第1話 白石京宇
大音量のアラームに叩き起こされ、白石京宇は目を瞑ったままゆっくりと半身を起こした。
昨日、遅くまで走り回った影響なのか体が怠い。正直まだ寝ていたいが今日は月曜日なので学校がある。
登校前の準備にはいつも時間を掛けているため、ここで二度寝すれば遅刻は確定してしまうだろう。だらしない格好での登校は避けたい所だった。
うちは家庭環境的に、朝起こしに来てくれる家族なんていない。数年前に父親が海外勤務となり、母親は生活力がない父親のためについて行った。
なら俺は一人になったのか、生活力があったのか?
それは違う。俺には四つ年上の姉がいるのだ。
真面目で生活力のあるお姉ちゃん。そんな姉がいたもんだから、両親は全く心配する事なく海外に飛んで行った。
二人暮らしとなって、嬉々として俺の世話を焼き出した姉貴の姿は今でも覚えている。
朝が苦手な俺を毎日のように起こしてくれて、ご飯を作ってくれて、その他諸々お世話になっていた。
両親に『お姉ちゃんがいるから安心ね』なんて事を言われた半年後くらいだったか。
姉、彼氏が出来て全く家に帰って来なくなる。俺、一人で家の事を全てしなきゃいけなくなる。
姉に世話を焼かれたのは半年間だけ。姉貴は大学デビューをしたようで、モテだすようになった姉貴にはたくさんの男が寄ってきた。
男にチヤホヤされるのが楽しかったのだろうな。今では男共を完全に飼いならし、かなり貢がせているようだけど、よくは知らん。
姉貴が家に帰って来るのは、男がいない間だけ。二か月くらい前にフラッと帰って来て、二週間くらいは家にいただろうか?
時期的に考えると、クリスマス前に男と別れてクリスマスに新しい金づ……もとい彼氏が出来たという事なのだろう。
まぁ頻繁に『大丈夫~?』と連絡を寄こしてくるので、少しは俺の事を気に掛けてはいるのかもしれないが。
ともあれ俺はそんな環境下、一人暮らしと差ほど変わらない生活がもう三年……いや、二年になるのだろうか?
俺の記憶では三年くらいだけど、今の俺の状況では二年というのかもしれない。
俺は寝ぼけ眼のままアラームを止める。そして、いつもはあまり意識する事がない画面の端に視線を送った。
「……4月15日」
日付を確認すると4月15日。昨日のアレは夢だった……なんて事はなく、これは現実だという事がボヤけた頭に入って来る。
俺は2月14日のバレンタインデーから、4月14日にタイムリープした。
……かはどうかはまだ疑問だが、戻っていようが戻ってなかろうが変わらない事はある。
それは俺が高校生で、学校があるという事だ。よくよく考えれば、俺は同じ事を学習しに学校に行かなければならないのか。
「……はぁ……あるよな~」
起きて最初に机の上を確認した。そこにあったのは子供の玩具のような、LOADと呼ばれるボタン。
とある老人からこのボタンを購入し、押して見たところ10ヵ月ほど過去に戻っていた。改めて思い出してみるが、本当に馬鹿げている。
でも事実、戻っているんだ。姉貴や友人たちにも確認してみたが、全員が今は4月の春だという。さっきまで2月の冬だったと言うと頭を心配される始末。
というか、スマホの連絡先から何人かの友人が消えていた。それが否応無しに過去に戻ったのだという事実を付きつけていた。
「もう戻れないのかね……」
制服に着替えながら思ったのは、元に戻れないのかという事。未来に来たのではなく過去に戻ったため、いずれは元に戻るのだろうけど。
単純に怖いし、気持ちが悪い。非現実的な事が起こったのだから、この先なにが起こっても不思議じゃない。
友人たちの言葉から、戻ったと感じているのは俺だけのようだ。俺だけが、この特殊な状況下に置かれている……それは何とも怖くて不安で気持ち悪い。
「LOADか……」
それにどうして記憶があるのか。LOADしてSAVEポイントに戻ったのであれば、記憶を失うというか……その時点まで全てがリセットされるのではないのか?
ゲームであれば記憶も、成長した肉体も習得した魔法なんかも、進めた物語だって全てがSAVEした状態まで戻るはずなのに。
「成長した……肉体」
顔を洗いながらそんな事を考えていた。そして思った、俺の体の状態はどうなっているのかと。記憶を保持しているのであれば、肉体の成長も保持しているのでは?
顔を洗いながら、鏡の中の自分と10ヵ月後の自分の容姿を思い出して比べてみる……が、違いなんて分からなかった。
少し若返った? 髪が少し長い? 筋肉量は? 身長は? 体重は? あれこれ比べてみようとするも全く分からなかった。
「……そうだ」
ある出来事を思い出し、俺は左手親指の付け根を見た。
あれは文化祭準備期間の日。彫刻刀を使って作業していた時、俺は不注意から左手親指の付け根付近を彫刻刀で盛大に抉った。
しっかりと病院で手当ては受けたが、生々しい傷跡が残ってしまったんだ。
「……ないな」
治った後はあまり意識して見る事はなかったが、最近まで傷痕があったのは間違いない。それが今は綺麗さっぱりと消えてなくなっている。
肉体の成長、変化は4月14日の状態まで戻っている。強くてニューゲームとはいかないようだ。
記憶を保持している時点で十分にチートだと思うけど。そもそもたった十か月で成長なんてほとんどしていないだろう。
登校準備を整えた俺は、適当に朝食を済ませた後に家を出た。俺は電車通学のため、まず向かうのは最寄り駅だ。
去年は運動がてら自転車通学もしてみたけど、微妙だった。自転車通学したのなんて一週間もなかったんじゃないだろうか。
今では電車一択だ。いつもと変わらない時間、いつもと同じ乗り口から電車に乗り込み、いつも通りの場所まで進む。
電車の壁に体を預け、いつもならスマホを弄って時間を潰す……所だがそんな気分にはなれなかった。
(結局、昨日は見つけられなかったし……)
あれからあの老人を探し回り、似たような路地裏を駆け回ったが見つける事は出来なかった。
まったく覚えていないんだ。電車に乗る前の出来事だったのか、降りてからの出来事だったのかも覚えていない。
学園近くのあの公園までの記憶しかない。昨日はその公園付近を重点的に探し回ったのだが、路地裏も老人も見つけられなかった。
本当に、夢でも見ていたのかと思ってしまうが、あの老人の声はなぜか鮮明に覚えている。声的に恐らくは老婆である事が予想できていた。
「はぁ……」
車窓から外の景色を眺めながら、もう何回溜め息を付いただろう? 昨日今日で間違いなく今までついた溜め息の回数を超えた事だろう。
10ヵ月も戻った、それを意識すると無意識に溜め息が零れてしまう。
20代30代の大人が高校生に戻ってしまいましたので人生やり直します!? なんて設定の物語は溢れているが、俺のように同じ年の10ヵ月前に戻る奴なんているか?
正直に言うと、あまり嬉しくないしやる気も起きない。俺が三十台の社畜~とかだったら泣いて喜んだのかもしれないけど。
別に人生やり直したいと思った事なんてないし、戻ってまでやり直したいと思えるほどに後悔している出来事もない。
そもそも10ヵ月程度で人生なんて変えられるのだろうか? 高校二年生って、言っちゃなんだけど遊ぶのがメインの学年だし。俺も、ただ遊んでいた記憶しかない。
一年生と違い学園生活にも慣れてるし、三年生と違い進路に頭をそこまで悩ませたりもしなかった。
というか、変えたいと思ってないから何をどうやって何を変えたらいいのかも分からん。
精々もらえなかったチョコレートを何とかして貰えるようにする、なんて程度の事しか出来ないんじゃないか?
チョコ貰うために10ヵ月も戻って、高校二年をやり直す。タイムリープしてやる事がそれかよ。
楽しかったイベントをまた経験できる事は嬉しいけど、嫌なイベントや出来事もまたやって来るんだな。
嫌なイベント……というか昨日のあれが強烈すぎて、それしか頭に浮かばん。
「またアレを見るのか…………はぁぁぁぁ……――――」
「――――どうしたの京宇ちゃん? だいじょうぶ?」
俺の暗い暗い溜め息とは天と地ほど違った可愛らしく綺麗な声が、すぐ隣から聞こえてきた。
顔を上げ声がした方に目線を向けてみると、そこにいたのはよく一緒に登校している友人の一人、緑月美湊だった。
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