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プロローグ 1


 ——エラ……オレはずっと、お前のことが好きだったんだ………。



 薄れゆく意識の中、セオドア・ペンバートンは視界の端に映る女性の顔を見つめながら、心の中で告白する。

 パーマがかったブロンドのロングヘアに、薄く開かれたままのエメラルドグリーンの瞳。だがその瞳には光がなく、彼女の顔には生気がまるでなかった。

 エラの顔は血と泥で汚れており、全身は擦り傷と切り傷だらけで服も擦り切れている。首に負った傷は深く、まだ血が流れていた。

 今もなお降り続く土砂降りの雨に全身を濡らして、それでも彼女が動く気配はない。


 ……あぁ、こんなところで寝たら風邪をひくのに。


 そう思っても、セオドアにはもう彼女を起こす気力も、自分の体を起こす気力すらない。なぜならセオドアの身体も、傷だらけのあざだらけだったからだ。

 特に頭の傷がひどく、セオドアの目の前は頭から流れる血のせいで霞んでいた。が、痛みはあまり感じない。どうやら、既に感覚が麻痺しているようだ。

 どんどん弱くなる自分の呼吸音が、心臓の音が、雨の轟音でかき消されている。


 どうしてこうなったのか。


 16歳の冬。

 雪でも降ってきそうな真っ暗な空から降ってきたのは、雪よりも冷たく思える程の、死という名の冷たい雨。


 セオドアは、決めていた。


 無事に帰ることができたなら、今度こそエラに好きだと言おうと。


 生まれた頃からいつも一緒で、ずっと憧れていた。

 強くて、自信家で、一度した約束は絶対に守る。そんな彼女がかっこよくて。その憧れは気付けば友情となり、やがて友情は愛情に変わっていた。


 けれど、オレは臆病だから。

 エラのことが好きだと思うたびに、エラもオレのことを好きなのかもしれないと自惚れてみるたびに、ふと自信がなくなっていた。

 だからずっと、決定的な言葉を避けていた。答えを聞くのが怖かった。


 だけど、こんなことになるのなら、もっと早くに伝えておけばよかった。

 死んでしまってからじゃ、どんなに言っても届かない。

 それを、こんな時になって初めて気づくなんて。


 セオドアは自分の身体から、どんどん熱が消えていくのを感じる。もう、目もよく見えなくなってきていた。

 なのに耳だけはよく聞こえて、彼女の命を奪っていった雨の音が頭の中まで響いてくる。


 あぁ、これが命の終わり。

 彼女の命を奪っていったこの雨が、今度はオレの命を(さら)っていく。

 こんな形で終わるのか。こんなあっさり終わるのか。


 セオドアの脳裏に、エラとのこれまでの思い出が一気に駆け巡った。

 散々振り回されて、わがままに近いお願い事をされて、それでも彼女は、一度だって自分からオレの手を離したことはない。

 そんなエラのことが、大好きだった。それは今もそうだ。

 だが今は、そんな彼女の手に触れることもできない。


 ……神様。

 もし生まれ変わりというものがあるのなら、もう一度エラに会わせてください。

 もしそれが叶うなら、今度こそ、彼女に自分の気持ちを伝えるから。

 もしもう一度やり直せるなら、今度こそ失敗しないから。


 だから、どうか………もう一度…………。



 もう一度……確かにそう言った。


 確かに願ったさ。願いましたよ神様。でもさ……。


 はぁ、と大きなため息をついて、セオドアは頭を抱えた。

 パーマがかったブロンドのロングヘア、エメラルドグリーンの瞳。膨よかな胸と尻に、キュッとしまったくびれ。目の前の姿見鏡に『自分』の姿を映しながら、スゥッと息を吸い、一気に吐き出すようにして叫んだ。


「こういうこっちゃねぇんだよ、アホ神がぁあッ!!」


 溜まった不満をぶちまけるように猛る『女の声』が、屋敷全体に響き渡る。

 いや確かに、会わせてくれとは言った。もう一度会いたいとは願った。

 だからってこれはないだろ。

 鏡の前に立っているのは間違いなく、エラの姿をした『自分(セオドア)』だった。




 セオドアが目覚めたのは、つい数分前のことだ。


 ベッドから起き上がって見渡してみると、そこには見覚えのある、しかし自分のものではない家具が広がっていて、身体中に負っていたはずの傷は全くないどころか、手当の跡すらなかった。


 いや、今それはどうでもいい。

 そんなことよりも重大な変化が、自分の身に起こっていたのだ。


 セオドアは他の男子よりも体が細く、筋肉もあまりない。趣味のお菓子作りでクリームをかき混ぜたりするので腕には少しだけ筋肉があったが、それ以外は全くと言っていいほどなかった。

 いやしかし、それにしたってこの腕や指の細さは異常だ。まず間違いなく、男のそれではない。


 それに、服装も違った。白い大きめのワイシャツを着てベッドに寝ていたセオドアだったが、そもそも彼のいつもの寝間着は紺色のローブだ。こんなワイシャツで寝ることはまずない。

 そもそも、ワイシャツの掛け合わせが男物のそれとは全く反対だった。

 どうしてオレは、女物のワイシャツを着ているのか。


 そう疑問に思って、さらに身体の隅々まで見ようと顔を下に傾けた時、自分の頬に長いブロンドの髪がかかってきて、これはおかしいと思った。

 セオドアは長髪ではないし、そもそも髪の色は生まれた頃からずっと黒だ。髪染めにも興味はないし、染めたとしてもブロンドだけは絶対に似合わないと思っていたので、するはずがない。


 まさか。いや、あり得ない。しかし、もしかすると………。


 セオドアは慌てて自分の姿を確認しようと、部屋の壁に建てかかっている姿見鏡に向かって走り出した。

 そうして、見たのだ。


 鏡に映った、エラの姿を。


 はだけた胸元から覗く谷間、ワイシャツだと思っていたそれは、膝丈よりも少し短いネグリジェだった。ネグリジェはわざと一回り大きなサイズを着ているのか、体のラインが分からないほどぶかぶかだ。しかし、それでも自分の身体が男の物ではないことくらい分かる。


 セオドアは確かめるように、自分の全身を服越しに上から指でなぞってみた。

 喉仏も筋もない細い首。軽く押すと押し戻してくる豊満な胸。乳頭に触れるのは憚られたので、そこは飛ばして細すぎるくびれに指を這わせる。


 この時点では、まだこれは夢ではないかと思っている自分がいた。

 しかし、その下に指を当てて初めて、セオドアはようやく現実を思い知ったのだ。


 分かりやすくいうと……ないのだ。

 具体的な名称は口に出せないが、つまり男なら誰しも持っているはずのそれが、どこにないのだ。たとえ服越しでも、あればすぐに分かるはずだ。しかし、それがない。これ以上奥に進まなくても、ないのは分かる。

 セオドアは愕然としてその場に膝をついた。


 そして確信したのだ。

 どうやら、自分はエラと体が入れ替わってしまったらしい、と。



「はぁ……」

 セオドアは再びため息をつく。

 確かに意識を手放す直前、生まれ変われるならもう一度エラに会いたいと願った。しかし、こういう出会い方を望んでいたわけではない。

 というか、身体がエラだというだけで、中身は自分なのだから、これは『エラに会った』ことにはならない気がする。


「それにしても、なんでこうなったんだ?」

 純粋な質問がセオドアの頭をよぎる。


 普通こんな不可解な状況に立ち合ったら、もう少し動揺するようなものだが、セオドアは幼い頃からエラに付き合ってさまざまな修羅場を切り抜けてきた経験があった。


 エラに「探検に行くからついて来い」と剣を片手に引きずられ、魔物が多く出ると言われている洞窟の奥まで付き合わされたのが6歳の頃。「茶会に誘われたが1人では退屈だから付き合え」と、女の格好までさせられ、女の所作や作法まで叩き込まれて無理矢理参加させられたのが8歳の頃。「狩猟大会でペアになれ」と、狩りは苦手なセオドアを巻き込んで、優勝までしてしまったのが10歳の頃……と、他にも数え上げればキリがない。


 そんな経験から、セオドアは順応性が他の誰よりも高かった。

 さまざまな修羅場を乗り越えた経験から、「これは夢だ」と現実逃避したり、パニックを起こしたりするよりも、早くからこの状況を受け入れて、何故こうなったのか、これからどう動くべきかを考える方が、狼狽えるよりも先だとセオドアは身をもって知っていたのだ。


 ……実際はパニックが最高潮(ピーク)に達しすぎて、そのせいで逆に冷静になっているだけなんかもしれないが、それでも冷静になれるだけマシだと、セオドアは何度も自分に言い聞かせていた。


 ふと、これまでの出来事を頭の中で振り返る。

 目覚める前、セオドアは確かに死んだと思った。

 土砂降りの雨に打たれて、既に息のないエラの横顔を見つめながら、自分の身体のから大切な何かが失われていくような感覚があったのを、覚えている。今でもその情景を思い出すと、背筋がゾッとする。


 だが、目覚めてみると自分は死んでおらず、怪我も消えている。エラの姿になっているという不思議なハプニングが起こっているものの、一応は無事だ。

 死んだと思っていたが、実はまだ息があって、奇跡的に一命を取り留めたのだろうか?にしても、傷がまるでないというのはおかしい。

 手当を受けて傷が癒えた、というならば分かるが、包帯もなく、手当の跡もないのに、完全に消えている。


 薄れゆく意識の中で、セオドアは確かに見た。エラが、首から大量の血を流して倒れているのを。だが、その首の傷もない。あれだけ深い傷ならば、どんなに時がたってもうっすらとは跡が残るはずだ。だが首に傷跡は全くなく、まるで初めから傷など負っていなかったかのように綺麗だ。


 どういうことだろうか。


 セオドアは腕を組み、低く唸りながら考え込んだ。すると、コンコン、と扉をノックする音が聞こえ、セオドアはビクッと肩を上げる。


「お嬢様、お目覚めですか?」

 扉の向こうから、女性の声がした。

いつもシリアス系ばかりで、ラブコメは初めてです。

暖かい目で見守ってくれると、励みになります。

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