第3話
あの路地裏にいた老人に購入した商品の説明を求めようと、軽く身支度を整えた俺は玄関で靴を履いていた。
あれはただのボタンではない、何かが起こるのは間違いない。肉体転送なのか記憶消去なのか、はたまた精神異常なのか。
そんな事を思いながら靴を履き、冬の寒さに耐えられるようにマフラーを巻こうと考える。
(……あれ? マフラーが……まぁいいか)
冬の間は玄関にマフラーを置いていたのだけど、どこに置いたか忘れてしまった。まぁなくても我慢はできる。
(……なんか、暑いな)
上着を羽織りマフラーをせずに家を飛び出した。少し薄着だったかもと思ったくらいだがそんな事はなく、むしろ暑かった。
上着を脱ぎたいくらいだけど下はTシャツ。2月にTシャツだけでいたら頭がおかしい奴だと思われてしまう。
(今日は雪でも降るんじゃねぇかって寒さだったのに…………さ、寒さだった……さ、さ……咲いてる?)
家を出て、とりあえず駅の方角に向かい歩いていた。俺の家と駅の途中に公園があるのだけど、その公園の景色がおかしな事になっていたんだ。
公園には桜の木が何本かあるんだけど、桜……咲いていたんだよ。
今は冬。今日は2月14日、バレンタインデー。桜の花が咲く季節ではなく、雪化粧する季節のはずだ。
(……もしかして、大発見なんじゃ)
冬桜というのは聞いた事があるけど、この公園の桜は4月中旬あたりに開花するはず。ならば突然変異? 新種発見かもしれない。
すぐさまスマホを取り出しカメラを起動した。これはバズるのでは……なんて思いつつ桜の写真を撮った。
「なんか温かいから、一気に咲いたのかな…………ん?」
写真を撮り終え、仲の良い友人に送ってみようとスマホを操作していた時に感じた、とある違和感。
何かがおかしかった。妙に気になったため、何が気になったのかを頭の中で考えつつスマホを隅から隅まで眺めてみる。
すると、違和感の正体は画面の端にあった。
「…………4月14日……? 今日は2月14日だよな?」
スマホの故障、日付の表示がバグったのだと思った。しかしその疑いは頭の中から消え始め、別の事柄が頭に浮かび始める。
Tシャツ、マフラー、気温、桜。
道の真ん中で立ち尽くし、僅かに震える手でスマホを弄る。そんな時、道の真ん中で危ないぞ……なんて声を掛けてくれた犬を散歩させているオジサン、半袖ハーパンだった。
冬なのに元気なオッサンだ、寒くないのか……ではなく、自分の記憶以外の全てが今は冬ではなく春だと告げていたのだ。
まさか、本当に記憶消去ボタン? 俺、二か月分の記憶が消えたのか……?
ダメだ、頭が回らない。ここは人類の英知の結晶、人工知能様に教えて頂こう。
「……へいOsiri……きょ、今日は何日……?」
『すみません、よく聞き取れませんでした』
「今日は何月何日!?」
『xxxx年4月14日x曜日です』
「な、な……ななな……!?」
『すみません、よく聞き取れませんでした』
「な、な……何年って言った……?」
『xxxx年4月14日x曜日です』
「こ、こいつ壊れてやがる!」
『壊れてねぇよ』
一瞬自我を持ちかけた人工知能に恐怖しつつ、俺はその後ネットで色々調べたり街を走り回ったりして確認を行った。
その結果、俺の記憶以外は全てが4月14日。どこに行っても、厚手の上着を羽織り、街を走り回る俺を見た人は怪訝な顔をしていた。
顔から流れる暑さからくる汗に、背中を伝う恐怖からくる冷や汗。流石に走り回る事に疲れた俺は立ち止まり、頭を冷やそうと近くのベンチに腰掛けた。
すると、頭の片隅に追いやっていた馬鹿げた思考が頭の中心に居座り始める。
「俺、過去に戻ってる……?」
二か月後の4月14日ではなく、10か月前の4月14日。様々な所からの情報は、未来ではなく過去を示していた。
あり得ない。漫画かよ、ゲームかよ、非現実的すぎかよ。
でもそう、ゲームだ。漫画とかでよくあるタイムリープ。流石にそんな物が、自分の身に起こるなんてこれっぽっちも思った事はない。
ならなぜそんなアホ思考が頭の片隅に生まれたのか。
それは知識があったから。いくら非現実的な事でも、ゲームや漫画の世界には溢れているありきたりな設定、出来事だったから。
そしてそのぶっ飛び思考が頭の中心に居座り、ほぼほぼそれが正解だと思ってしまっているのは――――
「――――LOAD……」
ポケットに突っ込んでいたボタンを取り出し、恐る恐る眺める。無造作にポケットに突っ込んでいた事に軽く恐怖を覚えた。
このボタンの名前、商品名。最初は意味が分からなかったが、よくよく思えば目にする事は多々あった。
ゲームによくあるじゃないか。LOAD、読み込み。SAVEしたポイントをLOAD、読み込み物語を再開させる。
ゲームのLOADを過去に戻る、タイムリープだと思って使う奴なんていないだろう。だってLOADしたら、その時点まで全てが戻るんだから。
記憶を含めた全てが、SAVEした時点の状態に戻るのだから。
「でも俺には……記憶が」
俺には記憶があった。ボタンを押す前は2月14日のバレンタインデーで、雪こそ降っていなかったけど肌を刺すような寒さの日だった。
友人たちの告白現場に遭遇した事も、老人から十円でボタンを購入した事も、もちろん夏の記憶も秋の記憶だってバッチリあった。
記憶を保持した状態のLOAD。それはもうLOADではなくタイムリープじゃないか。
俺は、4月14日というSAVEポイントをLOADして、記憶を保持して過去に戻ったという事か……ははは、なるほどなぁ。
「はは……は……あり得ねえだろ」
知識としては知っていても、そんな事が起こる訳がないと分かっていた。だってゲームの世界じゃないんだから。
でも実際に起こっている。何が起こったのかまだ正確には分からないけど、あのボタンが原因だという事は間違いないだろう。
やはりあの老人を探さなくては。そう思い、上着を脱いだ俺はベンチから立ち上がり、あの路地裏を目指して走り出す。
しかし、いくら走り回ってもあの路地裏は見つからない。
(どこだよ? なんでそこだけ覚えてないんだよ!?)
このボタンを押せば過去に戻れるとかそんな事はどうでもいい。聞きたいのは、2月14日に戻れるのかどうかだ。
だってそうだろう。10ヵ月も戻されるなんてたまったもんじゃない。10ヵ月前といったら、今と色々と変わっているぞ。例えば友人関係だってそうだ。
良かった思い出もあれば、あまり思い出したくない苦い記憶だってある。俺はまたそれを経験しなきゃないのかよ?
あの時だって、あの時だって。それに今日のあの出来事だって。
――――俺はまた、アイツらのあんな表情を見なきゃならないのかよ?
……いや、違うか。だってこれはただのLOADなんかじゃない。だって俺には記憶があるんだから。
また同じ物語が始まるゲームのLOADなんかじゃない。だって俺は行動を変える事が出来るんだから。
俺が行動を変えれば、結末だって変わるんじゃないか?
変えられるのか?
友人たちの、あの悲運。彼女達を笑顔にしてやる事が出来るのか?
もし、もしそんな事が出来るのであれば、俺は――――
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「おい! 売り切れってどういうことだよっ!?」
「言葉通りの意味でございます」
「じゃあなんだよ、俺はどうなるってんだよ!」
「まだエンドは訪れておりません。ご自分の目で、確かめてはいかがでしょうか?」
お読み頂き、ありがとうございます