未知なる異世界を夢に求めて
ここから少し場面が変わる。
シンゲツの魂の中身がどこかにいってしまった、と言われているが。
どこかにいっただけで、消えてしまった訳ではない。
通常であれば、肉体から魂が離れてしまえば、人によっては希薄となり消滅、永遠に彷徨い続ける事となる。
シンゲツの場合は異なった。
彼は妻と息子の死で魂が摩耗し、生きる気力がなくなり、魂が深く沈み。
その中身は肉体を通し、異なる世界へ転がり込んだ。
シンゲツが意識を覚ましたのは真っ暗な闇。
しかし、しばらくすると奥から光が差して自分を僅かに照らしてくれる。
改めて周囲を把握した。どうやら、洞窟の中、それも出入り口付近に転がっていると分かった。
村の連中が自分をここまで運んだのか? チラッと嫌な予感が脳裏に過ったが。
どうでも良かった。
何もかもが、だ。
妻も息子も死んで、最早生きる意味がない。動こうと言う意思すらない。
シンゲツは一歩も動くどころか、何もせずにそのまま終わりを迎えようとしていた。
思考が全く巡っていないのだ。
一種の鬱状態に近い。
何をしても楽しさを感じないし、何を食べても、何を見ても、脳が動かない。
シンゲツの場合、魂の摩耗が酷く、精神に問題を来していたレベルだった。
何も考えられず、ただぼーっとしていた彼の前に人が現れた。
否、人の形をした何かがシンゲツに気づいて歩み寄る。
逆光で分からなかったソレが露わになる。
体格的に女性の人間で、漆のように滑らかな黒髪、上品な着物を纏いながらも、体全体の皮膚が不気味な色合いで爛れ、顔は水ぶくれが幾つも垂れ下がり、どこに目口鼻があるか分からない程だった。
流石にシンゲツもギョッとした。
化物か!? と焦る。
精神全体に危険信号が走って起きようとすらした。
でも、いざ動こうとしたら指一本動かせない。
徐々に最初の危険信号も弱まって、体を動かす気力も意思も薄れてしまう。
その原因の一つに、異形の女が意味不明な言語で話しかけるが、必要以上にシンゲツへ近づかなかったので警戒心が薄れたのだ。
異形の女はシンゲツが動けないと察したのか、その場から離れ。
再び戻って来た時、何かを手にしていた。
木の器、升に入った液体をシンゲツに飲ませる。
抵抗する気力もなかったシンゲツだが、液体から漂うツンとした匂いで気づく。
――あ? これ……酒か??
シンゲツは酒が好きだった。
飲ませられた酒は、飲んだ事ない不思議な味で、普段の酒とは異なる深いものがあった。
しかし、酒を飲んだというのに、全然嬉しくも何も感じなかった。
これにはシンゲツは衝撃を受けた。
鬱状態の彼は、もはや何もかもに頭が動かず、妻と息子の死を記憶に呼び起こしても悲しみが湧かず。
好きな酒を飲んでも、どうとも感じない事がショックだった。
その事実がますます彼を深く沈ませてしまった。
――どうなっちまったんだ。俺は
しばらく、異形の女が時折酒を飲ませてくれる日々が始まる。
シンゲツの変化はすぐに現れなかった。彼女が酒を飲ませても体が動けるようにならない。
何でもない時間が経過するばかり。
だが、徐々にだがシンゲツの中で変化が芽生えた。
異形の女に対する感情の変化である。
彼女は相変わらず醜い容姿だが、訪れる度に何かをシンゲツに話している。
全く言語は理解できない。
しかし、彼女の声色は明るいもので、容姿ではなく、中身が明るくハキハキした女性だと感じさせる振る舞いをしていた。
――アイツは、いい女だ。
普通なら気でも狂ったのか。優しくされて心を許してしまったかと思われそうだが。
シンゲツの場合は違う。
異形の女が自分を騙そうと目論む魂胆ではなく、自分の周りの話を面白可笑しく語っているだけ。
心遣いや同情じゃない。
自分を奮い立たせようとしているのだと。
そう考え始めると、少し体が動かせる事に気づくシンゲツ。
少し経てば立ちあがれると確信を持った。
――もし、またあの女が現れたら……
休むつもりで瞼を深く閉じた後。シンゲツの前には見知らぬ天井が広がっていた。
☆
「……は? ここ何処だ??」
元々自分が住んでいた家より良い室内に、自分がどういう状況なのか理解できずにいる。
体は、普通に動く。
でも武器が無い。剣が無いのは心もとなかった。
第一に、シンゲツは口元を抑えて、周囲に立ち込める白い煙に眉をひそめる。
これは家事の煙ではなく、光の霧。濃度の濃い光の魔素が大気に充満しているのだ。
光の魔法はお綺麗な清掃や回復以外にも、精神に影響を及ぼす効果があるのだ。
所謂、幻覚。
ダンジョン内でも似たような現象が発生した場合の対処法を心得ているシンゲツは、光の魔素を吸い込まないように火の魔素でコントロールしている。
だが、頭がチカチカとする。
「くそ! 何処だが知らねぇし。不味い状況で体調も最悪だ!!」
『ふふふ。貴方はここから逃げられないわよ』
どこからか女性の声が響き渡ると、数多の人間が窓を突き破って侵入してきたのだ。




