恋とプールと水彩画
「あ!」
水彩画の画用紙が、窓から飛び出した。
美術室の窓際で乾かそうと、棚に置いた瞬間の突風だった。
窓から覗いて行方を追ったら、ひらひらと横揺れを繰り返しながら、プール横のシャワー設備の壁の向こうへ消えていった。
一緒に見ていた新山先生が、
「鍵を取ってくる」
と、淡々と言った。
新山先生は美術教師で、美術部の顧問をしている。
私は新山先生が好きだった。先生目当てで美術部の部長を務めるくらいに。
ところが、新山先生は恋愛に興味がなさそうだった。寄ってくる女子生徒の黄色い声を、全てスルーしていた。銀縁の眼鏡をかけた表情が崩れたことはなく、私が知る限りでは、照れた時に耳が微かに赤くなる程度だった。
「冬なのに、どうして学校のプールって水を抜かないの?」
「消防で使うんだ。乾燥注意報が出てたから火遊びには気をつけろよ。っと、危ない」
シャワー下の段差で転びそうになった私を、先生はとっさに片腕で抱えてくれた。
私は思い切って正面から抱きついてみた。
「火遊び。なんちゃって」
「遊びなら離せ」
先生の台詞に、私の心臓が激しく鳴った。
思わず腕に力が入る。
「遊びじゃないです」
先生の動きが止まった。
私を見下ろす真顔が、いつもと違っていた。
「先生が好き」
誤解されたくない一心で、必死に想いを込めて伝える。
すると、先生は困った顔をした。
(やっぱり、そっか……)
心がひしゃげた。全身が鉛みたいに重たくなった。
覚悟はしていたけど、心臓が引き千切れそうだ。
「好きじゃない人に言われても困るだけだよね……」
すると、先生は「そうじゃない」と言った。
「吉岡、そうじゃないから困ってるんだ」
よく見ると、先生の耳は真っ赤になっていた。
私は思わず続けた。
「先生は? 私のこと、どう思ってるの?」
「…………」
「もう、なんか言ってよっ」
「俺は先生だから、立場上、言いたくても言えないんだ」
「先生~……」
嬉しくて涙が出てきた瞬間、先生は抱きしめ返してくれた。これは夢なんじゃないかと思った。
先生の匂いに混じって油絵の匂いがする。言いようもない愛おしさと幸福に、私は気を失いそうだった。
「なんで言ったんだよ……」
先生は困ったように呟いている。
「『遊びなら離せ』なんて言うからだよ。本気ならいいんだと思って」
黙ったままだった先生が、しみじみと言う。
「好きな気持ちを隠すって難しいなぁ……」
その台詞が私を好きだと言ってることに、先生は全く気付いていないようだった。
読んでくださって、ありがとうございました。
「小説家になろうラジオ大賞」の応募作品です。
「愛情と友情の極限を求めよ。」以来の、教師と生徒の恋愛です。男女が逆ですが。