いを与えてしまうし、苦しい。けど退院できれば彼女を避けようと思えばいくらでもできる。
彼女の前から早く消えるのがお互いのためだが、死ぬのは飛躍しすぎだ。
もうしばらく最低の野郎を演じるしかない。
ふと悪魔の言葉を思い出す。「苦痛と共に生き、苦痛と共に死ぬ、これを叶うが我が最上の喜び」、か。ここまで読んでたなら名前の通りで、最初から掌の上だった。
「汝、揺ラグコト無キ覚悟ノモトカ」
窓際にヤツが現れた。
殴り飛ばしたいが、痛みとギプスで咄嗟に動けないので、ガンだけ飛ばし、
「…ここで覚悟を問うとはなあ。タチ悪い悪魔だぜ。どーだい、人が思い通りに踊るのを眺める気分は」
と、当てつけるが、ヤツは澄まし顔。
でも、取引したのはオレだ。
怒りをぶつけるのはお門違い。
「ヒトツ伝エル。アレダケノ轢カレ方デハマズ助カラヌ。」
「……?
…おい待て…まさか…」
「汝トノ取引前ダ。」
そんな…嘘だろ…
ヤツは消えていた。
ひまり!!なんでだよ!!いや知ってる、知ってるからこそ、、あてどない怒りと葛藤が湧く。
待て。今まで掌の上だったんだ。このタイミングで言ってきたのも何かある。また踊らされるにしても、、やることはひとつしかない。これが掌の上ってヤツなのか。とも言ってられない。
彼女の身に何かあるなら許せない。が、取引したのは彼女なのだ。彼女の意思が望んだこと。胸が痛すぎる。
なんだ!?何と引き換えた!??
全て最初から仕組まれていた。
でも。行くしかない。
オレはなんとか立ち上がり、車椅子に乗り移る。
まだ体じゅうどこかしこ痛む。実際今の衝動すら邪魔されるほどだが、耐えられなくはない。
だが車椅子動かすのも苦労はする。
でも人を頼ろうとすれば絶対寝とけと言われるオチだ。
なら自主リハビリ設定でゴリ押す。
さっきの看護師に病棟と部屋番は聞いてある。
病院全体図は、ひまりの病気を知ってからこんなこともあろうかと以前見つけた際にスマホで撮っておいた。
かかったのが同じ病院なのはまじでありがたい。
エレベーターを駆使でき、もっとも近いルートを進む。通りすがる看護師には笑顔で怪しまれないよう。
一度カードかざしてしか通れない扉に差し掛かったが、近くの看護師に術後の彼女の元に行かせてくれと頼み込むと、部屋まで押してくれることに。
ありがたい。
4人部屋に入って、左奥のカーテンの奥。眠る彼女がいた。
呼吸器がついているが、バイタルは安定している。
ここでいい?と車椅子の位置を調整し
「綺麗な彼女さんね。」
と看護師は言った。
「オレには勿体ない、最高の彼女です。」
と返した。ひまりが寝てる時にしか、言えない。
いや、今となっては関係ないかもしれないが、今まで抑えて来た感情が堰を切りかけている。
「大事にしてるの、伝わるわ」
と返してきた。オレは泣きそうだった。
戻るときそこの窓口に声かけて。送るから。と言って看護師は去って行った。
「しょーちゃん?」
痛そうな、でも嬉しそうなひまりの声が聞こえてきた。
「ひまり…!!ひまり!ひまり!」
彼女は驚いた顔をした。
「…思い出してくれたの?」
「思い出すも何も、ひまり…どこにも行かないでくれ…」
もう涙が止まらなかった。
オレの頬にひまりの手が添えられる。
「しょーちゃんが元気でいてくれたら、ウチは幸せだよ。」
オレは彼女の手を握り返す。
わかっていた出来事が来た。
周りの光景は歪み、一瞬にしてオレとひまりの間に漆黒の壁が阻む。ひまりが向こう側で壁を叩く音がするが、ごく微かにしか聞こえない。
人間が作った空間ではない物凄い違和感を覚える。
辺りは荘厳な寺の内装のような場所に変わっていて、薄暗い。
何か巨大な気配を感じるが、姿は見えず、天から声だけ降ってきた。
「我、冥界ノ門ノ門番、'ヤガラ'ト申ス。女ハ地獄へ行クガ、何者カノ契約上、主ニ機会ガ与エラレテイル。」
ん?悪魔の契約に相反か、抜け道があったのか?
「主ノ回復ガ条件ダッタガ、マダ完治トハ見エヌ。ガ、契約上コノ状況ガ早クニ作ラレテイル」
オレがひまりを想っての身体の接触がひまりの「命の危機」。
オレの回復の代償がひまりが地獄へ行くこと。
さっき手を握り合ったことで、「命の危機」。同時にここぞとばかり地獄の門が開いたってことだろうが、確実にひまりが命を落とすには、まだ門番的には公正でないから、ジャッジ要素を設けてくれる、こんなとこか。
しかしこの状況は遅らせられたのだ。焦って来たのが間違いだったか。否。もう会えないかもしれなかったのだ。条件も知らなかったのだ。最後に想いを分かち会える方が絶対にお互いに良い選択のはずだ。
なんにせよ、死ぬほどありがたいチャンスだ。
生きてるだけで御の字なのに、甘々ジャッジに感謝だ。
どんな機会なのかわからないが、
なにがなんでもひまりの滞在時間を延ばす!!あわよくばこっちに呼び戻す!!
「目ノ前ニ現ワルハ『真実ノ扉』。彼女ノ問イニ一度ダケ、主ガ答ウル機会ガアル。
真実カ嘘カ、我ニハ誤魔化セヌ。嘘ナラバ扉ハ閉マリ、女ハ真ッ直グニ落ツル。
真実ナラバ扉ハ開キ、彼女ノ手ヲ掴メバ、次ノ契約条件成立マデ現世デノ生ガ継続スル」
「わかった。早く!早く扉を!」
「女ニハ、向コウ側デ同時ニ同ジ内容ヲ説明済ミダ。
ソシテ、扉ノ蝶ツガイハ30秒デ外レル。気ヲ付ケヨ。」
30秒?早いが、扉が外れてなんになる?
すぐ目の前にドアノブが現れる。
「マダ開カヌガ、シカト握ルノダ。」
言われた通りにドアノブを握る。
途端、地面だったものが急速に傾き、ひまりとオレを阻んだ壁、つまりドアノブが地面側になった、その瞬間、扉が下向きに開いた。
「きゃああああっ」
下に落ちぬようドアノブを必死で掴み、空に留まっているひまりと、彼女の下には地獄の業火、そして遥か下には人が真っ黒に焼けたような塊が腕を上げてゆらゆらと無数に蠢くのが見えた。遠く聞こえるのは悲鳴の数々だろうか。鼻をつく異臭が熱気と共に開け放たれた扉から上がる。
彼女が手を離せば、文字通り地獄へ真っ逆さまだろう。
オレはドアノブを掴む手に力を込め、扉の枠の淵で踏ん張って、扉が外れないよう持ちこたえる。この扉かなり重い。蝶つがいがなけりゃ諸共だ。
「しょーちゃん!まだウチたち、一緒にいたい!行く覚悟はできてる!でもまだ嫌!!」
「何が何でも助ける!!早く!早く問いを!」
「わかった!ウチのこと、愛してくれた!?」
・・・
もしかしたら、最期かも知れない。そう思った。だからこの問いにした。
聞きたかった。
これしかなかった。
でも、言った瞬間、彼の顔が苦痛に歪んだ。
え、追い打ちかけないで。
どうして?
一言でいい。
ただの肯定でいい。
YESならなんでもいいんだ。
一言、聞かせてよ。
まさかこの期に及んで好きでもないのにずっと一緒にいたとか、ずるずる付き合ってただけとかいうオチ?
そんなはず、ない。
そんなはず…
彼は言った。
「……愛してるよ。当たり前じゃん。」
涙目で笑顔で、そう言った。
一瞬疑問を抱いたけど、そんなこと吹き飛ぶくらいの、強烈な幸せを感じた。
瞬間、掴んでいるドアノブが、扉から外れた。
え???
「きゃああああぁあああーーーーーーーーー・・・」
・・・
「ああ…ああああ……」
オレはその場に崩れ落ちた。
保険かければ良かった。
愛してるかなんて、モロ契約違反(言葉を発すれば顔を合わす機会が邪魔される)な答えしかできない。
かと言って反対の答えを言えば扉は閉まり、同じことだ。
門番が何か言ってるが耳に入らない。
ひまりの姿と悲鳴が小さくなっていく。
遅れて蝶つがいの外れた扉が落ちていく。
烈火のごとく燃える炎の渦から、彼女の苦痛そのものなつんざく悲鳴が、ひときわ大きく響き渡り、頭の中でぐわんぐわんとこだまする。
「…!主ヨ!」
「…ほっといてくれ…」
「ココハ我ノ創リシ空間。契約トハ言エ審判ニ何者カノ邪魔立テハ許サヌ。特例ダガ、主トノ契約次第デ女ノ生ヲ戻ス。
主ハ納得スルカ?」
まじか!願ってもない機会だ!!
オレはその場で土下座をした。
「お願いします!!もう一度だけ、機会を与えてください!!」
「構ワヌ。女ノ蘇生ニハ、代償ガ必要ダ。主ノ魂カ命、イズレカヲ捧ゲヨ。」
「魂なら、どう捧げればいい?」
「想イ人ト生涯会エヌ、又ハ家族ト生涯会エヌ、動物トシテ生マレ直ス、全ク別ノ国ニ生マレ直ス、ナドダ。
イズレニシテモ、対象ノ者ト関ワッタ全テノ記憶ハ消去サレル。」
そう都合良くないよな。どれを選んでもひまりと会えないどころか、思い出すことさえできない。家族に会えないのと引き換えなんてあり得ない。
「生涯ちゃんとした仕事や睡眠や食事にありつけないってのは、引き換えられないか?」
「主ノ愛スル者ハ、我ニハ全テ見エテイル。
抜ケ穴ヲ探ス心情ハ察スルガ、愛スル者ノ為ナラ都合ノ悪サモ全テ飲メルノガ人間ダ。
主ノ提案ハ、本物ノ魂ヲ捧ゲヌ為ノ、仮ノ魂ダ。
ソレデハ代償ニナラヌ。」
お見通しか。
「わかった…命を捧げる」
「ソレデ良イノカ?」
「大事な人に沢山出会えてきた今までの自分を捨ててまで生きようとは思わない。動物や別人として生まれるのも悪くないけど、自然な生と死の流れに逆らうとどうせ代償がつきまとう」
「良クワカッテイル。我トノ契約デハドウ転ンデモ、女トモ家族トモ友人トモ、永遠ニ会エヌヨウ仕組マレテイル。魂ヲ捧グトハ、命ヲ捧グノトホボ変ワラヌ。」
「輪廻転生があるなら、お互い来世で会えることを期待するよ」
「覚悟ハ良イカ?」
「…ああ」
オレは光に包まれたかと思うと、ワームホール?みたいな空間を、ものすごい速さで抜けて行った。
そして病院の元の部屋に戻っていて、オレは初めて悪魔に見せられた映像の時のように、上から部屋を見下ろしていた。
ひまりが心停止していて、バタバタと看護師たちが駆けつけていた。
オレは車椅子の上にもいて、今の上空から見ているオレは意識だけのようだ。
車椅子のオレは、眠っているように見える。
「っはああああっ!!!」
ひまりが大きく息を吸って、目を見開いた。
脈拍も一瞬にして戻ったが、かなり乱れていて看護師たちが先生を呼べだのあれこれ指示を出し合っている。
ひまりは10秒ほど呼吸を乱したまま、目の前の光景がよくわからないと言った顔をしていた。
看護師の大丈夫大丈夫という声かけと、頭を撫で続けたことで、ようやく状況を認識し始めたようだ。
「…しょーちゃん?あの、彼のこと見てもらえませんか?」
看護師の1人が車椅子のオレに肩を叩いて呼びかける。数回やっても反応がない。
オレの口元に手をかざしてから、脈を確かめる。
「危ないわ!押して運ぶからどいて!」
瞬間、ひまりは「うそでしょ…?」とつぶやいて、「ウチも連れてって!!ダメだよ!!どうしてどうしてどうして!」と呼吸器を外して叫んでいる。
それから場面は集中治療室に勝手に移り、医療ドラマでよく見る電気ショックの道具も使われて30分間に及ぶ懸命の処置にも関わらず、原因不明の心不全で死亡が確定したのを、意識だけのオレは呆然と眺めていた。
次にひまりの部屋に移り、泣き続けるひまりとなだめる看護師たち、それから医師が事実を伝える所まで見て、
オレは自分が消えていくのを感じた。
『ひまり、今までありがとな』
・・・
病室でしょーちゃんの声を聞いた気がした。
あの時まで確かにいる気がした。
でももういない。
しょーちゃんは死んだ。
そしてウチは助かってる。
門番と何か取り交わしたに違いない。
しょーちゃんのバカ。
彼のいない世界なんて、生きてて意味あるんだろうか?
でも人生は続く。
苦しいけど、明日は来るし、何も考えられないけど、いずれ忙しい日常が戻ってくる。
生きてていいの?ウチ。
悪魔でも何でも魂売ってしょーちゃんを取り戻そうと、エンブ…なんとか言う彼に、現れて!と念じてる自分がいた。
オカしくなってるみたい。
そのくらいには好きだった、全てだった。
悪魔との取引なんて夢だったと思いたいけど、2人して振り回されたのは事実。
現れるわけないんだけど、一度体験すると、期待してしまう。
情けない。
退院してからしょーちゃんの家に線香を上げに行き、お墓参りもした。
彼が本当にいないのだと刷り込まれて、さらに色々やる気をなくした。
ご家族の顔も見て、罪悪感も増した。
なんでウチ、のうのうと生きてるんだろう?
しょーちゃんが見てたら泣くかも。
でも全然元気が出ない。
学校に通わなくなり、タバコも吸い始めた。
1日中ゲームか、ぼんやり過ごす。
あれから1か月が過ぎてた。
ウチは相変わらずな日々を繰り返しては、辛い現実に戻って来ないよう寝てばかりいた。
夢でも地獄に落ちる場面がフラッシュバックして、しょーちゃんが遠く見えなくなり、炎に巻き込まれる直前で飛び起きることも多かった。
時々ネットで魔術書みたいなの買ってしまって、霊との交信術とか、怪しいのも試してしまう始末。
なんにも起きずに我に返って情けなくて寂しくて泣いて…。
気が付いたら夜が明けて、日々が過ぎてく。
ウチ、しょーちゃんがいないとダメダメじゃん。
しょーちゃんがいない時期の方が圧倒的に長いのに、どうやって過ごしてたか思い出せない。
そのくらいウチを幸せにしてくれた彼には感謝だね。
でも前は向けないみたい。ごめんね。
ウチの検索履歴にはだんだん自殺とかその方法とかが増えていった。
あの世で一緒になれるかな?
ダメダメ、ウチ完全にオカしくなってる。
マンションのベランダに出て、風に当たる。
タバコを取り出して火を点け、
変わり映えのない街の風貌を眺める。
ここは5階。下を覗き込むと、ちょうど死ねそうな高さ。
その時、一匹のカラスがベランダの手すりに止まって、
『カァー』と鳴いた。
ウチはしょーちゃんが事故に遭う日の、地獄に落ちるなら救ってと語り合ったあの場面を思い出す。
約束になってたのかわからないけど、本当に救ってくれた。
でも、だからこそ苦しい。
死んだら逆にしょーちゃんの思いを無下にすることになる。
辛いから死ぬなんて、逃げでエゴでしかない。
でも、耐えられない。
理性でも理屈でもないんだ。
ただ、辛い。このまま生きてるのが。
カラスが飛び立った先に、しょーちゃんがいた。
あれ?ウチついに幻覚まで見え始めた?
口元の動きでウチの名前を呼んでるみたい。
行かなきゃ。
大丈夫だよねきっと。
一緒になれるよね。どんな世界でも。
一緒になろ。
−−−−風。風。風。
カラスが笑ってる。
コンクリート。