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第2話






 見覚えのない路地裏に迷い込んでしまった俺の耳に入ってきた小さな声。なんて言ったのかは分からないが、俺は反射的に声が聞こえてきた方に目を向けた。


 そこには、浮浪者のような佇まいをした老人が地面に座り込んでいた。どうやら声を発したのはこの老人のようだが、正直反応したいとは思わなかった。


 そのため聞こえなかった振りをして、通り過ぎようと思ったのだが。



「いらっしゃいませ」


 今度はハッキリ聞こえたし、目も合ってしまった。


 周りに他の人の姿は見えないし、俺に言ったんだよな? 流石に無視するのは……しかしいらっしゃいませとは、商店か何かだろうか?


 いや、申し訳ないがここはスルーさせてもらおう。こんな薄暗い路地裏で、言っては何だがそんな身なりで物売りとか。


 ここは会釈の一つでもして、そのまま立ち去るのだ。



「…………あの、LORDってなんですか?」


 会釈後、立ち去ろうとした時に目に飛び込んできた商品名。薄汚れた木札に書かれたアルファベット、それに興味を惹かれてつい問うてしまう。


 木札の横には商品だろうか? 小さな箱にボタンが付いた物が段ボールの上に置かれていた。しかし、子供の玩具だと言われても驚かない程のチープな造りだ。


 ボタンを押して遊ぶ玩具だろうか? いつだったかそんなコンセプトのガチャガチャが流行った記憶がある。確かにボタンって押したくなるよな。



「LORDはLORDでございます」

「……押すと何か起こるんですか?」


「お買い上げ頂き、押して頂ければ分かります」

「……いくらですか?」


「十円でございます」

「じゅっ……十円!?」


 なんだそれ? 商売する気があるのか? それとも、そこらへんで拾ってきたゴミだからって、十円で売りつけようとしているだけだろうか?


 確かにチープな物だが、真新しいし故障品という訳ではなさそうだ。子供の玩具だとしても十円は破格だろう。


 十円と聞いたら凄く押したくなってきたぞ、あのボタン。ガチャガチャなら三百円はしそうなクオリティに見えるし。



「く、ください」

「十円でございます」


「……はい」

「お買い上げ、ありがとうございました」


 老人に十円を渡し、ボタンの玩具を受け取った。すんなり渡してくれたが、本当に十円でいいのだろうか?


 持ってみた感じも子供の玩具。軽いし、手の平に収まるほどの大きさだし、簡単に握りつぶせてしまいそうな程ちゃっちい。


 ボタンの隣には『5』という数字が書いてあった。もしかしたら押した回数を表示してくれるのかもしれないが、5という事はやっぱり中古じゃないか。


 やっぱりボタンを押して遊ぶ、ストレス発散みたいなコンセプトなのかな? ボタンって色々な所にあるけど、意外に押したらマズいボタンって多いから。


 しかしこれは押していいボタンなのだ。押していいボタンは、押さずにはいられない。



「またのご来店をお待ちしております」

「あ、あぁ……どうも、ありがとうございます」


 深々と頭を下げる老人を見て、何とも言えない気持ちになった。だって十円だぞ? そんなどこぞの高級店の店員みたいなお辞儀……まぁ恰好はあれだけど。


 ともかく、ちょっと居づらい。俺は軽く礼をしてそそくさとその場を去った。


 しかし気のせいだろうか? 去り際に見た老婆の顔……笑っていなかったか?





 あの場所を離れて、何か所かの曲がり角を曲がってから一息ついた。この場所が相変わらずどこか分からないが、その前にやる事がある。


 それはもちろん、ボタンを押してみる事だ。



 ――――カチッ――――



「おおっ! 思っていたよりいい感じのかんしょ……く……?」


 押した瞬間、目の前が真っ暗になった。それはほんの一瞬だったけど、なぜか物凄く長くも感じられた。


 暗くなったのは一瞬で、すぐさま目に光が入り込む。瞬きより僅かに長いくらいの暗転、その暗闇に光が射すと目の前の光景が変わっていた。


 目の前にあったのは、いつも寝起きしている自分のベッドであった。



「………………え?」


 俺、いつの間に家に帰って来てたんだろう? ついさっきまで見慣れない路地裏で、老人から玩具のボタンを買って、それを押して……。


 夢でも見ていた……? いや夢なんかじゃない、手の上にはあのボタン玩具があった。


 このボタンを押した瞬間に目の前が暗くなって、気が付いたら自室。しかもよくよく見れば俺、制服から部屋着に着替えているし。



(……なんか怖いぞ。ボタンを押してから今までの記憶が全くない。考え事をしていて覚えていないだけとか、そういうレベルじゃないんだけど)


 ベッドに腰かけ、ボタンを押してからの事を思い出そうと頭を回す。しかしいくら思い出そうとした所で、何も思い出す事はなかった。


 記憶がキレイさっぱりなくなっている。家に戻って来るまでの記憶も、家に戻ってからの記憶も一切なかった。


 なくなったと言うより、初めからなかったみたいな。


 あり得ないけど、このボタンは転送装置かなにかで、一瞬で路地裏から家にワープしたんだ、そう言われた方が信じられちゃいそうだ。



「……なに馬鹿なこと言ってんだ俺は」


 そんなすげぇ物が十円で売ってるかよ。いやそもそも、転送装置なんて夢の技術が現代にある訳がない。


 これはただのボタンだ。結構いい感じの感触だったし、ボタンを押して楽しむだけのただの玩具だ。


 路地裏に迷い込んだ時もそうだっただろ。考え事をし過ぎて、何をどうやったのか忘れてしまっているだけだ。


 こんなボタンが、転送ボタンや記憶消去ボタンなんて馬鹿げた話である訳がない。



 ――――カチッ――――



「こんなんただのおもちゃ…………だ……ろ」


(……あれ? 俺、ベッドに座ってなかったっけ? 立ってたっけか?)


 あ、ありのまま今起こった事を話すぜ。ベッドに腰かけていたと思っていたら、ベッドを見下ろしていた。何を言っているのか分からねぇと思うが、俺も何が起こったのか分からねぇ。


 ま、まぁ無意識に立ち上がったのかもしれない。立った座ったなんて、そんなの無意識に行われる事だ。


 そう思いながらも、俺はボタンの玩具を片手に部屋を出て階段を下る。そのままトイレに入り、便座に座り込み一呼吸。


「ふぅぅぅ…………俺は今トイレにいる、俺は今トイレにいる、俺は今トイレにいる」


 ――――カチッ――――


「俺は今トイレにいる、俺は今と……と……お部屋にいるぅぅぅぅ!?」


 まただ。ボタンを押した瞬間に一瞬だけ目の前が暗くなり、気が付けばトイレから自室に戻っていた。


「やべぇ、これ……!」


 これ、転送装置だ! 間違いない、なんてヤベェ物を手に入れたんだ俺は!?


 ……いやいや冷静になろう。なら制服から部屋着になっていたのはどう説明する? 転送装置に着替えオプションでもついているのか?


 となるとやはり、記憶消去ボタン……か? それはあまりよろしくないぞ。



「……聞きに行こう」


 あの老人にこのボタンの説明を求めよう。もしただのボタンだと言うのなら病院に行こう。


 もし記憶消去ボタンだというなら何のメリットもない……いやメリットはあるか? こんな凄いボタン、いったいいくらの価値があるのか分からないし、売れば一財産?


 もしかしてあの老人、未来から来たとか? だとしたら、他にも未来の何か売ってくれたりするのかな?


 なんて馬鹿な事を考えつつ、上着を羽織った俺は玄関へと急いだ。


お読み頂き、ありがとうございます

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