黒木くんとメモ帳 その11
最初に目に入ったのは白い……天井だった。
黒い斑点のような模様が入っている、医療ドラマでよく見るタイプの天井だ。
……ということは、俺は今病院にいるのか?
身体に意識を持っていくと、俺に布団がかけられているのに気付いた。
つまり、俺は病院のベッドで寝ていたのだ。
少し痛む頭を動かすと、ベッドの隣に誰かが座っているのが分かる。
「…………三上?」
彼女は俺が目覚めたことに、とうに気付いているようだった。
その目には安堵とも罪悪感とも取れる涙を浮かべている。
「黒木くんっ!」
「――え、えっ!?」
三上は一瞬、はっとした顔になると、勢いよく俺に抱きついてきた。
突然の行動に、顔に触れた髪の柔らかさに、そして甘い香りに思考が止まる。
俺は一体どうしたんだ?
もしかして俺は今日死ぬのかもしれない。
「黒木くん、頭は大丈夫ですか!?」
「えっ、いや……大丈夫じゃないかもしれない」
こんなに綺麗な子に抱きつかれて平静を保てる男なんていないだろう。
「大丈夫じゃない!? い、今すぐナースコールで――」
「いやいやいやいや待って!? あ、そういう意味なら大丈夫だよ!?」
慌ててボタンを押そうとする三上を止める。
「ほ、本当ですか……?」
「あぁ、そういえば俺、階段から落ちたんだっけ」
「……はい」
ようやく記憶が鮮明になってきた。
俺は階段から落ちそうになった三上を抱きしめて、そのまま落下したのだ。
「三上、怪我は?」
そう問いかけると、彼女は申し訳なさそうに目を伏せて答える。
「私は大丈夫です。でも、黒木くんが怪我を……」
「俺は全然大丈夫だよ。あの状況で怖がらないなんて無理だし、俺も勝手に身体が動いちゃったんだ」
俺は鍛えているわけではないが、それでも華奢な三上よりは強い身体をしているだろう。
だから、咄嗟の判断で彼女を庇えた自分に満足している。
「――そういえば渋谷は!? 無事だったのか!?」
聞きたいことが次から次へと出てくる。
南條先輩たちがなんとかしてくれたのだろうが、渋谷も無事なのだろうか。
「美奈ちゃんは何もされてないみたいで、今は警察の取調べを受けている最中だと思います。先輩たちが付いていってくれてるから安心してください」
「そうか……よかった」
大事に至らなかったなら安心だ。
「黒木くんも、軽い脳震盪を起こしただけだから目が覚めたら帰って良いってお医者さんが言ってました」
「それなら良かった。もう少ししたら帰り支度をするよ」
「そ、それなら私がやります。黒木くんはまだゆっくりしててください」
「そ、そうか……?」
動こうとする俺を制して、三上はゆっくりと帰り支度を始めてくれる。
だが、やはり彼女は浮かない顔をしているというか、失敗を悔いている感じだ。
「あのな、三上」
「……なんですか?」
「もしかしたら俺が怪我したことの責任を感じてるのかもしれないけど、全然気にしなくていいんだぞ?」
「……それはできないです。私が階段から足を踏み外したせいで、黒木くんは一歩間違えば……」
「いやいや、大袈裟に考えすぎ――」
三上は涙を流していた。
鼻や口元は手で覆われていたが、目から伝う涙が手の甲を伝い、静かに落ちていく。
そうか、三上はこれほどまでに責任を感じていたのか。
だが確かに、逆の立場で考えてみたら理解できる。
もし三上が俺を庇って怪我を負ってしまったら、その大小はどうあれ心から悔いるだろう。
俺が三上に対して抱いている感情と、彼女が俺に対して抱いている感情は違う。
それでも、三上は少なからず俺を大切に思ってくれているんだ。
だったら俺もしっかりと伝えないといけない。
「……大丈夫だよ」
震えている三上の手を握ると、彼女は顔を上げた。
泣いている時に人と目を合わせるなんて恥ずかしいはずなのに、彼女はしっかりと俺の目を見つめている。
「……そりゃあ怪我をしないに越したことはないけど、一番大切なのは三上なんだ。だから、そんな顔しないでくれよ」
「そ、それって……どういう……」
顔が真っ赤な三上を見て、自分がとてつもなく積極的なことを言ってしまったと今さら後悔する。
「ち、違うんだよ! これはその……そう、大切な友達ってことだからな!?」
流れ的に告白だと思われてしまうところだった。
恩を着せて断れなくしたタイミングでこんなことを言うなんてダサすぎるし、そもそも俺は彼女と付き合いたいとは思っていない。
だから必死に誤解を解いているのだが――。
「……ふふっ、わかりました。ありがとうございます、黒木くん。もしいつか、黒木くんが大変なことになってしまったら、その時は私が全力で助けたいと思います」
「お……おう?」
どうやら誤解は解けたようで、ほっと胸を撫で下ろす。
三上の耳はしばらく赤いままだったが、それ以降は普段通りの反応を返してくれた。
「準備は終わったので、黒木くんの好きなタイミングでいきましょうか」
テキパキとした三上の行動のおかげで、すぐに帰り支度は済んでしまった。
起き上がり、ベッドから降りようとすると、布団に何か乗っているのに気がつく。
「あれ、メモ帳忘れてるぞ」
「うっかりしてました。すぐ済むので、少しだけ書いてもいいですか?」
「もちろん」
今日がかなり濃い一日だったからか、三上がメモをとっている姿を見るのも久しぶりに感じる。
ほんの1分ほどののち、彼女はペンを置いた。
「なんて書いたんだ?」
「今日は……黒木くんはいざという時はカッコいい……って書きました」
「……そ、そうか……」
そう言って笑う三上を見ていると、胸がギュッと締め付けられる。
この笑顔を守ることができて心底良かったと、俺はそう思った。
今回の一件が二人の距離を縮めることになるのか…それは今後わかります




