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おかげさま  作者: ふあ
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3

 両親と同じ部屋に寝起きするようになっても、歌声は変わらずに夜な夜な近づいてきた。居間で頭を付き合わせる両親と祖母、それに村の大人たちは、いくら話し合っても打開策を見つけられない様子だった。誰もが暗く沈痛な面持ちをしていた。

「村を出たらどうやろか」

 母の提案に、老人たちは渋い顔をした。おかげ様は完全にマモルへ狙いを定めている。むしろ逃げ出すことで怒りを買うやもしれないと、言い難そうに口にした。過去にはおかげ様の姿を見た後日から歌が聞こえるようになり、村から街へ逃げ出した子どもがいたが、結局行方知れずになったのだという。

 既に歌声は、家のすぐ近くから聞こえるほどに近づいていた。楽しげな幼い子どもたちの声は、文字に起こせない言葉で歌っている。それなのに、マモルという名前だけははっきりと聞き取れる。マモル、こっちで遊ぼうよ。そうまるで誘われているような気持ちになる。

 六畳の寝室には、天井から真っ赤な彼岸花が吊るされた。まるでてるてる坊主みたいなそれが、おかげ様の唯一の弱点だと村の老人たちは言う。かつての巫女は、生肉に彼岸花を混ぜておかげ様に供えた。毒にあてられ弱ったおかげ様を、なんとか封じることができたそうだ。血のように赤い花が大人の頭の高さにあちこち吊るされた光景は、それこそが不気味だった。

 四隅の盛り塩で結界を張り、マモルはその晩、一人で過ごすことになった。窓のカーテンもぴっちりと閉じ、眩しい電灯の下に敷かれた布団に横になった。部屋の外では村の大人たちが集まり、皆で念仏を唱えて部屋を見張る。だから安心せえと父親は言った。朝まで部屋から出たらいかんとも。とても嫌だと言えない雰囲気に、マモルは泣きたくなりながら頷いた。

 部屋にはせめて、スナック菓子や漫画本が置かれていた。だが、いくら夜更かしをして遊んでいいと言われても、そんな気になれるはずがない。無事に朝を迎えられれば、この部屋を出て、普段通りの毎日が戻ってくる。言われるままに小便を済ませ、いよいよマモルは六畳の寝室に籠った。

 布団にもぐり、枕元の目覚まし時計の秒針が動く音を聞いていると、やがていつもの歌声が耳に届いて来た。

 細く頼りないのに楽しそうな声が、もう窓ガラス一枚隔てた向こうから聞こえてくる。肝心の詩は、まるで理解できないのに、知っている言語だとは理解できる。布団の中で耳を塞ぎ、マモルはじっと分厚い緑色のカーテンを睨みつけた。

 マモル、マモル、遊ぼうよ。

 まるでそう言っているような気がする。耳を塞いでも変わらず声が聞こえてくる。微動だにせず、マモルは声の聞こえる方向を凝視していた。

 やがてふっと声が途切れた。いつもは聞こえている内に眠ってしまっていたから、初めてのことだった。諦めたんやろか。耳から手を離すと、歌声とは違う小さな音が鼓膜を打った。

 とんとん。

 脳裏に、子どものこぶしが窓ガラスを叩いている情景が浮かぶ。とんとん、ともう一度。小石や雨がぶつかる音ではない、間違いなく、誰かが窓を叩く音。

 どっか行け。どっか行け。マモルは布団を握りしめ、心の中で繰り返す。おまえとは遊べん、はようどっか行ってくれ。

 バンと大きな音が響き、マモルは身体を震わせた。こぶしでなく、平手で窓を叩く音。一つや二つでなく、いくつもの手のひらがバンバンと激しく叩いている。その衝撃に、カーテンがゆらゆらと揺れる。部屋で影が揺らめくのに気が付き、視線を上げた。天井から吊るされた彼岸花が風に吹かれるように揺れている。一輪は右に、一輪は左に、真っ赤な花はそれぞれ誰かに揺さぶられているようで、きゃはははとはしゃぐ幼い声がそこに被さった。

 電灯がちかちかと明滅し、吊られた花が揺れ、笑い声と共に窓が破れそうなほどに叩かれる。教えられたお経を唱えることなど忘れ、マモルは目を閉じて掠れた悲鳴を上げた。

 父ちゃん母ちゃん、誰か助けて!

 ぴたりと全ての音が止み、マモルは強く塞いだ瞼を時間をかけてようよう開く。電気は消えているが、花が揺れている気配はない。子どもの笑い声も窓を叩く音も止んでいる。

 その代わり、自分を呼ぶ声が聞こえた。

「マモル、もう大丈夫や」

 祖母の少し枯れた声が、襖の向こうから聞こえてくる。聞き慣れた声に全身から緊張が抜け、「ばあちゃん」とマモルは祖母を呼んだ。

「朝になったん? 出てええの」

「大丈夫や」

 ほっとして、這うように敷布団から出て、暗闇の中を手探りで進む。こちこちと時計の動く音が、しんとした部屋の中に響いている。

 暗闇に僅かに目が慣れ、襖に手を掛けようとしたマモルは、ふとそれに気が付いた。

 隅の小皿に盛られた塩が崩れている。三角錐の形状をしていた塩は、まるで水に溶けたようにべったりと小皿に垂れ、平べったくなっている。

「マモル、大丈夫や」

 祖母の声に、マモルの背を冷たい汗が伝った。まるで祖母ではない化け物が、薄い襖を一枚隔てたそこにいる気がした。

「ばあちゃん……?」

「マモル、大丈夫や」

「そこにおるん」

「大丈夫や」

「ほんまに、ばあちゃんなんか」

 そこで思い出した。大人たちは、朝が来たら部屋を出るようにと言った。外から迎えが来るとは誰一人言わなかった。もし朝に迎えに来てくれる手はずだとしたら、さっさと襖を開けてくれればいい。

「マモル、大丈夫や」

 抑揚のない声が繰り返すのに、マモルは尻を落として必死に襖から遠ざかろうともがく。その気配に気づいたのか、祖母の声は違う言葉を発した。

「大丈夫やから、ここ開けえ」

 ここにいるのは祖母ではない。祖母の声をした違うものだ。

 カリカリと爪で襖を引っ掻く音が聞こえてくる。

「マモル、大丈夫や。マモル、大丈夫や。マモル、大丈夫大丈夫大丈夫や。マモル、マモルマモル大丈夫大丈大丈夫マモル」

 バリバリと襖を引き裂く音に、マモルは気を失った。


 目を覚ますと、外から鳥の鳴き声が聞こえてきた。

 襖の前で目を覚ましたマモルの視線の先、カーテンの隙間から細い光が差し込んでいる。朝陽だと気が付くと共に、恐ろしい一夜が明けたことを知った。見上げた天井では、不吉な彼岸花が首を垂れている。締め切った部屋では、風はそよとも吹いていない。

 恐る恐る窓に近づき、マモルはカーテンをそっと開けた。ガラスの向こうに見慣れた庭の景色がある。母が植物を育てているプランター。横の植木鉢では、夏休みの宿題で育てた向日葵が、枯れた姿のまま項垂れている。天には青く薄い空が広がり、筆でさっと拭ったような白い雲が流れていた。

 やっと、終わったんや。

 ほっと息をつき、鍵をひねり、カラカラと窓ガラスをサッシの上で滑らせた。

 瞬きをすると、朝の景色は消えた。雀の声は消え、月も星もない一面の夜闇が目の前を包んでいる。真ん中にある一層暗い子どもの影が、窓の外からこちらの顔をぐうっと覗き込んだ。

 マモルという自分の名前を、たくさんの子どもの声が呼ぶのを聞いた。

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